C51型は289両と日本のパシフィックとしては最も多く製造された。戦前には特急燕や富士の牽引など各地で華々しい活躍が知られますが、鉄道ブーム前の1965年までには全機が引退しており、敗戦後の混乱から抜けきれないカメラが高価な時代に活躍していたことから、姿のわからない機が多く、全容がつかみきれない状況でした。
ここ10年ほど、写真や資料を集めた結果、各機の姿を徐々に明らかになってきましたので紹介することとしました。資料とした写真そのものの公開は、著作権の保護期間に該当するこ物はできないため、なるべく正確な各機のイラストを作成し、掲載することとしました。
現時点で写真の見つからないC51は以下の2両となった。
C51131(名古屋→稲沢→1938-06-22 供出)
C51280(大里→鹿児島→1959-03-04宮崎廃車)
これらは時期的、写真の出てこない地域であったりと、非常に困難に感じています。
このほか、写真があっても部分的なものや、新製時のみで、末期の形状がわからないのがかなりの両数になります。
C5114(1959ー11ー27宮崎)
C5131(1958ー9ー2吉松)
C5133〜C5135供出
C5141(1955-2-26直江津)信越本線東光寺脱線転覆事故
C5154(1959-03-20室蘭)
C5158(1958-07-01福島一)
C5159(1958-07-01福島一)
C5165(岡山庫→1923梅小路→1931山田庫→1956-08-01山田廃車
C5197(1958-11-20米子) 公式側の写真無し
C51108(名古屋→1955-02-26直江津廃車)
C51112(1959-02-21豊岡)
C51117(1959-07-2都城)
C51119(1955-03-16旭川)
C51143(1955-03-16室蘭)
C51154(1959-02-21新津)
C51163(1959-03-20岩見沢)
C51174(1958-04-25新津)
C51181(1958-09-01福島一)
C51194(1947-03-30盛岡)
C51197(1954-12-06米子)
C51213(1958-04-25酒田)
C51219(鳥栖→1961-02-15早岐廃車)
C51235(1948-10-27室蘭) 第二静狩トンネル内列車衝突事故
C51248(1959-03-04米沢)
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