C51 31
汽車会社製、新製配置は神戸局、姫路、宮原、山田を経て、1943年に米子へ移動、1945年7月28日に米軍艦載機の空襲を受けたいわゆる大山口列車空襲事件の被害機となる。その後1956年に吉松へ移動、1958年に廃車になる。
写真が少なく末期の形状は判らない。
写真 新製時:〇 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:原型→ デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1938年6月(山田区 配置表) 給水配管: 排気配管: ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー: 給水ポンプ: 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張(大)、前窓標準位置、後窓拡大、真空ブレーキ装備台撤去 テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式入り その他:
車歴 製造: 1921年5月20日 汽車製造 No.486 使用開始: 1921年5月20日 神戸局 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18930→C5131 配置: 1930年8月31日 姫路庫 移動: 1933年9月1日 姫路庫→宮原庫 移動: 1935年11月 宮原庫→山田庫 移動: 1943年12月 山田区→米子区 事故: 1945年7月28日 07:15頃、山陰本線大山口駅 移動: 1956年11月14日 米子区→吉松区 達53号 廃車: 1958年9月2日 吉松区 総裁達420
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5131デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。 |
C51 32 NEW
汽車会社製、新製配置は神戸局、広島、岡山、糸崎、小郡、亀山、豊岡を経て、1945年に奈良へ移動、その後1953年に米子へ移動、1958年に廃車になる。
新製時と奈良区時代の写真があるが、全体的に写真が少なく細かな形状は判らない。奈良区時代(1951年ころ)の写真では大鉄型デフを装備しパイプ煙突になっていた。
写真 新製時:〇 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右側→両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:大鉄型1934年4月以前 煙突:化粧煙突→裾ありパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年4月(広島庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側?往復、右側3往復 コンプレッサー:単式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 廃車C54動輪? 運転室:運転室拡張(大)、前窓標準位置、後窓拡大、真空ブレーキ装備台撤去 テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:前面型式入りで残る その他:
車歴 製造: 1921年5月23日 汽車製造 No.487 使用開始: 1921年5月23日 神戸庫? 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18931→C5132 配置: 1931年1月31日 広島庫 移動: 1937年10月 広島区→岡山区 移動: 1939年3月 岡山区→糸崎区 移動: 1940年5月 糸崎区→小郡区 移動: 1940年12月 小郡区→亀山区 移動: 1943年9月 亀山区→豊岡区 移動: 1945年11月 豊岡区→奈良区 移動: 1952年11月15日 奈良区→米子区 達726号 休車指定: 1958年4月4日 第一種休車指定 米子区 配置 休車中: 1958年9月1日 現在 第一種休車継続中 米子区 廃車: 1958年11月27日 米子区 総裁達604
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5132デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 鉄道ピクトリアルNo.262(1972-3) |
C51 33
汽車会社製、新製配置は神戸局、姫路、岡山を経て、1938年に供出、中国大陸の華中鉄道で活躍する。
新製時と姫路時代の写真がある。姫路時代は住山式給水温め器を装備し、煙突延長部が太かった。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管:前 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:単式 給水ポンプ:運転室前(鷹取) 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室: テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式入り その他:煙突延長部の径が太い
車歴 製造: 1921年5月25日 汽車製造 No.488 使用開始: 1921年5月25日 神戸庫? 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18932→C5133 配置: 1930年8月31日 姫路庫 煙室延長500mm試験改造実施 その後 原型に復帰 移動: 1937年10月 姫路区→岡山区 達1056号 供出に伴う発送: 1938年7月28日 実機の発送 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(岡山区) 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年8月31日 岡山区 作軍秘第55
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5133デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 阪神間鉄道回顧録
※3 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T |
C51 34
汽車会社製、新製配置は神戸局、姫路、岡山を経て、1938年に供出、中国大陸の華中鉄道で活躍する。
姫路時代の写真がある。姫路時代は住山式給水温め器を装備していた。2段式ランボードあり
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管:前 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側?往復、右側3往復 コンプレッサー: 給水ポンプ:運転室前(鷹取) 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張(大)、前窓標準位置、後窓拡大、真空ブレーキ装備台撤去 テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式入り その他:
車歴 製造: 1921年5月27日 汽車製造 No.489 使用開始: 1921年5月27日 神戸庫? 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18933→C5134 配置: 1930年8月31日 姫路庫 移動: 1937年10月 姫路区→岡山区 達1056号 供出に伴う発送: 1938年8月1日 実機の発送 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(岡山区) 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年8月31日 岡山区 作軍秘第55
