C51 271

 1927年に新製となり、新製配置は名古屋局。名古屋、浜松、金沢、稲沢、名古屋を経て、1951年より梅小路で活躍する。廃車は1966年1月である。
 12-17型テンダーをはじめから装備し、最後までスポーク動輪を装備した。新製より1年後には昭和天皇即位御大礼お召し列車を牽引する。また1930年にも御召列車を牽引する。戦前は名古屋周辺で活躍したため浜松工場施工の装備であるが、戦後は鷹取工場管内となり、汽笛を蒸気ドームへ移動や、給水逆止弁を新型に交換している。1960年頃までは化粧煙突を維持していたが最後は裾のないパイプ煙突になっている。1964年にATSを取り付ける。最後の本線運用は1965年10月3日で、C51としては最も最後まで活躍した1両である。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時)
 デフレクター:本省型1936年3月以前
 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突
 給水温め器:本省丸型:浜松工1936年4月〜1938年4月(浜松区 配置表)
 給水配管:T型 竪型→横型 浜松工
 排気配管:後々 竪型
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左3、右4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音→ドーム脇5階音
 動輪:18本スポーク動輪
 運転室:延長有、後窓拡大
 テンダー:12-17型
 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後)
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.975
 使用開始: 1927年11月 名古屋局
 改番: 1928年10月1日 38970→C51271
 お召し列車牽引: 1928年11月6日 昭和天皇即位御大礼お召し列車牽引 浜松-名古屋間(浜松発13:37 名古屋着15:30)
 お召し列車牽引: 1928年11月7日 昭和天皇即位御大礼お召し列車牽引 名古屋-米原間(名古屋発11:00 米原着12:41)
 お召し列車牽引: 1928年11月26日 昭和天皇即位御大礼お召し列車牽引 米原-名古屋間(米原発12:25 名古屋着14:00)
 お召し列車牽引: 1928年11月27日 昭和天皇即位御大礼お召し列車牽引 名古屋-浜松間(名古屋発08:00 浜松着09:54)
 お召し列車牽引: 1930年11月12日 天皇陛下岡山県下陸軍特別大演習行幸お召し列車牽引 浜松-名古屋間
 お召し列車牽引: 1930年11月13日 天皇陛下岡山県下陸軍特別大演習行幸お召し列車牽引 名古屋-米原間
 配置: 1931年1月31日 名古屋庫
 移動: 1931年10月 名古屋庫→浜松庫
 移動: 1939年6月 浜松区→金沢区
 事故: 1941年2月16日 18:00頃、北陸本線津端-森本間
 移動: 1944年9月 金沢区→名古屋区
 移動: 1946年11月 名古屋区→稲沢区
 移動: 1950年3月 稲沢区→名古屋区
 移動: 1951年7月23日 名古屋区→梅小路区 達374号(達は'51/7/23付けだが実移動日とは一致しない可能性あり)
 休車指定: 1965年10月4日 第一種休車指定 梅小路区
 廃車: 1966年1月20日 梅小路区 総裁達25

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51271デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 雑誌SL No3 交友社
 ※3 魅惑のC51(トレイン6月号増刊)
 ※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車2
 ※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
 ※6 蒸気機関車No20
 ※7 蒸気機関車の角度
 ※8 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
 ※9 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
 ※10 国鉄蒸気機関車156機関区全図鑑
 ※11 国鉄時代Vol.22
 ※12 国鉄時代Vol.55
 ※13 蒸気機関車EX Vol.9
 ※14 蒸気機関車EX Vol.40
 ※15 蒸気機関車EX Vol.44
 ※16 日本蒸気機関車史 高木宏之
 ※17 蒸気の時代No.25
 ※18 蒸気の時代No.57
 ※19 蒸気の時代No.89
 ※20 鉄道ファンNo.44(1965-2)
 ※21 鉄道ファンNo.48(1965-6)
 ※22 鉄道ファンNo.55(1966-1)
 ※23 鉄道ファンNo.244(1981-8)
 ※24 鉄道ファンNo.307(1986-11)
 ※25 鉄道ファンNo.343(1989-11)
 ※26 蒸気機関車写真名鑑
C51 272

