C51 251

 新製配置は門司局、鳥栖を経て1942年より早岐で活躍する。1963年に本線業務を終了後、鳥栖機関区にて据え付けボイラーとなる。廃車は1966年2月とC51型では最も遅い廃車となる。
 12-17テンダーをはじめから装備し、末期はパイプ煙突になっていた。運転室は拡張されず原型を保っているっが、公式側のみ後窓を後方に移動していた。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時小倉工)
 デフレクター:本省(蝶)1936年3月以前
 煙突:化粧煙突→裾有パイプ煙突
 給水温め器:本省丸型:小倉工1933年3月(鳥栖庫 配置表)
 給水配管:=型 竪型 小倉工
 排気配管:後々 竪型→L字管
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左3、右4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音
 動輪:18本スポーク動輪
 運転室:原型、公式側のみ後窓後方移動拡張
 テンダー:12-17型
 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後)
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.948
 使用開始: 1927年6月 下関庫
 改番: 1928年10月1日 38950→C51251
 移動: 1928年12月 下関庫→鳥栖庫
 移動: 1942年9月 鳥栖区→早岐区
 移動: 1953年8月 早岐区→長崎区 重油併燃装置取付済
 移動: 1961年10月 長崎区→早岐区
 配置 休車中: 1964年4月1日 現在 第一種休車 鳥栖区 運転用以外使用(据付ボイラー代用)車
 配置 休車中: 1965年3月31日 現在 第一種休車継続中 鳥栖区 
 廃車: 1966年2月23日 鳥栖区 総裁達198

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51251デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車21 九州のパシフィック編
 ※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
 ※4 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
 ※5 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
 ※6 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
 ※7 国鉄時代Vol.54
 ※8 蒸気の時代No.36
 ※9 鉄道ファンNo.55(1966-1)
C51 252

 新製配置は門司局、鳥栖を経て1942年より早岐で活躍する。廃車は1961年。
 1935年陸軍特別大演習の際にお召しを牽引している。12-17テンダーをはじめから装備し、末期はパイプ煙突になっていた。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時小倉工)
 デフレクター:本省型1936年3月以前
 煙突:化粧煙突→裾有パイプ煙突
 給水温め器:本省丸型:小倉工→本省丸新型(小倉工1960年までに換装)1933年3月(鳥栖庫 配置表)
 給水配管:=型→新型 竪型 小倉工
 排気配管:後々 竪型→無効化
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左3、右4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音
 動輪:18本スポーク動輪
 運転室:拡張、後窓移動拡張
 テンダー:12-17型
 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後)
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.949
 使用開始: 1927年6月 下関庫
 改番: 1928年10月1日 38951→C51252
 移動: 1928年12月 下関庫→鳥栖庫
 移動: 1942年8月 鳥栖区→早岐区
 廃車: 1961年2月14日 早岐区 総裁達62

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51252デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 九州の鉄道の歩み(鉄道100周年)九州総局
 ※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
 ※4 Rail No.114
C51 253

 新製配置は門司局、鳥栖を経て1942年より早岐で活躍する。1961年に廃車となる。
 12-17テンダーをはじめから装備し、1953年頃に門鉄デフ、重油併燃タンクが取り付けられる。1960年頃に重油タンクを撤去、LP403を装備するが間もなく廃車となる。末期まで化粧煙突、スポーク動輪を装備していた。

写真
 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:〇 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時小倉工)
 デフレクター:門鉄K-31935年3月以前
 煙突:化粧煙突
 給水温め器:本省丸型:小倉工→本省丸新型(小倉工1959年までに換装)1931年1月以前(配置表)
 給水配管:=型→新型 竪型 小倉工
 排気配管:後々 竪型無効化
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左3、右4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音
 動輪:18本スポーク動輪
 運転室:原型、公式側のみ後窓後方移動拡張
 テンダー:12-17型
 ナンバープレート:形式無し(戦後)
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.950
 使用開始: 1927年6月 下関庫
 改番: 1928年10月1日 38952→C51253
 移動: 1928年12月 下関庫→鳥栖庫
 移動: 1942年8月 鳥栖区→早岐区
 改造: 1953年8月 小倉工場 門(小倉工式)デフ(K-7型)・重油併燃装置取付
 移動: 1953年9月 〜1954年4月 早岐区→長崎区
 廃車: 1961年2月14日 長崎区 総裁達62

