C51型は289両と日本のパシフィックとしては最も多く製造された。戦前には特急燕や富士の牽引など各地で華々しい活躍が知られますが、鉄道ブーム前の1965年までには全機が引退しており、敗戦後の混乱から抜けきれないカメラが高価な時代に活躍していたことから、姿のわからない機が多く、全容がつかみきれない状況でした。
ここ10年ほど、写真や資料を集めた結果、各機の姿を徐々に明らかになってきましたので紹介することとしました。資料とした写真そのものの公開は、著作権の保護期間に該当するこ物はできないため、なるべく正確な各機のイラストを作成し、掲載することとしました。
現時点で写真の見つからないC51は以下の2両となった。
C51131(名古屋→稲沢→1938-06-22 供出)
C51280(大里→鹿児島→1959-03-04宮崎廃車)
これらは時期的、写真の出てこない地域であったりと、非常に困難に感じています。
このほか、写真があっても部分的なものや、新製時のみで、末期の形状がわからないのがかなりの両数になります。
C5114(1959ー11ー27宮崎)
C5131(1958ー9ー2吉松)
C5133〜C5135供出
C5141(1955-2-26直江津)信越本線東光寺脱線転覆事故
C5154(1959-03-20室蘭)
C5158(1958-07-01福島一)
C5159(1958-07-01福島一)
C5165(岡山庫→1923梅小路→1931山田庫→1956-08-01山田廃車
C5197(1958-11-20米子) 公式側の写真無し
C51108(名古屋→1955-02-26直江津廃車)
C51112(1959-02-21豊岡)
C51117(1959-07-2都城)
C51119(1955-03-16旭川)
C51143(1955-03-16室蘭)
C51154(1959-02-21新津)
C51163(1959-03-20岩見沢)
C51174(1958-04-25新津)
C51181(1958-09-01福島一)
C51194(1947-03-30盛岡)
C51197(1954-12-06米子)
C51213(1958-04-25酒田)
C51219(鳥栖→1961-02-15早岐廃車)
C51235(1948-10-27室蘭) 第二静狩トンネル内列車衝突事故
C51248(1959-03-04米沢)
|
C51型(18900型)は1916年(大正7年)に、朝倉希一が設計主任となり設計が開始された。軸配置は8900型を踏襲18900型となった。動輪直径は5フィート9インチ(1750mm)とし、8850と同様に棒台枠としようとしたが、国内で製造できず板台枠としたが、なるべく棒台枠に近い構造とした。化粧煙突は8850型を真似たが島秀雄には嫌われたことが、朝倉希一氏と高田隆雄氏の対談で記録されている。
1919年度に1〜11号機が、1920年度には12〜18号機が鉄道省浜松工場で完成し、民間企業である汽車会社から製造(19〜)が始まった。1926年度より三菱造船が製造に参画し、1928年度までに合計289両が製造されました。
1.特徴としては
・アメリカより輸入したアルコ社製8900形の装着したコール式1軸心向外側軸箱式従台車が参考にされ、8900形に続くものとして18900形という形式名が与えられた。
・常用最高速度を100km/hとして計画され、動輪の常用最大回転数300回転/分から逆算で1,750mmの動輪直径が導出された。当初は17本のスポークを備えていたが、折損事故対策として18本に増強された。
・大直径動輪を採用することでボイラーの中心高が引き上げられたが、重心は8850形をやや下回る2,400mmに抑えつつ高いボイラー中心高を許容した。
・ボイラーは通常の3缶胴構成で、缶胴部の内径と火床面積は8900形と同一としたが、伝熱面積の増大を図り煙管長が5,500mmとし、以後の国鉄制式蒸気機関車の標準値となった。
・台枠は当時一般的な25mm厚の板材による板台枠である
・弁装置はワルシャート式、ベルリーナ社製8800形に倣ってピストン棒を短縮しメインロッドをやや長くし第2動輪を主動輪としている。
2.分類
1)浜松工場初期車
1919年度に製造された1〜5号機が該当する。モーションプレートの後端が下がっており、ロッドと接触することから切り欠きが見られる。
各社に分担発注され、浜松工場で組み立てられた。ボイラーは石川島播磨造船所にて製造された。浜松工場製造車は砂箱の形状に特徴がある。
2)浜松工場後期車
1920年度に製造された6〜18号機が該当する。モーションプレートは形状変更された。
ボイラーは浜松工場で製造されたものである。浜松工場製造車は砂箱の形状に特徴がある。
3)汽車製造初期車
1920〜1922年度に製造された。19号機〜101号機が該当する。バッファーリンク式連結器、真空ブレーキを装備しており、ランボードは1段であった。19号機の誕生は1921年1月28日で前日に浜松工場で16号機が誕生しており製造時期が重複している。
4)汽車製造中期車
1923年度〜1926年度に製造された。102号機〜180ないし181号機が該当する。空気ブレーキ装置の装備がおこなわれ、歩み板を2段となり第2動輪上の歩み板下に空気だめが取り付げられた。動輪のスポーク数は17本である。
5)汽車製造後期車
1926年以降に製造された181号ないし182号機以降が該当する。動輪のスポーク数は18本になる。
6)三菱造船製造
1926年以降に22両が製造された。初号機は212号機である。運転室後部の手摺に特徴がある。動輪のスポーク数は18本である。
|
C51を有名にしたのは特急燕の牽引である。戦前の特急「燕」のエピソードは話題に尽きないが、東京-名古屋で使用された沼津区に配属し燕専用に使用された5両のC51の特徴は特徴は以下のようになる。長距離無停車運転に備えるためC52型の8-20テンダーに振り返られたほか、静岡停車が実現するまでの最初の1年は水槽車を牽引した。名古屋-神戸間は梅小路機關区のC51が担当した、特に牽引にあたったのはC51259、275、276、277、278である。
1.沼津区所属の燕専用機の特色
・C51171
開始時(1931年):給水温め器装備、単式コンプレッサー、除煙板無し、右片側解放テコ
終了時(1934年):給水温め器装備、単式コンプレッサー、東鉄型除煙板装備、両側解放テコ
給水ポンプ標準位置、給水温め器配管は大宮工場タイプ
公式側ランボードしたには吊り下げたような配管が存在することより、他機と区別ができます。
・C51208
開始時(1931年):給水温め器装備、単式コンプレッサー、除煙板無し、両側解放テコ
終了時(1934年):給水温め器装備、単式コンプレッサー、東鉄型除煙板装備、両側解放テコ
給水ポンプは運転室前下、給水温め器配管は鷹取工場タイプ
・C51247
開始時(1931年):給水温め器未装備、複式コンプレッサー、除煙板無し、両側解放テコ
終了時(1934年):給水温め器未装備、複式コンプレッサー、東鉄型除煙板装備、両側解放テコ
給水ポンプは標準位置
・C51248
開始時(1931年):給水温め器装備、複式コンプレッサー、除煙板無し、両側解放テコ
終了時(1934年):給水温め器装備、複式コンプレッサー、東鉄型除煙板装備、両側解放テコ
給水ポンプは標準位置、配管は浜松工場タイプ
・C51249 1932年2月には高崎に転属、特急燕専用機より解除された。
開始時(1931年):給水温め器未装備、複式コンプレッサー、除煙板無し、両側解放テコ
終了時(1932年):給水温め器未装備、複式コンプレッサー、除煙板無し、両側解放テコ
C51248が給水温め器、複式コンプレッサーを装備されており、もっとも充実した装備であった。
2.C51とC52のテンダーの振替
特急燕牽引に際してC52型5両のテンダーが振り替えられた。
C521(稲沢)→12-17型(C51247〜249)
C522(沼津)→8-17台形(右片側解放テコ C51171)
C523(稲沢)→12-17型(C51247〜249)
C524(名古屋)→8-17台形(C51208)
C525(浜松)→振替されず。
C526(稲沢)→12-17型(C51247〜249)
|
栄誉あるお召し列車牽引に関わったC51は以下のとおりになります。
C51 4:S27-9 第7回国民体育大会福島会場御臨席の際のお召機関車として写真あり
C51 25:T13-11-13 佐賀県下陸軍特別大演習
C51 38:S22-8-16 狩川→新庄 東北巡幸
C51 44:S22-8-12大館−秋田 東北巡幸
C51 68:S10-11-1 陸軍大演習
C51 70:
C51 91:予備機 S26-11-23京都・滋賀・奈良・三重4県御視察
C51 100:S15
S17-12-11 神宮参拝及び京都・三重行幸 柘植⇔亀山(補機)
S26-11-22、22、25京都・滋賀・奈良・三重4県御視察 六軒→津 津→松坂 松坂→尾鷲? 尾鷲→鳥羽? 二見浦→亀山
先行機 S27-6-3 参宮線
C51 114:S27-6-3〜6-4 京都府、奈良、三重県行幸 亀山→柘植(補機) 畝傍→京都
C51 137:S8-10-30 陸軍特別大演習(福井県) 敦賀→新舞鶴
C51 154:S3-10-6〜7? 岩手県陸軍大演習
C51 157:S13 秋田
C51 161:S11-9-24〜10-12 北海道陸軍特別大演習
C51 162:S11-9-24〜10-12 北海道陸軍特別大演習 室蘭本線
C51 163:S11-9-24〜10-12 北海道陸軍特別大演習 根室本線
C51 176:S27-6-2〜6-4 京都府、奈良、三重県行幸 亀山→山田 山田→京都 京都→畝傍
C51 186:S3 陸軍特別大演習 新津区
C51 200:S10-4-14 満州国皇帝陛下御乗用 浜松→米原
予備機 S15-6-9,13 浜松-名古屋
C51 201:S8-10-23 29 30 陸軍特別大演習(福井県) 京都-福井 福井⇔敦賀 福井→敦賀
S15-6-9,13 浜松-名古屋
S15-7-2満州国皇帝陛下御乗用 浜松→名古屋
S16-5-15,20皇后陛下 浜松⇔名古屋
S17-12-11 神宮参拝及び京都・三重行幸 名古屋→米原(前補機)
C51 203:予備機 S27-6-3 参宮線
C51 211:予備機(沼津) S3-11 御大礼
C51 212:予備機(東京) S3-11 御大礼
C51 213:予備機(大船) S3-11 御大礼
C51 220: S6-11-8〜21 陸軍特別大演習熊本県行幸
C51 225:S7-11-10〜17 陸軍特別大演習(大坂府) 沼津→米原 米原→沼津
S8-10-22 31 陸軍特別大演習(福井県) 沼津→米原 米原→沼津
S17-12-11 13 神宮参拝及び京都・三重行幸 沼津→名古屋→米原 米原→沼津
C51 226:予備機(米原) S3-11 御大礼
C51 228: S12-6-5、29 皇太后陛下山田関西地方行弊 名古屋⇔亀山
C51 234:S3-10-6〜7? 岩手県陸軍大演習
C51 236:予備機(山北) S3-11 御大礼
S9-10-2群馬県陸軍特別大演習
S16-3-28 陸軍士官学校卒業式 八王子→原町田 八王子→原宿
S16-6-10 多摩陵参拝 東浅川→原宿
S16-7-18 陸軍士官学校卒業式 八王子→原町田 八王子→原宿
S17-3-27 陸軍士官学校卒業式 八王子→武蔵高萩 八王子→原宿
S17-7-16 日光御用邸 宇都宮→日光
S17-7-29 日光御用邸 日光→宇都宮
S17-8-1 日光御用邸 宇都宮→日光
S17-8-12 日光御用邸 日光→宇都宮
S17-12-17 陸軍士官学校卒業式 八王子→原町田 八王子→原宿
S21-3-25 群馬県行幸
S22-8-5 東北巡幸 東京→湯元 平→原ノ町→仙台
S26-6-22 御大葬
C51 239:S3-11-6 東京-沼津 御大礼
S7-9 1号編成試運転 東京⇔名古屋
S8-10-22 31 陸軍特別大演習(福井県) 国府津→沼津 沼津→国府津
S9-10-2群馬県陸軍特別大演習
S14-11-8 近衛師団演習御欄 沼津→御殿場→沼津
S16-3-28 陸軍士官学校卒業式 原宿→八王子 武蔵高萩→八王子
S16-6-10 多摩陵参拝 原宿→東浅川
S16-7-18 陸軍士官学校卒業式 原宿→八王子 武蔵高萩→八王子
S16-11-7 15 逗子御用邸 東京→逗子 逗子→東京
S17-3-27 陸軍士官学校卒業式 原宿→八王子 武蔵高萩→八王子
S17-7-13 第11職合航空隊行弊 東京⇔土浦
S17-7-16 日光御用邸 原宿→宇都宮
S17-7-29 日光御用邸 宇都宮→原宿
S17-8-1 日光御用邸 原宿→宇都宮
S17-8-12 日光御用邸 宇都宮→原宿
S17-12-17 陸軍士官学校卒業式 原宿→八王子 原町田→八王子
S21-3-28 埼玉県行幸
S22-10-15 八王子→原宿
S26-6-22 御大葬
S28-7-10 原宿−千葉 千葉県植樹祭
C51 245: S12-6-5、7-7 皇太后陛下山田関西地方行弊 沼津⇔名古屋
C51 247:S17-7-16 日光御用邸 宇都宮→日光(補機)
S17-8-1 日光御用邸 宇都宮→日光(補機)
C51 250:S10-11 南九州陸軍大演習
C51 252:S10-11 南九州陸軍大演習
C51 254:S26-11-20京都・滋賀・奈良・三重4県御視察 奈良→伊賀上野 柘植→亀山
C51 255:先行機 S29-11-7 皇后陛下日本赤十字社総会ご臨席のお召し先行機
C51 258:S7-9 1号編成試運転 名古屋⇔大阪
C51 259:S7-11-15 陸軍特別大演習(大坂府) 桃山→大阪
S8-10-22 31 陸軍特別大演習(福井県) 米原→京都 京都→米原
S22-11-27〜28、30 鳥取→上井 上井→下市 下市→米子 大社→出雲今市
C51 260:S22-8-14 秋田⇔湯沢
C51 262:先行機 S22-8-14 秋田
C51 263:S3-11-6 沼津-浜松 御大礼
C51 264:予備機(静岡) S3-11 御大礼
C51 265:予備機(浜松) S3-11 御大礼
S5-5-28〜6-3 静岡県行幸
C51 269:予備機 S15-6-9〜1 紀元2600年式典
C51 271:S3-11-6 浜松-名古屋-米原 御大礼
S5-11-12 13 陸軍特別大演習(岡山県) 浜松→名古屋 名古屋→米原
C51 272:予備機(大垣) S3-11 御大礼
C51 274:予備機 S15-6-9〜1 紀元2600年式典
C51 275:予備機(米原) S3-11 御大礼
S8-10-30 陸軍特別大演習(福井県) 舞鶴→京都
予備機 S15-6-9〜1 紀元2600年式典
C51 276:S7-11-10〜17 陸軍特別大演習(大坂府) 米原→大阪 大阪→桃山 大阪→米原
S10-4-18〜 満州国皇帝御乗用列車
S15-6-9〜13 紀元2600年式典
S17-12-11〜13 神宮参拝及び京都・三重行幸 米原→京都 京都→山田 山田→京都 京都→米原
C51 277:予備機(京都) S3-11 御大礼
予備機 S15-6-9〜1 紀元2600年式典
C51 278:S3-11-6 米原-京都 御大礼
S22-11-27 福知山→豊岡 豊岡→鳥取
C51 288:S11 北海道陸軍特別大演習
福井大演習のお召列車
1933年10月22日〜30日に福井県で行われた陸軍特別大演習の時、
C51239 10月22日 東京→国府津
C51225 10月22日 国府津→
C51259 10月22日 →京都
C51201 10月23日 京都→福井 10月29日福井⇔敦賀
C51137 10月30日 福井→新舞鶴
C51275 10月30日 新舞鶴→綾部 |
C51の関わった事故記録を調べてみると以下のような事故記録がありました。
C51 2:S5-11-06北陸線親不知事故
C51 19:S36-10-28 鹿児島本線黒崎駅構内に停車中の貨物列車に、筑豊本線から門司港行き旅客列車が追突。旅客列車機関車が大破、脱線した。復旧されず廃車
C51 24:T15-03-13 広島事故
C51 29:S25-8-1 室蘭本線事故
C51 31:S20-7-28 大山口列車空襲事件
C51 37:T12-9-1 関東大震災にて脱線 大磯-平塚
C51 41:S29-02-23 信越線東光寺信号所転落事故
C51 46:S27-01-09 加治木事故
C51 54:T12-9-1 関東大震災にて脱線 戸塚-大船
C51 62:S3-3 末 山陽線明石事故
C51 65:S3-7-13 吹田事故
S31-6-17 関西本線 踏切脱線事故?
