C51 41

 汽車会社製、新製配置は東京局、高崎を経て1945年より直江津で活躍する。1952年2月23日に信越本線東福寺信号所にて脱線転覆事故を起こし、しばらく休車の後、復旧している。1955年に廃車となる。 戦前は東鉄デフ、8-17台形テンダーであるが、事故後の1953年頃の写真では長野工場製のD51タイプのデフに12-17型テンダーに振替られられている。

写真
 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:○ 昭和30年代:−

特徴
 解放テコ:右側
 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分大宮工)
 デフレクター:東鉄型→長工
 煙突:化粧煙突
 給水温め器:本省丸型:大宮工1938年8月(高崎庫 配置表)
 給水配管:
 排気配管:後々
 ボイラー手摺:1段
 梯子:前寄り
 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4?往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:
 汽笛:3階音
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動
 テンダー:8-17台形→12-17型
 ナンバープレート:型式入り(戦前)
 その他:

車歴
 製造: 1921年6月8日 汽車製造 No.498
 使用開始: 1921年6月8日 東京局
 改番: 1928年10月1日 18940→C5141
 配置: 1929年12月 高崎庫
 配置: 1931年1月31日 高崎庫
 事故: 1935年11月9日 田端庫尾久分庫
 配置: 1941年3月31日 高崎区
 移動: 1945年2月1日 高崎区→高崎第一区
 移動: 1945年11月9日 高崎第一区→直江津区 達25号
 配置: 1951年10月1日 直江津区
 事故: 1952年2月23日 09:33頃、信越本線東光寺(信)
 配置 休車中: 1952年4月1日 現在 第一種休車(事故) 直江津区
 配置: 1952年10月1日 直江津区
 休車指定: 1954年9月24日 第一種休車指定 直江津区
 廃車: 1955年2月26日 直江津区 総裁達81

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5141デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 蒸気の時代No.94
C51 42

 汽車会社製、新製配置は東京局、宇都宮、高崎を経て1945年より尻内、盛岡で活躍する。1954年に酒田に移り1958年に廃車となる。
 盛岡時代末期の1954年に装備に変化が見られるのでこの頃全般検査を通したと思われる。酒田時代に背の高い化粧煙突に変更されている。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:右側
 煙室前手摺:B型(1954年:4時-11時30分大宮工)→A’型(1954年以降:9時-11時30分、1時-2時土崎工)
 デフレクター:東鉄型
 煙突:化粧煙突→化粧煙突(高)
 給水温め器:本省丸型:大宮工1938年8月(高崎庫 配置表)
 給水配管:T型 竪型 大宮工
 排気配管:後々 竪型
 ボイラー手摺:1段
 梯子:前寄り
 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復
 コンプレッサー:
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:5階音
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動
 テンダー:8-17台形
 ナンバープレート:正面形式入(1954年)→形式無し
 その他:

車歴
 製造: 1921年6月10日 汽車製造 No.499
 使用開始: 1921年6月10日 名古屋局
 改番: 1928年10月1日 18941→C5142
 配置: 1931年1月31日 宇都宮庫
 移動: 1931年7月 宇都宮庫→高崎庫
 配置: 1941年3月31日 高崎区
 移動: 1945年2月1日 高崎区→高崎第一区
 移動: 1945年11月3日 高崎第一区→尻内区 達25号
 移動: 1950年1月 尻内区→盛岡区
 休車指定: 1954年5月1日 第一種休車指定 盛岡区
 移動: 1954年10月30日 盛岡区→酒田区 達717号
 配置: 1955年2月1日 酒田区
 配置: 1955年8月1日 借入 新小岩区
 配置: 1956年11月1日 酒田区
 休車指定: 1958年3月15日 第一種休車指定 酒田区
 廃車: 1958年4月26日 酒田区 総裁達207

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5142デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
 ※3 鉄道ピクトリアルNo.833(2010-5)
C51 43

 汽車会社製500号、新製配置は名古屋局、高崎、豊岡を経て1957年より長崎で、1960年より早岐で活躍する。1963年に廃車となる。
 戦前は東鉄型デフを装備していたが、最終期は、本省型デフ、パイプ煙突、LP403前照灯を装備していた。

写真
 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:両側
 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工)
 デフレクター:本省型1937年4月以前
 煙突:パイプ煙突(裾無し)
 給水温め器:本省丸型:大宮工→本省丸新型1936年3月(高崎庫 配置表)
 給水配管:小倉タイプ 竪型 大宮工
 排気配管:後々 竪型→無効化
 ボイラー手摺:1段
 梯子:前寄り
 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:5階音
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:拡張無し、前側窓前期位置、後側窓後方へ移動(東鉄改造)、前窓改造(豊岡区)、空気取り入れ口、タブレットキャッチャー装備
 テンダー:8-17台形増炭覆い付き
 ナンバープレート:形式無し
 その他:

車歴
 製造: 1921年6月15日 汽車製造 No.500
 使用開始: 1921年6月15日 名古屋局
 改番: 1928年10月1日 18942→C5143
 配置: 1929年12月 高崎庫
 配置: 1931年1月31日 高崎庫
 移動: 1943年9月17日 高崎区→豊岡区
 配置: 1944年3月31日 豊岡区
 事故: 1946年12月13日 00:58頃、山陽本線姫路第一区6番線
 配置 休車中: 1947年1月1日 現在 特別休車 豊岡区
 配置 休車中: 1947年4月1日 現在 特別休車継続中 豊岡区
 配置: 1947年9月1日 豊岡区
 配置: 1952年4月1日 豊岡区
 移動: 1957年7月11日 豊岡区→長崎区 達613号
 移動: 1960年12月1日 長崎区→早岐区
 休車指定: 1962年9月8日 第一種休車指定 早岐区
 廃車: 1963年2月1日 早岐区 総裁達34

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5143デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 雑誌SL No3 交友社
 ※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
 ※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
 ※5 全盛期の蒸気機関車写真集4_八並国介
 ※6 九州鉄道の記憶X
 ※7 九州の鉄道 汽車・電車この20年
 ※8 蒸気の時代No.90
C51 44

 汽車会社製501号、新製配置は名古屋局、高崎を経て1945年に大館へ移り、1947年にはお召列車を牽引している。その後千葉、尾久を経て1955年に酒田へ移動する。そのまま使われることなく廃車となり、土崎工場で標本機関車となる。化粧煙突、17本スポーク動輪を有している。
 1953年5月の尾久機関区時代の写真と比較すると、尾久時代は8-17台形テンダーであるが、保存は8-20型にのC53などが付けていた特急用テンダーみ変更されている。デフの穴の位置も変わっており、配管類も大幅に変更されている。このため酒田転入前後に全般検査などの整備が行われたと考えられる。ほとんど使われることなく廃車となったのかは不思議である。

写真
 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:〇 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:両側
 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工)
 デフレクター:東鉄型
 煙突:化粧煙突
 給水温め器:本省丸型:大宮工1931年2月(高崎庫 配置表)
 給水配管:T型 竪型 大宮工
 排気配管:後々 竪型
 ボイラー手摺:1段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方へ移動(東鉄改造)
 テンダー:8-17台形(1953年)→8-20型(現在)
 ナンバープレート:
 その他:

車歴
 製造: 1921年6月20日 汽車製造 No.501
 使用開始: 1921年6月20日 名古屋局
 改番: 1928年10月1日 18943→C5144
 配置: 1929年12月 高崎庫
 事故: 1932年8月19日 走行中に主蒸気管切断
 移動: 1945年2月1日 高崎区→高崎第一区
 移動: 1945年11月12日 高崎第一区→大館区 達25号
 お召し列車牽引: 1947年8月12日 天皇陛下戦災復興視察東北(6県)方面巡幸お召し列車牽引 大館ー秋田間
 配置: 1949年7月1日 大館区
 配置 休車中: 1949年11月1日 現在 特別休車 大館区 
 移動: 1949年12月 大館区→新庄区 特別休車継続中
 移動: 1950年4月7日 特別休車指定解除 新庄区→千葉区 達324号 第一種休車指定
 移動: 1950年7月 第一種休車指定解除 千葉区→尾久区
 借入: 1951年2月12日 借入 成田区 返却日 不明
 配置: 1951年3月1日 尾久区
 借入: 1953年7月14日 借入 千葉区
 返却: 1953年8月27日 返却 尾久区
 休車指定: 1954年10月 第一種休車指定 尾久区
 移動: 1955年3月23日 尾久区→酒田区 達249号
 廃車: 1955年9月7日 酒田区 総裁達488

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5144デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 Rail Photo No.5
 ※3 蒸気機関車...健坊と語る:小田島肇
 ※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
 ※5 蒸気の時代No.74
 ※6 蒸気機関車 大カタログ 伊藤東作
 ※7 鉄道ファンNo.18(1962-12)
 ※8 鉄道ファンNo.136(1972-8)
C51 45

 汽車会社製、新製配置は名古屋局、高崎を経て1945年より梅小路、宮原で、1948年より豊岡で活躍する。1959年に廃車となる。
 最終期はパイプ煙突になり、重油タンクを装備していた。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:右側→両側
 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工)
 デフレクター:東鉄型
 煙突:化粧煙突→裾なしパイプ煙突
 給水温め器:本省丸型:大宮工1931年2月(高崎庫 配置表)
 給水配管:T型 竪型? 大宮工
 排気配管:後々 竪型
 ボイラー手摺:1段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方へ移動(東鉄改造)
 テンダー:8-17台形→8-17矩形→8-17台形
 ナンバープレート:形式入り(戦前)→正面のみ形式入り他ペンキ書き(終戦直後)→形式無し(戦後)
 その他:1957年頃に重油タンク装備、後藤工場標修車

