C51 1

 浜松工場製1号機、新製配置は東京局、金沢、仙台を経て、1945年12月より豊岡で活躍する。1957年9月に廃車となる。
 金沢、仙台時代は初期型の凸型テンダーであったが、豊岡時代は標準的な8-17テンダーに振替わっている。最後までスポーク動輪装備したが、1955年頃に他機のボイラー(おそらく197号?)に振替られたようで、化粧煙突が失われ、手摺が2段となり、電設管の形状が変更、煙室前面の公式側上方の手摺が復活している。

写真
 新製時:〇 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:右側(仙台機関区配置時)→両側(豊岡機関区配置時)
 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工or浜松工:1930年以前)→A型(1955年)
 デフレクター:本省設計型1935年5月頃(仙台庫 配置表)
 煙突:1955年7月以降にパイプ煙突(裾無し)に変更
 給水温め器:本省丸形:浜松工1930年2月以前(金澤庫写真帖)
 給水配管:=型 竪型 浜工
 排気配管:後々 竪型
 ボイラー手摺:1段→2段(1955年以降)
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音(1955年)→5階音(1955年)
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動拡大
 テンダー:8-17矩形(仙台区)→8-17台形(豊岡区)
 ナンバープレート:型式入り→標準
 その他:

車歴
 製造: 1920年1月24日 浜松工場 No.1
 使用開始: 1920年1月24日 東京局
 改番: 1928年10月1日 18900→C511
 配置: 1931年1月31日 金沢庫
 移動: 1934年11月 金沢庫→仙台庫
 移動: 1945年7月6日 仙台区→豊岡区 達185号(達は9/7付け)
 廃車: 1957年10月25日 豊岡区 総裁達612

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C511デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 Train No.220
 ※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
 ※4 蒸気機関車No58
 ※5 Rail No.114
 ※6 鉄道ピクトリアル89(1958-12)
 ※7 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
 ※8 蒸気機関車写真名鑑
 ※9 世界の鉄道 別冊 明治・大正・昭和 蒸気機関車100年 朝日新聞社
 ※10 新日本鉄道史 下 川上幸義
 ※11 鉄道ファンNo.153(1974-1)
C51 2

 浜松工場製、新製配置は東京局、金沢、仙台を経て、1945年12月より豊岡で活躍する。1957年9月に廃車となる。移動は1号と同じである。金沢時代の1930年に事故により20m下の転落大破している。その時点で給水温め器を装備しており、給水ポンプは運転室前に吊り下げたものだった。
 金沢時代に装備していた初期型のテンダーは、豊岡時代までに標準型8-17テンダーに振替られた。最後までスポーク動輪を装備していた。

写真
 新製時:〇 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:右側(1953年5月豊岡機関区配置時)→両側(豊岡機関区配置時)
 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工or浜松工:1930年以前)
 デフレクター:本省設計型1934年11月頃(金沢→仙台庫移動時 配置表)
 煙突:1953年以降にパイプ煙突(裾無し)になる。
 給水温め器:本省丸形:浜松工1930年11月以前(北陸本線事故時では装備済み)
 給水配管:=型 竪型 浜工
 排気配管:後々 竪型
 ボイラー手摺:1段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:運転室前(浜松)→標準位置(1957年以前)
 汽笛:3階音
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動拡大
 テンダー:8-17矩形→8-17台形
 ナンバープレート:型式入り→標準
 その他:

車歴
 製造: 1920年1月24日 浜松工場 No.2
 使用開始: 1920年1月24日 東京局
 改番: 1928年10月1日 18901→C512
 事故: 1930年11月6日 01:39頃、北陸本線市振〜親不知間起点306.2km付近 死者1・負傷33
 配置(休車): 1931年1月31日 一時休車金沢庫 
 休車指定解除: 1931年4月 一時休車指定解除 金沢庫
 貸渡: 1934年10月 宇都宮区 返却せず転属?
 移動: 1934年11月 金沢庫→仙台庫
 事故: 1941年1月18日 18:05頃、常磐線四ツ倉駅
 移動: 1945年6月30日 仙台区→豊岡区 達185号
 廃車: 1957年10月25日 豊岡区 総裁達612