C51 78:T13-8-17 五日市事故
C51 86:S13-11-5 踏切事故 青森市提橋踏切
C51 101:S31-10-18 参宮線六軒駅事故、復旧されず廃車
C51 103:S8-02-12 名古屋事故
C51 106:S5-7-14 小倉事故
S32-12-26 大村線岩松-諫早間で土砂に乗り上げて脱線 復旧されず廃車
C51 133:S24-7-18 松川事故
C51 146:S31-1-30 奥羽線車軸折損事故
C51 152:S29-1-26 山形・羽越線で列車転覆事故
C51 155:1953(昭和28)年2月2日 羽前大山駅脱線事故
C51 172:S31-10-18 参宮線六軒駅事故、復旧されず廃車
C51 178:T15-09-23 安芸中野事故
C51 180:S8-2-12 湯本事故
C51 194:S20-8-10 盛岡空襲により盛岡駅構内にて被災 162列車
S22-7-22 黒沢尻駅構内で入れ替え中の貨車と衝突し脱線、復旧されず廃車
C51 203:S31-10-18 参宮線六軒駅事故、復旧されず廃車
C51 217:S20-7-14 浦町にて戦災 106列車
C51 231:S9-3-1 東北本線赤沼信号場
C51 235:S22-3-31 室蘭本線列車衝突事故、復旧されず廃車
C51 258:S28-11-29 日豊本線北俣駅構内で車止め突破転落事故
C51 259:S16-3-26 東海道本線塚本駅西方 接触事故 高架下転落、C57タイプのデフをつけ復旧
C51 272:S20-3-2 北陸本線谷浜-名立間 崩落土砂に乗り上げ脱線、C57タイプのデフをつけ復旧
このほかにも事故記録があるようです。 |
戦時中に供出されたC51は全部で16両、すべて住山式給水温め器装備車である。浜松工場で改軌の後、神戸港から呉淞港へ航送し華中鉄道で使用された。終戦後中国に接収され、SL9型となり使用された。1960年ころには製鉄所等に払い下げられ引退したと見られる。
C51 8 1938年6月4日発送 供出除籍 1938-08-31 亀山
C51 28 1938年7月22日発送 供出除籍 1938-08-31 岡山
C51 30 1938年7月22日発送 供出除籍 1938-08-31 岡山
C51 33 1938年7月28日発送 供出除籍 1938-08-31 岡山
C51 34 1938年8月1日発送 供出除籍 1938-08-31 岡山
C51 35 1938年8月7日発送 供出除籍 1938-08-31 岡山
C51 88 1938年6月15日発送 供出除籍 1938-08-31 姫路
C51 95 1938年8月発送 供出除籍 1938-08-31 岡山
C51 96 1938年8月発送 供出除籍 1938-08-31 山田
C51 116 1938年7月1日発送 供出除籍 1938-08-31 福知山
C51 130 1938年6月17日発送 供出除籍 1938-08-31 金沢
C51 131 1938年7月11日発送 供出除籍 1938-08-31 福知山
C51 132 1938年6月22日発送 供出除籍 1938-08-31 稲沢
C51 173 1938年8月発送 供出除籍 1938-08-31 山田
C51 175 1938年7月7日発送 供出除籍 1938-08-31 梅小路
C51 178 1938年6月9日発送 供出除籍 1938-08-31 亀山
交通博物館監修「栄光の蒸気機関車」にC5195、C51175、C51178などが出演する。 |
C51の最終運用は、
米子機関区のC51240が8月中旬まで活躍し1965年9月15日に第2種休車となり、12月17日廃車となる。
梅小路機関区のC51271が1965年10月3日に山陰本線 京都⇔園部での運用、翌週にポイント通過試験に使用されたあと、10月21日より第2種休車となり、1966年1月20日に廃車となった。
吉松機関区のC5194が鉄道記念日の10月14日にお別れ列車を牽引後、11月15日より第2種休車となり、1966年2月12日に廃車となった。
車籍上では、C51251が1963年10月より休車となり、据付ボイラー代用として使用され、1966年2月23日に廃車となった。 |
廃車が早かったため公園や公共施設での保存車は皆無だが、鉄道保存展示施設や鉄道施設での保存例はある。
・C515号
1962年に鉄道90周年事業の一環として青梅鉄道公園に保存、1982年の台に伴う地すべりにより崖下に転落したが復旧された。2005年に鉄道博物館に移転展示されている。
・C5144号
1955年に廃車後、国鉄土崎工場(現秋田総合車両センター)に教習用のカットモデルとなり展示された。
・C5185号
1955年に廃車後国鉄鹿児島工場(現鹿児島総合車両所)の一角に教習用としてカットモデルとなり展示された。
・C51239
1962年に廃車後に、お召機として活躍より新潟教習所の一角に保存された。保存に際して一部切開された状態となった。鉄道百周年を記念して長野工場で修理の後梅小路蒸気機関車館に保存された。ボイラーの完全な修理は行われていないため、自走することは困難な状態であることが残念。
過去に教習用のカットボディーとしてC5162が門司教習所、C5164が鷹取工場に展示されたことがある。C5162は関門博覧会で和布刈埠頭に展示されたが、教習所に帰ることはなく門司機関区に保管された後、1972年頃にひっそりと解体された。1945年当時長崎機関区に所属し救援列車を牽引した車両に含まれるようであるが残念である。C5164の方はいつ頃廃棄されたのかわからない。 |
C51は初期製造分はネジ式連結器でしたが、1925年(大正14年)7月17日に(九州地域は7月20日)に行われた一斉交換により自動連結器となりました。その時の解放テコは右片側タイプでしたが、それ以降に製造されたものでは両側タイプの解放テコが当初より装備されました。その境を調べると203番以降が新製時より両側タイプの解放テコが装備されたことになります。202と203の製造までの間に2か月程度の空白があり、そこで設計変更が行われたと考えられます。
C51196:新製時写真は右片側(汽車製造 No.883 使用開始: 1926年6月12日 下関庫)
C51197:右片側写真あり(汽車製造 No.887 使用開始: 1926年7月6日 下関庫)
C51198:1935年頃写真は右片側(汽車製造 No.888 使用開始: 1926年8月4日 下関庫)
C51199:最終時まで右片側(汽車製造 No.889 使用開始: 1926年7月7日 名古屋局)
C51200:写真は両側のみ(汽車製造 No.890 使用開始: 1926年7月14日 名古屋局)
C51201:写真は両側のみ(汽車製造 No.891 使用開始: 1926年7月17日 名古屋局)
C51202:1933年写真は右片側(汽車製造 No.892 使用開始: 1926年7月3日 神戸局)
C51203:1933年写真は両側(汽車製造 No.898 使用開始: 1926年9月15日 神戸局)
C51204:両側(汽車製造 No.899 使用開始: 1926年9月16日 神戸局)
C51205:1933年写真は両側(汽車製造 No.900 使用開始: 1926年9月18日 神戸局)
・右片側タイプから両側タイプに変更された機
装備変更に伴い 右片側タイプから両側タイプの解放テコに変更された機は以下のとおりです。
C511,C512,C513,C515,C5118,C5121,C5123,C5124,C5125,C5126,C5127,C5128,C5129,C5130,
C5132,C5135,C5136,C5143,C5144,C5145,C5151,C5152,C5153,C5156,C5160,C5163,C5164,
C5166,C5167,C5168,C5169,C5170,C5171,C5173,C5175,C5176,C5177,C5178,C5180,C5183,
C5184,C5187,C5191,C5193,C5194,C5199,C51100,C51101,C51103,C51105,C51112,
C51114,C51115,C51116,C51120,C51121,C51122,C51124,C51125,C51127,C51129,
C51136,C51137,C51141,C51142,C51148,C51156,C51157,C51164,C51165,C51167,
C51171,C51172,C51174,C51176,C51177,C51178,C51195,C51198,C51200,C51201
・両側タイプから右片側タイプに変更された機
C51137(右片側→両側(1937年頃)→右片側),
C51245(1934年頃の写真にあり、一時的),
C51246(1937年頃の写真にあり、一時的),
C51284(最も古い1954年以降の写真は右片側) |
C51のデフレクターのタイプと装備時期を推定してみました。機関車配置表には1934年以前は記号がふられていないのですが、西尾写真などを見ると1933年以前にも装備された写真がありさらに研究の必要があります。
本省型、大鉄型、名鉄型、鹿児島工場型、長野工場型、門鉄型、後藤工場型、変形型
ととりあえず分けておきます。
・名鉄型のデフレクタ―
昭和初期に浜松工場管内にいたC51が装着したデフレクターで、前後に長く、前方が斜めに切られている。
最初期と思われる静岡配置のC5118には、前後に丸く縁どられたデフレクターが取付られている。この機は後に本省式に取り換えらたこれを名鉄(初)とする。
この他、初期のものは2枚の鉄板をリベットで継いだものが見られる。写真ではC5160(戦前)、C5161、C51137(戦前))、C51266に見られる。これを名鉄Tとする。
名鉄(初)、名鉄T型はことごとく他のデフに変化し、最後まで残ったのは新津配置のC51266である。
名鉄(初)
C51 18:変形→本省→鹿工 S9.4以前
名鉄T
C51 60:名鉄T→本省 S11.3以前
C51 61:名鉄T S11.3以前
C51 137:名鉄TS11.3以前→長工型
C51 266:名鉄T S11.3以前
・東鉄型のデフレクター
東京鉄道管理局管内のC51に見られたデフレクタ―で、昭和初期に大宮工場で検修をうけたC51によく見られる。低めで幅が狭く、デフレクタ―後部の縁はシリンダーボックス中間から後ろ側に位置する。これを東鉄Tとする。デフレクタ―前縁が斜めに切られているものがあり、これを東鉄Uとする。デフレクター先端が斜めで前後に長いものを東鉄Vとする。
東鉄T
C51 9:東鉄T S11.4以降
C51 10:東鉄T S11.4以降
C51 11:東鉄T→本省
C51 37:東鉄T→本省
C51 38:東鉄T
C51 39:東鉄T
C51 41:東鉄T
C51 42:東鉄T
C51 43:東鉄T→本省
C51 44:東鉄T
C51 45:東鉄T
C51 47:東鉄T
C51 48:東鉄T
C51 53:東鉄T
C51 54:東鉄T
C51 55:東鉄T
C51 56:東鉄T
C51 57:東鉄T
C51 104:東鉄 T
C51 105:東鉄 T
C51 111:東鉄 T
C51 112:東鉄 T
C51 135:東鉄 T
C51 146:東鉄 T
C51 147:東鉄 T
C51 148:東鉄 T
C51 150:東鉄 T
C51 168:東鉄 T
C51 169:東鉄 T
C51 180:東鉄 T
C51 181:東鉄 T
C51 182:東鉄 T
C51 183:東鉄 T
C51 184:東鉄 T
C51 208:東鉄 T
C51 210:東鉄 T
C51 211:東鉄T→長工
C51 238:変形→東鉄T
C51 239:東鉄T S9-10以降
C51 240:東鉄T
C51 247:東鉄T
C51 248:東鉄T
C51 249:東鉄T
東鉄U
C51 40:東鉄U
C51 145:東鉄U
C51 167:東鉄U
C51 236:東鉄U
東鉄V
C51 144:東鉄V
C51 151:東鉄V→門鉄K7
C51 165:東鉄V→東鉄W
C51 170:東鉄V
C51 185:東鉄V→本省
C51 212:東鉄V
C51 217:東鉄V
C51 237:東鉄V
参考
C51219が東鉄V型類似のデフレクターを装備
・大鉄型のデフレクター
大阪鉄道管理局管内のC51に多く見られるデフレクタ―で、昭和初期に鷹取工場で検修を受けたC51に多くみられる。背が低く幅広タイプのデフレクタで、フロントデッキ部分を斜めにし、デフ前部に蝶番を設けて切り開くことができるようにしており検修の便を考えたと思われる。
断面が直線のもの(大鉄T)と、上部に屈曲するもの(大鉄U)、円を描きすぼめてあるもの(大鉄V)がある。断面が直の大鉄Tは最初期に取り付けられたと考えられる。
大鉄T
C51 5:大鉄T S10.3以前
C51 35:大鉄T S10.3以前
大鉄U
C51 6:大鉄U S10.3以前
C51 7:大鉄U S10.3以前
C51 27:大鉄U S10.3以前
C51 32:大鉄U S9.4以前
C51 64:大鉄U S10.3以前
C51 77:大鉄U→本省(蝶) S10.3以前
C51 87:大鉄U→鹿工 S10.3以前
C51 89:大鉄U S10.3以前
C51 90:大鉄U→本省 S10.3以前
C51 91:大鉄U S10.3以前
C51 94:大鉄U S10.3以前
C51 95:大鉄U S10.3以前
C51 96:大鉄U S10.3以前?
C51 99:大鉄U S10.3以前
C51 122:大鉄U S10.3以前
C51 125:大鉄U S10.3以前
C51 127:大鉄U S10.3以前
C51 153:大鉄U S10.3以前
C51 172:大鉄U S10.3以前
C51 254:大鉄U S11.3以前
C51 258:大鉄U→鹿工 S10.3以前
C51 268:大鉄U S10.3以前
C51 269:大鉄U S10.3以前
C51 275:大鉄U S10.3以前
C51 277:大鉄U S10.3以前
C51 278:大鉄U S10.3以前
C51 75が類似のデフレクターを装備
大鉄V
C51 26:大鉄V S10.3以前
C51 36:大鉄V S10.3以前
C51 62:大鉄V S10.3以前
C51 65?:大鉄V S10.3以前
・本省型のデフレクター
本省が設計し、昭和10年代以降にC51の多くが装着したデフレクターである。背が高く、後側の縁がシリンダーブロック後側と一致する。一部に後側の縁がシリンダーブロック後側より前にあるわずかに幅の狭いもの、背の低いもの、下部に蝶番が付くものがある。
本省型一般型
C51 1:本省 S5以降 S11.3以前
C51 2:本省 S5以降 S10.3以前
C51 3:本省 S5以降 S11.3以前
C51 11:本省 S11.4以降
C51 12:本省 S11.4以降
C51 14:本省 S11.3以前
C51 15:本省 S11.3以前
C51 16:本省 S10.3以前
C51 17:本省 S10.3以前
C51 18:変形 S9.4以前→本省→鹿工
C51 20:本省 S13.4以前→門鉄K7
C51 23:本省 S10.3以前
C51 24:本省 S10.3以前
C51 43:本省
C51 49:本省 S11.3以前
C51 50:本省 S10.3以前
C51 51:本省 S10.3以前
C51 52:本省 S10.3以前
C51 58:本省? S10.3以前
C51 66:本省 S10.3以前
C51 67:本省 S10.3以前
C51 68:本省 S11.3以前
C51 73:本省 S11.3以前
C51 74:本省→鹿工 S11.3以前
C51 78:本省→鹿工 S11.3以前
C51 79:本省 S10.3以前
C51 80:本省 S10.3以前
C51 81:本省 S11.3以前
C51 82:本省 S10.3以前
C51 84:本省 S10.3以前
C51 85:本省 S10.3以前
C51 86:本省 S11.3以前
C51 97:本省 S11.3以前
C51 98:本省
C51 100:本省 S10.3以前
C51 101:本省 S10.3以前
C51 102:本省 S11.3以前
C51 103:本省
C51 106:本省 S9.4以前
C51 109:本省 S11.3以前
C51 110:本省 S11.3以前
C51 113:本省 S11.3以前
C51 114:本省 S11.3以前
C51 117:本省 S10.3以前
C51 120:本省 S11.3以前
C51 121:本省 S10.3以前
C51 126:本省 S10.3以前
C51 135:本省 S10.3以前
C51 138:本省 S10.3以前
C51 139:本省 S10.3以前
C51 140:本省 S13.4以前
C51 152:本省 S10.3以前
C51 154:本省 S11.3以前
C51 155:本省 S11.3以前
C51 156:本省 S10.3以前
C51 157:本省 S11.3以前
C51 159:本省
C51 160:本省 S10.3以前
C51 161:本省 S10.3以前
C51 164:本省
C51 166:本省
C51 169:本省
C51 176:本省 S10.3以前
C51 177:本省 S10.3以前
C51 186:本省 S10.3以前
C51 187:本省 S10.3以前
C51 189:本省 S10.3以前
C51 190:本省 S10.3以前
C51 191:本省 S9.3以前
C51 192:本省 S11.3以前
C51 193:本省 S10.3以前
C51 198:本省 S11.3以前
C51 200:本省 S9.3以前
C51 201:本省 S11.3以前
C51 203:本省 S10.3以前
C51 204:本省 S10.3以前
C51 205:本省 S10.3以前
C51 206:本省 S10.3以前
C51 207:本省 S10.3以前
C51 209:本省 S10.3以前
C51 215:本省
C51 218:本省 S11.3以前
C51 220:本省 S9.4以前
C51 221:本省 S11.3以前
C51 222:本省 S11.3以前
C51 223:本省 S11.3以前
C51 224:本省 S11.3以前
C51 225:本省 S11.3以前
C51 226:本省 S11.3以前
C51 227:本省 S11.3以前
C51 228:本省 S11.3以前
C51 230:本省 S10.3以前
C51 232:本省 S11.3以前
C51 234:本省
C51 245:本省 S9.4以前
C51 246:本省 S9.4以前
C51 255:本省 S10.3以前
C51 256:本省 S10.3以前
C51 260:本省
C51 262:本省 S10.3以前
C51 263:本省 S11.3以前
C51 264:本省 S11.3以前
C51 265:本省 S11.3以前
C51 270:本省 S11.3以前
C51 271:本省 S11.3以前
C51 272:本省 S11.3以前→鹿工
C51 274:本省 S10.3以前→鹿工
C51 276:本省 S10.3以前
C51 279:本省 S11.3以前
C51 283:本省 S11.3以前
C51 284:本省 S11.3以前
C51 285:本省 S11.3以前
C51 286:本省 S10.3以前
C51 287:本省 S11.3以前
C51 288:本省 S11.3以前
C51 289:本省 S11.3以前
本省型 短いタイプ
C51 4:本省(短) S9.4以前
C51 83:本省(短) S9.4以前
C51 118:本省(短) S10.3以前→鹿工
本省型 蝶番付き
C51 13:本省(蝶) S10.3以前
C51 19:本省(蝶) S10.3以前
C51 21:本省(蝶) S10.3以前
C51 25:本省(蝶) S10.3以前
C51 71:本省(蝶) S11.3以前
C51 72:本省(蝶) S11.3以前
C51 92:本省(蝶)
C51 158:本省(蝶)
C51 162:本省(蝶) S10.3以前
C51 250:本省(蝶) S11.3以前
C51 251:本省(蝶) S11.3以前
本省型 低
C51 90:大鉄U→本省(低)
C51 237:名鉄U→本省(低)
・仙鉄型のデフレクター
本省型前縁上部が斜めに切られたもの、長野工場管内のD50などによく見られたタイプである。
C51229、C51231、C51233は背が低く、名鉄U型を幅狭に短縮した形状である。
C51 22:仙鉄→鹿工 S11.3以前
C51 63:仙鉄 S10.3以前
C51137:名鉄T型→仙鉄
C51 229:仙鉄(低) S9.4以前
C51 231:仙鉄(低) S10.3以前
C51 233:仙鉄(低) S9.4以前
C51 244:仙鉄→鹿工 S11.3以前
・門鉄型のデフレクター
昭和27年以降に門司鉄道管理局小倉工場で施工された。
K-3タイプ装備
C51 69:門鉄K-3 初装備S11.3以前
C51 242:門鉄K-3
C51 253:門鉄K-3
K-7タイプを装備
C51 20:本省(S13.4以前)→門鉄K7
C51 70:門鉄K-7 初装備S10.3以前
C51 76:門鉄K-7 初装備S11.3以前
C51 93:門鉄K-7
C51 151:名鉄型→門鉄K-7
C51 196:門鉄K-7
C51 199:門鉄K-7 初装備S11.3以前
C51 282:門鉄K-7
・後藤工場型デフレクタ―
後藤工場で施工された本省型デフ上部を後方にずらして持ち上げタイプである。C51274号が唯一装着する。
C51 274:本省型→後藤工場型
C51 274:本省型→後藤工場型
・鹿児島工場タイプのデフレクター やまてつ - 2012/06/23(Sat) 17:50 No.1168
鹿児島工場でフロントデッキを直線化改造された車両で
デフレクタ―下部が切り取られている。
C51 18:変形→本省→鹿工 S9.4以前
C51 22:長工→鹿工
C51 74:本省→鹿工 S11.3以前
C51 78:本省→鹿工 S11.3以前
C51 87:大鉄→鹿工 S10.3以前
C51 94:鹿工 S9.4以前
C51 118:本省(短)→鹿工 S10.3以前
C51 136:鹿工 S10.3以前
C51 141:鹿工 S11.3以前
C51 142:鹿工
C51 195:鹿工 S11.3以前
C51 202:鹿工 S10.3以前
C51 214:鹿工
C51 216:鹿工
C51 241:鹿工
C51 243:鹿工
C51 244:鹿工斜 S11.3以前
C51 257:鹿工 S10.3以前
C51 258:大鉄→鹿工 S10.3以前
C51 272:本省→鹿工 S11.3以前
C51 273:鹿工 S11.3以前 |
C51の初期の製造分は無灯でしたが、後期の製造分では、製造当初から前照灯が設置されました。初期に制作された○○両では後に前照灯取り付けのための改良を受けることになりますが、受持ち工場、時期により改良の仕方が異なります。その後線区ごとの改造で様々な形状の機が見られました。
原型(初期製造分) ヒンジ部を除いて手すりが取り巻くもの
A型 前照灯設置位置のみの手すりを切除したもの
A’型 前照灯設置位置を取り除き、さらに下部を除去したもの
B型 前照灯設置位置より右上の手すりを切除したもの
B’型 前照灯設置位置より右上の手すりを切除したもの、さらに下部を除去したもの
C型 前照灯設置位置の手すりを下げたもの
C’型 前照灯設置位置の手すりを下げさらに下部を除去したもの
D型 手摺をすべて撤去したもの
D’型 手摺を撤去し、正面より左上に持ち手を設けたもの
・原型
ヒンジの部分を除いて手すりがあるもの、取付座は5本
・A型
前照灯設置位置のみの手すりを切除したもの、取付座は1本増設して6本
C51 1(1955年以降)、C51 3(戦後)、C51 4、C51 5、C51 6、C51 7、C51 8、
C51 13、C51 15、C51 16、C51 17、C51 19、C51 20、C51 21、C51 22、C51 23、
C51 24、C51 25、C51 26、C51 27、C51 28、C51 29、C51 30、C51 32、C51 33、
C51 34、C51 35、C51 40、C51 53、C51 58、C51 59、C51 60、C51 61、C51 62、
C51 63、C51 64、C51 66、C51 67、C51 68、C51 69、C51 70、C51 71、C51 72、
C51 74、C51 75、C51 76、C51 77、C51 78、C51 87、C51 88、C51 89、C51 90、
C51 91、C51 92、C51 93、C51 94、C51 95、C51 96、C51 97、C51 98、C51 99、
C51 100、C51 101、C51 105、C51 106、C51 108、C51 109、C51 112、C51 114、
C51 115、C51 116、C51 122、C51 123、C51 124、C51 125、C51 126、C51 127、
C51 128、C51 129、C51 132、C51 134、C51 136、C51 137、C51 138、C51 139、
C51 140、C51 141、C51 144、C51 152、C51 153、C51 154、C51 155、C51 156、
C51 157、C51 159、C51 161、C51 162、C51 163、C51 164、C51 173、C51 174、
C51 175、C51 176、C51 177、C51 178、C51 183、C51 184、C51 185、C51 190、
C51 191、C51 195、C51 196、C51 198、C51 199、C51 200、C51 201、C51 202、
C51 203、C51 204、C51 205、C51 206、C51 207、C51 208、C51 209、C51 218、
C51 220、C51 221、C51 222、C51 224、C51 225、C51 227、C51 228、C51 229、
C51 236、C51 239、C51 241、C51 242、C51 243、C51 244、C51 245、C51 246、
C51 247、C51 248、C51 250、C51 251、C51 252、C51 253、C51 254、C51 255、
C51 256、C51 257、C51 258、C51 259、C51 260、C51 262、C51 263、C51 264、
C51 265、C51 266、C51 267、C51 268、C51 269、C51 270、C51 271、C51 272、
C51 273、C51 274、C51 275、C51 276、C51 277、C51 278、C51 279、C51 281、
C51 282、C51 283、C51 285、C51 286、C51 287、C51 288、C51 289(合計180両)
・A’型
前照灯設置位置を取り除き、さらに下部を除去したもの、取付座は4本
C51 36、C51 42、C51 49、C51 50、C51 52、C51 73、C51 90、C51 99、
C51 102、C51 113、C51 125、C51 136、C51 144、C51 165、C51 167、C51 174、
C51 180、C51 182、C51 216、C51 217、C51 233、C51 264、C51 284(合計23両)
・B型
前照灯設置位置より右上の手すりを切除したもの、取付座は4本
C51 1、C51 2、C51 3、C51 9、C51 10、C51 11、C51 12、C51 14、C51 18、
C51 37、 C51 38、C51 39、C51 40、C51 41、C51 42、C51 43、C51 44、
C51 45、C51 46、C51 47、C51 48、C51 50、C51 51、C51 53、C51 54、C51 55、
C51 56、C51 57、C51 78、C51 79、C51 80、C51 81、C51 82、C51 83、C51 84、
C51 85、C51 86、C51 104、C51 107、C51 110、C51 111、C51 117、C51 118、
C51 119、C51 120、C51 121、C51 130、C51 133、C51 135、C51 142、C51 143、
C51 146、C51 149、C51 158、C51 179、C51 181、C51 182、C51 186、C51 187、
C51 188、C51 189、C51 192、C51 193、C51 210、C51 211、C51 212、C51 213、
C51 214、C51 215、C51 216、C51 217、C51 223、C51 226、C51 230、C51 231、
C51 232、C51 233、C51 234、C51 236、C51 237、C51 238、C51 240、C51 261(合計83両)
・B’型
前照灯設置位置より右上の手すりを切除したもの、さらに下部を除去したもの、取付座は2本
C51 38、C51 79、C51 103、C51 135、C51 211(合計5両)
・C型
前照灯設置位置の手すりを下げたもの、取付座は5本
C51 145、C51 146、C51 147、C51 148、C51 149、C51 150、C51 151、C51 159、
C51 160、C51 166、C51 168、C51 169、C51 170、C51 171、C51 172(合計15両)
・C’型
前照灯設置位置の手すりを下げさらに下部を除去したもの、取付座は3本
C51 145、C51 165(合計2両)
・D型
手摺をすべて撤去したもの
C51 11、C51 210(合計2両)
・D’型
手摺を撤去し、正面より左上に持ち手を設けたもの
C51 51、C51 105、C51 112、C51 185、C51 249(合計5両) |
C51の煙突を化粧煙突、化粧煙突(高)、パイプ煙突、パイプ煙突(裾なし)に分類した。戦前には傾斜煙突、二重煙突など特殊な煙突も存在したが、試験的な要素が高く後に復旧した。
パイプ煙突のC51
C51にとって優雅な化粧煙突からパイプ煙突への交換は屈辱的なことであるが、その換装は戦前から行われており、鋳物製の化粧煙突の焼損しやすいという欠点があったのかもしれない。
パイプ煙突には2種類あり鋳物性の裾を持つものと持たないものがあり、確認されただけで80両にのぼります。
パイプ煙突に換装が確認されたC51は以下のとおりである。
機号 形態 換装時期 配置区
C511 裾無 1955年頃 豊岡
C512 裾無 1955年頃 豊岡
C515 裾有 戦前? 姫路
C516 詳細不明
C517 裾有 1935年頃 姫路
C5116 ? 1954年以前
C5118 裾有 不明 豊岡 都城時代に化粧煙突に戻る
C5120 裾有 1955年以降 早岐
C5123 裾有 1959年頃 豊岡
C5127 裾有 不明 亀山
C5129 裾有 1950年以前 亀山、室蘭
C5132 裾有 1951年以前 亀山、米子
C5136 裾有 1959年以前 山田
C5143 裾無 1960年以前 早岐
C5145 裾無 1957年以前 豊岡
C5151 裾無 1960年以前 豊岡
C5152 裾無 1962年2月〜10月以前
C5155 裾有 1957年11月〜1960年8月 福島、新津
C5160 裾無 1959年4月〜1960年1月 亀山
C5163 裾有 1959年以前 山田
C5164 裾無 1961年以前 山田
C5166 裾無 1955年以前 亀山、山田
C5167 裾有 1957年以前 亀山
C5168 不明 1960年以前 早岐
C5169 裾有 1955年11月〜1959年8月 早岐
C5170 裾有 1960年以前 早岐
C5171 裾有 1959年4月以前 早岐
C5174 裾無 1958年以前 鹿児島
C5175 裾有 1960年以前 早岐
C5176 裾有 1960年以前 早岐
C5177 裾有 1960年以前 早岐
C5187 裾有 1956年2月〜1960年3月 吉松
C5191 裾有 1958年以前
C5192 裾有 1959年以前
C5193 裾有 1959年以前
C5194 裾有 1962年以前
C5199 裾有 1953年4月〜1954年9月 山田
C51101 裾有 1956年以前
C51106 裾有
C51107 裾有 1959年以前
C51114 裾無 1959年3月〜1960年4月 奈良
C51115 裾無 1954年以前 豊岡 集煙装置取付
C51120 裾無 1955年以前
C51122 裾無? 1954年10月〜1956年8月 米子
C51124 裾無 1955年以前 米子
C51125 裾有 1938年以前 宮原
C51126 裾無 1955年以前 米子
C51127 裾有 1957年以前 米子
C51134 裾有 1959年以前 奈良
C51136 裾有 1953年以前 都城
C51142 裾無 1960年以前 吉松
C51148 裾無 1960年以降 亀山
C51149 裾有 1960年3月〜1963年2月 新津
C51153 裾無 1955年以前 豊岡
C51164 裾無 1960年1月〜1963年3月 亀山
C51166 裾無 1959年7月以前
C51176 裾有 1959年以前
C51177 裾有 1959年以前
C51198 不明 1955年以前
C51204 裾有 1959年7月以前
C51206 裾無 1958年6月〜1961年4月
C51209 裾有 1959年以前
C51211 裾有
C51220 ? 1955年以降
C51221 裾有 1960年以前
C51222 裾無
C51236 裾有 1955年〜1958年
C51237 裾無 1959年〜1961年
C51242 裾有
C51249 裾有 1957年11月以前
C51250 裾有
C51251 裾有 1959年以前
C51252 裾有
C51256 裾有 1955年〜1957年
C51258 裾有 1953年〜1960年3月
C51259 裾無 1955年〜1960年
C51260 裾有
C51261 裾有 1959年以前
C51267 裾無 1958年以前
C51268 裾無
C51270 裾有 1959年以前、集煙装置撤去後
C51271 裾無 1955年〜1960
C51274 裾無 1959年以前
C51282 裾有
C51289 裾無 1957年以前 豊岡
集煙装置
写真より集煙装置を取り付けられたことが確認できるC51は8両である。
戦後標準装備となった給水温め器は煙の経路の邪魔になるためか煙室に落とし込む改造を加えられている。
配置区は豊岡に集中することから生野トンネル越えに対処したものと思われる。
これらの集煙装置は敦賀式に準拠した初期の後藤工場タイプである。
C5123 集煙装置装備→パイプ煙突に換装
C51103 集煙装置装備→廃車
C51105 集煙装置装備→廃車
C51115 集煙装置装備→廃車
C51227 集煙装置装備→パイプ煙突に換装
C51269 集煙装置装備→廃車
C51270 集煙装置装備→パイプ煙突に換装
C51278 集煙装置装備→廃車
このほかに、豊岡配置後に酒田に移動したC5151は給水温め器の落し込み改造が行われており、集煙装置を取り付けていたかもしれない。C5117に取り付けたという記事もある。
化粧煙突(高)
高い鋳物製化粧煙突を装備したものとして以下の10両が判明している。
郡山工場に関係する車輌が多い。
C51 3
C51 12
C51 15
C51 42?
