C51 131
住山式給水温め器を装備した1両である。写真は存在し出てこない。
新製は金沢庫、名古屋、福知山と移動し、1937年に中国大陸に供出された。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ: 煙室前手摺:? デフレクター:1936年3月以前 煙突: 給水温め器:住山式:浜松工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管: ボイラー手摺: 梯子: 圧縮空気冷却管: コンプレッサー: 給水ポンプ: 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室: テンダー: ナンバープレート: その他:供出
車歴 製造: 汽車製造 No.713 使用開始: 1923年10月8日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 28930→C51131 配置: 1931年1月31日 金沢庫 貸渡: 1931年10月 金沢→鳥栖庫 陸軍特別大演習熊本県 移動: 1931年12月 金沢→名古屋庫 陸軍特別大演習熊本県 返却後 移動: 1935年6月 名古屋庫→福知山庫 供出に伴う発送: 1938年7月11日 実機の発送(除籍日が錯綜するのは現場実務と通達との日ずれあり) 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(福知山区) 作軍秘55号 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年8月31日 作軍秘第55
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51131デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。 |
C51 132
住山式給水温め器を装備した1両である。金沢、稲沢と移動し、1937年に中国大陸へ改軌、装備撤去のうえ供出された。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:A型(戦前:4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:浜松工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管:前 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復 コンプレッサー:単式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有 後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入り その他:供出、1927年頃特殊徐煙板取付
車歴 製造: 汽車製造 No.714 使用開始: 1923年10月9日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 28931→C51132 配置: 1931年1月31日 金沢庫 移動: 1938年3月 金沢区→稲沢区 移動: 1938年5月31日 稲沢区→陸軍省 供出に伴う発送: 1938年6月22日 実機の発送(除籍日が錯綜するのは現場実務と通達との日ずれあり) 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(稲沢区) 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年5月31日
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51132デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
※4 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集X
※5 鉄道ファンNo.244(1981-8) |
C51 133
新製配置は名古屋局、名古屋を経て1939年より仙台、1945年より福島で活躍する。1949年8月17日に発生した松川事件において脱線転覆し、1950年に廃車となった。
写真は名古屋庫時代は豊富であるが、仙台移動後は非公式側が1枚と松川事故時の写真がある程度でとぼしい。1927年頃に500mm煙室を延長し、次に800mm延長したが、1940年頃には復旧した。当初から住山式給水温め器を装備していたが、松川事故時には撤去されていた。当初は単式コンプレッサーを装備していたが、松川事故時には複式に改造されていた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:B型(戦前戦後:4時-11時30分浜松工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:浜松工→撤去1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管:前 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復、振止付(1939年頃撤去)→左3往復:右3往復 コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後) 給水ポンプ:運転室前(浜松) 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有 後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入り その他:800mm煙室延長 1941年までに標準化改造
車歴 製造: 汽車製造 No.715 使用開始: 1923年10月11日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 28932→C51133 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 煙室延長800mm試験改造実施 移動: 1938年3月 名古屋区→稲沢区 移動: 1939年5月22日 稲沢区→仙台区 移動: 1944年4月24日 仙台区→区名不明(東京局管内) 達360号 移動: 1945年11月12日 区名不明(東京局管内)→福島区 達25号 移動: 1949年3月 福島区→福島第一区 事故: 1949年8月17日 03:09頃、東北本線金谷川-松川間 配置 休車中: 1949年11月1日 現在 第一種休車 福島第一区 廃車: 1950年 福島区
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51133デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 懐想の蒸気機関車 久保田博 交友社
※3 私の蒸気機関車史下
※4 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
※5 9百万キロ無事故表彰記念写真帳
※6 蒸気機関車No58
※7 記録写真蒸気機関車T
※8 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※9 鉄道ファンNo.30(1963-12)
※10 Rail No.36
※11 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
※12 全国蒸気機関車配置表 徳永益男
※13 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T
※14 世界の鉄道 別冊 明治・大正・昭和 蒸気機関車100年 朝日新聞社
※15 機関車の系譜図4 臼井茂信
※16 新日本鉄道史 上 川上幸義
※17 鉄道ファンNo.119(1971-3)
※18 鉄道ファンNo.244(1981-8) |
C51 134