 1927年に製造、新製配置は名古屋局、名古屋、浜松、金沢、稲沢、名古屋を経て、1956年より吉松で活躍し1965年1月に廃車となりました。
 12-17型テンダーをはじめから装備していた。1945年3月に北陸本線谷浜-名立間で崩落土砂に乗り上げ脱線転覆、浜松工場で戦後復旧の際にC57タイプのキャブを新製し取り付けた。テンダーも形状が変わっている。
最後までスポーク動輪、化粧煙突を装備した。1955年頃に鹿児島工場管内で盛んにおこなわれたフロントの直線化改造を受けている。

写真
 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時)
 デフレクター:本省→鹿工1936年3月以前
 煙突:化粧煙突
 給水温め器:本省丸型:浜松工1934年6月(浜松庫 配置表)
 給水配管:=型 竪型→横型 浜松工
 排気配管:後々 竪型→ストレート
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左3、右4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音→5階音
 動輪:18本スポーク動輪
 運転室:延長有、後窓拡大
 テンダー:12-17型
 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後)
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.976
 使用開始: 1927年11月27日 名古屋庫
 改番: 1928年10月1日 38971→C51272
 移動: 1931年11月5日 名古屋庫→浜松庫
 移動: 1939年6月16日 浜松区→金沢区
 事故: 1945年3月2日 19:30頃、北陸本線谷浜-名立間
 臨時修繕: 1947年1月22日 浜松工機部 臨時修繕 入場 破損したキャブをC57タイプのものと交換
 臨時修繕: 1947年1月31日 浜松工機部 臨時修繕 出場
 移動: 1947年2月1日 金沢区→稲沢区
 借入: 1950年9月11日 借入 名古屋区 返却せず
 移動: 1952年3月31日 稲沢区→名古屋区
 配置: 1952年10月1日 名古屋区
 配置 休車中: 1953年4月1日 現在 特別休車 名古屋区
 借入: 1954年1月10日 特別休車指定解除 名古屋区 借入 大垣区
 返却: 1954年3月19日 返却 名古屋区 特別休車指定
 配置 休車中: 1954年10月1日 現在 特別休車継続中 名古屋区 
 借入: 1955年1月7日 借入 米原区
 休車指定解除: 1955年1月12日 特別休車指定解除 名古屋区(実機は米原区にて除雪用に待機)
 返却: 1955年2月20日 返却 名古屋区 第一種休車指定
 配置 休車中: 1955年8月1日 現在 第一種休車継続中 名古屋区 その後 第一種休車指定解除 時期不明
 移動: 1956年3月4日 名古屋区→吉松区 達398号
 廃車: 1965年1月7日 吉松 総裁達3

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51272デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 鉄道datafile 76
 ※3 蒸気機関車の記録U辻坂明浩
 ※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
 ※5 全盛期の蒸気機関車写真集V隅野成一
 ※6 鉄道ファンNo.30(1963-12)
 ※7 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
 ※8 Rail No.111
 ※9 蒸気の時代No.36
 ※10 RM LIBRARY 67 国鉄蒸気の装備とその表情(下) 西尾恵介
 ※11 半世紀前に出会えた汽車たちとの思い出 小野康久
 ※12 鉄道ファンNo.343(1989-11)
C51 273

 新製配置は名古屋局、1930年以前に大里庫に移っています。大分、鳥栖、熊本、鹿児島を経て、1949年より吉松で活躍し、1962年2月に廃車となります。
 12-17型テンダーをはじめから装備し、最後までスポーク動輪、化粧煙突でしたが、1955年頃に鹿児島工場管内で盛んにおこなわれたフロントの直線化改造を受けています。
 廃車が早かったこともあり、写真が出てきません。運転室下の配管の形状が他機と異なり、正確に把握できていません。

