C51 121

1931年頃、盛岡あるいは福島時代に傾斜煙突が装備される。1937年頃までには撤去され化粧煙突と給水温め器装備に変更された。その後化粧煙突と給水温め器の形態は維持され、標準的なC51となっていた。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:右側→機関車:両側
 煙室前手摺:B型(戦前戦後:4時-11時30分郡山工)
 デフレクター:本省型1935年3月以前
 煙突:傾斜煙突→化粧煙突
 給水温め器:本省丸型:長野工?or土崎工1937年7月の写真では搭載済み
 給水配管:=型 竪型
 排気配管:後々 ストレート
 ボイラー手摺:2段(変形)
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復
 コンプレッサー:単式→複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音→5階音
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:拡張あり、後側窓拡大
 テンダー:8-17台形
 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し
 その他:1937年以前斜め煙突装備→化粧煙突給水温め器

車歴
 製造: 汽車製造 No.703
 使用開始: 1923年8月27日 仙台局
 改番: 1928年10月1日 28920→C51121
 配置: 1931年1月31日 盛岡庫 この頃 傾斜煙突試験改造実施
 移動: 1931年6月 盛岡庫→福島庫
 移動: 1931年11月 〜1932年1月 福島庫→酒田庫
 移動: 1932年9月 酒田庫→新津庫
 配置: 1936年3月31日 新津庫 その後 秋田区に移動 時期不明
 配置: 1938年4月30日 秋田区
 移動: 1945年11月 秋田区→酒田区
 移動: 1946年11月 酒田区→横手区
 配置: 1949年11月1日 横手区
 配置 休車中: 1950年4月 現在 特別休車 横手区
 移動: 1950年9月13日 特別休車指定解除 横手区→新潟区
 配置: 1956年11月1日 新潟区
 休車指定: 1962年6月11日 第一種休車指定 新潟区
 廃車: 1962年10月26日 新潟区 総裁達518

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51121デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 懐想の蒸気機関車 久保田博 交友社
 ※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
 ※4 鉄道ファンNo.30(1963-12)
 ※5 Rail No.120
 ※6 国鉄時代Vol.21
 ※7 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
 ※8 蒸気の時代No.34
 ※9 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集X
 ※10 蒸気機関車 大カタログ 伊藤東作
 ※11 鉄道ファンNo.15(1962-9)
 ※12 鉄道ファンNo.136(1972-8)
C51 122

 戦前は姫路、戦後は米子で活躍した。
1955年頃に快速いずも号を牽引機としての写真が残っており、その後まず重油併燃化が行われ、パイプ煙突となった。長く使われることなく1958年には廃車になっている。

写真
 新製時:〇 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:右側→機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工)
 デフレクター:大鉄型1935年3月以前
 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突
 給水温め器:本省丸型:鷹取工1936年4月〜1938年4月(福知山区 配置表)
 給水配管:=型 竪型 鷹取工
 排気配管:後々 竪型
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復
 コンプレッサー:単式→複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音→5階音
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:拡張あり、後側窓拡大
 テンダー:8-17台形
 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し(前面除く)
 その他:重油タンク→パイプ煙突

車歴
 製造: 汽車製造 No.704
 使用開始: 1923年9月5日 神戸局
 改番: 1928年10月1日 28921→C51122
 配置: 1930年8月31日 岡山庫
 配置: 1931年1月31日 姫路庫
 移動: 1937年10月 姫路区→福知山区
 移動: 1939年11月 福知山区→梅小路区
 移動: 1941年10月 梅小路区→福知山区
 移動: 1943年3月 福知山区→米子区
 休車指定: 1958年8月19日 第一種休車指定 米子区
 配置 休車中: 1958年9月1日 現在 第一種休車 米子区
 廃車: 1958年11月27日 米子区 総裁達604

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51122デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 雑誌SL No3 交友社
 ※3 中国蒸汽机牟世紀集映1876-2001(中国鉄道出版社)
 ※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
 ※5 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
 ※6 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
 ※7 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集Y
 ※8 RM LIBRARY 45 昭和30年代の国鉄列車愛称板 佐竹保雄・佐竹晃
C51 123

 戦前は明石、姫路、梅小路と関西圏で活躍。1940年に水戸に移り長岡、稲沢と移動し、戦後は青森で活躍。当初は住山式の給水温め器を装備するが、末期は本省丸形に変わっている。装備変更が遅いためかC51としては近代的な給水温め器である。