名古屋、富山、仙台、米子、奈良、伊勢と移動し、比較的に末期まで生き延び関西本線で使用される写真が残っている。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:?→両側 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有りパイプ煙突(1960年以前) 給水温め器:住山式:浜松工→本省丸型:土崎工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 横型 郡山工 排気配管:前後 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復 コンプレッサー:複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有 後窓拡大無し テンダー:12-17型 ナンバープレート: その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.719 使用開始: 1923年11月1日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 28933→C51134 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 移動: 1937年10月 名古屋区→富山区 移動: 1938年9月 富山区→稲沢区 移動: 1938年10月 稲沢区→多治見支区 移動: 1939年5月4日 稲沢区→仙台区 移動: 1945年7月5日 仙台区→米子区 達185号 休車指定: 1950年3月10日 特別休車指定 米子区 移動: 1950年8月 特別休車指定解除 米子区→奈良区 廃車: 1962年11月20日 奈良区 総裁達560
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51134デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※3 蒸気機関車写真集1鈴木武夫
※4 蒸気機関車No58
※5 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※6 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※7 蒸気機関車EX Vol.30
※8 蒸気の時代No.82 |
C51 135
名古屋、富山、仙台、稲沢、酒田、新津と移動した。1962年まで生き残り、磐越西線で活躍する写真が多くみられる。テンダーの形状が特殊であるが、標準的な8-17テンダーの炭庫の形状を改良したものと思われる。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:両側 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分浜松工)→B’型(戦後:8時30分-11時30分) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型 浜松工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復 コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音(戦前)→5階音(戦後) 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有 後窓拡大 テンダー:8-17台形→8-17台形改造 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.720 使用開始: 1923年10月24日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 28934→C51135 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 この頃 除煙排煙対策として煙突前部に傾斜板を試験取付実施 その後 原型に復帰 移動: 1937年10月 名古屋区→富山区 移動: 1940年8月15日 富山区→仙台区 移動: 1944年9月10日 仙台区→名古屋区 達791号 移動: 1946年11月 名古屋区→稲沢区 移動: 1947年6月30日 稲沢区→酒田区 達391号 移動: 1950年3月2日 酒田区→新津区 休車指定: 1962年6月11日 第一種休車指定 新津区 廃車: 1962年10月26日 新津区 総裁達518
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51135デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
※3 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※6 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※7 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※8 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※9 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※10 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※11 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
※12 蒸気の時代No.34
※13 蒸気の時代No.45
※14 鉄道ファンNo.136(1972-8)
※15 半世紀前に出会えた汽車たちとの思い出 小野康久 |
C51 136
鳥栖、熊本、鹿児島、宮崎、吉松と九州で活躍つづけた。1963年まで生き延び、吉都線での活躍の写真が見られる。フロントデッキを直線化改造、パイプ煙突、12-17テンダーに改造が見られる。最末期はLP403を装備。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→両側、テンダー:? 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時)→A’型(最末期:8時30分-11時30分、0時30分-2時) デフレクター:鹿工1935年3月以前 煙突:裾有りパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1936年4月〜1938年4月(熊本区 配置表) 給水配管:=型 横型 排気配管:後々 L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3往復:右4往復 コンプレッサー:複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有、窓位置後方移動 テンダー:8-17台形→12-17型 ナンバープレート:正面形式入り その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.721 使用開始: 1923年10月29日 三田尻庫 移動: 1927年4月 三田尻庫→鳥栖庫 改番: 1928年10月1日 28935→C51136 配置: 1931年3月31日 鳥栖庫 移動: 1935年11月 鳥栖庫→熊本庫 配置: 1940年3月31日 熊本区 配置: 1944年3月31日 熊本区 配置: 1945年12月1日 鹿児島区 配置: 1948年4月1日 鹿児島区 配置: 1948年7月1日 宮崎区 移動: 1955年11月 宮崎区→志布志区都城支区 移動: 1957年5月 志布志区都城支区→宮崎区 移動: 1958年4月 宮崎区→吉松区 移動: 1959年3月26日 吉松区→宮崎区都城支区 移動: 1960年11月 宮崎区都城支区→吉松区 廃車: 1962年11月20日 奈良区 総裁達560
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51136デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 九州の蒸気機関車 門司鉄道管理局
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※5 全盛期の蒸気機関車写真集7_小林庄三
※6 蒸気機関車No48
※7 九州鉄道の記憶W |
C51 137