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51253デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
 ※3 全盛期の蒸気機関車写真集4_八並国介
 ※4 門鉄デフ物語
 ※5 九州鉄道の記憶X
 ※6 RM LIBRARY 65 国鉄蒸気の装備とその表情(上) 西尾恵介
 ※7 鉄道ファンNo.108(1970-5)
 ※8 鉄道ファンNo.517(2004-5)
C51 254

 新製配置は神戸局、亀山、梅小路、亀山、米子を経て1950年より奈良で活躍する。1962年に廃車となる。1951年11月20日にお召しを牽引している。
 12-17テンダーを最初から、大鉄デフを1936年頃、給水温め器を1938年頃より装備した。末期まで化粧煙突、スポーク動輪をであった。廃車後テンダーをC5199に譲っている。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工)
 デフレクター:大鉄型1936年3月以前
 煙突:化粧煙突
 給水温め器:本省丸型:鷹取工1936年4月〜1938年4月(亀山区 配置表)
 給水配管:=型 竪型→横型 鷹取工
 排気配管:後々 竪型
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左3、右4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音→ドーム脇5階音
 動輪:18本スポーク動輪
 運転室:拡張、後窓移動拡張
 テンダー:12-17型
 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後)
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.951
 使用開始: 1927年6月 配属配置 不明
 改番: 1928年10月1日 38953→C51254
 配置: 1931年1月31日 亀山庫
 借入: 1935年10月 借入 門司局管内
 借入: 1946年5月23日 借入 梅小路区
 返却: 1947年1月1日 返却 亀山区
 移動: 1948年6月 亀山区→米子区
 移動: 1949年 〜1950年4月 米子区→奈良区
 お召し列車牽引: 1951年11月20日 天皇陛下戦災復興視察関西(京滋奈三)方面巡幸お召し列車牽引 奈良ー亀山間
 映画出演: 1952年7月 東映「暴力」に出演
 移動: 1962年4月1日 奈良区→亀山区
 廃車: 1962年11月20日 奈良区 総裁達560

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51254デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 終戦直後の蒸気機関車
 ※3 蒸気機関車の記録T(昭和32〜38年)辻坂明浩
 ※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
 ※5 蒸気機関車No58
 ※6 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
 ※7 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
 ※8 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
 ※9 Rail No.118
 ※10 蒸気機関車EX Vol.36
 ※11 蒸気の時代No.25
 ※12 蒸気の時代No.82
 ※13 日本の蒸気機関車 臼井茂信 西尾克三郎
 ※14 RM LIBRARY 65 国鉄蒸気の装備とその表情(上) 西尾恵介
 ※15 蒸気機関車形式写真集U 小野治男
C51 255

 新製配置は神戸局、梅小路を経て1931年より亀山に配置となります。1962年に廃車となります。
 12-17テンダーをはじめから装備、末期まで化粧煙突、スポーク動輪を維持した。1954年11月7日のお召し列車の先導列車を牽引し、その際にデフレクターに装飾が施された。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工)
 デフレクター:本省型1935年3月以前
 煙突:化粧煙突
 給水温め器:本省丸型:鷹取工1936年4月〜1938年4月(亀山区 配置表)
 給水配管:=型 竪型→横型 鷹取工
 排気配管:後々 竪型
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左3、右4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音→ドーム脇5階音
 動輪:18本スポーク動輪
 運転室:拡張、後窓移動拡張
 テンダー:12-17型
 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後)
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.952
 使用開始: 1927年6月 配属配置 不明
 改番: 1928年10月1日 38954→C51255
 配置: 1931年1月31日 梅小路庫
 移動: 1931年10月 梅小路庫→亀山庫
 お召し列車牽引: 1954年11月 皇后陛下日本赤十字社総会ご臨席のお召し列車予備機
 貸渡: 1958年12月28日 亀山区→浜田区
 返却: 1959年2月24日 浜田区→亀山区
 配置 休車中: 1962年4月1日 現在 第二種休車 亀山区
 廃車: 1962年6月13日 亀山 総裁達264