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5134デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 世界の鉄道写真全集 中国 C62+C59<呉線> |
C51 35
汽車会社製、新製配置は神戸局、姫路、岡山を経て、1938年に供出、中国大陸の華中鉄道で活躍する。
新製時と姫路時代の写真がある。姫路時代は住山式給水温め器を装備していた。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右側→両側(供出後) 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管:前 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側?往復、右側3往復 コンプレッサー: 給水ポンプ:運転室前(鷹取) 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張(大)、前窓標準位置、後窓拡大、真空ブレーキ装備台撤去 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り その他:煙突延長部の径が太い
車歴 製造: 1921年5月30日 汽車製造 No.492 使用開始: 1921年5月30日 神戸庫? 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18934→C5135 配置: 1930年8月31日 姫路庫 移動: 1937年10月 姫路区→岡山区 達1056号 供出に伴う発送: 1938年8月7日 実機の発送 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(岡山区) 作軍秘55号 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年8月31日 岡山区 作軍秘第55
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5135デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。 |
C51 36
汽車会社製、新製配置は神戸局、姫路を経て、1932年より山田にて活躍する。1958年に廃車となる。
大鉄型デフレクターを装備し、末期はパイプ煙突になっていた。前面ナンバープレートは最後まで形式入りで残った。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側→両側(1959年) 煙室前手摺:A’型(9時-11時30分、1時-2時鷹取工) デフレクター:大鉄(曲)1935年3月以前 煙突:化粧煙突→パイプ煙突(1959年) 給水温め器:本省丸型:鷹取工(1959年)1934年2月(山田庫 配置表) 給水配管: 竪型? 鷹取工? 排気配管:前後 なし(前止弁) ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側?往復 コンプレッサー:単式2基(1959年) 給水ポンプ: 汽笛:3階音→ドーム横5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓標準位置、後窓拡大、真空ブレーキ装備台撤去 テンダー:8-17矩形(増炭覆い付き) ナンバープレート:型式入り(戦前)→前面型式入り残る その他:
車歴 製造: 1921年6月1日 汽車製造 No.493 使用開始: 1921年6月1日 神戸庫? 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18935→C5136 配置: 1930年8月31日 姫路庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 姫路庫→山田庫 廃車: 1958年11月13日 山田区 総裁達591
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5136デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 蒸気機関車No58 |
C51 37
汽車会社製、新製配置は東京局、平、高崎、福島、横手を経て1958年より米沢で活躍する。1962年に廃車となる。
関東大震災で横転した写真がある。時期不明であるが大宮工場で前照灯が取り付けられ、1931年以前に本省丸形給水温め器が装備、1937年より後に東鉄型デフレクターが装備、1935年頃の高崎庫時代に東鉄型デフから本省設計型デフに交換されている(1934年9月23日の事故による破損?)。同時期にテンダーも12-17矩形→台形に振替られている。白河、水戸、福島、横手を経て1953年より米沢に配置となる。1955年頃にボックス動輪に振替えられる。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄型(1935年頃)→本省型(1936年) 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1931年2月(平庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音(仙台区1951年頃)→3階音(米沢区1959年頃) 動輪:17本スポーク動輪(1951年)→ボックス動輪(1960年) 運転室:運転室拡張、後窓後方移動、真空ブレーキ装備台左撤去右あり テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 1921年6月3日 汽車製造 No.494 使用開始: 1921年6月3日 東京局 事故: 1923年9月1日 11:59頃、東海道本線大磯-平塚間 改番: 1928年10月1日 18936→C5137 配置: 1931年1月31日 平庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 平庫→高崎庫 事故: 1934年9月23日 信越本線横川駅 配置: 1940年3月31日 高崎区 移動: 1943年2月 高崎区→白河区 移動: 1943年3月 白河区→水戸区 移動: 1945年11月13日 水戸区→福島区 達25号 移動: 1949年3月 福島区→福島第一区 配置: 1949年11月1日 福島第一区 配置 休車中: 1950年4月1日 現在 第一種休車 福島第一区 配置: 1950年8月1日 福島第一区 移動: 1951年9月29日 福島第一区→横手区 達494号 移動: 1953年3月24日 横手区→米沢区 配置: 1958年4月1日 米沢区 廃車: 1962年6月13日 米沢区 総裁達264
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5137デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車2
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※7 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※8 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
※9 全盛期の蒸気機関車写真集V隅野成一
※10 蒸気機関車No58
※11 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※12 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
※13 Rail No.5
※14 轣轆114
※15 鉄道ピクトリアルNo.665(1999-2)
※16 蒸気機関車形式写真集U 小野治男 |
