C51 21
汽車会社製のC51の3号機、新製配置は門司局、大里、鳥栖、熊本、長崎を経て、1949年より早岐で活躍する。1949年5月25日は大村線で早岐-諫早、長崎本線諫早-長崎においてお召列車を牽引する。長らく長崎本線で活躍し1963年3月に廃車となる。最後までスポーク動輪、化粧煙突を有するなど優美な姿を保った。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:〇 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側(1949年お召牽引時)→両側(1955年頃) 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:本省設計型(蝶番あり)1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸形:小倉工→本省丸新型(小倉工1959年までに換装)1932年6月(鳥栖庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型→無効化 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張(小)、前窓標準位置、後窓後方移動、空気取入口(大)、真空ブレーキ装備台左右あり テンダー:8-17矩形→8-17台形 ナンバープレート:全面型式入り(1949年)→テンダーのみ型式入り その他:
車歴 製造: 1921年2月7日 汽車製造 No.476 使用開始: 1921年2月7日 広島庫 移動: 1926年1月 広島庫→大里庫 改番: 1928年10月1日 18920→C5121 移動: 1928年12月 大里庫→鳥栖庫 移動: 1934年11月 鳥栖庫→熊本庫 配置: 1941年3月31日 熊本区 移動: 1945年10月 熊本区→長崎区 配置: 1949年3月1日 長崎区 お召し列車牽引: 1949年5月25日 大村線早岐-諫早間・長崎本線諫早-長崎間にてお召列車牽引 配置: 1949年10月1日 早岐区 廃車: 1963年3月30日 早岐区 総裁達146
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5121デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 九州の蒸気機関車 門司鉄道管理局
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 全盛期の蒸気機関車写真集4_八並国介
※6 蒸気機関車No48
※7 蒸気機関車No58
※8 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※9 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※10 国鉄時代Vol.54
※11 蒸気の時代No.36 |
C51 22
汽車会社製、新製配置は門司局、大里、熊本、長崎を経て、1949年より吉松で活躍する。1961年1月に廃車となる。
最後までスポーク動輪、化粧煙突を有するが、鹿児島工場管内のため前面スロープが直線化改造されていた。デフは前方が斜めに切り落とされている。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右片側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:斜鹿工1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 横型 ? 排気配管:後々 竪型→L字管? ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張無し、窓拡大無し、空気取入口(大)、真空ブレーキ装備台左右あり テンダー:8-17台形 ナンバープレート:正面型式あり その他:
車歴 製造: 1921年2月14日 汽車製造 No.477 使用開始: 1921年2月14日 広島庫 移動: 1926年6月 広島庫→大里庫 改番: 1928年10月1日 18921→C5122 事故: 1930年7月18日 08:56頃、鹿児島本線富野(信) 移動: 1934年11月 大里庫→熊本庫 配置: 1941年3月31日 熊本区 移動: 1945年10月 熊本区→長崎区 事故: 1946年9月10日 05:02頃、佐世保駅3番線 移動: 1949年12月 長崎区→吉松区 廃車: 1961年1月13日 吉松区 総裁達415
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5122デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※3 蒸気の時代No.36 |
C51 23
汽車会社製のC51、新製配置は門司局、大里、出水を経て1932年より北海道の旭川に、小樽築港を経て、1946年より本州に戻り、梅小路を経て1947年から豊岡で活躍する。1955年頃には集煙装置が取り付けられ、給水温め器が埋込み改造されている。このころまでに重油タンクが取り付けられている。集煙装置は1960年までに撤去された。1961年2月に廃車となる。
運転室屋根の吊具、運転室前の支えは北海道時代の装備である。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:集煙装置→パイプ煙突 給水温め器:本省丸形:小倉工→落とし込み改造1933年2月(旭川庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 苗穂工→ 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張無し、窓拡大無し、空気取入口(大)、真空ブレーキ装備台左右あり テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式無し その他:
車歴 製造: 1921年2月28日 汽車製造 No.478 使用開始: 1921年2月28日 広島庫 移動: 1926年6月 広島庫→大里庫 改番: 1928年10月1日 18922→C5123 移動: 1931年2月 大里庫→出水庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 出水庫→旭川庫 事故: 1937年2月3日 09:08頃、函館本線浅里-張碓間起点263.344km 移動: 1942年11月 旭川区→小樽築港区 移動: 1945年7月3日 小樽築港区→梅小路区 達185号 配置: 1947年1月1日 梅小路区 配置 休車中: 1947年4月1日 現在 特別休車 豊岡区 移動: 1958年5月 豊岡区→豊岡区和田山支区 重油併燃装置取付済 廃車: 1961年2月14日 豊岡区 総裁達62
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5123デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下 |
C51 24
汽車会社製のC51、新製配置は門司局、大里、出水を経て1932年より北海道の旭川に、小樽築港を経て、1957年より岩見沢で活躍する。1958年11月に廃車となる。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側→両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸形:苗穂工1934年3月(旭川庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 苗穂工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張無し、窓拡大無し、真空ブレーキ台左右あり、雨樋改造 テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式あり(戦前)→型式無し(戦後) その他:非公式側テンダーステップ有
車歴 製造: 1921年2月23日 汽車製造 No.479 使用開始: 1921年2月23日 広島庫 事故: 1926年3月13日 01:56頃、山陽本線広島駅 移動: 1926年6月 広島庫→大里庫 改番: 1928年10月1日 18923→C5124 移動: 1931年2月 大里庫→出水庫 配置: 1931年10月31日 出水庫 その後 小樽築港庫に移動 時期不明 配置 休車中: 1932年1月31日 現在 一時休車(第一種休車相当) 小樽築港庫 休車解除: 1932年2月 一時休車(第一種休車相当)指定解除 小樽築港庫 移動: 1933年6月 小樽築港庫→旭川庫 配置: 1948年12月1日 旭川区 配置: 1949年2月1日 小樽築港区 配置 休車中: 1952年10月1日 現在 第一種休車 小樽築港区 配置: 1955年8月1日 小樽築港区 配置: 1956年12月31日 岩見沢区 廃車: 1958年11月27日 岩見沢区 総裁達604
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5124デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 北海道の蒸気機関車 釧路鉄道管理局
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※5 蒸気機関車写真名鑑
※6 新日本鉄道史 下 川上幸義 |
C51 25
汽車会社製のC51、新製配置は門司局、大里、鹿児島、鳥栖、大分、鹿児島を経て1945年に奈良に移動し関西方面で活躍する。戦前に九州管内を活躍したため、デフに蝶番付きであることや、給水温め器の配管、砂箱の蓋の形状が小倉工場管内タイプである。1955年頃に鷹取工場管内で行われた汽笛をドーム横に移動している。1962年2月に廃車となりテンダー、化粧煙突はC515の保存の際に流用された。最後まで化粧煙突、スポーク動輪を保った。
国立映画アーカイブが所蔵するフィルムを公開する「佐賀縣下に於ける陸軍特別大演習』1926年|「フィルムは記録する」の5分10秒くらいに佐賀駅に侵入する18924の姿がある。このころは油灯、給水温め器のない美しい姿。大宮にある鉄道博物館のC51はテンダーより後ろがお召列車牽引に関係することになる。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側(1956年1月)→両側(1959年7月) 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:本省(蝶)1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1938年5月(大分区 配置表) 給水配管:=型 竪型→横型 小倉工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音ドーム横移設 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室原型、公式側後窓移動、非公式側後窓拡大、真空ブレーキ装備台左右あり テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式無し その他:砂箱蓋門鉄タイプ
車歴 製造: 1921年2月25日 汽車製造 No.480 使用開始: 1921年2月25日 門司局 移動: 1921年5月 庫名不明(門司局管内)→広島庫 移動: 1926年6月 広島庫→大里庫 御召し列車牽引: 1926年11月13日 佐賀県下陸軍特別大演習 1928年10月1日: 1931年2月1日: 月頃 1931年4月1日: 月頃 1936年3月1日: 月頃 1939年11月1日: 月頃 1942年8月1日: 月頃 1944年9月2日: 1950年4月1日: 1956年11月1日: 廃車: 1962年2月28日 奈良区 総裁達74
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5125デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車の記録T(昭和32〜38年)辻坂明浩
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※6 蒸気機関車No48
※7 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※8 蒸気機関車形式写真集U 小野治男
※9 国立映画アーカイブが所蔵するフィルムの中に佐賀縣下に於ける陸軍特別大演習』1926年|「フィルムは記録する」の5分10秒くらいに佐賀駅に侵入する18924の姿がある。 |