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51255デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 阪神間鉄道回顧録
 ※3 雑誌SL No3 交友社
 ※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
 ※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
 ※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
 ※7 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
 ※8 蒸気機関車No58
 ※9 高橋 弘作品集 蒸気機関車 その良き時代
 ※10 国鉄時代Vol.33
 ※11 国鉄時代Vol.52
 ※12 蒸気の時代No.33
 ※13 蒸気の時代No.82
 ※14 蒸気機関車形式写真集U 小野治男
C51 256

 新製配置は神戸局、山田、奈良を経て、1951年11月にはお召し予備機となる。1952年より梅小路で活躍し、1962年に廃車となりました。
 12-17テンダーをはじめから装備し、正面は形式入りプレート、最後までスポーク動輪でした。1955年〜1957年にパイプ煙突になってしまったのは残念でした。

写真
 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工)
 デフレクター:本省型1935年3月以前
 煙突:化粧煙突→裾有パイプ煙突
 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表)
 給水配管:T型 竪型→横型 浜松工
 排気配管:後々 竪型→無効化
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左3、右4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音→ドーム脇5階音
 動輪:18本スポーク動輪
 運転室:原型
 テンダー:12-17型
 ナンバープレート:正面を残し形式なし
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.953
 使用開始: 1927年7月 配属配置 不明
 改番: 1928年10月1日 38955→C51256
 配置: 1931年1月31日 吹田庫
 移動: 1931年11月 〜1932年1月 吹田庫→山田庫
 移動: 1944年9月 山田区→奈良区
 事故: 1946年10月20日 19:30頃、奈良線宇治駅3番線
 配置: 1948年4月1日 奈良区
 移動: 1952年1月11日 奈良区→梅小路区 達14号
 配置: 1957年11月1日 梅小路区
 廃車: 1962年3月31日 梅小路区 総裁達137

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51256デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 蒸気機関車写真集1鈴木武夫
 ※3 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
 ※4 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
 ※5 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
 ※6 高橋 弘作品集 蒸気機関車 その良き時代
 ※7 とれいん 増刊 日本の蒸機作品集
 ※8 Rail No.36
 ※9 国鉄時代Vol.20
 ※10 蒸気機関車EX Vol.41
 ※11 蒸気の時代No.46
C51 257

 新製配置は神戸局、吹田、梅小路、明石、宮原を経て、1939年より大里、鹿児島、宮崎など九州で活躍し1961年に廃車となりました。
 12-17テンダーをはじめから装備し、化粧煙突、スポーク動輪を最後まで維持しました。デフレクターは1935年頃に関西方面にいたため大鉄型を装備しましたが、鹿児島工場管内で1955年〜1960年にかけて実施したフロン部分の直線化改造を受け、デフレクターも変わっていんます。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工)
 デフレクター:鹿工1935年3月以前
 煙突:化粧煙突
 給水温め器:本省丸型:鷹取工1933年2月(明石庫 配置表)
 給水配管:=型 竪型→横型 鷹取工
 排気配管:後々 竪型→L字管
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左3、右4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音
 動輪:18本スポーク動輪
 運転室:延長有、後窓拡大
 テンダー:12-17型
 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後)
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.954
 使用開始: 1927年7月 配属配置 不明
 改番: 1928年10月1日 38956→C51257
 配置: 1931年1月31日 吹田庫
 移動: 1931年11月 〜1932年1月 吹田庫→梅小路庫
 移動: 1932年12月 梅小路庫→明石庫
 事故: 1932年12月19日 08:03頃、東海道本線京都駅
 移動: 1934年7月 明石庫→宮原庫
 移動: 1939年11月2日 宮原区→大里区
 移動: 1942年1月 大里区→鹿児島区
 移動: 1945年11月 鹿児島区→宮崎区
 事故: 1952年5月29日 12:36頃、日豊本線竜ヶ水-鹿児島間
 廃車: 1961年2月15日 宮崎区 総裁達64