車歴
 製造: 1921年6月27日 汽車製造 No.502
 使用開始: 1921年6月27日 名古屋局
 改番: 1928年10月1日 18944→C5145
 配置: 1929年12月 高崎庫
 移動: 1945年2月1日 高崎区→高崎第一区
 移動: 1945年7月27日 高崎第一区→梅小路区 達185号
 移動: 1946年11月 梅小路区→豊岡区
 廃車: 1959年2月21日 豊岡区 総裁達50

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5145デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 終戦直後の蒸気機関車
 ※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
 ※4 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
C51 46

 汽車会社製、新製配置は名古屋局、高崎を経て1943年より宮崎で活躍する。1958年に廃車となる。
 戦前は大宮工場での研修写真がある。最終期はフロント部分を直線化改良されていた。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:〇

特徴
 解放テコ:機関車:右側、テンダー:?
 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工)
 デフレクター:鹿児島工場
 煙突:化粧煙突
 給水温め器:本省丸型:大宮工1932年4月(高崎庫 配置表)
 給水配管:T型
 排気配管:後々
 ボイラー手摺:1段
 梯子:前寄り
 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4?往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:
 汽笛:3階音
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方へ移動(東鉄改造)
 テンダー:8-17台形
 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し
 その他:

車歴
 製造: 1921年7月1日 汽車製造 No.503
 使用開始: 1921年7月1日 名古屋局
 改番: 1928年10月1日 18945→C5146
 配置: 1929年12月 高崎庫
 事故: 1935年7月30日 上越線水上駅
 事故: 1936年2月16日 高崎線大宮駅
 移動: 1943年9月9日 高崎区→宮崎区
 配置: 1948年4月1日 宮崎区
 休車指定: 1958年5月14日 第一種休車指定 宮崎区
 廃車: 1958年9月2日 宮崎 総裁達420

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5146デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 雑誌SL No3 交友社
 ※3 サヨナラ国鉄 鉄道の社会史 毎日新聞社
 ※4 新日本鉄道史 下 川上幸義
 ※5 九州の鉄道 汽車・電車この20年
 ※6 鉄道ファンNo.141(1973-1)
C51 47

 汽車会社製、新製配置は名古屋局、高崎、水戸を経て1943年より宮崎で活躍する。1956年に廃車となる。
 戦後の宮崎時代の写真は出てこない。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−

特徴
 解放テコ:機関車:右側、テンダー:?
 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分大宮工)
 デフレクター:東鉄型
 煙突:化粧煙突
 給水温め器:本省丸型:大宮工1934年4月(高崎庫 配置表)
 給水配管:
 排気配管:後々
 ボイラー手摺:1段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4?往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:
 汽笛:
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:
 テンダー:8-17台形
 ナンバープレート:型式入り
 その他:

車歴
 製造: 1921年7月8日 汽車製造 No.504
 使用開始: 1921年7月8日 名古屋局
 改番: 1928年10月1日 18946→C5147
 配置: 1929年12月 高崎庫
 移動: 1943年5月 高崎区→水戸区
 移動: 1943年9月12日 水戸区→宮崎区
 廃車: 1956年9月12日 宮崎区 総裁達600

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5147デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 寫眞圖解-日本の機関車 東亜書林
 ※3 Rail No.5
C51 48

 汽車会社製、新製配置は名古屋局、高崎を経て1943年より宮崎で、1958年より鹿児島で活躍する。1958年に廃車となる。
 新製時、戦時中、戦後すぐの写真が存在する。最末期の写真は出てこず形状がわからない。

写真
 新製時:〇 戦前写真:〇 昭和20年代:○ 昭和30年代:−

特徴
 解放テコ:機関車:右側、テンダー:?
 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工)
 デフレクター:東鉄型
 煙突:化粧煙突
 給水温め器:本省丸型:大宮工1932年4月(高崎庫 配置表)
 給水配管:T型 竪型 大宮工
 排気配管:後々 竪型
 ボイラー手摺:1段
 梯子:前寄り
 圧縮空気冷却管:左側?往復、右側4往復
 コンプレッサー:
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動
 テンダー:8-17台形
 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し
 その他:

車歴
 製造: 1921年7月22日 汽車製造 No.505
 使用開始: 1921年7月22日 名古屋局
 改番: 1928年10月1日 18947→C5148
 配置: 1929年12月1日 高崎庫
 移動: 1943年9月9日 高崎区→宮崎区
 配置: 1949年7月1日 宮崎区
 移動: 1955年11月 宮崎区→鹿児島区
 移動: 1957年5月 鹿児島区→宮崎区
 移動: 1958年2月 宮崎区→鹿児島区
 休車指定: 1958年5月17日 第一種休車指定 鹿児島区
 廃車: 1958年9月2日 鹿児島区 総裁達420

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5148デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 寫眞圖解-日本の機関車 東亜書林
 ※3 SLと共に
 ※4 蒸気機関車No48
C51 49

 汽車会社製、新製配置は仙台局、一貫して青森で活躍する。1956年に廃車となる。
 土崎工場タイプの給水温め器を装備していた。

写真
 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:−

特徴
 解放テコ:機関車:右側、テンダー:?
 煙室前手摺:A’型(8時30分-11時30分、0時30分-2時郡山工)
 デフレクター:東鉄型1936年3月以前
 煙突:化粧煙突
 給水温め器:本省丸型:土崎工1936年4月〜1938年4月(青森区 配置表)
 給水配管:ミ型 竪型 土崎工
 排気配管:前々 竪型
 ボイラー手摺:1段
 梯子:前寄り
 圧縮空気冷却管:左側?往復、右側4往復
 コンプレッサー:
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:運転室拡張無し、後窓拡大
 テンダー:8-17台形
 ナンバープレート:形式無し
 その他:

車歴
 製造: 1921年7月26日 汽車製造 No.506
 使用開始: 1921年7月26日 仙台局
 改番: 1928年10月1日 18948→C5149
 配置: 1931年1月31日 青森庫
 配置 休車中: 1954年10月1日 現在 第一種休車 青森区
 休車解除: 1954年12月 第一種休車指定解除 青森区
 配置 休車中: 1955年8月1日 現在 第二種休車 青森区
 廃車: 1956年11月28日 青森区 総裁達773

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5149デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
 ※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
C51 50

 汽車会社製、新製配置は仙台局、福島で活躍し、1956年に成田へ移動し、成田区が佐倉区に統合された後、1958年に廃車となる。
 2本煙突試験改造され、1954年頃まで装備されていた。その後背の高い化粧煙突に変わっている。郡山工場タイプの前々配管の給水温め器を装備していたが、同じ時期に前後配管に変更されている。煙失前面の手摺の形状や運転室の窓配置が変わっている.ことから、廃車となった別機のボイラーに振替えられた可能性がある。時期からして188(1954年廃車)のボイラーの可能性がある。1957年から1958年にかけてテンダーの振替または改造、排気管の縦型逆止弁廃止などの大幅な改造が行われている。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:右側、テンダー:?
 煙室前手摺:B型(1954年:4時-11時30分郡山工)→A’型(1954年以降:9時-11時30分、1時-2時 ボイラー振替?郡山工)
 デフレクター:本省型1935年3月以前
 煙突:2本煙突→化粧煙突(高)
 給水温め器:本省丸型:郡山工1931年1月以前(配置表)
 給水配管:ミ型 竪型 土崎工
 排気配管:前々→前後 竪型
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音→5階音
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:拡張、→S30前側窓標準位置、真空ブレーキ装備台あり
 テンダー:8-17台形
 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し
 その他:1954年ころまで2本煙突装備、以後化粧煙突(高)に換装

車歴
 製造: 1921年7月27日 汽車製造 No.507
 使用開始: 1921年7月27日 仙台局
 改番: 1928年10月1日 18949→C5150
 配置: 1931年1月31日 福島庫
 移動: 1949年3月 福島区→福島第一区(奥羽本線米沢電化により機関区分割のため)
 借入: 1956年12月 借入 成田区 返却せず
 移動: 1957年2月10日 福島第一区→成田区 達206号
 移動: 1958年2月25日 成田区→佐倉区
 廃車: 1958年12月26日 成田区 総裁達562

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5150デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 Rail Photo No.7 蒸気機関車No.2
 ※3 Rail Photo No.4
 ※4 懐想の蒸気機関車 久保田博 交友社
 ※5 機関車表 沖田祐作
 ※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車2
 ※7 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
 ※8 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
 ※9 全盛期の蒸気機関車写真集6_藤田幸一
 ※10 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
 ※11 蒸気機関車No58
 ※12 Rail No.11
 ※13 国鉄時代Vol.21
 ※14 続ジュラ電からSL終焉まで
 ※15 蒸気機関車写真名鑑
 ※16 MIXED TRAIN 慶応義塾大学鉄道研究会 50周年記念写真集
 ※17 蒸気機関車 大カタログ 伊藤東作
 ※18 鉄道ピクトリアルNo.627(1996-7)

C51 31〜40<<<     >>>C51 51〜60
PAGETOP