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C512デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 私の蒸気機関車史下
 ※3 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
 ※4 Rail No.36
 ※5 Rail No.114
 ※6 国鉄時代Vol.20
 ※7 機関車の系譜図4 臼井茂信
C51 3

 浜松工場製、新製配置は神戸局、金沢、富山、盛岡、仙台、新庄を経て、1954年頃より米子で活躍する。1958年11月に廃車となる。
 最後まで初期型のテンダーであり、スポーク動輪装備していた。煙突は米子時代の写真を見ると郡山工場管内で見られる背の高い化粧煙突で、新式の給水温め器を装備していた。

写真
 新製時:〇 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:右側(新庄庫)→両側
 煙室前手摺:B型(4時-11時30分浜松工:1930年以前)→A型(戦後、ボイラー振替?)
 デフレクター:本省設計型1935年4月頃(配置表)
 煙突:化粧煙突→化粧煙突(高:1955年以前)
 給水温め器:本省丸型:浜松工→本省丸新型(後藤工1955〜1957年に換装)1930年2月以前(金澤庫写真帖)
 給水配管:=型→新型(米子区配置時) 竪型 浜工
 排気配管:後々 竪型
 ボイラー手摺:1段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復、振止付
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音→5階音(1957年)
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動拡大
 テンダー:8-17矩形
 ナンバープレート:型式入り→標準
 その他:

車歴
 製造: 1919年12月27日 浜松工場 No.3
 使用開始: 1919年12月27日 神戸局
 移動: 1920年3月6日 庫名不明(神戸局管内)→庫名不明(名古屋局管内)
 改番: 1928年10月1日 18902→C513
 配置: 1931年1月31日 金沢庫
 移動: 1938年3月 金沢区→富山区
 移動: 1939年11月 富山区→金沢区
 移動: 1940年9月30日 金沢区→盛岡区
 移動: 1943年9月 盛岡区→仙台区
 移動: 1949年5月26日 仙台区→新庄区 達45号
 移動: 1953年5月 新庄区→福知山区
 借入: 1953年12月6日 借入 米子区 返却せず
 移動: 1954年3月31日 福知山区→米子区
 廃車: 1958年11月27日 米子区 総裁達604

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C513デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
 ※3 国鉄時代Vol.52
C51 4

 浜松工場製、新製配置は神戸局、鳥栖、大分、熊本、出水、鹿児島、熊本、仙台を経て、1950より福島、1958年より新津で活躍する。1961年3月に廃車となる。
 最後まで化粧煙突を有したが、1956年以降にボックス動輪に振替えられている。砂箱の形状が初期型で、蓋は九州地域で多くみられる形に取り換えられている。デフが左右方向に少し短く、給水温め器の配管は小倉工場型、テンダーも小倉工場管内で多くみられた無リベットテンダーになっている。

写真
 新製時:〇 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:右側
 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工or小倉工)
 デフレクター:本省設計型(短)1934年4月頃(鳥栖庫 配置表)
 煙突:化粧煙突
 給水温め器:本省丸型:小倉工?
 給水配管:=型 竪型 浜工
 排気配管:後々 竪型→L字管
 ボイラー手摺:1段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:
 動輪:スポーク動輪(1956年→)→ボックス動輪
 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動
 テンダー:8-17矩形→8ー17台形無リベット
 ナンバープレート:正面のみ型式入りプレートが残る
 その他:

車歴
 製造: 1920年1月10日 浜松工場 No.4
 使用開始: 1920年1月10日 神戸局
 移動: 1920年3月6日 神戸局管内→名古屋庫?
 改番: 1928年10月1日 18903→C514
 配置: 1930年3月31日 鳥栖庫
 移動: 1935年10月 鳥栖庫→大分庫
 移動: 1937年3月 大分区→熊本区
 移動: 1939年11月 熊本区→出水区
 移動: 1940年2月 出水区→鹿児島区
 移動: 1941年9月 鹿児島区→熊本区
 移動: 1944年3月30日 熊本区→稲沢区 達280号
 移動: 1945年11月10日 稲沢区→仙台区 達25号
 移動: 1950年1月 仙台区→福島第一区
 移動: 1958年3月16日 福島第一区→新津区 達292号
 廃車: 1961年3月31日 新津区 総裁達158