C51 50 2本煙突より換装
C51 53
C51 84
C51167
C51171 1960年以前に普通の化粧煙突に換装
C51217 1960年以前に普通の化粧煙突に換装
傾斜煙突
排煙を気流に沿わせて後方に導くことを目的に名鉄局のC51270で1929年に実施された。煙突の中心線を後方に27.5度傾斜させたもので、排煙が運転室屋根に導かれ、前方の視界が良好になり、煙室内のシンダーの補足も良好になったため、1931年にC5178(大里)、C51121(仙台)、C51182(白河)、C51192(盛岡)?が改造された。
改造されていた期間はそれほど長くなかったようで、C51270は昭和5〜6年に笹島で行われた車両展示会では化粧煙突に戻っていた。C51121は昭和10年(1935年)頃まで装備されていることが写真に残っているが昭和12年(1937年)の写真では化粧煙突、給水温め器が装備される標準型に戻っていた。C5178は施工後すぐに2本煙突に変更され試験を受けているので短期間の装備したことが考えられる。C51182(白河)、C51192(盛岡)は写真すらない。
傾斜煙突は複数作られたのではなく、名鉄局でC51270に取り付けた傾斜煙突が各局に試験用に巡回し、最後にC51121に取り付けられたのではないかと考えられる。
二本煙突
煙突を2本にして排気出力を弱めてシンダー飛散を軽減することを目的に名鉄局のC51246で1929年に実施された。煙突の中心線の前後に250mmのブラストパイプと内煙突を配して外径を一体化させた。燃焼ガスの接触面積が増大し燃焼性を向上する効果があったため相当の石炭節約があったため、1931年にC5178(大里)、C51143(白河)、C5150(福島)が改造された。
改造されていた期間はある程度あったようで、C51246は1937年の写真に二本煙突の姿がある。C5178は写真がないが、C51143は昭和10年の写真には化粧煙突に戻っていた。C5150は昭和29年(1954年)頃まで装備された写真が残っている。
二本煙突は複数作られ多様であるが、名鉄局でC51246に取り付けたものが各局に試験用に巡回し、最後にC5150に取り付けられかはわからない。 |
C51の給水温め器
C51に取付けられた給水温め器は2種類で、住山式と本省式(本省丸型)がある。
住山式の装備は1926年(昭和2年)年以前にさかのぼる。戦時供出の対象となり、戦後まで残ったものは数台程度であったが全て本省式に改装された。
本省式(本省丸型)の装備は1931年(昭和6年)以前に始まり、供出と早期廃車を除く全機に取り付けられた。一般型と新型の2種類あり、従来型は戦前に取り付けられたもので、給水温め器後方から排気を取り入れるが、土崎工場管内のものは前方より排気を取り入れている。新型はD51などと同じ水の入出配管がまとめられている。住山式からの取替、従来型が何らかの故障に伴い取換え、小倉工場管内で装備改装に伴い取り替えられるものなどある。
シリンダーブロックからの排気管の取り出しにも、取付工場によりも前後に見られ、給水温め器の取入口も前後に見られる。
1.住山式搭載機
住山式の搭載は配置表では1936年1月以前であるが、実際は1925年頃まで遡ると思われる。
設置両数は20両であった。このうち12両は供出となり浜松工場で改軌され中国へ送られた。
その際に給水温め器はすべて取外している。
・供出されたもの
C51 8、C51 28、C51 30、C51 33、C51 34、C51 35、C51 88、C51 95、C51 96、
C51 116、C51 130、C51 131、C51 132、C51 173、C51 175、C51 178<合計12両>
・早期廃車
C51 133:住山式→撤去 S6.3以前→松川事故時の写真では給水ポンプを残し装備取り外し済み
<合計1両>
・本省丸型へ取替え
C51 29:住山式→撤去→本省式(新) S25年頃の事故時の写真には搭載されていない
C51 107:住山式→本省式(新)
C51 115:住山式→本省式 1954年に本省式(集煙装置装備のため煙室内に落し込み)に改装
C51 123:住山式→本省式(新)
C51 129:住山式→本省式
C51 134:住山式→本省式
C51 174:住山式→本省式
<合計7両>
2.本省丸型搭載機
・1931年1月以前に取付けられた機
C51 1、C51 2、C51 3、C51 5、C51 16、C51 17、C51 18、C51 19、C51 22、C51 26、
C51 27、C51 39、C51 50、C51 58、C51 65、C51 66、C51 77、C51 80、C51 81、
C51 83、C51 84、C51 91、C51 92、C51 94、C51 99、C51 102、C51 106、C51 109、
C51 110、C51 113、C51 114、C51 128、C51 135、C51 139、C51 142、C51 147、C51 149、
C51 158、C51 159、C51 160、C51 161、C51 162、C51 163、C51 165、C51 170、C51 172、
C51 176、C51 177、C51 184、C51 187、C51 189、C51 195、C51 197、C51 198、C51 200、
C51 203、C51 205、C51 206、C51 208、C51 212、C51 213、C51 219、C51 220、C51 222、
C51 231、C51 233、C51 237、C51 243、C51 248、C51 256、C51 258、C51 260、
C51 262、C51 273、C51 276、C51 279、C51 280、C51 283<合計75両>
・昭和5(1930)年度に搭載された機
C51 12、C51 37、C51 44、C51 45、C51 51、C51 89、C51 111、C51 125、
C51 190、C51 194、C51 225、C51 227、C51 264、C51 274<合計14両>
・昭和6(1931)年度に搭載された機
C51 15、C51 32、C51 73、C51 82、C51 185、C51 188、C51 224、C51 245、C51 246<合計9両>
・昭和7(1932)年度に搭載された機
C51 13、C51 20、C51 21、C51 23、C51 46、C51 48、C51 71、C51 72、C51 98、C51 104、
C51 127、C51 137、C51 138、C51 140、C51 141、C51 144、C51 146、C51 202、C51 204、
C51 209、C51 217、C51 241、C51 250、C51 251、C51 257、C51 278、C51 289<合計27両>
・昭和8(1933)年度に搭載された機
C51 24、C51 36、C51 53、C51 55、C51 56、C51 59、C51 61、C51 62、C51 181、C51 192、
C51 199、C51 201、C51 228、C51 232、C51 249、C51 277、C51 285、C51 286<合計18両>
・昭和9(1934)年度に搭載された機
C51 9、C51 47、C51 54、C51 68、C51 100、C51 101、C51 108、C51 112、C51 143、
C51 157、C51 179、C51 193、C51 207、C51 210、C51 235、C51 247、C51 263、C51 265、
C51 266、C51 272、C51 287、C51 288<合計22両>
・昭和10(1935)年度に搭載された機
C51 11、C51 43、C51 57、C51 60、C51 69、C51 70、C51 85、C51 90、C51 105、C51 117、
C51 145、C51 150、C51 154、C51 164、C51 166、C51 167、C51 180、C51 186、C51 214、
C51 215、C51 216、C51 230、C51 270、C51 284<合計24両>
・昭和11(1936)年度〜昭和12(1937)年度に搭載された機
C51 6、C51 7、C51 49、C51 52、C51 63、C51 64、C51 74、C51 76、C51 78、C51 121、
C51 122、C51 126、C51 136、C51 218、C51 221、C51 223、C51 226、C51 229、C51 234、
C51 244、C51 254、C51 255、C51 268、C51 269、C51 271、C51 275<合計26両>
・昭和13(1938)年度に搭載された機
C51 14、C51 25、C51 31、C51 38、C51 40、C51 41、C51 42、C51 148、C51 238<合計9両>
・昭和14(1939)年度に搭載された機
C51 86、C51 97、C51 103<合計3両>
・昭和15(1940)年度に搭載された機
C51 67<合計1両>
・取付け時期が不明な機
C51 4、C51 79、C51 87、C51 118、C51 120、C51 152、C51 153、C51 155、
C51 156、C51 182、C51 183、C51 191、C51 211、C51 240<合計14両>
3.本省丸型 土崎工場タイプ
C51 49 1936年4月〜1938年4月(青森区 配置表)
C51 50 1931年1月以前(配置表)
C51 79 搭載時期不明
C51 81 1931年1月以前(配置表)
C51 82 1932年1月(仙台庫 配置表)
C51 84 1931年1月以前(配置表)
C51 86 1939年5月(青森区 配置表)
C51 152 搭載時期不明
C51 155 搭載時期不明(1935年以降)
C51 284 搭載時期不明(1935年以降)
4.本省丸型(新)搭載機
C51 3 本省丸型→本省丸新型(後藤工1955〜1957年に換装)
C51 6 本省丸型→本省丸新型(後藤工1955〜1957年に換装)
C51 18 本省丸型(1954年)→本省丸新型(後藤工1955年に換装)
C51 19 本省丸形→本省丸新型(小倉工1959年までに換装)
C51 21 本省丸形→本省丸新型(小倉工1959年までに換装)
C51 29 住山式→撤去→本省丸新型(苗穂工)
C51 71 本省丸型→本省丸新型(小倉工1960年までに換装)
C51 75 本省丸型→本省丸新型1960年以前
C51 93 本省丸形→本省丸新型(小倉工1959年までに換装)
C51 107 住山式→本省丸新型(浜松工1950年までに換装)
C51 123 住山式→本省丸新型1959年以前
C51 124 本省丸型→本省丸新型(後藤工1955年以前)
C51 151 本省丸形→本省丸新型(小倉工1960年までに換装)
C51 171 本省丸形→本省丸新型(1953年までに換装)
C51 179 本省丸形→本省丸新型(1960年までに換装)
C51 196 本省丸形→本省丸新型(小倉工1960年までに換装)
C51 207 本省丸型→本省丸新型(後藤工1953年以前)
C51 216 本省丸形→本省丸新型(小倉工1960年までに換装)
C51 242 本省丸形→本省丸新型(小倉工1959年までに換装)
C51 252 本省丸形→本省丸新型(小倉工1960年までに換装)
C51 253 本省丸形→本省丸新型(小倉工1959年までに換装)
C51 259 本省丸型→本省丸新型(後藤工1957年以前)
C51 261 本省丸形→本省丸新型(小倉工1958年までに換装)
C51 267 本省丸型→本省丸新型(後藤工1959年以前)
C51 276 本省丸型→本省丸新型(後藤工1955年頃)
C51 281 本省丸形→本省丸新型(小倉工1958年までに換装)
C51 282 本省丸形→本省丸新型(小倉工1958年までに換装)
|
給水温め機への排気を取り入れるための排気管は通常はシリンダー後ろ側から給水温め機後ろ側に取り込むが、受持ち工場、給水温め機取付時期により取り付け方が異なる。
・後々タイプ
最も標準的な
C51 1、C51 2、C51 3、C51 4、C51 5、C51 9、C51 10、C51 11、C51 12、C51 13、C51 15、C51 16、C51 18、
C51 19、C51 20、C51 21、C51 22、C51 23、C51 24、C51 25、C51 26、C51 32、C51 37、C51 38、C51 39、
C51 40、C51 41、C51 42、C51 43、C51 44、C51 45、C51 48、C51 51、C51 52、C51 53、C51 54、C51 55、
C51 56、C51 57、C51 58、C51 59、C51 60、C51 61、C51 63、C51 64、C51 66、C51 67、C51 68、C51 69、
C51 70、C51 71、C51 72、C51 73、C51 74、C51 77、C51 78、C51 80、C51 83、C51 85、C51 87、C51 89、
C51 91、C51 92、C51 94、C51 97、C51 98、C51 99、C51 102、C51 103、C51 104、C51 105、C51 106、
C51 109、C51 110、C51 111、C51 113、C51 114、C51 117、C51 118、C51 120、C51 121、C51 122、
C51 126、C51 127、C51 135、C51 136、C51 137、C51 138、C51 139、C51 140、C51 141、C51 142、C51 144、
C51 145、C51 146、C51 147、C51 148、C51 149、C51 150、C51 153、C51 154、C51 156、C51 158、C51 159、
C51 160、C51 161、C51 162、C51 164、C51 165、C51 166、C51 167、C51 168、C51 169、C51 170、C51 172、
C51 176、C51 177、C51 180、C51 182、C51 183、C51 184、C51 185、C51 186、C51 187、C51 189、C51 190、
C51 195、C51 198、C51 199、C51 200、C51 201、C51 202、C51 203、C51 204、C51 205、C51 206、C51 208、
C51 209、C51 210、C51 211、C51 212、C51 214、C51 215、C51 216、C51 217、C51 218、C51 220、C51 221、
C51 222、C51 223、C51 224、C51 225、C51 226、C51 227、C51 228、C51 229、C51 230、C51 231、C51 232、
C51 236、C51 237、C51 239、C51 240、C51 241、C51 243、C51 244、C51 245、C51 246、C51 247、C51 248、
C51 249、C51 250、C51 251、C51 254、C51 255、C51 256、C51 257、C51 258、C51 263、C51 264、C51 265、
C51 266、C51 268、C51 270、C51 271、C51 272、C51 273、C51 274、C51 276、C51 277、C51 278、C51 279、
C51 286、C51 287、C51 288、C51 289、
※C51 125:1935年頃に<後々→前後>に改造された。
・前々タイプ
土崎工場管内の機に多く見られた。シリンダー前より立ち上がり、排気逆止弁を経由し、給水温め機の前側より取り入れるタイプである。昭和30年代には多くの機で排気逆止弁は廃止された。
C51 49 本省丸型(土崎タイプ) 1936年4月〜1938年4月(青森区 配置表)
C51 50 本省丸型(土崎タイプ) 1931年1月以前(配置表)
※1954年以降 前後タイプに変更(ボイラー振替?)