写真
 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時)
 デフレクター:鹿工1936年3月以前
 煙突:化粧煙突
 給水温め器:本省丸型:小倉工1931年1月以前(配置表)
 給水配管:=型 竪型→横型
 排気配管:後々 竪型→L字管
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左3、右4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音→5階音
 動輪:18本スポーク動輪
 運転室:延長有、後窓拡大
 テンダー:12-17型
 ナンバープレート:正面のみ形式有り他形式無し(戦後)
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.977
 使用開始: 1927年11月 名古屋局
 改番: 1928年10月1日 38972→C51273
 配置: 1930年3月31日 大里庫
 移動: 1936年3月 大里庫→大分庫
 移動: 1936年9月1日 大分庫→大分区
 移動: 1937年3月 大分区→鳥栖区
 移動: 1938年6月 鳥栖区→熊本区
 配置: 1944年3月31日 熊本区
 配置: 1945年12月1日 鹿児島区
 配置 休車中: 1949年10月1日 現在 第一種休車 鹿児島区
 移動: 1949年12月 鹿児島区→吉松区
 廃車: 1962年2月28日 吉松 総裁達74

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51273デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 蒸気機関車68春
 ※3 九州鉄道の記憶
C51 274

 新製配置は神戸局、梅小路、福知山を経て、1945年より豊岡機関区和田山支区で活躍する。1962年より1年半、古巣の梅小路に戻り活躍するが1964年1月に廃車となる。
 12-17型テンダーをはじめから装備しており、本省設計型のデフレクターを装備するが、後藤工場タイプのデフに改造されている。最後までスポーク動輪は有するものの、パイプ煙突に変わっている。1935年4月ころに運転された満州国皇帝溥儀の御乗用列車の予備機に、1942年にお召し列車を牽引するなど栄誉の記録がある。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時)
 デフレクター:本省→後工1935年3月以前
 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突
 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年3月(梅小路庫 配置表)
 給水配管:=型 竪型 鷹取工
 排気配管:後々 竪型
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左3、右4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音→5階音
 動輪:18本スポーク動輪
 運転室:原型
 テンダー:12-17型
 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後)
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.978
 使用開始: 1927年12月 配属配置 不明
 改番: 1928年10月1日 38973→C51274
 配置: 1930年8月31日 梅小路庫
 配置: 1940年3月31日 梅小路区
 お召し列車牽引: 1942年12月 天皇陛下戦勝祈願伊勢神宮行幸のお召し列車牽引予備機
 移動: 1943年9月 梅小路区→福知山区
 移動: 1945年7月 福知山区→豊岡区
 移動: 1945年8月 豊岡区→豊岡区和田山支区
 配置: 1950年4月1日 豊岡区和田山支区
 配置: 1955年8月1日 豊岡区和田山支区
 改造: 1957年1月 後藤工場 後藤式デフ(G-7型)取付  その後? パイプ煙突化 時期不明
 移動: 1960年9月 豊岡区和田山支区→豊岡区
 移動: 1961年10月 豊岡区→豊岡区和田山支区
 移動: 1962年9月30日 豊岡区和田山支区→梅小路区
 廃車: 1964年1月8日 梅小路区 総裁達3

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51274デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 汽車会社蒸気機関車製造史
 ※3 阪神間鉄道回顧録
 ※4 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
 ※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
 ※6 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
 ※7 蒸気機関車No48
 ※8 蒸気機関車No58
 ※9 蒸気機関車の角度
 ※10 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
 ※11 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
 ※12 門鉄デフ物語
 ※13 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
 ※14 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
 ※15 国鉄時代Vol.21
 ※16 国鉄時代Vol.22
 ※17 蒸気の時代No.7
 ※18 蒸気の時代No.78
 ※19 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集Y
 ※20 鉄道ファンNo.108(1970-5)
C51 275

 新製配置は神戸局、梅小路、福知山を経て、1945年より豊岡機関区に配置となり、和田山支区にて主に播但線で活躍した。廃車は1959年2月でC51としては早い時期である。
 12-17型テンダーをはじめから装備し、1938年頃には大鉄型のデフレクターを装備しているが、給水温め器の装備は1937年頃である。戦前はお召牽引など華やかな活躍であったが、末期はパイプ煙突へ変更されるなど改造されていた。。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:−