C51 38
汽車会社製、新製配置は東京局、平、高崎を経て1943年より新庄に、1959年より米沢で活躍する。1961年に廃車となる。
東鉄型デフを装備し、末期まで、化粧煙突、スポーク動輪を維持した。右側に清缶剤箱を装備
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側 テンダーは両側(戦前) 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分)→B’型(戦後:8時30分-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄型1935年以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1938年8月(高崎庫 配置表) 給水配管:T型→ミ型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、後窓後方移動、真空ブレーキ装備台撤去済み テンダー:8-17矩形変形→8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 1921年6月3日 汽車製造 No.495 使用開始: 1921年6月3日 東京局 改番: 1928年10月1日 18937→C5138 配置: 1931年1月31日 平庫 故障・修繕: 1934年1月9日 炭水車第3制動梁吊受け取付部(ガス溶接)に亀裂発見 配置: 1936年3月31日 平庫 その後 高崎区に移動 時期不明 配置: 1938年4月30日 高崎区 事故: 1943年2月17日 高崎区構内にて事故被災 移動: 1943年9月22日 高崎区→新庄区(着 10/1) 御召列車牽引: 1947年8月16日 新庄区 陸羽西線 狩川→新庄 移動: 1959年9月 新庄区→米沢区 廃車: 1961年3月31日 米沢区 総裁達158
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5138デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集1鈴木武夫
※3 全盛期の蒸気機関車写真集V隅野成一
※4 鉄道ジャーナル1976年4月号 |
C51 39
汽車会社製、新製配置は東京局、関東大震災の際に浜松駅付近で類焼する。宇都宮、高崎を経て1945年より仙台、1950年より青森で活躍する。1961年3月に米沢に移動、1年ほど活躍し1962年3月に休車、6月に廃車、解体は8月以降
東鉄型デフを装備し、末期まで化粧煙突を有した。1955年頃までにボックス動輪となったが、1961年3〜6月に18本スポーク動輪に振替えらる。1955年頃の全般検査で、配管の大幅な変更が行われている。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側 テンダーは両側(戦前) 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型→ミ型(1955年頃改装) 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:スポーク動輪(戦前)→ボックス動輪(1953年〜1960年)→18本スポーク動輪(1960年〜1962年) 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動 テンダー:8-17矩形→8-17台形 ナンバープレート:白ペンキ(戦中)→型式無し その他:
車歴 製造: 1921年6月6日 汽車製造 No.496 使用開始: 1921年6月6日 東京局 事故: 1923年9月1日 11:59頃、東海道本線浜松町-新橋間 改番: 1928年10月1日 18938→C5139 配置: 1931年1月31日 宇都宮庫 移動: 1931年7月 宇都宮庫→高崎庫 配置: 1941年3月31日 高崎区 移動: 1945年11月6日 高崎区→仙台区 達25号 移動: 1950年1月 仙台区→青森区 第一種休車指定 配置 休車中: 1951年1月1日 現在 第一種休車継続中 青森区 移動: 1961年3月 青森区→米沢区 改修: 1961年6月 土崎工場に入場しボックス動輪→スポーク動輪に交換 休車: 1962年3月 米沢機関区構内に留置 廃車: 1962年6月13日 米沢区 総裁達264
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5139デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 寫眞圖解-日本の機関車 東亜書林
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※5 全盛期の蒸気機関車写真集V
※6 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※7 Rail No20
※8 Rail No.118
※9 西野保行鉄道写真集 鉄道その時代と共に(1)
※10 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※11 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※12 山形の鉄道情景―松木壽雄写真集 昭和30~40年代〈上〉
※13 蒸気の時代No.7 |
C51 40
汽車会社製、新製配置は東京局、水戸、高崎、山形を経て1956年より米沢で活躍する。1961年に廃車となる。
前側が斜めに切除された東鉄型デフを装備する。1955年頃にはボックス動輪に振替えられていた。1955年より前に煙室手摺の形状に変化が見られ、ボイラーが振替えられた可能性あり。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分大宮工)→A型(戦後:4時-11時30分、12時30分-14時) デフレクター:東鉄型水戸区時代の1935年頃には装備が行われていた。 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1938年8月(高崎庫 配置表)、水戸庫時代の1935年頃には装備が行われていた。 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪(戦前)→ボックス動輪(戦後) 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動 テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 1921年6月8日 汽車製造 No.497 使用開始: 1921年6月8日 東京局 改番: 1928年10月1日 18939→C5140 配置: 1931年1月31日 水戸庫 配置: 1936年3月31日 水戸庫 配置: 1938年4月30日 高崎区 移動: 1945年2月1日 高崎区→高崎第一区 移動: 1945年11月16日 高崎第一区→山形区(着 11/26?) 達25号 移動: 1950年2月 山形区→米沢区 配置: 1956年11月1日 米沢区 廃車: 1961年3月31日 米沢区 総裁達158
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5140デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 山形の鉄道情景―松木壽雄写真集 昭和30~40年代〈上〉
※3 雑誌SL No3 交友社
※4 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※6 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※7 蒸気の時代No.34
※8 鉄道ファンNo.339(1989-7)
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