C51 79 本省丸型(土崎タイプ)
C51 82 本省丸型(土崎タイプ) 1932年1月(仙台庫 配置表)
C51 86 本省丸型(土崎タイプ) 1939年5月(青森区 配置表)
C51 152 本省丸型(土崎タイプ)
C51 155 本省丸型(土崎タイプ)
C51 157 本省丸型(土崎タイプ) 1934年4月(秋田庫 配置表)
C51 191 本省丸型(土崎タイプ)
C51 192 本省丸型(土崎タイプ) 1934年3月(秋田庫 配置表)
C51 233 本省丸型 1931年1月以前(配置表)
C51 234 本省丸型(土崎タイプ) 1936年4月〜1938年4月(青森区 配置表)
C51 283 本省丸型 1931年1月以前(配置表)
C51 284 本省丸型 1935年5月(仙台庫 配置表)
C51 285 本省丸型 1934年3月(仙台庫 配置表)
・前後タイプ
土崎工場1931年以前、鷹取工場で1935年〜1937年頃に給水温め機を取り付けられた機で見られる。
シリンダー前面に排気逆止弁を取付け、給水温め機後ろ側に至る配管である。
C51 6 本省丸型 1936年4月〜1938年4月(姫路区 配置表)
※→本省丸新型(後藤工1955〜1957年に換装)
C51 7 本省丸型 1936年4月〜1938年4月(姫路区 配置表)
C51 27 本省丸型 1931年1月以前(配置表)
C51 29 本省丸新型 1950年以降
※住山式→撤去→
C51 36 本省丸型(1959年) 1934年2月(山田庫 配置表)
C51 50 本省丸型(土崎タイプ) 1931年1月以前(配置表)
※1954年以前は前々タイプ
C51 62 本省丸型 1934年3月(明石庫 配置表)
C51 76 本省丸型 1936年4月〜1938年4月(岡山区 配置表)
C51 81 本省丸型(土崎タイプ) 1931年1月以前(配置表)
C51 84 本省丸型(土崎タイプ) 1931年1月以前(配置表)
C51 90 本省丸型 1935年8月(山田庫 配置表)
C51 100 本省丸型 1934年12月(亀山庫 配置表)
C51 101 本省丸型 1935年2月(亀山庫 配置表)
C51 125 本省丸型 1931年2月(明石庫 配置表)
C51 134 本省丸型 ※住山式→本省丸型 戦後
C51 193 本省丸型 1935年2月(福島庫 配置表)
C51 207 本省丸型 1935年1月(梅小路庫 配置表)
※→本省丸新型 (後藤工1953年以前)
C51 260 本省丸型 1931年1月以前(配置表)
C51 262 本省丸型 1931年1月以前(配置表)
C51 269 本省丸型 1936年4月〜1938年4月(梅小路区 配置表)
※→落とし込み改造(1955年頃)
C51 275 本省丸型 1936年4月〜1938年4月(梅小路区 配置表)、写真では1937年5月には装備済み
・後前タイプ
C5175や前々タイプのC51192が戦後に後前タイプに改造された。
C51 75 本省丸型→本省丸新型1960年以前 1931年1月以前(配置表)
C51 192 本省丸型(土崎タイプ) 1934年3月(秋田庫 配置表)
・住山タイプ
シリンダブロック前側から取り出し、油分分離機を経由しテンダーに通ずていた。 |
給水温め器への配管は、設置工場により異なり、各工場の特徴をまとめてみた。
浜松工場
給水ポンプ→給水温め器
給水温め器よりも高い位置で前側に屈曲し、給水温め器には横から入る。
給水温め器→逆止弁
横方向に出て、斜めに屈曲し、手摺下で横方向に屈曲し、縦型逆止弁手前で斜めに屈曲し、逆止弁に下から入る。
大宮工場
給水ポンプ→給水温め器
給水温め器よりも高い位置で前側に屈曲し、給水温め器には横から入る。
給水温め器→逆止弁
下方向に出て、手摺上で横方向に屈曲し、縦型逆止弁手前で高角で斜めに屈曲し、逆止弁に下から入る。
鷹取工場
給水ポンプ→給水温め器
給水温め器より高い位置で前側に屈曲し、給水温め器には横から入る。
給水温め器→逆止弁
横方向に出て、斜めに屈曲し、手摺下で横方向に屈曲し、縦型逆止弁の後ろ側で縦にに屈曲し、逆止弁に下から入る。
管内配置の機は戦後は横型逆止弁に交換される。
小倉工場
給水ポンプ→給水温め器
給水温め器の上面くらいで前側に屈曲し、給水温め器には横から入る。
給水温め器→逆止弁
横方向に出て、斜めに屈曲し、手摺下で横方向に屈曲し、縦型逆止弁手前で斜めに屈曲し、逆止弁に下から入る。
戦後大多数の機は、新型温め器となり、入出方向は後横となる。
後藤工場
戦前配置は無い、戦後に配置された機の一部でD51タイプの新型給水温め器となり、温め器の入出は斜め下からとなる。
郡山・土崎工場
給水ポンプ→給水温め器
給水温め器の上面くらいで前側に屈曲し、給水温め器には斜めに入る。
給水温め器→逆止弁
斜めに出て、手摺下よりはりか下で横に屈曲し、縦型逆止弁手前で斜めに屈曲し、逆止弁に下から入る。
苗穂工場
給水ポンプ→給水温め器
給水温め器よりも高い位置で前側に屈曲し、給水温め器には下から入る。
給水温め器→逆止弁
下方向に出て、手摺下で横方向に屈曲し、縦型逆止弁手前で高角で斜めに屈曲し、逆止弁に下から入る。
|
ボイラー手摺は空制化以前の101号以前は1段であるが、当初から空制化されていた102号以降は2段である。
101号機以前でも改造やボイラー取替等により2段となったものもある。また、102号機以降で左側2段、右側高位置1段のものがある。
101号機以前で2段のもの
C51 1(1955年以降)、C51 23、C51 24、C51 25、C51 50、C51 51、C51 52、C51 68、C51 69、C51 70、C51 71、C51 72、C51 73、C51 75、C51 76、C51 77、C51 78、C51 79、C51 80、C51 81、C51 82、C51 83、C51 84、C51 86、C5194
102号機以降で左側2段、右側高位置1段のもの
C51 102、C51 103、C51 104、C51 105、C51 106、C51 107、C51 108、C51 109、C51 110、C51 111、C51 112、C51 113、C51 114、C51 129、C51 180、C51 182、C51 184、C51 185、C51 210、C51 212、C51 213、C51 214、C51 215、C51 216、C51 217、C51 223、C51 224、C51 225、C51 226、C51 227、C51 228 |
ボイラー梯子の位置については、は左右の冷却管をつなぐ配管の後ろにあるのが標準であるが、前に来るものは空制化された車両に見られる。該当する機は
10、41、42、43、46、48、49、51、52、53、54、55、55、57、59、61、81、83、186(標準位置から改造)
また、C514は高めのボイラー梯子を取付けている。
|
C51型のブレーキ機構は、製造開始時は真空ブレーキを用いていたが、1923年(大正12年)度製造分の102号機より空気ブレーキが製造時より採用され、単式コンプレッサーと空気タンク、左2往復右3往復の冷却管が装備された。生成できる空気量が不足していたためか、1926年(大正15年)度の製造分の218号機以降は複式コンプレッサーとなり、タンクと左3往復右4往復の冷却管が装備された。
第1グループ
真空ブレーキが用いられた1〜101号機はタンクの装備はなく、ランボードが直線であったが、空気制動が採用後は全般検査の際に改造が施された。 改造はランボードを2段にして、コンプレッサーとタンクを装備された。鷹取工場管内では早い時期より空制化改造が行われたようで、単式コンプレッサーと左2往復右3往復の冷却管が装備されが、1939年頃より複式コンプレッサーに変わり、冷却管は右のみ3往復型になったが26、36、66、99号機のように単式2個を装備しタンクも非対称になったものもある。大宮工場、浜松工場、小倉工場、苗穂工場管内で複式コンプレッサーが用いられ、冷却管は左3往復右4往復型となった。
第2グループ
102号機〜217号機が該当し、製造時より空制化され単式コンプレッサー、タンクと左2往復右3往復がたの冷却管が装備された。1939年ころより順次複式コンプレッサーに置き換えられた。東京局は左右対称タンク、左3往復右4往復型の冷却管に交換されたが、土崎工場、苗穂工場管内で改造されたのは、冷却管は左2往復右3往復のママ残り、左右非対称タンクを装備する機もあった。郡山工場管内では187号機のように単式コンプレッサーを2個装備した機もあった。
第3グループ
1926年(大正15年)度の製造分の218号機以降は複式コンプレッサーとなり、タンクと左3往復右4往復の冷却管が装備され、最後まで改造されなかった。 |
給水温め器が取付時期の早いものは、運転室右前下に取り付けられた。取付金具の形状より浜松工場タイプと鷹取工場タイプがある。それ以外の機は標準位置に取り付けられた。
【浜松工場吊り下げ型】
2(後に標準位置へ)、17 、129(住山式、本省式となり標準位置へ)、130(住山式供出)、132(住山式、後に標準位置へ、供出)、133(住山式)、200
【鷹取工場吊り下げ型】
5(後に標準位置へ)、8(住山式供出)、26、29(住山式、戦中撤去、後に標準式へ),33(住山式供出)、34(住山式供出)、35(住山式供出)、88(住山式供出)、89、95(住山式供出)、99、115(住山式、本省式交換時に標準位置へ)、116(住山式供出)、172、173(住山式供出)、175(住山式供出)、176(後に標準位置へ)、178(住山式供出)、206(後に標準位置へ)、208 |
C51の運転席は、運転室が狭いなどの原因により、後々改良されていきました。主だった改造として運転室後方の延長、窓の改造、雨どいの位置、屋根延長、前窓庇(ひさし)の形状があります。各地方ごとにより形状が異る。
原型
運転室の長さは2060mm、前窓と後窓ともW610mm×H610mmである。側面窓の配置は当初前寄りであったが、大正11年度(1921年 77号以降)に発注のものは設計変更されており後ろ側に移動している。
一般改造型
運転室の長さを後方へ150mm延長して2210mmとし、その分後窓が拡大しW760mm×H610mm程度となった。
東鉄型
運転室の長さを後方へ150mm延長して2210mmとしたが、後窓は拡大せず後ろ側に移動し、中央の窓柱が太くなったもの。
九鉄型
運転室の長さは原型のままで、後窓の幅を880mm程度にまで大きくしたもの(九鉄T型)。
運転室の長さを後方へ150mm延長して2210mmとしたが、後窓は移動しなかったもの(九鉄U型)。
北海道型
雨樋が低い位置に取り付けられ、前窓が寒冷地仕様になっている。
山陰型
前窓の庇が長い特徴が見られる。
屋根延長
運転室屋根を延長したもので、奥羽線、信越線管内のC51に見られた |
C51の動輪は当初は17本スポークである。当初からスポークの曲がり、リブの破断が発生などの強度不足が発生していたものと考えら、181号あるいは182号以降は18本スポーク動輪となった。当初は当板などで修復されたが、困難なものはボックス動輪へと交換された。ボックス動輪への交換は、主に郡山工場、土崎工場管内で行われ、新規制作のものであったが、鷹取工場管内では戦災廃車になったC57をカウンターウェイトを調整してを振り替えたものが存在した。
<17本スポーク動輪と18本スポーク動輪の区別の仕方>
17本スポーク動輪、18本スポーク動輪の区別したかったのであるが、数えていたのでは大変である。スポークの間隔がわずかに広いのが17本、狭いのが18本としたが、正確性に欠ける。 最近は17本は奇数で、スポークが対角に並ばない。18本は偶数でスポークが対角に並ぶということで調べている。このほかにバランスウェートとスポークの関係からの位置からもわかるかもしれない。
写真より大正14年度製造の180号は17本スポーク動輪で、182号以降は18本スポーク動輪であることが確認できた。181号機は映画「一粒の麦」に出演しており、本数が細かいので18本スポークと考えている。
<ボックス動輪を履いたC51>
ボックス動輪は1941年に土崎工場で試作の図面が作成されており、最初に土崎工場、次に郡山工場で作られたことがSL No3 日高冬比古氏の記事に記載されている。
ボックス動輪になったC51
・第1、2グループ 28両 (C5114は不明)
C51 4 1956年以降、福島区or新津区配置時代 1961年3月 新津 廃車
C51 9 1955年以前 青森区時代はボックス動輪 1958年7月 青森 廃車
C51 11 1958年以降 酒田区or新津区時代 1963年12月 新津 廃車
C51 37 1950年代 福島区or米沢区時代 1962年6月 米沢 廃車
C51 39 1955年以前 青森区時代はボックス動輪 1960年3月頃18本スポーク動輪に換装 1962年6月 米沢 廃車
C51 40 1960年以前 米沢区配置以前 1961年3月 米沢 廃車
C51 51 1960年以前 新津区配置以前 1962年10月 酒田 廃車
C51 52 1956年以前 福島区配置以前 1963年7月 奈良 廃車
C51 55 1957年以前 白河区配置以前 1961年11月 新津 廃車
C51 57 1960年以前 酒田区配置以前 1965年1月 新津 廃車
C51 59 1955年以前 福島区配置以前 1958年7月 福島 廃車
C51 60 1950年〜1959年4月 福島区配置時代 1963年7月 奈良 廃車
C51 61 1951年以前 福島区時代 1958年9月 福島 廃車
C51 68 1960年以前 早岐区、長崎区時代 1960年10月 早岐 廃車
C51 79 1958年以前 新庄区配置以前 1961年1月 新庄 廃車
C51 81 1954年以前 青森区配置以前 1960年1月 青森 廃車
C51 82 1954年以前 青森区配置以前 1956年11月 青森 廃車
C51 84 1955年以前 青森区配置以前 1958年7月 青森 廃車
C51 86 1954年以前 青森区配置以前 1961年2月 青森 廃車
C51 90 1953年以前 横手区配置以前 1960年1月 新庄 廃車
C51 93 1959年以前 長崎区時代 1962年10月 早岐 廃車
C51 94 1965年3月 C51107のもの? 吉松区時代、1966年2月吉松 廃車
C51107 1960年頃 C5114のもの? 吉松区時代、1964年11月 吉松 廃車
C51110 1962年以前 秋田区、米沢区配置以前 1963年10月 米沢 廃車
C51113 1955年5月〜1959年7月 新庄区時代 1960年1月 新庄 廃車
C51127 1957年以前 米子区or山田区時代 1960年5月 浜田 廃車
C51152 1954年1月の脱線事故以降1960年以前 秋田区、米沢区配置以前 1960年1月廃車
C51155 1955年〜1960年3月 秋田区、新庄区時代 1960年10月 米沢 廃車
C51170 1960年以前 秋田区、新庄区時代 1961年3月 新庄 廃車
・第3、4グループ 10両
C51191 1955年4月以前 青森区時代 1958年7月 青森 廃車
C51193 1958年9月以降 酒田区、新津区時代 1965年1月 新津 廃車
C51217 1955年以前 青森区時代 1962年10月 早岐 廃車
C51223 1956年以前 青森区時代 1961年2月 青森 廃車
C51230 1959年7月以前 米沢区時代 1961年3月 米沢 廃車
C51232 1962年2月以前 酒田区時代 1962年10月 酒田 廃車
C51240 1956年2月〜1959年3月 福島区、亀山区時代 1965年12月 米子 廃車
C51262 1955年〜1959年7月 秋田区、米沢区時代 1961年1月 米沢 廃車
C51284 1956年10月〜1957年 青森区時代 1961年3月 新庄 廃車
以上ボックス動輪に振り替えられたC51は38両になり、全体の13.0%以上に相当する。このうち第1、第2グループの17本スポーク動輪から振り替えられたのが28両以上/180両(15.5%以上)、第3、第4グループの18本スポーク動輪から振り替えられたものが10両以上/111両(9.0%以上)となり、17本スポーク動輪からの振替が18本スポーク動輪からの振替られる割合は2倍近く多い。
ボックス動輪は九州ではC5114?→C51107→C5194のように廃車になった動輪を使いまわしている例も見られ、早期に廃車となったC519、59、61、82、84、191などは動輪を他機に譲り、末期に振り替えられたC514、11、60、C51193、C51284などは、他機の流用したと考えられるので、実際の製作数はさらに少ないと思われる。
なお、ボックス動輪を使用した機の配置区は土崎、郡山工場管内のものが大多数であるが、C5168、93など九州で活躍した機は無縁であり、小倉工場でも製作された可能性もある。吉松のボックス動輪は、写真がないためわからないが、C5114が盛岡で装着しており、吉松に転属し廃車になった後に他機に転用された可能性がある。C51127は山田から山陰に移った機であるが、配置から考えて久保田博氏が著した鷹取工場時代にC57の動輪と交換した機と考えられる。
また、末期にはボックス動輪機が目立ったという話があるが、C51型残存数に占めるボックス動輪機は35年度は54両中9両(16.7%)、36年度は19両中1両(5.2%)、37年度は44両中5両(11.4%)、38年度は28両中4両(14.3%)、39年度は9両中3両(33.3%)、40年度は5両中2両(40.0%)で、ボックス動輪機も同じように廃車になっているが、残存率が高いせいか、ボックス動輪率は35年度15.1%、36年度14.3%、37年度16.3%、38年度21.4%、39年度35.7%、40年度40.0%と高くなっている。
鷹取工場管内の動輪の振替
久保田博氏著の「懐想の蒸気機関車」のC51の項で、氏が鷹取工場で機関車修繕を行っていた際に廃車のC54、C57の動輪を使用し不良動輪を一掃したことが記載されており、7両がC54のもの、1両がC57のものを使用しているとの記述がある。該当する機としては
C51 5 第2動輪
C51 27 第1〜3動輪
C51 32 第1〜3動輪?
C51 67 第1〜3動輪
C51 91 第1〜3動輪
C51 99 第1、3動輪
C51 100 第1、3動輪
C51 101 第1、2動輪
C51 114 第3動輪
C51 177 第1〜3動輪
C51 127
|
C51型のテンダーを金田茂裕著 形式別・国鉄の蒸気機関車W/Wを参考にC51のテンダーを分類すると
第1次グループ(改造されて17立方矩形)
初期グループがつけていた水タンク容量 17.00t、石炭4.40tのテンダーで、18900〜18939(C511〜40)がつけていた。浜松工場で製作された初期の18両のテンダーは日本車輌で製作され、それ以降は機関車と共に汽車会社で製作されたと思われる。後に増炭覆いが取り付けられるなど改造されて石炭8tが積載できるようになった。
第2次グループ(8-17型)
18940〜38943(C5141〜C51244)に取り付けられたC51型標準のテンダーで、水タンク容量17.00t、石炭8.13tのテンダーで、炭水車整備重量は43.7tある。機関車と共に汽車会社で製造された。
※お召し用C51236、C51239は20立方テンダーをつけていたが、製造当初はこのタイプであったかは不明である。
第3次グループ(12-17型)
製造時に38944〜38958(C51245〜259)、38965〜38988(C51266〜289)に取り付けられたC53と同タイプの12-17テンダーで、水タンク容量17.00t、石炭12.00t、炭水車整備重量は49.5tである。
第4次グループ(8-20型)
製造時より38959〜38964(C51260〜265)がつけていたD50と同タイプの20立方テンダーで、水タンク容量20.00t、石炭8.00t、炭水車整備重量44.1tである。
※お召し用C51236、C51239は20立方テンダーをつけていたが、製造当初に第2次グループの8-17型テンダーをつけていた。
第1次グループ(改造されて8-17矩形)のC51
写真で確認された8-17矩形テンダーを有するC51を抽出しました。
C511 8-17矩形(戦前:仙台時代)→8-17台形(戦後:豊岡時代)
C512 8-17矩形→8-17台形(戦後:豊岡時代)親不知事故時に振り替えか?
C513
C514 8-17矩形→8-17台形リベットなし(1956年以前)
C515 8-17矩形→12-17→8-17矩形(保存時にC5125のものを振替える)
C516 最後まで使用されていたか不明
C517
C518 (供出)
C519 8-17矩形増炭覆い付き
C5110 8-17矩形を最後まで使用
C5111
C5112 8-17矩形→8-17台形
C5113 8-17矩形(戦前:名古屋区時代)→8-20(戦後:北海道時代)
C5114 最後まで使用されていたか不明
C5116 8-17矩形を最後まで使用
C5117 最後まで使用されていたか不明
C5118 8-17矩形(豊岡区時代)→8-17台型(吉松時代)1955年以降に振り替え
C5119
C5120 8-17矩形→8-17無リベットテンダー
C5121 8-17矩形→8-17立方台形
C5125 廃車後、保存されるC515にテンダーを譲る
C5126 8-17矩形(戦前)→12-17(戦後)→8-17矩形
C5128 供出後の写真では8-17台形を装備
C5129 8-17矩形→8-17台形
C5130 (供出)
C5131 最後まで使用されていたか不明
C5132
C5133 (供出)
C5134 (供出)
C5136
C5138 米坂時代は8-17台形を装備
C5139 8-17矩形→8-17台形 1955年以降に振り替え
C5140
以下の号機は2次グループのテンダー(8-17台形)を装備しているはずであるが
1次グループのテンダー(8-17矩形)を使用していた。
C5181 8-17矩形→8-17台形 1954年以降に振り替え
C5193
C51111 8-17台形→8-17矩形
C51125 8-17台形→8-17矩形→12-17→8-20(後部改造)
当初は1次グループテンダー(17立方矩形)であるが写真などで確認できないもの。
C5115 戦前写真無し、8-17台形を装備
C5122 戦前写真無し、8-17台形を装備
C5123 戦前写真無し、8-17台形を装備
C5124 戦前写真無し、8-17台形を装備
C5127 戦前写真無し、8-17台形を装備
C5135 戦前写真では8-17台形を装備、供出
C5137 戦前写真無し、8-17台形を装備
第2次グループ(12-17台形)
18940〜38943(C5141〜C51244)に取り付けられたC51型標準のテンダーである。
2次グループテンダー(8-17台形)であるが、リベット無しテンダーになっているもの
C5170 12-17台形変形 リベットなし新製?
C5171 12-17台形変形 リベットなし新製?
C5175 12-17台形変形 リベットなし新製?
C514 12-17矩形→12-17台形リベットなし(1956年以前)
当初は2次グループテンダー(17立方台形)であるが別のテンダーに改造されているもの。
C5144 8-17台形→8-20立方
C5151 12-17
C5180 8-17台形→12-17(C51245のもの)
C5181 12-17矩形→12-17台形 1954年以降に振り替え
C5193 8-17矩形
C51101 12-17
C51111 12-17台形→17立方矩形
C51114 12-17
C51112 12-17(1959-02-21豊岡)
C51120 12-17
C51124 12-17
C51125 8-17台形→8-17矩形(1946年7月頃)→12-17(1946年11月頃)→8-20(後部改造)
C51134 12-17
C51135 8-17台形→12-17変形 17立方台形から改造か?