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51257デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
 ※3 蒸気の時代No.90
C51 258

 新製配置は神戸局、なぜか258、259の製造番号は270の直前である。梅小路、姫路を経て、1939年より大里、鹿児島、宮崎と九州で活躍する。最後は吉松で1962年に廃車となる。
 フロントは直線化改造されているが、1953年に日豊本線北俣駅にて転落事故の時の写真は改造前であった。形態として12-17テンダーをはじめから装備し、スポーク動輪を最後まで維持したが、パイプ煙突になっている。

写真
 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:○ 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工)
 デフレクター:大鉄→鹿工1935年3月以前
 煙突:化粧煙突→裾有パイプ煙突
 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表)
 給水配管:T型 竪型→横型 鷹取工
 排気配管:後々 竪型→無効化
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左3、右4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音
 動輪:18本スポーク動輪
 運転室:延長有、後窓拡大
 テンダー:12-17型
 ナンバープレート:形式有(戦前)→正面のみ形式有り他形式無し(戦後)
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.972
 使用開始: 1927年7月 配属配置 不明
 改番: 1928年10月1日 38957→C51258
 配置: 1930年8月31日 梅小路庫
 移動: 1938年8月 梅小路区→姫路区
 移動: 1939年4月 姫路区→梅小路区
 移動: 1939年11月2日 梅小路区→大里区
 移動: 1942年4月20日 大里区→鹿児島区
 移動: 1948年2月19日 鹿児島区→(検査入場:小倉工場)宮崎区
 甲修繕: 1951年4月12日 鹿児島工場
 事故: 1953年11月29日 19:28頃、日豊本線北俣駅
 臨時修繕: 1954年1月14日 鹿児島工場
 甲修繕: 1954年7月17日 鹿児島工場
 甲修繕: 1958年6月21日 鹿児島工場
 丙修繕: 1959年2月26日 鹿児島工場
 臨修(缶性能試験): 1960年1月20日 鹿児島工場
 丙修繕: 1961年1月14日 鹿児島工場
 乙修繕: 1961年10月20日 鹿児島工場
 移動: 1961年12月19日 宮崎区→吉松区
 第2種休車: 1962年6月21日 吉松
 廃車: 1962年10月26日 宮崎区 総裁達518

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51258デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 お召列車100年
 ※3 雑誌SL No3 交友社
 ※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
 ※5 蒸気機関車EX Vol.41
 ※6 九州鉄道の記憶W
 ※7 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T
C51 259