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C514デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 汽車半世紀
 ※3 私の蒸気機関車史下
 ※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
 ※5 蒸気機関車写真集山下節夫
 ※6 蒸気機関車No58
 ※7 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
 ※8 Rail No.36
 ※9 国鉄時代Vol.50
 ※10 国鉄時代Vol.55
 ※11 日本蒸気機関車史 高木宏之
 ※12 蒸気の時代No.34
 ※13 日本の鉄道 国鉄監修 朝日新聞社編
 ※14 世界の鉄道 62 朝日新聞社
 ※15 世界の鉄道 別冊 明治・大正・昭和 蒸気機関車100年 朝日新聞社
C51 5

 浜松工場製、新製配置は神戸局、姫路、梅小路、福知山、米原、豊岡を経て、1945年より奈良で、1959年より伊勢で活躍する。1962年2月に廃車の上青梅鉄道公園で保存となる。
 直線的な大鉄型デフレクターを装備している。砂ドームの形状が変わっている。1931年以前に給水温め器を装備したため、運転室下前に給水ポンプを吊り下げた。単式コンプレッサーを装備していた。戦後は複式コンプレッサー、パイプ煙突、12-17テンダーにに換装され、1955年以降に標準的な位置に給水ポンプを移動、横式ボイラー逆止弁、汽笛がドーム脇へ移っている。保存の際に、C5125の部品を用いて、化粧煙突、初期型テンダーとなっている。第2動輪が18本スポーク動輪のため、戦後すぐに廃車となったC54のスポーク動輪に振替えられた可能性があります。

写真
 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:〇

特徴
 解放テコ:右側→両側(1954年以降1958以前)
 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工)
 デフレクター:大鉄型(直)1934年5月(姫路庫 配置表)
 煙突:化粧煙突→裾ありパイプ煙突(1954年以前)
 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表)
 給水配管:=型 竪型→横型 鷹取工
 排気配管:後々 竪型
 ボイラー手摺:1段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側3往復
 コンプレッサー:単式(1937年)→複式(1960)
 給水ポンプ:運転室前(鷹取)→標準位置(1954〜1958年)
 汽笛:3階音(1954年)→ドーム横5階音(1958年)
 動輪:17本スポーク動輪(第1、第3)、18本スポーク動輪(第2動輪 廃車C54動輪?)
 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方拡張
 テンダー:8-17矩形→12ー17型→8ー17型矩形(保存時C5125 のもの)
 ナンバープレート:型式入り→標準
 その他:

車歴
 製造: 1920年1月24日 浜松工場 No.5
 使用開始: 1920年1月24日 神戸局
 改番: 1928年10月1日 18904→C515
 配置: 1931年1月31日 姫路庫
 移動: 1939年11月 姫路区→梅小路区
 移動: 1941年10月 梅小路区→福知山区
 移動: 1943年3月17日 福知山区→米原区
 移動: 1943年8月30日 米原区→豊岡区
 移動: 1945年11月 豊岡区→奈良区
 事故: 1946年4月1日 08:31頃、奈良線稲荷駅
 配置: 1959年4月1日 奈良区
 配置: 1959年12月1日 伊勢区
 廃車: 1962年2月28日 奈良区 総裁達74

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C515デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 私の蒸気機関車史下
 ※3 全盛期の蒸気機関車写真集V隅野成一
 ※4 蒸気機関車No58
 ※5 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
 ※6 蒸気機関車スタイルブック
 ※7 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
 ※8 とれいん 増刊 日本の蒸機作品集
 ※9 国鉄時代Vol.5
 ※10 国鉄時代Vol.50
 ※11 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集U
 ※12 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集V
 ※13 蒸気機関車写真名鑑
 ※14 写真集 岡山の鉄道 山陽新聞社
 ※15 蒸気機関車形式写真集U 小野治男
C51 6