C51136 12-17
C51139 8-17台形→20立方
C51158 8-20(1959-03-20苗穂)
C51159 8-20?
C51160 8-20
C51161 8-20
C51162 8-17台形→8-20
C51171 燕用8-20→8-17台形
C51177 12-17
C51182 8-17台形→変形(リベットなし新製)
C51183 8-20
C51196 8-17台形→変形8-17台形(後部炭庫継足し改造)
C51208 燕用8-20→変形テンダー
C51214 8-17台形→12-17変形 17立方台形から改造か?
C51227 12-17→20立方(後部改造)
C51236 8-20→12-17(C5321)
C51239 8-17台形→8-20
別のグループに属するが17立方台形テンダーを装備
C51284 12-17変形(リベット無し)→17立方台形(1956年頃)
当初は2次グループテンダー(8-17台形)であるが写真などで確認できないもの。
C5154(1959-03-20室蘭)
C5165(1956-08-17山田)
C5196供出
C51108(1955-02-26直江津)
C51131供出
C51163(1959-03-20岩見沢)
C51197(1954-12-06米子)
C51219(1961-02-15早岐)
C51235(1948室蘭)
C51238(1955-03-14盛岡)
第3次グループ(12-17)
製造時に38944〜38958(C51245〜259)、38965〜38988(C51266〜289)に取り付けられたC53と同タイプの12-17テンダーである。
以下の号機は他のテンダーに振り替えられた。
C51259 12-17改造→C57タイプ12-17 (1941塚本駅接触復旧時)
C51284 12-17無リベット→8-17台形
C51285 8-20
C51287 12-17(戦前)→8-20
他のグループに属するが振り替えなどにより12-17テンダーを使用したもの。
C515 8-17矩形→12-17→17立方矩形(保存時にC5125のものを振替える)
C5126 8-17矩形(戦前)→12-17(戦後)→8-17矩形(鹿児島区)
C5151 12-17
C5180 8-17台形→12-17(C51245のものを使用)
C51101 12-17
C51112 12-17
C51114 12-17
C51120 12-17
C51124 12-17
C51125 8-17台形→8-17矩形(1946年7月頃)→12-17(1946年11月頃)→8-20(後部改造)
C51134 12-17
C51136 12-17
C51177 12-17
C51214 17立方台形→12-17変形 17立方台形から改造か?
C51227 12-17→8-20(後部改造)
C51236 8-20→12-17(C5321)
C51237 8-17台形→12-17(1961.7〜1962.1)
写真がなく確認できないもの。
C51280(1959-03-04宮崎)
第4次グループ(8-20テンダー)
製造時より38959〜38964(C51260〜265)がつけていたD50と同タイプの8-20テンダーである。
C51260 末期は後部を改造
C51261
C51262
C51263
C51264 末期は後部を改造し炭庫部を拡張する
C51265 末期は後部を改造し炭庫部を拡張する
他のグループに属するが振り替えなどにより20立方テンダーを使用したもの。
C5144 8-17→8-20
C51125 8-17台形→8-17矩形(1946年7月頃)→12-17(1946年11月頃)→8-20(後部改造)
C51139 8-20
C51159 8-20?
C51161 8-20
C51162 8-20
C51183 8-20
C51236 8-20→12-17(C5321)
C51239 8-17→8-20
C51266 8-20(戦前より)
C51285 8-20
C51287 12-17(戦前)→20立方
燕用テンダー
特急燕牽引用として次の5両が水積載量を20立方としたC52用テンダーと振替えられた。
C51171 1955年頃まで装備 1955年頃まで追従したが末期は8-17台形を使用
C51208 末期は改造された特殊な形状のテンダーとなる。最後まで追従した。
C51247 青森機関区時代は8-17台形を装備、青森区時代は8-17台形を使用
C51248 末期の詳細な写真無し、不鮮明な写真からは最後まで利用した可能性あり
C51249 燕時代の写真無し、末期は8-17を使用
C51129 末期の写真では燕用テンダー使用
C51238 戦前から燕用テンダーに振替えられていた。
変形テンダー
・非常に特異なタイプ
C51259
1941年3月26日に発生した塚本事故により脱線転覆、鷹取工場にてC57キャブ、テンダーで復旧された。
C51182
写真から非常に特異な形状である。大きさから20立方相当と推定される。
福島区時代の1955年は標準の17立方台形テンダーで、1959年の米沢区時代には振り返られていた。廃車前にD501が使用していたもの?
C51208
1959年頃の若松区時代の写真に、背の高いタイプの無リベットのテンダーをつけていた。特急ツバメ牽引時代の8-20テンダーを改造した。
・無リベットテンダー
C514 8-17矩形→8-17台形リベットなし(1956年以前)
C5120 8-17矩形→8-17台形(リベット無し)を装備
C5170 8-17台形変形 リベットなし新製?
C5171 8-17台形変形 リベットなし新製?
C5175 8-17台形変形 リベットなし新製?
C51284 12-17変形(リベット無し)→8-17台形(1956年頃)
・その他
C51135 8-17台形→12-17変形 8-17台形から改造か?
C51196 8-17台形→変形8-17台形(後部炭庫継足し改造)
C51214 8-17台形→12-17変形 8-17台形から改造か?(1959.4〜1960.3鹿児島区)
C51230 8-17台形→12-17変形 8-17台形から改造か? |
|
C51 1
浜松工場製1号機、新製配置は東京局、金沢、仙台を経て、1945年12月より豊岡で活躍する。1957年9月に廃車となる。
金沢、仙台時代は初期型の凸型テンダーであったが、豊岡時代は標準的な8-17テンダーに振替わっている。最後までスポーク動輪装備したが、1955年頃に他機のボイラー(おそらく197号?)に振替られたようで、化粧煙突が失われ、手摺が2段となり、電設管の形状が変更、煙室前面の公式側上方の手摺が復活している。
写真 新製時:〇 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側(仙台機関区配置時)→両側(豊岡機関区配置時) 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工or浜松工:1930年以前)→A型(1955年) デフレクター:本省設計型1935年5月頃(仙台庫 配置表) 煙突:1955年7月以降にパイプ煙突(裾無し)に変更 給水温め器:本省丸形:浜松工1930年2月以前(金澤庫写真帖) 給水配管:=型 竪型 浜工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段→2段(1955年以降) 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音(1955年)→5階音(1955年) 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動拡大 テンダー:8-17矩形(仙台区)→8-17台形(豊岡区) ナンバープレート:型式入り→標準 その他:
車歴 製造: 1920年1月24日 浜松工場 No.1 使用開始: 1920年1月24日 東京局 改番: 1928年10月1日 18900→C511 配置: 1931年1月31日 金沢庫 移動: 1934年11月 金沢庫→仙台庫 移動: 1945年7月6日 仙台区→豊岡区 達185号(達は9/7付け) 廃車: 1957年10月25日 豊岡区 総裁達612
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C511デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 Train No.220
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車No58
※5 Rail No.114
※6 鉄道ピクトリアル89(1958-12)
※7 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※8 蒸気機関車写真名鑑
※9 世界の鉄道 別冊 明治・大正・昭和 蒸気機関車100年 朝日新聞社
※10 新日本鉄道史 下 川上幸義
※11 鉄道ファンNo.153(1974-1) |
C51 2
浜松工場製、新製配置は東京局、金沢、仙台を経て、1945年12月より豊岡で活躍する。1957年9月に廃車となる。移動は1号と同じである。金沢時代の1930年に事故により20m下の転落大破している。その時点で給水温め器を装備しており、給水ポンプは運転室前に吊り下げたものだった。
金沢時代に装備していた初期型のテンダーは、豊岡時代までに標準型8-17テンダーに振替られた。最後までスポーク動輪を装備していた。
写真 新製時:〇 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側(1953年5月豊岡機関区配置時)→両側(豊岡機関区配置時) 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工or浜松工:1930年以前) デフレクター:本省設計型1934年11月頃(金沢→仙台庫移動時 配置表) 煙突:1953年以降にパイプ煙突(裾無し)になる。 給水温め器:本省丸形:浜松工1930年11月以前(北陸本線事故時では装備済み) 給水配管:=型 竪型 浜工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:運転室前(浜松)→標準位置(1957年以前) 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動拡大 テンダー:8-17矩形→8-17台形 ナンバープレート:型式入り→標準 その他:
車歴 製造: 1920年1月24日 浜松工場 No.2 使用開始: 1920年1月24日 東京局 改番: 1928年10月1日 18901→C512 事故: 1930年11月6日 01:39頃、北陸本線市振〜親不知間起点306.2km付近 死者1・負傷33 配置(休車): 1931年1月31日 一時休車金沢庫 休車指定解除: 1931年4月 一時休車指定解除 金沢庫 貸渡: 1934年10月 宇都宮区 返却せず転属? 移動: 1934年11月 金沢庫→仙台庫 事故: 1941年1月18日 18:05頃、常磐線四ツ倉駅 移動: 1945年6月30日 仙台区→豊岡区 達185号 廃車: 1957年10月25日 豊岡区 総裁達612
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C512デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 私の蒸気機関車史下
※3 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※4 Rail No.36
※5 Rail No.114
※6 国鉄時代Vol.20
※7 機関車の系譜図4 臼井茂信 |
C51 3
浜松工場製、新製配置は神戸局、金沢、富山、盛岡、仙台、新庄を経て、1954年頃より米子で活躍する。1958年11月に廃車となる。
最後まで初期型のテンダーであり、スポーク動輪装備していた。煙突は米子時代の写真を見ると郡山工場管内で見られる背の高い化粧煙突で、新式の給水温め器を装備していた。
写真 新製時:〇 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側(新庄庫)→両側 煙室前手摺:B型(4時-11時30分浜松工:1930年以前)→A型(戦後、ボイラー振替?) デフレクター:本省設計型1935年4月頃(配置表) 煙突:化粧煙突→化粧煙突(高:1955年以前) 給水温め器:本省丸型:浜松工→本省丸新型(後藤工1955〜1957年に換装)1930年2月以前(金澤庫写真帖) 給水配管:=型→新型(米子区配置時) 竪型 浜工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復、振止付 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音(1957年) 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動拡大 テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式入り→標準 その他:
車歴 製造: 1919年12月27日 浜松工場 No.3 使用開始: 1919年12月27日 神戸局 移動: 1920年3月6日 庫名不明(神戸局管内)→庫名不明(名古屋局管内) 改番: 1928年10月1日 18902→C513 配置: 1931年1月31日 金沢庫 移動: 1938年3月 金沢区→富山区 移動: 1939年11月 富山区→金沢区 移動: 1940年9月30日 金沢区→盛岡区 移動: 1943年9月 盛岡区→仙台区 移動: 1949年5月26日 仙台区→新庄区 達45号 移動: 1953年5月 新庄区→福知山区 借入: 1953年12月6日 借入 米子区 返却せず 移動: 1954年3月31日 福知山区→米子区 廃車: 1958年11月27日 米子区 総裁達604
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C513デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※3 国鉄時代Vol.52 |
C51 4
浜松工場製、新製配置は神戸局、鳥栖、大分、熊本、出水、鹿児島、熊本、仙台を経て、1950より福島、1958年より新津で活躍する。1961年3月に廃車となる。
最後まで化粧煙突を有したが、1956年以降にボックス動輪に振替えられている。砂箱の形状が初期型で、蓋は九州地域で多くみられる形に取り換えられている。デフが左右方向に少し短く、給水温め器の配管は小倉工場型、テンダーも小倉工場管内で多くみられた無リベットテンダーになっている。
写真 新製時:〇 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工or小倉工) デフレクター:本省設計型(短)1934年4月頃(鳥栖庫 配置表) 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工? 給水配管:=型 竪型 浜工 排気配管:後々 竪型→L字管 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪:スポーク動輪(1956年→)→ボックス動輪 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動 テンダー:8-17矩形→8ー17台形無リベット ナンバープレート:正面のみ型式入りプレートが残る その他:
車歴 製造: 1920年1月10日 浜松工場 No.4 使用開始: 1920年1月10日 神戸局 移動: 1920年3月6日 神戸局管内→名古屋庫? 改番: 1928年10月1日 18903→C514 配置: 1930年3月31日 鳥栖庫 移動: 1935年10月 鳥栖庫→大分庫 移動: 1937年3月 大分区→熊本区 移動: 1939年11月 熊本区→出水区 移動: 1940年2月 出水区→鹿児島区 移動: 1941年9月 鹿児島区→熊本区 移動: 1944年3月30日 熊本区→稲沢区 達280号 移動: 1945年11月10日 稲沢区→仙台区 達25号 移動: 1950年1月 仙台区→福島第一区 移動: 1958年3月16日 福島第一区→新津区 達292号 廃車: 1961年3月31日 新津区 総裁達158
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C514デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 汽車半世紀
※3 私の蒸気機関車史下
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※5 蒸気機関車写真集山下節夫
※6 蒸気機関車No58
※7 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※8 Rail No.36
※9 国鉄時代Vol.50
※10 国鉄時代Vol.55
※11 日本蒸気機関車史 高木宏之
※12 蒸気の時代No.34
※13 日本の鉄道 国鉄監修 朝日新聞社編
※14 世界の鉄道 62 朝日新聞社
※15 世界の鉄道 別冊 明治・大正・昭和 蒸気機関車100年 朝日新聞社 |
C51 5
浜松工場製、新製配置は神戸局、姫路、梅小路、福知山、米原、豊岡を経て、1945年より奈良で、1959年より伊勢で活躍する。1962年2月に廃車の上青梅鉄道公園で保存となる。
直線的な大鉄型デフレクターを装備している。砂ドームの形状が変わっている。1931年以前に給水温め器を装備したため、運転室下前に給水ポンプを吊り下げた。単式コンプレッサーを装備していた。戦後は複式コンプレッサー、パイプ煙突、12-17テンダーにに換装され、1955年以降に標準的な位置に給水ポンプを移動、横式ボイラー逆止弁、汽笛がドーム脇へ移っている。保存の際に、C5125の部品を用いて、化粧煙突、初期型テンダーとなっている。第2動輪が18本スポーク動輪のため、戦後すぐに廃車となったC54のスポーク動輪に振替えられた可能性があります。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:〇
特徴 解放テコ:右側→両側(1954年以降1958以前) 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型(直)1934年5月(姫路庫 配置表) 煙突:化粧煙突→裾ありパイプ煙突(1954年以前) 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型→横型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側3往復 コンプレッサー:単式(1937年)→複式(1960) 給水ポンプ:運転室前(鷹取)→標準位置(1954〜1958年) 汽笛:3階音(1954年)→ドーム横5階音(1958年) 動輪:17本スポーク動輪(第1、第3)、18本スポーク動輪(第2動輪 廃車C54動輪?) 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方拡張 テンダー:8-17矩形→12ー17型→8ー17型矩形(保存時C5125 のもの) ナンバープレート:型式入り→標準 その他:
車歴 製造: 1920年1月24日 浜松工場 No.5 使用開始: 1920年1月24日 神戸局 改番: 1928年10月1日 18904→C515 配置: 1931年1月31日 姫路庫 移動: 1939年11月 姫路区→梅小路区 移動: 1941年10月 梅小路区→福知山区 移動: 1943年3月17日 福知山区→米原区 移動: 1943年8月30日 米原区→豊岡区 移動: 1945年11月 豊岡区→奈良区 事故: 1946年4月1日 08:31頃、奈良線稲荷駅 配置: 1959年4月1日 奈良区 配置: 1959年12月1日 伊勢区 廃車: 1962年2月28日 奈良区 総裁達74
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C515デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 私の蒸気機関車史下
※3 全盛期の蒸気機関車写真集V隅野成一
※4 蒸気機関車No58
※5 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※6 蒸気機関車スタイルブック
※7 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※8 とれいん 増刊 日本の蒸機作品集
※9 国鉄時代Vol.5
※10 国鉄時代Vol.50
※11 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集U
※12 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集V
※13 蒸気機関車写真名鑑
※14 写真集 岡山の鉄道 山陽新聞社
※15 蒸気機関車形式写真集U 小野治男 |
C51 6
浜松工場製、ボイラーも浜松工場製作である。新製配置は神戸局、岡山、姫路、福知山を経て、1943年より米子に移り、1958年11月まで活躍した。
1935年頃の姿は、大鉄型デフレクター、1937年頃に鷹取工場で給水温め器を取付けたため排気管が前から取り付けられている。米子時代までにパイプ煙突となり、新型の給水温め器に交換された。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:〇
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型(直)1934年5月(姫路庫 配置表) 煙突:化粧煙突→パイプ煙突(裾なし) 給水温め器:本省丸型:鷹取工→本省丸新型(後藤工1955〜1957年に換装)1936年4月〜1938年4月(姫路区 配置表) 給水配管:=型→新型 竪型 鷹取工 排気配管:前後 なし(前止弁) ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側?往復、右側3往復 コンプレッサー: 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音(米子区) 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方拡張 テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式入り その他:
車歴 製造: 1920年2月6日 浜松工場 No.6 使用開始: 1920年2月6日 神戸局 配置: 1923年3月31日 岡山庫 改番: 1928年10月1日 18905→C516 配置: 1931年1月31日 姫路庫 移動: 1939年11月 姫路区→梅小路区 移動: 1941年11月 梅小路区→福知山区 移動: 1943年2月 福知山区→米子区 休車指定: 1958年8月30日 第一種休車 米子区 廃車: 1958年11月27日 米子区 総裁達604
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C516デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
※3 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T
※4 蒸気機関車写真名鑑 |
C51 7
浜松工場製、ボイラーまで浜松工場で製作された。新製配置は神戸局、姫路、梅小路、福知山、米原、豊岡を経て、1945年より奈良で活躍する。1958年11月に廃車となる。
最後まで初期型のテンダーであり、スポーク動輪を装備した。煙突は1939年頃にパイプ煙突に換装されている。1937年頃に鷹取工場で給水温め器を取付けたため排気管が前から取り付けられている。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型(直)1934年5月(姫路庫 配置表) 煙突:化粧煙突→裾ありパイプ煙突(1939年) 給水温め器:本省丸型:鷹取工1936年4月〜1938年4月(姫路区 配置表) 給水配管:=型 竪型→横型 鷹取工 排気配管:前後 なし(前止弁) ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音(1954年)→ドーム横5階音(1958年) 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方拡張 テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式入り→標準 その他:
車歴 製造: 1920年2月12日 浜松工場 No.7 使用開始: 1920年2月12日 神戸局 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18906→C517 配置: 1930年8月31日 姫路庫 移動: 1939年11月 姫路区→梅小路区 移動: 1942年1月 梅小路区→福知山区 移動: 1943年3月17日 福知山区→米原区 移動: 1943年8月30日 米原区→豊岡区 移動: 1945年11月 豊岡区→奈良区 廃車: 1958年11月13日 奈良区 総裁達591
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C517デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
※3 蒸気機関車No48
※4 記録写真蒸気機関車T
※5 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※6 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
※7 とれいん 増刊 日本の蒸機作品集
※8 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T
※9 蒸気機関車写真名鑑
※10 機関車の系譜図4 臼井茂信 |
C51 8
浜松工場製、新製配置は神戸局、神戸、亀山を経て、1938年に供出により標準軌に改軌し華中鉄道で使用される。
亀山時代の姿は、住山式給水温め器と大鉄型デフを装備していたが、供出後はデフレクター、住山式給水温め器は外されている。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型(直)1934年5月(亀山庫 配置表) 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管:前 ボイラー手摺:1段 梯子: 圧縮空気冷却管: コンプレッサー: 給水ポンプ:運転室前(鷹取) 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪→ボックス動輪 運転室: テンダー:8-17矩形 ナンバープレート: その他:
車歴 製造: 1920年2月24日 浜松工場 No.8 使用開始: 1920年2月24日 神戸局 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18907→C518 配置: 1930年8月31日 亀山庫 供出に伴う発送: 1938年6月4日 実機の発送 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(亀山区) 作軍秘55号 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年8月31日 亀山区 作軍秘第55
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C518デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 鉄道ピクトリアルNo.703(2001-7) |
C51 9
浜松工場製、新製配置は東京局、高崎、宇都宮、小山、仙台、福島を経て、1945年より青森で活躍する。1958年6月に廃車となる。
最後まで初期型のテンダーであり、化粧煙突であった。1956年の写真ではボックス動輪に換装されていた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄型1936年4月以前 煙突:化粧煙突継ぎ足しあり(1934年)→化粧煙突継ぎ足し無し(1956年) 給水温め器:本省丸形:大宮工1934年8月(宇都宮庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪→ボックス動輪 運転室:前屏風あり(1956年) テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 1920年3月5日 浜松工場 No.9 使用開始: 1920年3月5日 東京局 改番: 1928年10月1日 18908→C519 配置: 1929年12月 高崎庫 移動: 1932年4月 高崎庫→宇都宮庫 移動: 1937年10月 宇都宮区→小山区 移動: 1942年3月10日 小山区→仙台区 移動: 1943年3月2日 仙台区→福島区 移動: 1945年11月 福島区→青森区 配置: 1948年4月1日 青森区 配置: 1948年7月1日 尻内区 配置: 1949年12月 尻内区 配置: 1950年4月1日 青森区 廃車: 1958年7月1日 青森区 総裁達331
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C519デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 鉄道ファンNo.148(1973-8) |
C51 10 NEW
浜松工場製、新製配置は東京局、高崎、宇都宮、小山、白河を経て、1943年より直江津で活躍する。1955年8月に廃車となる。
最後まで初期型のテンダーで、化粧煙突であった。東鉄型デフレクターを装備し、大宮工場、長野工場管内の所属機の特徴を有する。
写真 新製時:〇 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄型1936年4月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸形:大宮工1934年2月(配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:1段 梯子:前寄り 圧縮空気冷却管:左側?往復、右側4往復 コンプレッサー: 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動 テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 1920年3月20日 浜松工場 No.10 使用開始: 1920年3月20日 東京局 改番: 1928年10月1日 18909→C5110 配置: 1929年12月 高崎庫 移動: 1932年3月 高崎庫→宇都宮庫 事故: 1934年4月12日 東北本線野崎駅 故障: 1935年4月 動輪タイヤ弛みを3対全てに発見 移動: 1937年10月 宇都宮区→小山区 移動: 1942年3月 小山区→白河区 移動: 1943年2月9日 白河区→直江津区(着 2/23) 休車指定: 1955年3月 第一種休車指定 直江津区 廃車: 1955年8月2日 直江津区 総裁達417
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5110デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 Rail No.18
※3 Rail No.23
※4 国鉄時代Vol.21
>>>C51 11〜20 |
C51 11
浜松工場製、新製配置は東京局、平、高崎、田端、長岡、山形を経て、1948年より酒田で活躍する。1962に新津に移動し、1963年12月に廃車となる。
まず東鉄型のデフレクターガ装備され、本省丸型給水温め機装備と同じく本省設計型デフレクターに変更されている。最後まで初期型のテンダーであり、化粧煙突であった。1958年の写真ではスポーク動輪であり、その後ボックス動輪に換装されていた。