 新製配置は神戸局、なぜか258、259の製造番号は270の直前である。梅小路時代の1932年大阪府下、1933年に北陸方面へのお召列車を牽引している。1941年3月26日の塚本駅構内の3重衝突事故に巻き込まれ破損している。復旧の際にはテンダー、運転室をC57タイプのものに、デフレクターを本省型のものを新製して取付けている。福知山を経て、1943年より米子で活躍する。1947年11月29日には再度お召しを牽引している。1964年1月に廃車となる。
 C57タイプの運転室とテンダーを装備しているのが特徴的である。1958年頃パイプ煙突、重油併燃装置を取り付けた。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工)
 デフレクター:大鉄→本省1935年3月以前
 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突
 給水温め器:本省丸型:鷹取工→本省丸新型(後藤工1957年以前)1931年1月以前(配置表)
 給水配管:T型 竪型→横型 鷹取工
 排気配管:後々 竪型
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左3、右4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音→5階音
 動輪:18本スポーク動輪
 運転室:原型→C57タイプ
 テンダー:12-17型
 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後)
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.973
 使用開始: 1927年7月 配属配置 不明
 改番: 1928年10月1日 38958→C51259
 配置: 1930年8月31日 梅小路庫
 特急燕上り初列車牽引: 1930年10月1日 梅小路区
 お召し列車牽引: 1932年11月15日 天皇陛下奈良県・大阪府下陸軍特別大演習行幸のお召し列車牽引 桃山-大阪間
 お召し列車牽引: 1933年10月22日 天皇陛下北陸方面陸軍大演習行幸のお召し列車牽引 米原-京都間
 事故: 1937年1月15日 07:16頃、東海道本線野洲-守山間
 事故: 1941年3月26日 21:51頃、東海道本線塚本-神崎間
 復旧: 1961年10月 鷹取工場にて運転室、炭水車を新製
 移動: 1942年1月 梅小路区→福知山区
 移動: 1943年3月 福知山区→米子区
 配置: 1948年4月1日 米子区
 配置: 1948年7月1日 米子区出雲今市支区
 配置: 1949年3月1日 米子区出雲今市支区
 配置: 1950年4月1日 米子区
 配置: 1954年4月1日 米子区
 移動: 1958年9月 米子区→浜田区 重油併燃装置・パイプ煙突取付済 
 移動: 1961年10月 浜田区→米子区 回転式火粉止め取付
 休車指定: 1963年6月15日 現在 第一種休車 米子区
 廃車: 1964年1月8日 米子区 総裁達3

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51259デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 雑誌SL No3 交友社
 ※3 終戦直後の蒸気機関車
 ※4 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
 ※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
 ※6 全盛期の蒸気機関車写真集V隅野成一
 ※7 蒸気機関車No58
 ※8 鉄道ジャーナル1976年4月号
 ※9 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
 ※10 鉄道ピクトリアル89(1958-12)
 ※11 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
 ※12 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
 ※13 Rail No.118
 ※14 蒸気機関車EX Vol.41
 ※15 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集U
C51 260

 新製配置は仙台局、青森、秋田、横手、秋田を経て、19353より福知山、豊岡機関区和田山支区と関西方面で活躍する。1930年頃にC51261とともに羽越線での超特急の試運転に使用され、1947年には横手区でお召し列車を牽引する。最後は米子でC51最末期の1965年に廃車となる。
 8-20テンダーをはじめから装備し、スポーク動輪を維持したが、1957年ころに鷹取工場で全般検査の際にパイプ煙突、汽笛をドーム横、缶逆止弁が新型に改造されている。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時)
 デフレクター:本省型
 煙突:化粧煙突→裾有パイプ煙突
 給水温め器:本省丸型:土崎工1931年1月以前(配置表)
 給水配管:=型 竪型→横型
 排気配管:前後 ストレート
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左3、右4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音→ドーム脇5階音
 動輪:18本スポーク動輪
 運転室:延長有、後窓拡大
 テンダー:8-20型
 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後)
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.955
 使用開始: 1927年8月 配属配置 不明
 改番: 1928年10月1日 38959→C51260
 配置: 1931年1月31日 青森庫
 移動: 1932年2月 青森庫→秋田庫
 配置: 1944年3月31日 秋田区
 配置: 1945年12月1日 横手区
 御召牽引: 1947年8月14日 秋田⇔湯沢
 移動: 1950年3月1日 横手区→秋田区
 移動: 1953年5月16日 秋田区→福知山区
 移動: 1958年5月 福知山区→豊岡区和田山支区
 移動: 1961年2月 豊岡区和田山支区→米子区
 全般検査: 1961年8月 後藤工場 タンク下に36-8-1 GTと標記あり
 廃車: 1965年2月12日 米子区 総裁達78

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51260デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 蒸気機関車...健坊と語る:小田島肇
 ※3 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
 ※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
 ※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
 ※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
 ※7 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
 ※8 蒸気機関車68春
 ※9 記録写真蒸気機関車T
 ※10 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
 ※11 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
 ※13 Rail No.67
 ※14 Rail No.120
 ※15 蒸気の時代No.7
 ※16 蒸気の時代No.25
 ※17 蒸気の時代No.52
 ※18 蒸気の時代No.63

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