写真
 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:右側
 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工)
 デフレクター:本省型1935年3月以前
 煙突:化粧煙突
 給水温め器:住山式:鷹取工→本省丸新型:土崎工1959年以前1931年1月以前(配置表)
 給水配管:新型 竪型
 排気配管:後々 ストレート
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:拡張あり、後側窓拡大
 テンダー:8-17台形
 ナンバープレート:形式無し
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.705
 使用開始: 1923年9月1日 神戸局
 改番: 1928年10月1日 28922→C51123
 配置: 1931年1月31日 明石庫(名古屋庫に貸渡)
 返却: 1931年8月 返却 明石庫
 移動: 1934年7月 明石庫→姫路庫
 移動: 1935年 姫路庫→梅小路庫
 移動: 1936年 梅小路庫→宮原区
 移動: 1938年8月 宮原区→福知山区
 移動: 1939年11月 福知山区→梅小路区
 移動: 1940年9月25日 梅小路区→水戸区
 移動: 1941年11月 水戸区→宇都宮区
 移動: 1942年1月20日 宇都宮区→長岡区
 移動: 1944年6月6日 長岡区→名古屋区 達561号
 移動: 1946年11月 名古屋区→稲沢区
 移動: 1947年6月30日 稲沢区→青森区 達391号
 借入: 1953年12月 借入 盛岡区
 返却: 1954年3月 返却 青森区
 廃車: 1961年2月15日 青森区 総裁達64

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51123デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
 ※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
 ※4 国鉄時代Vol.49
C51 124

 戦前は姫路あ、明石で、戦中は亀山にいたが、戦後は米子に移り、この地での活躍は長かった。1962年に梅小路に移動し2年ほど働いた。C51の再末期まで活躍した1両です。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:右側→機関車:両側、テンダー両側
 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工)
 デフレクター:大鉄型1935年3月以前
 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突
 給水温め器:本省丸型:鷹取工→本省丸新型(後藤工1955年以前)1939年4月(亀山区 配置表)
 給水配管:新型 横型 後藤工
 排気配管:後々 ストレート
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復→左側3往復、右側3往復
 コンプレッサー:単式→複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音→5階音
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:拡張あり、後側窓拡大
 テンダー:8-17台形→12-17型
 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.706
 使用開始: 1923年9月8日 神戸局
 改番: 1928年10月1日 28923→C51124
 配置: 1930年8月31日 明石庫
 移動: 1934年7月 明石庫→姫路庫
 移動: 1939年4月 姫路区→亀山区
 配置: 1944年3月31日 亀山区
 配置: 1948年7月1日 亀山区
 配置: 1949年3月1日 米子区
 配置: 1954年4月1日 米子区
 配置: 1959年4月1日 米子区
 配置: 1960年4月1日 浜田区
 移動: 1961年3月 浜田区→米子区
 移動: 1962年2月 米子区→梅小路区
 廃車: 1965年10月22日 梅小路区 総裁達559

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51124デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 雑誌SL No3 交友社
 ※3 鉄道datafile 76
 ※4 蒸気機関車の記録U辻坂明浩
 ※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
 ※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
 ※7 蒸気機関車No20
 ※8 蒸気機関車の角度
 ※9 0からの鉄道なんでも記録
 ※10 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
 ※11 国鉄時代Vol.55
 ※12 蒸気の時代No.57
 ※13 鉄道ピクトリアルNo.575(1993-5)
 ※14 鉄道ファンNo.44(1965-2)
 ※15 鉄道ファンNo.55(1966-1)
 ※16 蒸気機関車形式写真集U 小野治男
 ※17 0からの鉄道なんでも記録
 ※18 蒸気の時代No.89
C51 125

 戦前は明石、姫路、亀山で、終戦近くは梅小路にいて、戦後すぐ米子に移動、最後は宮崎に移動し終焉を迎える。テンダーの振り替えなど形態の変化が激しい。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:右側→機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦前:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工)→A’型(戦後:8時30分-11時30分、0時30分-2時)
 デフレクター:大鉄型1935年3月以前
 煙突:化粧煙突→裾有りパイプ煙突(1936年以前)
 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年2月(明石庫 配置表)
 給水配管:=型 竪型 鷹取工
 排気配管:後々→前後(1935年頃) 竪型→止弁
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復→左側3往復、右側3往復
 コンプレッサー:単式→複式
 給水ポンプ:運転室前(鷹取)
 汽笛:3階音→5階音
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:拡張あり、後側窓拡大
 テンダー:8-17台形→8-17矩形→12-17型→8-20型
 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し
 その他:8−17台形→8−17矩形(1946.7)→12-17(1946.11)→8-20(1959)

車歴
 製造: 汽車製造 No.707
 使用開始: 1923年9月12日 神戸局
 改番: 1928年10月1日 28924→C51125
 配置: 1930年8月31日 明石庫
 移動: 1934年7月 明石庫→姫路庫
 改造: 1936年8月6日 鷹取工場 パイプ煙突に交換 
 移動: 1939年4月 姫路区→亀山区
 移動: 1946年5月12日 亀山区→梅小路区
 移動: 1947年8月11日 梅小路区→米子区
 配置: 1952年4月1日 米子区
 移動: 1957年10月7日 米子区→宮崎区 達656号
 廃車: 1960年2月26日 宮崎区 総裁達76