写真 新製時:〇 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:原型(新製時)→B型(大宮工〜1935年頃)→D型 デフレクター:東鉄型→本省設計型(1936年頃)1937年写真では装着済み、1936年3月以前の給水温め器装着前に装備していた可能性あり 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸形:大宮工1936年3月(高崎庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪→ボックス動輪 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動 テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 1920年3月29日 浜松工場 No.11 使用開始: 1920年3月29日 東京局 改番: 1928年10月1日 18910→C5111 配置: 1931年1月31日 平庫 配置: 1931年10月31日 平庫 配置: 1932年1月31日 高崎庫 事故: 1934年6月23日 走行中にピストン棒折損 配置: 1936年 高崎庫 その後 田端区尾久支区に移動 本区に昇格: 1939年10月11日 田端区尾久支区→尾久区(本区に昇格) 移動: 1942年1月19日 尾久区→長岡区 事故: 1942年1月20日 長岡区にて事故被災 移動: 1945年11月 長岡区→山形区 配置: 1948年5月1日 山形区 配置: 1948年7月1日 酒田区 移動: 1962年9月 酒田区→新津区 廃車: 1963年12月18日 新津区 総裁達631
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5111デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 上越線を行く列車
※3 機関車表 沖田祐作
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※6 蒸気機関車No58
※7 Rail No.5
※8 Rail No.36
※9 国鉄時代Vol.21
※10 蒸気の時代No.34
※11 日本の鉄道100年 朝日新聞社 |
C51 12 NEW
浜松工場製、新製配置は東京局、水戸、高崎、田端、宇都宮、平を経て、1943年より福島で活躍する。1958年9月には廃車となる。
最後までスポーク動輪であったが、煙突が背の高い化粧煙突に変更になり、テンダーも標準型の8-17型に振り替えられている。
写真 新製時:〇 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工) デフレクター:本省設計型1936年4月以降 煙突:化粧煙突→化粧煙突(高) 給水温め器:本省丸形:大宮工1931年2月(水戸庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音(1956年) 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動 屏風あり テンダー:8-17矩形(1937年)→8ー17台形(1957年) ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 1920年5月4日 浜松工場 No.12 使用開始: 1920年5月4日 東京局 改番: 1928年10月1日 18911→C5112 配置: 1931年1月31日 水戸庫 移動: 1931年10月 水戸庫→高崎庫 配置: 1936年3月31日 高崎庫 配置: 1938年4月30日 田端区尾久支区 本区に昇格: 1939年10月11日 田端区尾久支区→尾久区 移動: 1940年3月 尾久区→宇都宮区 移動: 1942年2月 宇都宮区→平区 移動: 1943年3月17日 平区→福島区 移動: 1949年3月 福島区→福島第一区 配置(休車): 1950年4月1日 第一種休車 福島第一区 配置(休車): 1950年8月1日 第一種休車継続中 福島第一区 廃車: 1958年9月2日 福島第一区 総裁達420
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5112デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 Train No.220
※3 機関車表 沖田祐作
※4 国鉄時代Vol.16
※5 国鉄時代Vol.20
※6 蒸気の時代No.68
※7 新日本鉄道史 上 川上幸義
※8 鉄道ファンNo.92(1969-2) |
C51 13 NEW
浜松工場製、新製配置は名古屋局、1930年頃には旭川に転じている。函館、小樽築港、室蘭を経て、1957年より苗穂で活躍するが、1959年3月には廃車となる。
名古屋局時代の1928年以前に煙室を500mm延長したが1956年頃に原型に戻された。最後までスポーク動輪であったが、末期はD50タイプの8-20型テンダーに振り替えられている。
写真 新製時:〇 戦前写真:〇 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:本省設計型(蝶番あり)1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:苗穂工1932年12月(旭川庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 苗穂工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動、雨樋改造 テンダー:8-17矩形→8ー20型(戦後) ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:煙室延長(1928年以前〜1956年頃)
車歴 製造: 1920年9月22日 浜松工場 No.13 使用開始: 1920年9月22日 浜松庫 改造: 1928年 名鉄局 煙室延長500mm試験改造実施 改番: 1928年10月1日 18912→C5113 配置: 1931年1月31日 旭川庫 移動: 1934年11月 旭川庫→函館庫 配置: 1936年3月31日 函館庫 配置: 1938年4月30日 小樽築港区 移動: 1943年2月 小樽築港区→室蘭区 休車指定: 1953年4月1日 第一種休車指定 室蘭区 配置 休車中: 1953年10月1日 現在 第一種休車継続中 室蘭区 改造: 1956年 煙室延長500mmを原型に復帰 移動: 1957年3月 室蘭区→苗穂区 廃車: 1959年3月20日 室蘭区 総裁達93
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5113デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車No58
※5 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※6 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
※7 鉄道ファンNo.244(1981-8) |
C51 14
浜松工場製、新製配置は名古屋局、金沢、富山、青森、盛岡を経て、1954年より宮崎で活躍するが、1959年11月には廃車となる。
最後の形状は写真がなく判らない。盛岡時代にボックス動輪に振替られ、宮崎に転属した可能性が雑誌記事に記載がある。この動輪が→107→94に使用されたことが想定できる。
写真 新製時:〇 戦前写真:○ 昭和20年代:〇 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:B型(4時-11時30分浜松工) デフレクター:本省設計型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1938年4月(富山区 配置表) 給水配管:T型? 竪型? 浜工? 排気配管:後々? 竪型? ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側?往復、右側4往復、振止付 コンプレッサー: 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動 テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式あり→型式無し その他:
車歴 製造: 1920年10月23日 浜松工場 No.14 使用開始: 1920年10月23日 浜松庫 改番: 1928年10月1日 18913→C5114 配置: 1931年1月31日 金沢庫 移動: 1938年3月 金沢区→富山区 移動: 1939年4月22日 富山区→青森区 移動: 1943年2月 青森区→盛岡区 休車指定: 1954年5月1日 第一種休車指定 盛岡区 その後 第一種休車指定解除(時期不明) 移動: 1954年11月15日 盛岡区→宮崎区 達717号 配置: 1958年4月1日 宮崎区 配置(休車): 1959年4月1日 第一種休車 宮崎区 廃車: 1959年11月27日 宮崎区 総裁達629
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5114デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
※3 Rail myrail No.15
※4 新日本鉄道史 下 川上幸義
※5 鉄道ファンNo.131(1972-3) |
C51 15 NEW
浜松工場製、新製配置は名古屋局、金沢、稲沢、多治見、富山、盛岡、尻内、仙台を経て、1950年より青森で活躍する。1958年9月には廃車となる。
最後までスポーク動輪であったが、煙突が背の高い化粧煙突に変更になり、テンダーも標準型の8-17型に振り替えられている。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:本省設計型1936年3月以前 煙突:化粧煙突(高) 給水温め器:本省丸型:浜松工1932年1月(金澤庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 浜工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側?往復、右側4往復 コンプレッサー: 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動 テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式無し その他:
車歴 製造: 1920年11月30日 浜松工場 No.15 使用開始: 1920年11月30日 浜松庫 改番: 1928年10月1日 18914→C5115 配置: 1931年1月31日 金沢庫 移動: 1938年9月 金沢区→稲沢区 移動: 1938年10月 稲沢区→名古屋区多治見支区 本区に昇格: 1938年12月 名古屋区多治見支区→多治見区(本区に昇格) 移動: 1939年4月 多治見区→富山区 移動: 1940年9月30日 富山区→盛岡区 移動: 1944年9月30日 盛岡区→名古屋局管内 達791号 移動: 1945年11月10日 名古屋局管内→尻内区 達25号 配置: 1949年7月1日 尻内区 配置: 1949年11月1日 仙台区 移動: 1950年1月 仙台区→青森区 休車指定: 1954年5月1日 第一種休車指定 青森区 配置(休車): 1958年4月1日 現在 第一種休車 青森区 廃車: 1958年7月1日 青森区 総裁達331
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5115デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集 |
C51 16 NEW
浜松工場製、新製配置は名古屋局、1930年頃には旭川に配置となり、小樽築港、旭川、室蘭を経て、1957年には岩見沢で活躍する。1958年11月には廃車となる。
最後までスポーク動輪で、サンビームを装備していた。1954年頃の写真ではパイプ煙突に換装されていた。
写真 新製時:○ 戦前写真:− 昭和20年代:〇 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:本省設計型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾なしパイプ煙突(1955年頃) 給水温め器:本省丸形:浜松工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型? 竪型? ? 排気配管:後々 竪型? ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側?往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ: 汽笛:5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動 北海道タイプ雨樋、北海道タイプ吊具 テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式無し その他:
車歴 製造: 1921年1月27日 浜松工場 No.16 使用開始: 1921年1月27日 浜松庫 改番: 1928年10月1日 18915→C5116 配置: 1931年1月31日 旭川庫 移動: 1940年10月 旭川区→小樽築港区 移動: 1943年10月 小樽築港区→旭川区 移動: 1944年2月 旭川区→室蘭区 移動: 1957年3月 室蘭区→岩見沢区 廃車: 1958年11月27日 岩見沢区 総裁達604
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5116デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集 |
C51 17 NEW
浜松工場製、新製配置は名古屋局、1930年頃には旭川に配置となり、函館、小樽築港を経て、1944年には稲沢、1945年より豊岡で活躍する。1958年11月には廃車となる。
名古屋局時代に給水温め器を装備し、運転室右下に給水ポンプを装着した。この装備位置は写真がないため後々変更されたかはわからない。北海道に一時期配置のため運転室吊フックの形状が苗穂型である。C5118は運転室屋根も改造されたが、当機ではされてないようである。豊岡機関区時代の写真は左後方からの写真が1枚あるが、重油タンクを装備していることはわかるが、全容はわからない。
写真 新製時:○ 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:本省設計型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸形:浜松工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 竪型? ? 排気配管:後々 竪型? ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側?往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:運転室前(浜松) 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方拡大、北海道タイプ吊具 テンダー:8-17矩形形→8ー17台形 ナンバープレート:型式入り→型式無し その他:水撒管が高い位置に
車歴 製造: 1921年3月20日 浜松工場 No.17 使用開始: 1921年3月20日 浜松庫 改番: 1928年10月1日 18916→C5117 配置: 1931年1月31日 旭川庫 配置: 1936年3月31日 旭川庫 配置: 1938年4月30日 函館区 移動: 1938年5月 函館区→小樽築港区 移動: 1944年3月28日 小樽築港区→稲沢区 達280号 移動: 1945年11月14日 稲沢区→豊岡区 達25号 事故: 1946年8月13日 13:52頃、山陰本線竹野-佐津間 廃車: 1959年2月21日 豊岡区 総裁達50
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5117デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 高橋 弘作品集 蒸気機関車 その良き時代
※3 C52・C53 松本謙一 他編 プレス・アイゼンバーン |
C51 18 NEW
浜松工場製、新製配置は名古屋局、静岡、浜松、金沢、富山、小樽築港を経て、1944年には稲沢、1947年より豊岡で活躍する。1956年に志布志機関区都城支区に移動し、1961年2月に廃車となる。
最後までスポーク動輪を有していた。給水温め器配管は浜松工場型、静岡区時代は特異なの形状のデフレクターを装備していたが、後に本省設計型に振替えられる。豊岡区時代の1954年頃の写真では北海道配属機特有の吊具、雨樋を有していた、1955年頃にパイプ煙突に変わり吊具、天窓が後藤工場式となった。都城転出後にパイプ煙突から化粧煙突に変わり、フロントデッキが直線化改造され、テンダーも矩形から台形のものに振替られている。目まぐるしい形状変化が見られる。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側→両側 煙室前手摺:B型浜松工 デフレクター:変形→本省設計型→鹿児島工場型1934年4月以前 煙突:化粧煙突→裾なしパイプ煙突→化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工→本省丸新型(後藤工1954〜1955年に換装)1931年1月以前(配置表) 給水配管:D51タイプ、新型逆止弁 竪型→横型 浜工→ 排気配管:後々 竪型→L字管 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復、振止付 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動、1954年の写真では北海道タイプの雨樋であるが、後に復旧s テンダー:8-17矩形→8-17台形 ナンバープレート:型式入り→型式無し その他:
車歴 製造: 1921年3月25日 浜松工場 No.18 使用開始: 1921年3月25日 浜松庫 改番: 1928年10月1日 18917→C5118 配置: 1931年1月31日 静岡庫 移動: 1939年3月 静岡区→浜松区 移動: 1939年5月 浜松区→金沢区 移動: 1940年2月 金沢区→富山区 移動: 1940年8月15日 富山区→小樽築港区 移動: 1944年3月30日 小樽築港区→稲沢区 達280号 移動: 1945年11月16日 稲沢区→豊岡区 達25号 移動: 1956年4月18日 豊岡区→志布志区都城支区 達398号 移動: 1959年2月1日 志布志区都城支区→宮崎区都城支区 廃車: 1961年2月15日 若松区 総裁達64
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5118デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※3 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集X
※4 昭和の鉄道情景 1 野口昭雄写真集 |
C51 19
汽車会社製1号機、新製配置は門司局、大里、鳥栖、大分、鳥栖、長崎、南延岡を経て、1950年より若松で活躍する。1961年10月に黒崎付近で追突事故を起こし、1962年2月に廃車となる。
最後までスポーク動輪、化粧煙突、初期型テンダーを有していた。戦前の一時期に門司局独自の防煙装置が装備されていた。
写真 新製時:〇 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:本省設計型(蝶番あり)1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸形:小倉工→本省丸新型(小倉工1959年までに換装)1931年1月以前(配置表) 給水配管:小倉タイプ 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型→無効化 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張(小)、前窓位置:前側、後窓:後方拡大、真空ブレーキ台あり テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式入り→型式無し その他:
車歴 製造: 1921年1月28日 汽車製造 No.474 使用開始: 1921年1月28日 広島庫 移動: 1926年1月 広島庫→大里庫 改番: 1928年10月1日 18918→C5119 移動: 1928年12月 大里庫→鳥栖庫 移動: 1935年10月 鳥栖庫→大分庫 移動: 1939年10月 大分区→鳥栖区 移動: 1942年1月 鳥栖区→長崎区 移動: 1949年6月 長崎区→南延岡区 移動: 1950年9月27日 南延岡区→若松区 配置: 1956年11月1日 若松区 廃車: 1962年2月28日 若松区 総裁達74
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5119デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 汽車会社蒸気機関車製造史
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※6 全盛期の蒸気機関車写真集4_八並国介
※7 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
※8 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※9 鉄道ファンNo.30(1963-12)
※10 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※11 国鉄時代Vol.54
※12 Rail No.23
※13 Rail No.36
※14 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
※15 日本の鉄道100年 朝日新聞社
※16 世界の鉄道 '63 朝日新聞社
※17 九州の鉄道 汽車・電車この20年
※18 鉄道ファンNo.133(1972-5) |
C51 20
汽車会社製2号機、新製配置は門司局、大里、鳥栖、熊本、長崎、南延岡を経て、1950年より若松で活躍する。1958年に早岐に移動し1961年2月にに廃車となる。
最後までスポーク動輪を有したが、1958年頃にパイプ煙突に振替えられた。1957年にK7タイプ門デフに換装。戦前の一時期、門司局独自の防煙装置が装備されていた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:本省設計型→門鉄型K7タイプ1938年4月以前 煙突:化粧煙突→裾ありパイプ煙突 給水温め器:本省丸形:小倉工1932年12月(鳥栖庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型→無効化 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動拡大 テンダー:8-17矩形→無リベット8ー17台形 ナンバープレート:正面型式入り その他:
車歴 製造: 1921年2月2日 汽車製造 No.475 使用開始: 1921年2月2日 広島庫 移動: 1926年1月 広島庫→大里庫 改番: 1928年10月1日 18919→C5120 移動: 1928年12月 大里庫→鳥栖庫 移動: 1934年11月 鳥栖庫→熊本庫 借入: 1936年1月28日 借入 奈良庫 返却: 1936年2月21日 返却 熊本庫 配置: 1941年3月31日 熊本区 移動: 1945年10月 熊本区→長崎区 移動: 1949年6月 長崎区→南延岡区 移動: 1950年9月20日 南延岡区→若松区 改造: 1957年3月 小倉工場 門(小倉工式)デフ(K-7型)取付 移動: 1958年3月1日 若松区→早岐区 廃車: 1961年2月14日 早岐区 総裁達62
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5120デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 九州の蒸気機関車 門司鉄道管理局
※3 九州の鉄道の歩み(鉄道100周年)九州総局
※4 蒸気の時代No.36
※5 蒸気の時代No.55
※6 鉄道ファンNo.106(1970-3)
※7 鉄道ファンNo.133(1972-5)
C51 1〜10<<< >>>C51 21〜30 |
C51 21
汽車会社製のC51の3号機、新製配置は門司局、大里、鳥栖、熊本、長崎を経て、1949年より早岐で活躍する。1949年5月25日は大村線で早岐-諫早、長崎本線諫早-長崎においてお召列車を牽引する。長らく長崎本線で活躍し1963年3月に廃車となる。最後までスポーク動輪、化粧煙突を有するなど優美な姿を保った。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:〇 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側(1949年お召牽引時)→両側(1955年頃) 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:本省設計型(蝶番あり)1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸形:小倉工→本省丸新型(小倉工1959年までに換装)1932年6月(鳥栖庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型→無効化 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張(小)、前窓標準位置、後窓後方移動、空気取入口(大)、真空ブレーキ装備台左右あり テンダー:8-17矩形→8-17台形 ナンバープレート:全面型式入り(1949年)→テンダーのみ型式入り その他:
車歴 製造: 1921年2月7日 汽車製造 No.476 使用開始: 1921年2月7日 広島庫 移動: 1926年1月 広島庫→大里庫 改番: 1928年10月1日 18920→C5121 移動: 1928年12月 大里庫→鳥栖庫 移動: 1934年11月 鳥栖庫→熊本庫 配置: 1941年3月31日 熊本区 移動: 1945年10月 熊本区→長崎区 配置: 1949年3月1日 長崎区 お召し列車牽引: 1949年5月25日 大村線早岐-諫早間・長崎本線諫早-長崎間にてお召列車牽引 配置: 1949年10月1日 早岐区 廃車: 1963年3月30日 早岐区 総裁達146
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5121デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 九州の蒸気機関車 門司鉄道管理局
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 全盛期の蒸気機関車写真集4_八並国介
※6 蒸気機関車No48
※7 蒸気機関車No58
※8 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※9 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※10 国鉄時代Vol.54
※11 蒸気の時代No.36 |
C51 22
汽車会社製、新製配置は門司局、大里、熊本、長崎を経て、1949年より吉松で活躍する。1961年1月に廃車となる。
最後までスポーク動輪、化粧煙突を有するが、鹿児島工場管内のため前面スロープが直線化改造されていた。デフは前方が斜めに切り落とされている。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右片側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:斜鹿工1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 横型 ? 排気配管:後々 竪型→L字管? ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張無し、窓拡大無し、空気取入口(大)、真空ブレーキ装備台左右あり テンダー:8-17台形 ナンバープレート:正面型式あり その他:
車歴 製造: 1921年2月14日 汽車製造 No.477 使用開始: 1921年2月14日 広島庫 移動: 1926年6月 広島庫→大里庫 改番: 1928年10月1日 18921→C5122 事故: 1930年7月18日 08:56頃、鹿児島本線富野(信) 移動: 1934年11月 大里庫→熊本庫 配置: 1941年3月31日 熊本区 移動: 1945年10月 熊本区→長崎区 事故: 1946年9月10日 05:02頃、佐世保駅3番線 移動: 1949年12月 長崎区→吉松区 廃車: 1961年1月13日 吉松区 総裁達415
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5122デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※3 蒸気の時代No.36 |
C51 23
汽車会社製のC51、新製配置は門司局、大里、出水を経て1932年より北海道の旭川に、小樽築港を経て、1946年より本州に戻り、梅小路を経て1947年から豊岡で活躍する。1955年頃には集煙装置が取り付けられ、給水温め器が埋込み改造されている。このころまでに重油タンクが取り付けられている。集煙装置は1960年までに撤去された。1961年2月に廃車となる。
運転室屋根の吊具、運転室前の支えは北海道時代の装備である。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:集煙装置→パイプ煙突 給水温め器:本省丸形:小倉工→落とし込み改造1933年2月(旭川庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 苗穂工→ 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張無し、窓拡大無し、空気取入口(大)、真空ブレーキ装備台左右あり テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式無し その他:
車歴 製造: 1921年2月28日 汽車製造 No.478 使用開始: 1921年2月28日 広島庫 移動: 1926年6月 広島庫→大里庫 改番: 1928年10月1日 18922→C5123 移動: 1931年2月 大里庫→出水庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 出水庫→旭川庫 事故: 1937年2月3日 09:08頃、函館本線浅里-張碓間起点263.344km 移動: 1942年11月 旭川区→小樽築港区 移動: 1945年7月3日 小樽築港区→梅小路区 達185号 配置: 1947年1月1日 梅小路区 配置 休車中: 1947年4月1日 現在 特別休車 豊岡区 移動: 1958年5月 豊岡区→豊岡区和田山支区 重油併燃装置取付済 廃車: 1961年2月14日 豊岡区 総裁達62
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5123デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下 |
C51 24
汽車会社製のC51、新製配置は門司局、大里、出水を経て1932年より北海道の旭川に、小樽築港を経て、1957年より岩見沢で活躍する。1958年11月に廃車となる。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側→両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸形:苗穂工1934年3月(旭川庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 苗穂工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張無し、窓拡大無し、真空ブレーキ台左右あり、雨樋改造 テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式あり(戦前)→型式無し(戦後) その他:非公式側テンダーステップ有
車歴 製造: 1921年2月23日 汽車製造 No.479 使用開始: 1921年2月23日 広島庫 事故: 1926年3月13日 01:56頃、山陽本線広島駅 移動: 1926年6月 広島庫→大里庫 改番: 1928年10月1日 18923→C5124 移動: 1931年2月 大里庫→出水庫 配置: 1931年10月31日 出水庫 その後 小樽築港庫に移動 時期不明 配置 休車中: 1932年1月31日 現在 一時休車(第一種休車相当) 小樽築港庫 休車解除: 1932年2月 一時休車(第一種休車相当)指定解除 小樽築港庫 移動: 1933年6月 小樽築港庫→旭川庫 配置: 1948年12月1日 旭川区 配置: 1949年2月1日 小樽築港区 配置 休車中: 1952年10月1日 現在 第一種休車 小樽築港区 配置: 1955年8月1日 小樽築港区 配置: 1956年12月31日 岩見沢区 廃車: 1958年11月27日 岩見沢区 総裁達604