特徴
 解放テコ:機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時)
 デフレクター:大鉄型1935年3月以前、1938年10月には装備済み。
 煙突:化粧煙突→裾有パイプ煙突
 給水温め器:本省丸型:鷹取工1936年4月〜1938年4月(梅小路区 配置表)、写真では1937年5月には装備済み
 給水配管:=型 竪型 鷹取工
 排気配管:前後 なし(前止弁)
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左3、右4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音→5階音
 動輪:18本スポーク動輪
 運転室:延長有、後窓拡大
 テンダー:12-17型
 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後)
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.979
 使用開始: 1927年12月 配属配置 不明
 改番: 1928年10月1日 38974→C51275
 配置: 1930年8月31日 梅小路庫
 配置: 1940年3月31日 梅小路区
 お召し列車牽引: 1942年12月11日 天皇陛下戦勝祈願伊勢神宮行幸のお召し先導列車2001レ(往路)牽引 米原-京都間
 お召し列車牽引: 1942年12月12日 天皇陛下戦勝祈願伊勢神宮行幸のお召し先導列車2002レ・2003レ(往復)牽引 京都-山田間
 お召し列車牽引: 1942年12月13日 天皇陛下戦勝祈願伊勢神宮行幸のお召し先導列車2004レ(復路)牽引 京都-米原間
 移動: 1943年9月 梅小路区→福知山区
 移動: 1945年7月 福知山区→豊岡区
 移動: 1945年8月 豊岡区→豊岡区和田山支区
 廃車: 1959年2月21日 豊岡区 総裁達50

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51275デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 雑誌SL No3 交友社
 ※3 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
 ※4 記録写真蒸気機関車T
 ※5 0からの鉄道なんでも記録
 ※6 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
 ※7 Rail No.111
 ※8 蒸気の時代No.78
 ※9 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T
 ※10 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集Y
 ※11 機関車の系譜図4 臼井茂信
 ※12 0からの鉄道なんでも記録
C51 276

 新製配置は神戸局、梅小路、福知山を経て、1945年より豊岡機関区和田山支区で活躍する。1959年2月に廃車となる。
 12-17型テンダーをはじめから装備するが、1940年頃のお召の際にはC52に利用された12-20型テンダーに振り返られている。C52から振り返られたのか、特急燕牽引機のテンダーと振り替えたかはわからない。戦前はお召牽引など華やかな活躍であったが、末期はおパイプ煙突になっていた。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−

特徴
 解放テコ:機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時)
 デフレクター:本省型1935年3月以前
 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突
 給水温め器:本省丸型:鷹取工→本省丸新型(後藤工1955年頃)1931年1月以前(配置表)
 給水配管:T型→=型 竪型 鷹取工
 排気配管:後々 竪型
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左3、右4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音→5階音
 動輪:18本スポーク動輪
 運転室:延長有、後窓拡大
 テンダー:12-17型→C52タイプ8-20型(1940年以降)
 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後)
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.980
 使用開始: 1927年12月 配属配置 不明
 改番: 1928年10月1日 38975→C51276
 配置: 1930年8月31日 梅小路庫
 配置: 1940年3月31日 梅小路区
 お召し列車牽引: 1940年7月2日 満州国皇帝溥儀環啓(紀元2600年祝賀)のお召し列車牽引 米原-京都間
 お召し列車牽引: 1942年12月11日 天皇陛下戦勝祈願伊勢神宮行幸のお召し列車(往路)牽引 米原-京都間
 お召し列車牽引: 1942年12月12日 天皇陛下戦勝祈願伊勢神宮行幸のお召し列車牽引 京都-山田間(往復)
 お召し列車牽引: 1942年12月13日 天皇陛下戦勝祈願伊勢神宮行幸のお召し列車(復路)牽引 京都-米原間
 移動: 1943年9月 梅小路区→福知山区
 移動: 1945年7月 福知山区→豊岡区
 移動: 1945年8月 豊岡区→豊岡区和田山支区
 事故: 1945年12月14日 17:37頃、播但線姫路-京口間
 廃車: 1959年2月21日 豊岡区 総裁達50