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51125デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 終戦直後の蒸気機関車
 ※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
 ※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
 ※5 門鉄デフ物語
 ※6 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T
 ※7 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集X
C51 126

 戦前、戦中は明石、姫路、梅小路、亀山と移動、戦後すぐに米子に移動し1960年まで活躍した。

写真
 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:右側、テンダー右側
 煙室前手摺:原型→A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工)
 デフレクター:本省型1935年3月以前
 煙突:裾有りパイプ煙突
 給水温め器:本省丸型:鷹取工1936年4月〜1938年4月(梅小路区 配置表)
 給水配管:=型 竪型 鷹取工
 排気配管:後々 竪型
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側3往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音→5階音
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:拡張あり、後側窓拡大
 テンダー:8-17台形
 ナンバープレート:形式無し
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.708
 使用開始: 1923年9月26日 神戸局
 改番: 1928年10月1日 28925→C51126
 配置: 1930年8月31日 明石庫
 移動: 1934年7月 明石庫→姫路庫
 配置: 1935年5月31日 姫路庫
 配置: 1935年7月31日 梅小路庫
 移動: 1938年6月 梅小路区→亀山区
 配置: 1943年3月31日 亀山区
 配置: 1947年9月1日 亀山区
 配置: 1948年2月1日 米子区
 配置: 1954年4月1日 米子区
 廃車: 1960年1月27日 米子区 総裁達26

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51126デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
 ※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
 ※4 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集U
 ※5 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集V
C51 127

 汽車会社製、新製配置は神戸局、明石、山田を経て1956年より米子で活躍する。最後の1年を浜田に移動し1960年に廃車となる。
 米子時代はパイプ煙突、ボックス動輪であるが、換装前の1950年頃の写真が発見された。タイヤが薄く酷使された状況である。関西方面でボックス動輪になったのは当機のみで、久保田博の著書にあるC57の動輪を流用した機と思われる。

写真
 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:〇 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:右側→機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦前:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工)
 デフレクター:大鉄型1935年3月以前
 煙突:化粧煙突→裾有りパイプ煙突(1952年以前)
 給水温め器:本省丸型:鷹取工1932年4月(山田庫 配置表)
 給水配管:=型 竪型→横型 鷹取工
 排気配管:後々 竪型
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側3往復
 コンプレッサー:複式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:3階音→ドーム脇5階音
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:拡張あり、後側窓拡大
 テンダー:8-17台形
 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し
 その他:ボックス動輪はC57のもの?

車歴
 製造: 汽車製造 No.709
 使用開始: 1923年9月25日 神戸局
 改番: 1928年10月1日 28926→C51127
 配置: 1930年8月31日 明石庫
 移動: 1931年11月 〜1932年1月 明石庫→山田庫
 移動: 1956年9月10日 山田区→米子区 達772号
 移動: 1958年9月 米子区→浜田区
 配置: 1959年4月1日 浜田区
 配置 休車中: 1960年4月1日 現在 第二種休車 浜田区
 廃車: 1960年5月7日 浜田区 総裁達254

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51127デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 国鉄時代Vol.52
C51 128

 汽車会社製、新製配置は仙台局、米原、名古屋、稲沢、新津、長岡を経て1944年より豊岡で活躍する。1956年には廃車となる。
配管、デフレクターなど浜松工場で検修をうけてきた機関車の特徴がある。末期はパイプ煙突になっていた。

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−

特徴
 解放テコ:機関車:右側、テンダー右側(戦前)
 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時浜松工)
 デフレクター:1936年3月以前
 煙突:化粧煙突
 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表)
 給水配管:
 排気配管:後々
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復
 コンプレッサー:単式
 給水ポンプ:標準位置
 汽笛:
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:拡張あり、後側窓拡大
 テンダー:8-17台形
 ナンバープレート:型式入り(戦前)
 その他:

車歴
 製造: 汽車製造 No.710
 使用開始: 1923年9月27日 仙台局
 改番: 1928年10月1日 28927→C51128
 配置: 1931年1月31日 米原庫
 移動: 1938年3月 米原区→稲沢区
 移動: 1938年10月 稲沢区→名古屋区多治見支区
 本区に昇格: 1938年12月 名古屋区多治見支区→多治見区(本区に昇格)
 移動: 1939年5月 多治見区→名古屋区
 移動: 1939年11月 名古屋区→稲沢区
 移動: 1940年7月 稲沢区→静岡区
 移動: 1941年8月4日 静岡区→新津区
 移動: 1943年8月 新津区→長岡区
 移動: 1944年10月15日 長岡区→名古屋局 達862号
 移動: 1945年7月14日 名古屋局管内→豊岡区 達185号
 配置: 1947年1月1日 豊岡区
 配置 休車中: 1947年4月1日 現在 特別休車 豊岡区
 配置: 1947年9月1日 豊岡区
 配置: 1948年2月1日 豊岡区和田山支区
 配置: 1952年4月1日 豊岡区和田山支区
 廃車: 1956年6月27日 豊岡区 総裁達414