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5124デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 北海道の蒸気機関車 釧路鉄道管理局
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※5 蒸気機関車写真名鑑
※6 新日本鉄道史 下 川上幸義 |
C51 25
汽車会社製のC51、新製配置は門司局、大里、鹿児島、鳥栖、大分、鹿児島を経て1945年に奈良に移動し関西方面で活躍する。戦前に九州管内を活躍したため、デフに蝶番付きであることや、給水温め器の配管、砂箱の蓋の形状が小倉工場管内タイプである。1955年頃に鷹取工場管内で行われた汽笛をドーム横に移動している。1962年2月に廃車となりテンダー、化粧煙突はC515の保存の際に流用された。最後まで化粧煙突、スポーク動輪を保った。
国立映画アーカイブが所蔵するフィルムを公開する「佐賀縣下に於ける陸軍特別大演習』1926年|「フィルムは記録する」の5分10秒くらいに佐賀駅に侵入する18924の姿がある。このころは油灯、給水温め器のない美しい姿。大宮にある鉄道博物館のC51はテンダーより後ろがお召列車牽引に関係することになる。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側(1956年1月)→両側(1959年7月) 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:本省(蝶)1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1938年5月(大分区 配置表) 給水配管:=型 竪型→横型 小倉工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音ドーム横移設 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室原型、公式側後窓移動、非公式側後窓拡大、真空ブレーキ装備台左右あり テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式無し その他:砂箱蓋門鉄タイプ
車歴 製造: 1921年2月25日 汽車製造 No.480 使用開始: 1921年2月25日 門司局 移動: 1921年5月 庫名不明(門司局管内)→広島庫 移動: 1926年6月 広島庫→大里庫 御召し列車牽引: 1926年11月13日 佐賀県下陸軍特別大演習 1928年10月1日: 1931年2月1日: 月頃 1931年4月1日: 月頃 1936年3月1日: 月頃 1939年11月1日: 月頃 1942年8月1日: 月頃 1944年9月2日: 1950年4月1日: 1956年11月1日: 廃車: 1962年2月28日 奈良区 総裁達74
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5125デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車の記録T(昭和32〜38年)辻坂明浩
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※6 蒸気機関車No48
※7 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※8 蒸気機関車形式写真集U 小野治男
※9 国立映画アーカイブが所蔵するフィルムの中に佐賀縣下に於ける陸軍特別大演習』1926年|「フィルムは記録する」の5分10秒くらいに佐賀駅に侵入する18924の姿がある。 |
C51 26
汽車会社製のC51、新製配置は神戸局、神戸、姫路、亀山を経て1957年より鹿児島で活躍する。1959年7月に廃車となる。
最後まで化粧煙突、スポーク動輪を保った。テンダーの振り替えが多い。末期はコンプレッサーは単式を2個並列にして利用した。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側(戦前)→両側(戦後) 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄(曲)1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型? 鷹取工 排気配管:後々 竪型? ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:単式→単式2連 給水ポンプ:運転室前(鷹取) 汽笛:3階音→5階音ドーム横移設 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓標準位置、後窓拡大、真空ブレーキ装備台撤去 テンダー:8-17矩形(戦前:姫路庫)→12‐17型(戦後:亀山区)→8ー17矩形(1958年鹿児島区) ナンバープレート:型式あり→型式無し その他:
車歴 製造: 1921年3月7日 汽車製造 No.481 使用開始: 1921年3月7日 神戸局 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18925→C5126 配置: 1930年8月31日 姫路庫 移動: 1938年9月 姫路区→亀山区 移動: 1957年12月26日 亀山区→鹿児島区 達52号 廃車: 1959年7月2日 鹿児島区 総裁達333
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5126デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車No48
※3 高橋 弘作品集 蒸気機関車 その良き時代
※4 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
※5 蒸気の時代No.50
※6 蒸気の時代No.68
※7 世界の鉄道 別冊 明治・大正・昭和 蒸気機関車100年 朝日新聞社 |
C51 27 NEW
汽車会社製のC51、新製配置は神戸局、神戸、姫路、亀山を経て1959年より伊勢で活躍する。1960年7月に廃車となる。
ヘッドライトが高い位置で取り付けられ、煙室手すりの切断が見られず原型です。最後までスポーク動輪を保ったが煙突は裾無しパイプ煙突から裾ありパイプ煙突に変更されている。第1〜3動輪すべてが18本スポーク動輪に振替えられているため、戦後すぐに廃車となったC54のものを使用している可能性があります。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側(戦前)→両側(戦後) 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→パイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 横型 鷹取工 排気配管:前後 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側3往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音ドーム横移設 動輪:18本スポーク動輪 廃車C54動輪? 運転室:運転室拡張、前窓標準位置、後窓拡大、真空ブレーキ装備台撤去 テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式あり→型式無し その他:
車歴 製造: 1921年3月9日 汽車製造 No.482 使用開始: 1921年3月9日 神戸局 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18926→C5127 配置: 1930年8月31日 姫路庫 移動: 1938年9月 姫路区→亀山区 配置: 1959年6月 亀山区 配置: 1959年12月1日 伊勢区 配置 休車中: 1960年4月1日 現在 第一種休車 伊勢区 廃車: 1960年7月20日 伊勢区 総裁達420
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5127デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※6 高橋 弘作品集 蒸気機関車 その良き時代
※7 全国蒸気機関車配置表 徳永益男 |
C51 28
汽車会社製のC51、新製配置は神戸局、梅小路、明石、梅小路、姫路、岡山を経て1938年に供出となり中国大陸で活躍する。
京阪神で活躍したころは住山式給水温め器を装備されていた。デフレクターを含め供出の際にそれぞれ撤去された。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右側→両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型→撤去(供出時)1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管: ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:単式 給水ポンプ:運転室前(鷹取)? 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓標準位置、後窓拡大、真空ブレーキ装備台撤去 テンダー:8-17矩形→8−17台形 ナンバープレート:正面型式入り その他:
車歴 製造: 1921年3月11日 汽車製造 No.483 使用開始: 1921年3月11日 神戸局 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18927→C5128 配置: 1930年8月31日 梅小路庫 配置: 1931年1月31日 明石庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 明石庫→梅小路庫 移動: 1932年4月 梅小路庫→姫路庫 移動: 1937年10月 姫路区→岡山区 達1056号 供出に伴う発送: 1938年7月22日 実機の発送 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(岡山区) 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年8月31日 岡山区 作軍秘第55
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5128デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 明石機関庫記念写真
※3 鉄道ファンNo.30(1963-12)
※4 鉄道ファンNo.280(1984-8) |
C51 29
汽車会社製のC51、新製配置は神戸局、姫路、亀山を経て1943年より北海道の室蘭に転出する。1950年に室蘭本線錦多峰-社台間でオボップ川橋梁を通過した際に橋脚が崩落する事故が発生。死者17名以上の被害があり、機関車も破損し数年間休車がかかる。1952年頃に復旧し小樽築港へ移動、苗穂を経て1958年11月に廃車となる。
京阪神で活躍したころは住山式給水温め器を装備されていた。北海道へ移動後の1950年の事故時の写真には住山式給水温め器は撤去されている。その後新式の本省丸形給水温め器が装備された。
写真 新製時:○ 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側→両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省設計型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→パイプ煙突 給水温め器:住山式:鷹取工→撤去→本省丸新型1931年1月以前(配置表) 給水配管:新型配管 竪型? 苗穂工 排気配管:前後? 竪型? ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:単式→複式? 給水ポンプ:運転室前(鷹取)→撤去→標準位置(1958年頃) 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓標準位置、後窓拡大、真空ブレーキ装備台撤去 テンダー:8-17矩形→8−17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→前面型式入り その他:
車歴 製造: 1921年4月1日 汽車製造 No.484 使用開始: 1921年4月1日 神戸局 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18928→C5129 配置: 1930年8月31日 亀山庫 移動: 1943年3月17日 亀山区→室蘭区 事故: 1950年8月1日 22:55頃、室蘭本線錦多峰(現 錦岡)-社台間 配置 休車中: 1951年10月1日 現在 第一種休車継続中 室蘭区 移動: 1952年 室蘭区→小樽築港区 配置 休車中: 1952年10月1日 現在 第一種休車 小樽築港区 配置 休車中: 1954年10月1日 現在 第一種休車 小樽築港区 休車解除: 1954年12月 第一種休車指定解除 小樽築港区 移動: 1955年6月 小樽築港区→苗穂区 廃車: 1958年11月27日 苗穂区 総裁達604
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5129デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
※3 北国の汽笛1(北海道の鉄道1956〜1959)星良助写真集
※4 昭和の鉄道情景1野口昭雄写真集 |
C51 30
汽車会社製のC51、新製配置は神戸局、神戸、姫路、岡山を経て1938年に供出となり中国大陸で活躍する。
京阪神で活躍したころは住山式給水温め器を装備されていた。デフレクターは大鉄型から本省設計型へ変化が見られる。供出の際にそれぞれ撤去された。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄(1936年9月)→本省(1937年)1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:鷹取工→撤去1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管:前 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:単式 給水ポンプ:運転室前(鷹取) 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張(大)、前窓標準位置、後窓拡大、真空ブレーキ装備台撤去 テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式入り その他:
車歴 製造: 1921年4月1日 汽車製造 No.485 使用開始: 1921年4月1日 神戸局 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18929→C5130 配置: 1931年1月31日 姫路庫 移動: 1937年10月 姫路区→岡山区 配置: 1938年4月30日 岡山区 供出に伴う発送: 1938年7月22日 実機の発送 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(岡山区) 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年8月31日 岡山区 作軍秘第55
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5130デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 C52・C53
※3 とれいん 増刊 日本の蒸機作品集
※4 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T
※5 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集U
※6 新日本鉄道史 上 川上幸義
C51 11〜20<<< >>>C51 31〜40 |
C51 31
汽車会社製、新製配置は神戸局、姫路、宮原、山田を経て、1943年に米子へ移動、1945年7月28日に米軍艦載機の空襲を受けたいわゆる大山口列車空襲事件の被害機となる。その後1956年に吉松へ移動、1958年に廃車になる。
写真が少なく末期の形状は判らない。
写真 新製時:〇 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:原型→ デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1938年6月(山田区 配置表) 給水配管: 排気配管: ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー: 給水ポンプ: 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張(大)、前窓標準位置、後窓拡大、真空ブレーキ装備台撤去 テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式入り その他:
車歴 製造: 1921年5月20日 汽車製造 No.486 使用開始: 1921年5月20日 神戸局 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18930→C5131 配置: 1930年8月31日 姫路庫 移動: 1933年9月1日 姫路庫→宮原庫 移動: 1935年11月 宮原庫→山田庫 移動: 1943年12月 山田区→米子区 事故: 1945年7月28日 07:15頃、山陰本線大山口駅 移動: 1956年11月14日 米子区→吉松区 達53号 廃車: 1958年9月2日 吉松区 総裁達420
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5131デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。 |
C51 32 NEW
汽車会社製、新製配置は神戸局、広島、岡山、糸崎、小郡、亀山、豊岡を経て、1945年に奈良へ移動、その後1953年に米子へ移動、1958年に廃車になる。
新製時と奈良区時代の写真があるが、全体的に写真が少なく細かな形状は判らない。奈良区時代(1951年ころ)の写真では大鉄型デフを装備しパイプ煙突になっていた。
写真 新製時:〇 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右側→両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:大鉄型1934年4月以前 煙突:化粧煙突→裾ありパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年4月(広島庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側?往復、右側3往復 コンプレッサー:単式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 廃車C54動輪? 運転室:運転室拡張(大)、前窓標準位置、後窓拡大、真空ブレーキ装備台撤去 テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:前面型式入りで残る その他:
車歴 製造: 1921年5月23日 汽車製造 No.487 使用開始: 1921年5月23日 神戸庫? 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18931→C5132 配置: 1931年1月31日 広島庫 移動: 1937年10月 広島区→岡山区 移動: 1939年3月 岡山区→糸崎区 移動: 1940年5月 糸崎区→小郡区 移動: 1940年12月 小郡区→亀山区 移動: 1943年9月 亀山区→豊岡区 移動: 1945年11月 豊岡区→奈良区 移動: 1952年11月15日 奈良区→米子区 達726号 休車指定: 1958年4月4日 第一種休車指定 米子区 配置 休車中: 1958年9月1日 現在 第一種休車継続中 米子区 廃車: 1958年11月27日 米子区 総裁達604
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5132デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 鉄道ピクトリアルNo.262(1972-3) |
C51 33
汽車会社製、新製配置は神戸局、姫路、岡山を経て、1938年に供出、中国大陸の華中鉄道で活躍する。
新製時と姫路時代の写真がある。姫路時代は住山式給水温め器を装備し、煙突延長部が太かった。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管:前 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:単式 給水ポンプ:運転室前(鷹取) 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室: テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式入り その他:煙突延長部の径が太い
車歴 製造: 1921年5月25日 汽車製造 No.488 使用開始: 1921年5月25日 神戸庫? 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18932→C5133 配置: 1930年8月31日 姫路庫 煙室延長500mm試験改造実施 その後 原型に復帰 移動: 1937年10月 姫路区→岡山区 達1056号 供出に伴う発送: 1938年7月28日 実機の発送 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(岡山区) 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年8月31日 岡山区 作軍秘第55
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5133デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 阪神間鉄道回顧録
※3 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T |
C51 34
汽車会社製、新製配置は神戸局、姫路、岡山を経て、1938年に供出、中国大陸の華中鉄道で活躍する。
姫路時代の写真がある。姫路時代は住山式給水温め器を装備していた。2段式ランボードあり
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管:前 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側?往復、右側3往復 コンプレッサー: 給水ポンプ:運転室前(鷹取) 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張(大)、前窓標準位置、後窓拡大、真空ブレーキ装備台撤去 テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式入り その他:
車歴 製造: 1921年5月27日 汽車製造 No.489 使用開始: 1921年5月27日 神戸庫? 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18933→C5134 配置: 1930年8月31日 姫路庫 移動: 1937年10月 姫路区→岡山区 達1056号 供出に伴う発送: 1938年8月1日 実機の発送 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(岡山区) 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年8月31日 岡山区 作軍秘第55
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5134デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 世界の鉄道写真全集 中国 C62+C59<呉線> |
C51 35
汽車会社製、新製配置は神戸局、姫路、岡山を経て、1938年に供出、中国大陸の華中鉄道で活躍する。
新製時と姫路時代の写真がある。姫路時代は住山式給水温め器を装備していた。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右側→両側(供出後) 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管:前 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側?往復、右側3往復 コンプレッサー: 給水ポンプ:運転室前(鷹取) 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張(大)、前窓標準位置、後窓拡大、真空ブレーキ装備台撤去 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り その他:煙突延長部の径が太い
車歴 製造: 1921年5月30日 汽車製造 No.492 使用開始: 1921年5月30日 神戸庫? 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18934→C5135 配置: 1930年8月31日 姫路庫 移動: 1937年10月 姫路区→岡山区 達1056号 供出に伴う発送: 1938年8月7日 実機の発送 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(岡山区) 作軍秘55号 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年8月31日 岡山区 作軍秘第55
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5135デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。 |
C51 36
汽車会社製、新製配置は神戸局、姫路を経て、1932年より山田にて活躍する。1958年に廃車となる。
大鉄型デフレクターを装備し、末期はパイプ煙突になっていた。前面ナンバープレートは最後まで形式入りで残った。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側→両側(1959年) 煙室前手摺:A’型(9時-11時30分、1時-2時鷹取工) デフレクター:大鉄(曲)1935年3月以前 煙突:化粧煙突→パイプ煙突(1959年) 給水温め器:本省丸型:鷹取工(1959年)1934年2月(山田庫 配置表) 給水配管: 竪型? 鷹取工? 排気配管:前後 なし(前止弁) ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側?往復 コンプレッサー:単式2基(1959年) 給水ポンプ: 汽笛:3階音→ドーム横5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓標準位置、後窓拡大、真空ブレーキ装備台撤去 テンダー:8-17矩形(増炭覆い付き) ナンバープレート:型式入り(戦前)→前面型式入り残る その他:
車歴 製造: 1921年6月1日 汽車製造 No.493 使用開始: 1921年6月1日 神戸庫? 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18935→C5136 配置: 1930年8月31日 姫路庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 姫路庫→山田庫 廃車: 1958年11月13日 山田区 総裁達591
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5136デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 蒸気機関車No58 |
C51 37
汽車会社製、新製配置は東京局、平、高崎、福島、横手を経て1958年より米沢で活躍する。1962年に廃車となる。
関東大震災で横転した写真がある。時期不明であるが大宮工場で前照灯が取り付けられ、1931年以前に本省丸形給水温め器が装備、1937年より後に東鉄型デフレクターが装備、1935年頃の高崎庫時代に東鉄型デフから本省設計型デフに交換されている(1934年9月23日の事故による破損?)。同時期にテンダーも12-17矩形→台形に振替られている。白河、水戸、福島、横手を経て1953年より米沢に配置となる。1955年頃にボックス動輪に振替えられる。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄型(1935年頃)→本省型(1936年) 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1931年2月(平庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音(仙台区1951年頃)→3階音(米沢区1959年頃) 動輪:17本スポーク動輪(1951年)→ボックス動輪(1960年) 運転室:運転室拡張、後窓後方移動、真空ブレーキ装備台左撤去右あり テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 1921年6月3日 汽車製造 No.494 使用開始: 1921年6月3日 東京局 事故: 1923年9月1日 11:59頃、東海道本線大磯-平塚間 改番: 1928年10月1日 18936→C5137 配置: 1931年1月31日 平庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 平庫→高崎庫 事故: 1934年9月23日 信越本線横川駅 配置: 1940年3月31日 高崎区 移動: 1943年2月 高崎区→白河区 移動: 1943年3月 白河区→水戸区 移動: 1945年11月13日 水戸区→福島区 達25号 移動: 1949年3月 福島区→福島第一区 配置: 1949年11月1日 福島第一区 配置 休車中: 1950年4月1日 現在 第一種休車 福島第一区 配置: 1950年8月1日 福島第一区 移動: 1951年9月29日 福島第一区→横手区 達494号 移動: 1953年3月24日 横手区→米沢区 配置: 1958年4月1日 米沢区 廃車: 1962年6月13日 米沢区 総裁達264
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5137デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車2
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※7 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※8 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
※9 全盛期の蒸気機関車写真集V隅野成一
※10 蒸気機関車No58
※11 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※12 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
※13 Rail No.5
※14 轣轆114
※15 鉄道ピクトリアルNo.665(1999-2)
※16 蒸気機関車形式写真集U 小野治男 |
C51 38
汽車会社製、新製配置は東京局、平、高崎を経て1943年より新庄に、1959年より米沢で活躍する。1961年に廃車となる。