C51 26
汽車会社製のC51、新製配置は神戸局、神戸、姫路、亀山を経て1957年より鹿児島で活躍する。1959年7月に廃車となる。
最後まで化粧煙突、スポーク動輪を保った。テンダーの振り替えが多い。末期はコンプレッサーは単式を2個並列にして利用した。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側(戦前)→両側(戦後) 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄(曲)1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型? 鷹取工 排気配管:後々 竪型? ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:単式→単式2連 給水ポンプ:運転室前(鷹取) 汽笛:3階音→5階音ドーム横移設 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓標準位置、後窓拡大、真空ブレーキ装備台撤去 テンダー:8-17矩形(戦前:姫路庫)→12‐17型(戦後:亀山区)→8ー17矩形(1958年鹿児島区) ナンバープレート:型式あり→型式無し その他:
車歴 製造: 1921年3月7日 汽車製造 No.481 使用開始: 1921年3月7日 神戸局 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18925→C5126 配置: 1930年8月31日 姫路庫 移動: 1938年9月 姫路区→亀山区 移動: 1957年12月26日 亀山区→鹿児島区 達52号 廃車: 1959年7月2日 鹿児島区 総裁達333
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5126デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車No48
※3 高橋 弘作品集 蒸気機関車 その良き時代
※4 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
※5 蒸気の時代No.50
※6 蒸気の時代No.68
※7 世界の鉄道 別冊 明治・大正・昭和 蒸気機関車100年 朝日新聞社 |
C51 27 NEW
汽車会社製のC51、新製配置は神戸局、神戸、姫路、亀山を経て1959年より伊勢で活躍する。1960年7月に廃車となる。
ヘッドライトが高い位置で取り付けられ、煙室手すりの切断が見られず原型です。最後までスポーク動輪を保ったが煙突は裾無しパイプ煙突から裾ありパイプ煙突に変更されている。第1〜3動輪すべてが18本スポーク動輪に振替えられているため、戦後すぐに廃車となったC54のものを使用している可能性があります。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側(戦前)→両側(戦後) 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→パイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 横型 鷹取工 排気配管:前後 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側3往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音ドーム横移設 動輪:18本スポーク動輪 廃車C54動輪? 運転室:運転室拡張、前窓標準位置、後窓拡大、真空ブレーキ装備台撤去 テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式あり→型式無し その他:
車歴 製造: 1921年3月9日 汽車製造 No.482 使用開始: 1921年3月9日 神戸局 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18926→C5127 配置: 1930年8月31日 姫路庫 移動: 1938年9月 姫路区→亀山区 配置: 1959年6月 亀山区 配置: 1959年12月1日 伊勢区 配置 休車中: 1960年4月1日 現在 第一種休車 伊勢区 廃車: 1960年7月20日 伊勢区 総裁達420
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5127デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※6 高橋 弘作品集 蒸気機関車 その良き時代
※7 全国蒸気機関車配置表 徳永益男 |
C51 28
汽車会社製のC51、新製配置は神戸局、梅小路、明石、梅小路、姫路、岡山を経て1938年に供出となり中国大陸で活躍する。
京阪神で活躍したころは住山式給水温め器を装備されていた。デフレクターを含め供出の際にそれぞれ撤去された。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右側→両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型→撤去(供出時)1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管: ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:単式 給水ポンプ:運転室前(鷹取)? 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓標準位置、後窓拡大、真空ブレーキ装備台撤去 テンダー:8-17矩形→8−17台形 ナンバープレート:正面型式入り その他:
車歴 製造: 1921年3月11日 汽車製造 No.483 使用開始: 1921年3月11日 神戸局 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18927→C5128 配置: 1930年8月31日 梅小路庫 配置: 1931年1月31日 明石庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 明石庫→梅小路庫 移動: 1932年4月 梅小路庫→姫路庫 移動: 1937年10月 姫路区→岡山区 達1056号 供出に伴う発送: 1938年7月22日 実機の発送 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(岡山区) 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年8月31日 岡山区 作軍秘第55