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51276デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 雑誌SL No3 交友社
 ※3 私の蒸気機関車史下
 ※4 鉄道史料126
 ※5 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
 ※6 鉄道ファンNo.30(1963-12)
 ※7 蒸気機関車EX Vol.31
 ※8 蒸気機関車EX Vol.32
 ※9 蒸気機関車EX Vol.33
 ※10 蒸気機関車EX Vol.41
 ※11 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集Y
 ※12 機関車の系譜図4 臼井茂信
 ※13 鉄道ファンNo.3(1961-9)
 ※14 鉄道ファンNo.124(1971-8)
 ※15 鉄道ファンNo.188(1976-12)
 ※16 鉄道ファンNo.538(2006-2)
C51 277

 新製配置は神戸局、梅小路、福知山を経て、1945年より豊岡機関区和田山支区で活躍する。1959年2月に廃車となる。
 12-17型テンダーをはじめから装備する。戦前の梅小路時代の写真は多数見つかるが、戦後の写真は皆無で、末期の姿は不明である。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−

特徴
 解放テコ:機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦前:4時-11時30分、0時30分-2時新製時)
 デフレクター:大鉄型1935年3月以前
 煙突:化粧煙突
 給水温め器:本省丸型:鷹取工1934年3月(梅小路庫 配置表)
 給水配管:=型 竪型 鷹取工
 排気配管:後々 竪型
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左3、右4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音
 動輪:18本スポーク動輪
 運転室:延長有、後窓拡大
 テンダー:12-17型
 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後)
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.981
 使用開始: 1927年12月25日 配属配置 不明
 改番: 1928年10月1日 38976→C51277
 配置: 1930年8月31日 梅小路庫
 事故: 1934年9月21日 08:15頃、東海道本線摂津富田-高槻間
 配置: 1940年3月31日 梅小路区
 移動: 1943年8月 梅小路区→福知山区
 移動: 1945年7月 福知山区→豊岡区
 移動: 1945年8月 豊岡区→豊岡区和田山支区
 廃車: 1959年2月21日 豊岡区 総裁達50

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51277デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 蒸気の時代No.7
 ※3 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集U
 ※4 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集V
C51 278

 新製配置は神戸局、梅小路に配置し、新製1年後には昭和天皇即位御大礼お召し列車を牽引する。その後、宮原、梅小路、福知山を経て、1945年より豊岡機関区で活躍する。1947年11月には、再度お召列車の牽引をしている。1959年には浜田に転属になり、1962年2月に廃車となる。
 12-17テンダーをはじめから装備する。戦前はお召牽引など華やかな活躍であったが、1955年以降は集煙装置が装備されたが、浜田区転属後に撤去された。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時)
 デフレクター:大鉄型1935年3月以前
 煙突:化粧煙突→集煙装置→裾無しパイプ煙突
 給水温め器:本省丸型:鷹取工→落とし込み改造(1955年頃)1933年1月(梅小路庫 配置表)
 給水配管:=型 竪型 鷹取工
 排気配管:後々 竪型
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左3、右4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音→5階音
 動輪:18本スポーク動輪
 運転室:延長有、後窓拡大
 テンダー:12-17型
 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後)
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.982
 使用開始: 1927年12月 配属配置 不明
 改番: 1928年10月1日 38977→C51278
 お召し列車牽引: 1928年11月7日 昭和天皇即位御大礼お召し列車牽引 米原-京都間(米原発12:47 京都着14:00)
 お召し列車牽引: 1928年11月26日 昭和天皇即位御大礼お召し列車牽引 京都-米原間(京都発11:00 米原着12:19)
 配置: 1930年8月31日 梅小路庫
 お召し列車牽引: 1932年11月10日 天皇陛下奈良県・大阪府下陸軍特別大演習行幸のお召し列車牽引 米原-大阪間
 お召し列車牽引: 1932年11月15日 天皇陛下奈良県・大阪府下陸軍特別大演習行幸のお召し列車牽引 大阪-桃山間
 お召し列車牽引: 1932年11月17日 天皇陛下奈良県・大阪府下陸軍特別大演習行幸のお召し列車牽引 大阪-米原間
 移動: 1933年9月1日 梅小路庫→宮原庫
 配置: 1935年5月31日 宮原庫
 配置: 1935年7月31日 梅小路庫
 お召し列車牽引: 1942年12月 天皇陛下戦勝祈願伊勢神宮行幸のお召し列車牽引予備機
 移動: 1943年9月 梅小路区→福知山区
 移動: 1945年7月 福知山区→豊岡区
 移動: 1945年8月 豊岡区→豊岡区和田山支区
 お召列車牽引: 1947年11月27日 福知山→豊岡→鳥取
 移動: 1959年9月 豊岡区和田山支区→浜田区 後藤式集煙装置・重油併燃装置取付
 廃車: 1962年2月28日 浜田区 総裁達74