名古屋、稲沢、大館、新津と移動した。名古屋時代解放テコが両袖で、名鉄型デフを装備するが、新津時代の写真では解放テコが片側、デフも形状が変化している。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側→右側、テンダー:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:名鉄→長工1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1932年12月(名古屋庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 浜松工 排気配管:後々 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復 コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有 後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.722 使用開始: 1923年11月1日 三田尻庫 移動: 1928年9月 三田尻庫→名古屋庫 改番: 1928年10月1日 28936→C51137 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 返却: 1931年9月22日 返却 名古屋庫 借入: 1933年9月 借入 敦賀庫 返却: 1933年11月 返却 名古屋庫 移動: 1938年3月 名古屋区→稲沢区 移動: 1940年8月15日 稲沢区→仙台区 移動: 1944年8月29日 仙台区→名古屋区 達658号 移動: 1946年11月 名古屋区→稲沢区 移動: 1947年6月30日 稲沢区→大館区 達391号 移動: 1949年9月9日 大館区→新津区 廃車: 1961年11月10日 新津区 総裁達626
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51137デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※4 蒸気機関車写真集山下節夫
※5 蒸気機関車68春
※6 記録写真蒸気機関車T
※7 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※8 C52・C53
※9 国鉄時代Vol.21
※10 日本蒸気機関車史 高木宏之
※11 蒸気の時代No.34
※12 蒸気機関車形式写真集U 小野治男 |
C51 138
岩見沢、旭川、小樽築港、岩見沢、苗穂と移動した。一貫して北海道で活躍した車両である。運転室雨樋の形状に特徴がある。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:右側 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時苗穂工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:苗穂工1932年11月(旭川庫 配置表) 給水配管:T型 苗穂工 排気配管:後々 L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復→左3往復:右3往復 コンプレッサー:複式(戦後) 給水ポンプ: 汽笛:5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有、窓位置後方移動、北海道雨樋改造 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.723 使用開始: 1923年11月6日 三田尻庫 移動: 1928年7月 三田尻庫→岩見沢庫 改番: 1928年10月1日 28937→C51138 移動: 1932年9月 岩見沢庫→旭川庫 移動: 1947年 〜1947年12月 旭川区→小樽築港区 配置: 1953年4月1日 小樽築港区 配置: 1953年9月1日 室蘭区 その後 小樽築港区に移動 時期不明 休車指定解除: 1954年3月15日 第一種休車指定 小樽築港区 その後 第一種休車指定解除 時期不明 配置: 1954年10月1日 小樽築港区 移動: 1955年6月 小樽築港区→岩見沢区 配置 休車中: 1957年11月1日 現在 第一種休車 岩見沢区 配置: 1958年4月1日 岩見沢区 配置: 1959年4月1日 苗穂区 廃車: 1960年3月10日 苗穂区 総裁達98
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51138デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 北国の汽笛1(北海道の鉄道1956〜1959)星良助写真集 |
C51 139
履歴を見ると岩見沢、小樽築港、旭川、苗穂と北海道を離れたことがありません。最後までサンビームのヘッドライトを有しましたが、ヘッドライトのレンズは小型のLP42サイズのものに変更されていました。テンダーはD50タイプに振り替えています。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時苗穂工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:苗穂工1931年1月以前(配置表) 給水配管:ミ型 竪型 苗穂工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復→左3往復:右3往復 コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音(戦前)→5階音(戦後) 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有、窓位置後方移動、北海道雨樋改造 テンダー:8-17台形→8-20型 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.724 使用開始: 1923年11月8日 三田尻庫 移動: 1928年7月 三田尻庫→岩見沢庫 改番: 1928年10月1日 28938→C51139 移動: 1932年9月 岩見沢庫→小樽築港庫 配置: 1936年3月31日 小樽築港庫 その後 旭川区に移動 時期不明 配置: 1938年4月30日 旭川区 配置 休車中: 1950年4月1日 現在 旭川区 移動: 1955年5月25日 旭川区→岩見沢区 達343号 移動: 1956年 岩見沢区→苗穂区 廃車: 1963年2月9日 苗穂区 総裁達46
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51139デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※6 蒸気機関車No58
※7 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※8 国鉄時代Vol.7
※9 蒸気の時代No.57 |
C51 140
旭川、岩見沢、苗穂と北海道内で活躍した。1961年廃車の割には写真が多くみられる。エアータンクが小型である。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時苗穂工) デフレクター:東鉄型V→本省型1938年4月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:苗穂工1932年12月(小樽築港庫 配置表) 給水配管:T型→ミ型 排気配管:後々 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復→左3往復:右3往復 コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音(戦前)→5階音(戦後) 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有、窓位置後方移動、北海道雨樋改造 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.725 使用開始: 1923年11月10日 三田尻庫 移動: 1928年7月 三田尻庫→旭川庫 改番: 1928年10月1日 28939→C51140 移動: 1931年9月 旭川庫→小樽築港庫 試運転: 1934年3月12日 函館本線特急客レ運転開始に備えた試レの牽引機 移動: 1936年 小樽築港庫→旭川区 移動: 1955年5月 旭川区→岩見沢区 配置 休車中: 1958年4月1日 現在 第一種休車 岩見沢区 移動: 1959年4月1日 岩見沢→苗穂 廃車: 1961年3月31日 苗穂区 総裁達158
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51140デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車No58
※6 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※7 Rail No.18
※8 蒸気の時代No.90
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