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5128デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 明石機関庫記念写真
※3 鉄道ファンNo.30(1963-12)
※4 鉄道ファンNo.280(1984-8) |
C51 29
汽車会社製のC51、新製配置は神戸局、姫路、亀山を経て1943年より北海道の室蘭に転出する。1950年に室蘭本線錦多峰-社台間でオボップ川橋梁を通過した際に橋脚が崩落する事故が発生。死者17名以上の被害があり、機関車も破損し数年間休車がかかる。1952年頃に復旧し小樽築港へ移動、苗穂を経て1958年11月に廃車となる。
京阪神で活躍したころは住山式給水温め器を装備されていた。北海道へ移動後の1950年の事故時の写真には住山式給水温め器は撤去されている。その後新式の本省丸形給水温め器が装備された。
写真 新製時:○ 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側→両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省設計型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→パイプ煙突 給水温め器:住山式:鷹取工→撤去→本省丸新型1931年1月以前(配置表) 給水配管:新型配管 竪型? 苗穂工 排気配管:前後? 竪型? ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:単式→複式? 給水ポンプ:運転室前(鷹取)→撤去→標準位置(1958年頃) 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓標準位置、後窓拡大、真空ブレーキ装備台撤去 テンダー:8-17矩形→8−17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→前面型式入り その他:
車歴 製造: 1921年4月1日 汽車製造 No.484 使用開始: 1921年4月1日 神戸局 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18928→C5129 配置: 1930年8月31日 亀山庫 移動: 1943年3月17日 亀山区→室蘭区 事故: 1950年8月1日 22:55頃、室蘭本線錦多峰(現 錦岡)-社台間 配置 休車中: 1951年10月1日 現在 第一種休車継続中 室蘭区 移動: 1952年 室蘭区→小樽築港区 配置 休車中: 1952年10月1日 現在 第一種休車 小樽築港区 配置 休車中: 1954年10月1日 現在 第一種休車 小樽築港区 休車解除: 1954年12月 第一種休車指定解除 小樽築港区 移動: 1955年6月 小樽築港区→苗穂区 廃車: 1958年11月27日 苗穂区 総裁達604
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5129デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
※3 北国の汽笛1(北海道の鉄道1956〜1959)星良助写真集
※4 昭和の鉄道情景1野口昭雄写真集 |
C51 30
汽車会社製のC51、新製配置は神戸局、神戸、姫路、岡山を経て1938年に供出となり中国大陸で活躍する。
京阪神で活躍したころは住山式給水温め器を装備されていた。デフレクターは大鉄型から本省設計型へ変化が見られる。供出の際にそれぞれ撤去された。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄(1936年9月)→本省(1937年)1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:鷹取工→撤去1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管:前 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:単式 給水ポンプ:運転室前(鷹取) 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張(大)、前窓標準位置、後窓拡大、真空ブレーキ装備台撤去 テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式入り その他:
車歴 製造: 1921年4月1日 汽車製造 No.485 使用開始: 1921年4月1日 神戸局 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18929→C5130 配置: 1931年1月31日 姫路庫 移動: 1937年10月 姫路区→岡山区 配置: 1938年4月30日 岡山区 供出に伴う発送: 1938年7月22日 実機の発送 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(岡山区) 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年8月31日 岡山区 作軍秘第55
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5130デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 C52・C53
※3 とれいん 増刊 日本の蒸機作品集
※4 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T
※5 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集U
※6 新日本鉄道史 上 川上幸義
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