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51278デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 汽車会社蒸気機関車製造史
 ※3 雑誌SL No3 交友社
 ※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
 ※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
 ※6 蒸気機関車No58
 ※7 蒸気の時代No.7
 ※8 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集V
 ※9 鉄道ファンNo.153(1974-1)
 ※10 鉄道ファンNo.188(1976-12)
 ※11 鉄道ファンNo.307(1986-11)
C51 279

 新製配置は門司局、大里、鹿児島、若松を経て、1954年より長崎、1960年より早岐で活躍する。1963年4月には若松に戻るが、使用は数か月で1963年10月には廃車となる。
 12-17型テンダーをはじめから装し、最後までスポーク動輪、化粧煙突を装備した。長崎区では急行雲仙牽引のため重油タンクを装備していた。

写真
 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時)
 デフレクター:本省型1936年3月以前
 煙突:化粧煙突
 給水温め器:本省丸型:小倉工1931年1月以前(配置表)
 給水配管:=型 竪型 小倉工
 排気配管:後々 竪型
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左3、右4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音
 動輪:18本スポーク動輪
 運転室:原型
 テンダー:12-17型
 ナンバープレート:テンダーのみ形式入りで残る
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.983
 使用開始: 1928年1月 大里庫
 改番: 1928年10月1日 38978→C51279
 配置: 1932年3月31日 大里庫 煙突囲い式デフ試験装着 その後 取外し
 移動: 1942年1月 大里区→鹿児島区
 休車指定: 1950年1月 第一種休車指定 鹿児島区
 移動: 1950年4月 鹿児島区→若松区 第一種休車継続中 
 配置 休車中: 1950年7月1日 現在 第一種休車継続中 若松区 
 移動: 1954年3月 若松区→長崎区 重油併燃装置取付済 
 移動: 1960年12月 長崎区→早岐区
 移動: 1962年9月 早岐区→若松区
 廃車: 1963年10月3日 早岐区 総裁達512

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51279デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 九州の蒸気機関車 門司鉄道管理局
 ※3 雑誌SL No3 交友社
 ※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
 ※5 蒸気機関車68春
 ※6 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
 ※7 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
 ※8 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
 ※9 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
 ※10 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
 ※11 国鉄時代Vol.54
 ※12 完ジュラ電からSL終焉まで
 ※13 全国蒸気機関車配置表 徳永益男
 ※14 蒸気の時代No.71
 ※15 蒸気機関車写真名鑑
 ※16 鉄道ファンNo.133(1972-5)
C51 280

 新製配置は門司局、大里、鹿児島を経て、1950年より宮崎の配置となり1959年3月に廃車となるまで活躍しました。
 この機は戦前、戦後ともに写真の出てこないC51で、形状は不明であるが、経歴の似通うC51273、C51279、C51281に似た形状であることが考えられる。最終配置が鹿児島工場管内なので、フロントデッキは直線化改造をしているものと考えている。

写真
 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:−

特徴
 解放テコ:機関車:両側
 煙室前手摺:?
 デフレクター:1936年3月以前
 煙突:
 給水温め器:本省丸型:小倉工1931年1月以前(配置表)
 給水配管:
 排気配管:
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左3、右4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:
 動輪:
 運転室:
 テンダー:
 ナンバープレート:
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.984
 使用開始: 1928年1月 大里庫
 改番: 1928年10月1日 38979→C51280
 配置: 1932年3月31日 大里庫
 移動: 1942年4月1日 大里区→門司区
 移動: 1943年2月 門司区→鹿児島区
 移動: 1949年6月 鹿児島区→南延岡区
 移動: 1950年9月30日 南延岡区→宮崎区
 廃車: 1959年3月4日 宮崎区 総裁達57

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51280デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。

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