 浜松工場製、ボイラーも浜松工場製作である。新製配置は神戸局、岡山、姫路、福知山を経て、1943年より米子に移り、1958年11月まで活躍した。
 1935年頃の姿は、大鉄型デフレクター、1937年頃に鷹取工場で給水温め器を取付けたため排気管が前から取り付けられている。米子時代までにパイプ煙突となり、新型の給水温め器に交換された。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:〇

特徴
 解放テコ:右側
 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工)
 デフレクター:大鉄型(直)1934年5月(姫路庫 配置表)
 煙突:化粧煙突→パイプ煙突(裾なし)
 給水温め器:本省丸型:鷹取工→本省丸新型(後藤工1955〜1957年に換装)1936年4月〜1938年4月(姫路区 配置表)
 給水配管:=型→新型 竪型 鷹取工
 排気配管:前後 なし(前止弁)
 ボイラー手摺:1段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左側?往復、右側3往復
 コンプレッサー:
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音→5階音(米子区)
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方拡張
 テンダー:8-17矩形
 ナンバープレート:型式入り
 その他:

車歴
 製造: 1920年2月6日 浜松工場 No.6
 使用開始: 1920年2月6日 神戸局
 配置: 1923年3月31日 岡山庫
 改番: 1928年10月1日 18905→C516
 配置: 1931年1月31日 姫路庫
 移動: 1939年11月 姫路区→梅小路区
 移動: 1941年11月 梅小路区→福知山区
 移動: 1943年2月 福知山区→米子区
 休車指定: 1958年8月30日 第一種休車 米子区
 廃車: 1958年11月27日 米子区 総裁達604

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C516デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
 ※3 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T
 ※4 蒸気機関車写真名鑑
C51 7

 浜松工場製、ボイラーまで浜松工場で製作された。新製配置は神戸局、姫路、梅小路、福知山、米原、豊岡を経て、1945年より奈良で活躍する。1958年11月に廃車となる。
 最後まで初期型のテンダーであり、スポーク動輪を装備した。煙突は1939年頃にパイプ煙突に換装されている。1937年頃に鷹取工場で給水温め器を取付けたため排気管が前から取り付けられている。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:右側
 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工)
 デフレクター:大鉄型(直)1934年5月(姫路庫 配置表)
 煙突:化粧煙突→裾ありパイプ煙突(1939年)
 給水温め器:本省丸型:鷹取工1936年4月〜1938年4月(姫路区 配置表)
 給水配管:=型 竪型→横型 鷹取工
 排気配管:前後 なし(前止弁)
 ボイラー手摺:1段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復
 コンプレッサー:単式→複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音(1954年)→ドーム横5階音(1958年)
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方拡張
 テンダー:8-17矩形
 ナンバープレート:型式入り→標準
 その他:

車歴
 製造: 1920年2月12日 浜松工場 No.7
 使用開始: 1920年2月12日 神戸局
 配置: 1923年3月 神戸庫
 改番: 1928年10月1日 18906→C517
 配置: 1930年8月31日 姫路庫
 移動: 1939年11月 姫路区→梅小路区
 移動: 1942年1月 梅小路区→福知山区
 移動: 1943年3月17日 福知山区→米原区
 移動: 1943年8月30日 米原区→豊岡区
 移動: 1945年11月 豊岡区→奈良区
 廃車: 1958年11月13日 奈良区 総裁達591

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C517デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
 ※3 蒸気機関車No48
 ※4 記録写真蒸気機関車T
 ※5 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
 ※6 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
 ※7 とれいん 増刊 日本の蒸機作品集
 ※8 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T
 ※9 蒸気機関車写真名鑑
 ※10 機関車の系譜図4 臼井茂信
C51 8

 浜松工場製、新製配置は神戸局、神戸、亀山を経て、1938年に供出により標準軌に改軌し華中鉄道で使用される。
 亀山時代の姿は、住山式給水温め器と大鉄型デフを装備していたが、供出後はデフレクター、住山式給水温め器は外されている。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−

特徴
 解放テコ:右側
 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工)
 デフレクター:大鉄型(直)1934年5月(亀山庫 配置表)
 煙突:化粧煙突
 給水温め器:住山式:鷹取工1931年1月以前(配置表)
 給水配管:
 排気配管:前
 ボイラー手摺:1段
 梯子:
 圧縮空気冷却管:
 コンプレッサー:
 給水ポンプ:運転室前(鷹取)
 汽笛:
 動輪:17本スポーク動輪→ボックス動輪
 運転室:
 テンダー:8-17矩形
 ナンバープレート:
 その他:

車歴
 製造: 1920年2月24日 浜松工場 No.8
 使用開始: 1920年2月24日 神戸局
 配置: 1923年3月 神戸庫
 改番: 1928年10月1日 18907→C518
 配置: 1930年8月31日 亀山庫
 供出に伴う発送: 1938年6月4日 実機の発送
 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(亀山区) 作軍秘55号
 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収
 廃車: 1938年8月31日 亀山区 作軍秘第55

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C518デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 鉄道ピクトリアルNo.703(2001-7)
C51 9

 浜松工場製、新製配置は東京局、高崎、宇都宮、小山、仙台、福島を経て、1945年より青森で活躍する。1958年6月に廃車となる。
 最後まで初期型のテンダーであり、化粧煙突であった。1956年の写真ではボックス動輪に換装されていた。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:右側
 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工)
 デフレクター:東鉄型1936年4月以前
 煙突:化粧煙突継ぎ足しあり(1934年)→化粧煙突継ぎ足し無し(1956年)
 給水温め器:本省丸形:大宮工1934年8月(宇都宮庫 配置表)
 給水配管:T型 竪型 大宮工
 排気配管:後々 竪型
 ボイラー手摺:1段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音
 動輪:17本スポーク動輪→ボックス動輪
 運転室:前屏風あり(1956年)
 テンダー:8-17矩形
 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し
 その他:

車歴
 製造: 1920年3月5日 浜松工場 No.9
 使用開始: 1920年3月5日 東京局
 改番: 1928年10月1日 18908→C519
 配置: 1929年12月 高崎庫
 移動: 1932年4月 高崎庫→宇都宮庫 
 移動: 1937年10月 宇都宮区→小山区
 移動: 1942年3月10日 小山区→仙台区
 移動: 1943年3月2日 仙台区→福島区
 移動: 1945年11月 福島区→青森区
 配置: 1948年4月1日 青森区
 配置: 1948年7月1日 尻内区
 配置: 1949年12月 尻内区
 配置: 1950年4月1日 青森区
 廃車: 1958年7月1日 青森区 総裁達331

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C519デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 雑誌SL No3 交友社
 ※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
 ※4 鉄道ファンNo.148(1973-8)
C51 10 NEW

 浜松工場製、新製配置は東京局、高崎、宇都宮、小山、白河を経て、1943年より直江津で活躍する。1955年8月に廃車となる。
 最後まで初期型のテンダーで、化粧煙突であった。東鉄型デフレクターを装備し、大宮工場、長野工場管内の所属機の特徴を有する。

写真
 新製時:〇 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:−

特徴
 解放テコ:右側
 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工)
 デフレクター:東鉄型1936年4月以前
 煙突:化粧煙突
 給水温め器:本省丸形:大宮工1934年2月(配置表)
 給水配管:T型 竪型 大宮工
 排気配管:後々 竪型→ストレート
 ボイラー手摺:1段
 梯子:前寄り
 圧縮空気冷却管:左側?往復、右側4往復
 コンプレッサー:
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動
 テンダー:8-17矩形
 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し
 その他:

車歴
 製造: 1920年3月20日 浜松工場 No.10
 使用開始: 1920年3月20日 東京局
 改番: 1928年10月1日 18909→C5110
 配置: 1929年12月 高崎庫
 移動: 1932年3月 高崎庫→宇都宮庫
 事故: 1934年4月12日 東北本線野崎駅
 故障: 1935年4月 動輪タイヤ弛みを3対全てに発見
 移動: 1937年10月 宇都宮区→小山区
 移動: 1942年3月 小山区→白河区
 移動: 1943年2月9日 白河区→直江津区(着 2/23)
 休車指定: 1955年3月 第一種休車指定 直江津区
 廃車: 1955年8月2日 直江津区 総裁達417

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5110デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 Rail No.18
 ※3 Rail No.23
 ※4 国鉄時代Vol.21

>>>C51 11〜20
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