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51128デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 御大禮記念吹田機關庫寫眞帖
 ※3 鉄道ファンNo.244(1981-8)
 ※4 蒸気の時代No.89
C51 129

 新製配置は名古屋であるが、仙台、金沢、盛岡を転々とした後、1954年に長崎へ、1956年には鹿児島に転じている。戦前は住山式給水温め器を装備するが、いつ頃か標準的な給水温め器を装備すしている。配管の形状、砂箱に取手があることより、ボイラーを振り替えている可能性がある。最終全検は1956年と思われるが、この時期、鹿児島工場に入場するC51はフロントデッキの直線化改造を受けているが、この機はどうしたわけか行われていない、小倉工場で全検を受けたあとに鹿児島に移動することも考えられる。末期は特急燕に用いられたC52用の20立方テンダーを装備していたが、盛岡区時代にC51171やC51247とテンダーを振り替えた事が考えられる。1961年に廃車

写真
 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○

特徴
 解放テコ:機関車:右側→機関車:両側
 煙室前手摺:A型(戦前:4時-11時30分、0時30分-2時浜松工)
 デフレクター:本省型1936年3月以前
 煙突:化粧煙突
 給水温め器:住山式:浜松工→本省丸型:浜松工1931年1月以前(配置表)
 給水配管:T型 横型
 排気配管:後々 竪型無効化
 ボイラー手摺:左2段、右1段高位置
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復、振止付(1935年頃)→左側3往復、右側4往復
 コンプレッサー:
 給水ポンプ:運転室前(浜松)→標準位置
 汽笛:3階音→5階音
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:拡張あり、後側窓拡大
 テンダー:8-17台形→12-20燕用
 ナンバープレート:形式無し
 その他:吉松時代

車歴
 製造: 汽車製造 No.711
 使用開始: 1923年9月29日 仙台局
 改番: 1928年10月1日 28928→C51129
 配置: 1931年1月31日 名古屋庫
 移動: 1931年2月 名古屋庫→浜松庫
 移動: 1934年10月 浜松庫→金沢庫
 移動: 1939年4月25日 金沢区→仙台区
 移動: 1944年8月5日 仙台区→名古屋区 達658号
 配置: 1949年3月1日 名古屋区
 配置: 1949年6月1日 富山区
 配置: 1949年10月1日 稲沢区
 移動: 1950年7月27日 稲沢区→盛岡区
 休車指定: 1954年5月1日 第一種休車指定 盛岡区
 移動: 1954年7月 盛岡区→長崎区
 移動: 1956年11月 長崎区→鹿児島区
 配置: 1959年4月1日 鹿児島区
 配置 休車中: 1960年4月1日 現在 第一種休車 鹿児島区 
 廃車: 1961年2月15日 吉松 総裁達64

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51129デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
 ※3 Rail No.114
C51 130

 新製配置は名古屋庫、のちに金沢に移動し、1937年に中国大陸へ供出

写真
 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−

特徴
 解放テコ:機関車:右側、テンダー:?
 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分浜松工)
 デフレクター:1936年3月以前
 煙突:化粧煙突
 給水温め器:住山式:浜松工1931年1月以前(配置表)
 給水配管:
 排気配管:前
 ボイラー手摺:2段
 梯子:標準位置
 圧縮空気冷却管:左?往復:右3往復
 コンプレッサー:
 給水ポンプ:運転室前(浜松)
 汽笛:3階音
 動輪:17本スポーク動輪
 運転室:延長有 後窓拡大
 テンダー:8-17台形
 ナンバープレート:形式入り
 その他:供出、1927年頃特殊徐煙板取付

車歴
 製造: 汽車製造 No.712
 使用開始: 1923年10月3日 名古屋局
 改番: 1928年10月1日 28929→C51130
 配置: 1931年1月31日 名古屋庫
 移動: 1931年2月 名古屋庫→金沢庫 除煙排煙対策として煙突後部に反射板を試験取付実施 その後 原型に復帰
 移動: 1938年5月31日 金沢区→陸軍省
 供出に伴う発送: 1938年6月17日 実機の発送
 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(金沢区)
 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収
 廃車: 1938年5月31日 

参考資料
 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51130デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
 ※2 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
 ※3 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
 ※4 日本蒸気機関車史 高木宏之
 ※5 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
 ※6 世界の鉄道 '63 朝日新聞社

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