東鉄型デフを装備し、末期まで、化粧煙突、スポーク動輪を維持した。右側に清缶剤箱を装備
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側 テンダーは両側(戦前) 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分)→B’型(戦後:8時30分-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄型1935年以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1938年8月(高崎庫 配置表) 給水配管:T型→ミ型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、後窓後方移動、真空ブレーキ装備台撤去済み テンダー:8-17矩形変形→8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 1921年6月3日 汽車製造 No.495 使用開始: 1921年6月3日 東京局 改番: 1928年10月1日 18937→C5138 配置: 1931年1月31日 平庫 故障・修繕: 1934年1月9日 炭水車第3制動梁吊受け取付部(ガス溶接)に亀裂発見 配置: 1936年3月31日 平庫 その後 高崎区に移動 時期不明 配置: 1938年4月30日 高崎区 事故: 1943年2月17日 高崎区構内にて事故被災 移動: 1943年9月22日 高崎区→新庄区(着 10/1) 御召列車牽引: 1947年8月16日 新庄区 陸羽西線 狩川→新庄 移動: 1959年9月 新庄区→米沢区 廃車: 1961年3月31日 米沢区 総裁達158
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5138デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集1鈴木武夫
※3 全盛期の蒸気機関車写真集V隅野成一
※4 鉄道ジャーナル1976年4月号 |
C51 39
汽車会社製、新製配置は東京局、関東大震災の際に浜松駅付近で類焼する。宇都宮、高崎を経て1945年より仙台、1950年より青森で活躍する。1961年3月に米沢に移動、1年ほど活躍し1962年3月に休車、6月に廃車、解体は8月以降
東鉄型デフを装備し、末期まで化粧煙突を有した。1955年頃までにボックス動輪となったが、1961年3〜6月に18本スポーク動輪に振替えらる。1955年頃の全般検査で、配管の大幅な変更が行われている。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側 テンダーは両側(戦前) 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型→ミ型(1955年頃改装) 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:スポーク動輪(戦前)→ボックス動輪(1953年〜1960年)→18本スポーク動輪(1960年〜1962年) 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動 テンダー:8-17矩形→8-17台形 ナンバープレート:白ペンキ(戦中)→型式無し その他:
車歴 製造: 1921年6月6日 汽車製造 No.496 使用開始: 1921年6月6日 東京局 事故: 1923年9月1日 11:59頃、東海道本線浜松町-新橋間 改番: 1928年10月1日 18938→C5139 配置: 1931年1月31日 宇都宮庫 移動: 1931年7月 宇都宮庫→高崎庫 配置: 1941年3月31日 高崎区 移動: 1945年11月6日 高崎区→仙台区 達25号 移動: 1950年1月 仙台区→青森区 第一種休車指定 配置 休車中: 1951年1月1日 現在 第一種休車継続中 青森区 移動: 1961年3月 青森区→米沢区 改修: 1961年6月 土崎工場に入場しボックス動輪→スポーク動輪に交換 休車: 1962年3月 米沢機関区構内に留置 廃車: 1962年6月13日 米沢区 総裁達264
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5139デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 寫眞圖解-日本の機関車 東亜書林
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※5 全盛期の蒸気機関車写真集V
※6 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※7 Rail No20
※8 Rail No.118
※9 西野保行鉄道写真集 鉄道その時代と共に(1)
※10 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※11 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※12 山形の鉄道情景―松木壽雄写真集 昭和30~40年代〈上〉
※13 蒸気の時代No.7 |
C51 40
汽車会社製、新製配置は東京局、水戸、高崎、山形を経て1956年より米沢で活躍する。1961年に廃車となる。
前側が斜めに切除された東鉄型デフを装備する。1955年頃にはボックス動輪に振替えられていた。1955年より前に煙室手摺の形状に変化が見られ、ボイラーが振替えられた可能性あり。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分大宮工)→A型(戦後:4時-11時30分、12時30分-14時) デフレクター:東鉄型水戸区時代の1935年頃には装備が行われていた。 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1938年8月(高崎庫 配置表)、水戸庫時代の1935年頃には装備が行われていた。 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪(戦前)→ボックス動輪(戦後) 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動 テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 1921年6月8日 汽車製造 No.497 使用開始: 1921年6月8日 東京局 改番: 1928年10月1日 18939→C5140 配置: 1931年1月31日 水戸庫 配置: 1936年3月31日 水戸庫 配置: 1938年4月30日 高崎区 移動: 1945年2月1日 高崎区→高崎第一区 移動: 1945年11月16日 高崎第一区→山形区(着 11/26?) 達25号 移動: 1950年2月 山形区→米沢区 配置: 1956年11月1日 米沢区 廃車: 1961年3月31日 米沢区 総裁達158
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5140デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 山形の鉄道情景―松木壽雄写真集 昭和30~40年代〈上〉
※3 雑誌SL No3 交友社
※4 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※6 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※7 蒸気の時代No.34
※8 鉄道ファンNo.339(1989-7)
C51 21〜30<<< >>>C51 41〜50 |
C51 41
汽車会社製、新製配置は東京局、高崎を経て1945年より直江津で活躍する。1952年2月23日に信越本線東福寺信号所にて脱線転覆事故を起こし、しばらく休車の後、復旧している。1955年に廃車となる。 戦前は東鉄デフ、8-17台形テンダーであるが、事故後の1953年頃の写真では長野工場製のD51タイプのデフに12-17型テンダーに振替られられている。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:○ 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄型→長工 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1938年8月(高崎庫 配置表) 給水配管: 排気配管:後々 ボイラー手摺:1段 梯子:前寄り 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4?往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ: 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動 テンダー:8-17台形→12-17型 ナンバープレート:型式入り(戦前) その他:
車歴 製造: 1921年6月8日 汽車製造 No.498 使用開始: 1921年6月8日 東京局 改番: 1928年10月1日 18940→C5141 配置: 1929年12月 高崎庫 配置: 1931年1月31日 高崎庫 事故: 1935年11月9日 田端庫尾久分庫 配置: 1941年3月31日 高崎区 移動: 1945年2月1日 高崎区→高崎第一区 移動: 1945年11月9日 高崎第一区→直江津区 達25号 配置: 1951年10月1日 直江津区 事故: 1952年2月23日 09:33頃、信越本線東光寺(信) 配置 休車中: 1952年4月1日 現在 第一種休車(事故) 直江津区 配置: 1952年10月1日 直江津区 休車指定: 1954年9月24日 第一種休車指定 直江津区 廃車: 1955年2月26日 直江津区 総裁達81
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5141デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気の時代No.94 |
C51 42
汽車会社製、新製配置は東京局、宇都宮、高崎を経て1945年より尻内、盛岡で活躍する。1954年に酒田に移り1958年に廃車となる。
盛岡時代末期の1954年に装備に変化が見られるのでこの頃全般検査を通したと思われる。酒田時代に背の高い化粧煙突に変更されている。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:B型(1954年:4時-11時30分大宮工)→A’型(1954年以降:9時-11時30分、1時-2時土崎工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突→化粧煙突(高) 給水温め器:本省丸型:大宮工1938年8月(高崎庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:前寄り 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー: 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:正面形式入(1954年)→形式無し その他:
車歴 製造: 1921年6月10日 汽車製造 No.499 使用開始: 1921年6月10日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 18941→C5142 配置: 1931年1月31日 宇都宮庫 移動: 1931年7月 宇都宮庫→高崎庫 配置: 1941年3月31日 高崎区 移動: 1945年2月1日 高崎区→高崎第一区 移動: 1945年11月3日 高崎第一区→尻内区 達25号 移動: 1950年1月 尻内区→盛岡区 休車指定: 1954年5月1日 第一種休車指定 盛岡区 移動: 1954年10月30日 盛岡区→酒田区 達717号 配置: 1955年2月1日 酒田区 配置: 1955年8月1日 借入 新小岩区 配置: 1956年11月1日 酒田区 休車指定: 1958年3月15日 第一種休車指定 酒田区 廃車: 1958年4月26日 酒田区 総裁達207
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5142デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※3 鉄道ピクトリアルNo.833(2010-5) |
C51 43
汽車会社製500号、新製配置は名古屋局、高崎、豊岡を経て1957年より長崎で、1960年より早岐で活躍する。1963年に廃車となる。
戦前は東鉄型デフを装備していたが、最終期は、本省型デフ、パイプ煙突、LP403前照灯を装備していた。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:両側 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工) デフレクター:本省型1937年4月以前 煙突:パイプ煙突(裾無し) 給水温め器:本省丸型:大宮工→本省丸新型1936年3月(高崎庫 配置表) 給水配管:小倉タイプ 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→無効化 ボイラー手摺:1段 梯子:前寄り 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張無し、前側窓前期位置、後側窓後方へ移動(東鉄改造)、前窓改造(豊岡区)、空気取り入れ口、タブレットキャッチャー装備 テンダー:8-17台形増炭覆い付き ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 1921年6月15日 汽車製造 No.500 使用開始: 1921年6月15日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 18942→C5143 配置: 1929年12月 高崎庫 配置: 1931年1月31日 高崎庫 移動: 1943年9月17日 高崎区→豊岡区 配置: 1944年3月31日 豊岡区 事故: 1946年12月13日 00:58頃、山陽本線姫路第一区6番線 配置 休車中: 1947年1月1日 現在 特別休車 豊岡区 配置 休車中: 1947年4月1日 現在 特別休車継続中 豊岡区 配置: 1947年9月1日 豊岡区 配置: 1952年4月1日 豊岡区 移動: 1957年7月11日 豊岡区→長崎区 達613号 移動: 1960年12月1日 長崎区→早岐区 休車指定: 1962年9月8日 第一種休車指定 早岐区 廃車: 1963年2月1日 早岐区 総裁達34
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5143デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 全盛期の蒸気機関車写真集4_八並国介
※6 九州鉄道の記憶X
※7 九州の鉄道 汽車・電車この20年
※8 蒸気の時代No.90 |
C51 44
汽車会社製501号、新製配置は名古屋局、高崎を経て1945年に大館へ移り、1947年にはお召列車を牽引している。その後千葉、尾久を経て1955年に酒田へ移動する。そのまま使われることなく廃車となり、土崎工場で標本機関車となる。化粧煙突、17本スポーク動輪を有している。
1953年5月の尾久機関区時代の写真と比較すると、尾久時代は8-17台形テンダーであるが、保存は8-20型にのC53などが付けていた特急用テンダーみ変更されている。デフの穴の位置も変わっており、配管類も大幅に変更されている。このため酒田転入前後に全般検査などの整備が行われたと考えられる。ほとんど使われることなく廃車となったのかは不思議である。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:〇 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:両側 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1931年2月(高崎庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方へ移動(東鉄改造) テンダー:8-17台形(1953年)→8-20型(現在) ナンバープレート: その他:
車歴 製造: 1921年6月20日 汽車製造 No.501 使用開始: 1921年6月20日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 18943→C5144 配置: 1929年12月 高崎庫 事故: 1932年8月19日 走行中に主蒸気管切断 移動: 1945年2月1日 高崎区→高崎第一区 移動: 1945年11月12日 高崎第一区→大館区 達25号 お召し列車牽引: 1947年8月12日 天皇陛下戦災復興視察東北(6県)方面巡幸お召し列車牽引 大館ー秋田間 配置: 1949年7月1日 大館区 配置 休車中: 1949年11月1日 現在 特別休車 大館区 移動: 1949年12月 大館区→新庄区 特別休車継続中 移動: 1950年4月7日 特別休車指定解除 新庄区→千葉区 達324号 第一種休車指定 移動: 1950年7月 第一種休車指定解除 千葉区→尾久区 借入: 1951年2月12日 借入 成田区 返却日 不明 配置: 1951年3月1日 尾久区 借入: 1953年7月14日 借入 千葉区 返却: 1953年8月27日 返却 尾久区 休車指定: 1954年10月 第一種休車指定 尾久区 移動: 1955年3月23日 尾久区→酒田区 達249号 廃車: 1955年9月7日 酒田区 総裁達488
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5144デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 Rail Photo No.5
※3 蒸気機関車...健坊と語る:小田島肇
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※5 蒸気の時代No.74
※6 蒸気機関車 大カタログ 伊藤東作
※7 鉄道ファンNo.18(1962-12)
※8 鉄道ファンNo.136(1972-8) |
C51 45
汽車会社製、新製配置は名古屋局、高崎を経て1945年より梅小路、宮原で、1948年より豊岡で活躍する。1959年に廃車となる。
最終期はパイプ煙突になり、重油タンクを装備していた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側→両側 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突→裾なしパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1931年2月(高崎庫 配置表) 給水配管:T型 竪型? 大宮工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方へ移動(東鉄改造) テンダー:8-17台形→8-17矩形→8-17台形 ナンバープレート:形式入り(戦前)→正面のみ形式入り他ペンキ書き(終戦直後)→形式無し(戦後) その他:1957年頃に重油タンク装備、後藤工場標修車
車歴 製造: 1921年6月27日 汽車製造 No.502 使用開始: 1921年6月27日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 18944→C5145 配置: 1929年12月 高崎庫 移動: 1945年2月1日 高崎区→高崎第一区 移動: 1945年7月27日 高崎第一区→梅小路区 達185号 移動: 1946年11月 梅小路区→豊岡区 廃車: 1959年2月21日 豊岡区 総裁達50
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5145デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 終戦直後の蒸気機関車
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 鉄道ピクトリアル103(1960-2) |
C51 46
汽車会社製、新製配置は名古屋局、高崎を経て1943年より宮崎で活躍する。1958年に廃車となる。
戦前は大宮工場での研修写真がある。最終期はフロント部分を直線化改良されていた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:〇
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工) デフレクター:鹿児島工場 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1932年4月(高崎庫 配置表) 給水配管:T型 排気配管:後々 ボイラー手摺:1段 梯子:前寄り 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4?往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ: 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方へ移動(東鉄改造) テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 1921年7月1日 汽車製造 No.503 使用開始: 1921年7月1日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 18945→C5146 配置: 1929年12月 高崎庫 事故: 1935年7月30日 上越線水上駅 事故: 1936年2月16日 高崎線大宮駅 移動: 1943年9月9日 高崎区→宮崎区 配置: 1948年4月1日 宮崎区 休車指定: 1958年5月14日 第一種休車指定 宮崎区 廃車: 1958年9月2日 宮崎 総裁達420
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5146デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 サヨナラ国鉄 鉄道の社会史 毎日新聞社
※4 新日本鉄道史 下 川上幸義
※5 九州の鉄道 汽車・電車この20年
※6 鉄道ファンNo.141(1973-1) |
C51 47
汽車会社製、新製配置は名古屋局、高崎、水戸を経て1943年より宮崎で活躍する。1956年に廃車となる。
戦後の宮崎時代の写真は出てこない。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1934年4月(高崎庫 配置表) 給水配管: 排気配管:後々 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4?往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ: 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室: テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り その他:
車歴 製造: 1921年7月8日 汽車製造 No.504 使用開始: 1921年7月8日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 18946→C5147 配置: 1929年12月 高崎庫 移動: 1943年5月 高崎区→水戸区 移動: 1943年9月12日 水戸区→宮崎区 廃車: 1956年9月12日 宮崎区 総裁達600
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5147デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 寫眞圖解-日本の機関車 東亜書林
※3 Rail No.5 |
C51 48
汽車会社製、新製配置は名古屋局、高崎を経て1943年より宮崎で、1958年より鹿児島で活躍する。1958年に廃車となる。
新製時、戦時中、戦後すぐの写真が存在する。最末期の写真は出てこず形状がわからない。
写真 新製時:〇 戦前写真:〇 昭和20年代:○ 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:B型(4時-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1932年4月(高崎庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:前寄り 圧縮空気冷却管:左側?往復、右側4往復 コンプレッサー: 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:後方移動 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 1921年7月22日 汽車製造 No.505 使用開始: 1921年7月22日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 18947→C5148 配置: 1929年12月1日 高崎庫 移動: 1943年9月9日 高崎区→宮崎区 配置: 1949年7月1日 宮崎区 移動: 1955年11月 宮崎区→鹿児島区 移動: 1957年5月 鹿児島区→宮崎区 移動: 1958年2月 宮崎区→鹿児島区 休車指定: 1958年5月17日 第一種休車指定 鹿児島区 廃車: 1958年9月2日 鹿児島区 総裁達420
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5148デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 寫眞圖解-日本の機関車 東亜書林
※3 SLと共に
※4 蒸気機関車No48 |
C51 49
汽車会社製、新製配置は仙台局、一貫して青森で活躍する。1956年に廃車となる。
土崎工場タイプの給水温め器を装備していた。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:A’型(8時30分-11時30分、0時30分-2時郡山工) デフレクター:東鉄型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:土崎工1936年4月〜1938年4月(青森区 配置表) 給水配管:ミ型 竪型 土崎工 排気配管:前々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:前寄り 圧縮空気冷却管:左側?往復、右側4往復 コンプレッサー: 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張無し、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 1921年7月26日 汽車製造 No.506 使用開始: 1921年7月26日 仙台局 改番: 1928年10月1日 18948→C5149 配置: 1931年1月31日 青森庫 配置 休車中: 1954年10月1日 現在 第一種休車 青森区 休車解除: 1954年12月 第一種休車指定解除 青森区 配置 休車中: 1955年8月1日 現在 第二種休車 青森区 廃車: 1956年11月28日 青森区 総裁達773
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5149デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上 |
C51 50
汽車会社製、新製配置は仙台局、福島で活躍し、1956年に成田へ移動し、成田区が佐倉区に統合された後、1958年に廃車となる。
2本煙突試験改造され、1954年頃まで装備されていた。その後背の高い化粧煙突に変わっている。郡山工場タイプの前々配管の給水温め器を装備していたが、同じ時期に前後配管に変更されている。煙失前面の手摺の形状や運転室の窓配置が変わっている.ことから、廃車となった別機のボイラーに振替えられた可能性がある。時期からして188(1954年廃車)のボイラーの可能性がある。1957年から1958年にかけてテンダーの振替または改造、排気管の縦型逆止弁廃止などの大幅な改造が行われている。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:B型(1954年:4時-11時30分郡山工)→A’型(1954年以降:9時-11時30分、1時-2時 ボイラー振替?郡山工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:2本煙突→化粧煙突(高) 給水温め器:本省丸型:郡山工1931年1月以前(配置表) 給水配管:ミ型 竪型 土崎工 排気配管:前々→前後 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張、前窓位置:前側、後窓:拡張、→S30前側窓標準位置、真空ブレーキ装備台あり テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:1954年ころまで2本煙突装備、以後化粧煙突(高)に換装
車歴 製造: 1921年7月27日 汽車製造 No.507 使用開始: 1921年7月27日 仙台局 改番: 1928年10月1日 18949→C5150 配置: 1931年1月31日 福島庫 移動: 1949年3月 福島区→福島第一区(奥羽本線米沢電化により機関区分割のため) 借入: 1956年12月 借入 成田区 返却せず 移動: 1957年2月10日 福島第一区→成田区 達206号 移動: 1958年2月25日 成田区→佐倉区 廃車: 1958年12月26日 成田区 総裁達562
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5150デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 Rail Photo No.7 蒸気機関車No.2
※3 Rail Photo No.4
※4 懐想の蒸気機関車 久保田博 交友社
※5 機関車表 沖田祐作
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車2
※7 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※8 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※9 全盛期の蒸気機関車写真集6_藤田幸一
※10 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
※11 蒸気機関車No58
※12 Rail No.11
※13 国鉄時代Vol.21
※14 続ジュラ電からSL終焉まで
※15 蒸気機関車写真名鑑
※16 MIXED TRAIN 慶応義塾大学鉄道研究会 50周年記念写真集
※17 蒸気機関車 大カタログ 伊藤東作
※18 鉄道ピクトリアルNo.627(1996-7)
C51 31〜40<<< >>>C51 51〜60 |
C51 51
C5151は戦前は東北で活躍しましたが、戦後は豊岡、福知山で活躍し、最後は酒田に移動し終焉となりました。パイプ煙突と給水温め器の落し込み改造、C53テンダーへの振り替えは豊岡時代のもの、ボックス動輪への換装は酒田時代の改造と考えられます。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側→両側 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分郡山工)→D’型(無し) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:郡山工1931年2月(福島庫 配置表) 給水配管:ミ型→落し込み改造 竪型 土崎工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:前寄り 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪→ボックス動輪(1960年以前) 運転室:原形、前窓位置:前側、後窓:拡張、真空ブレーキ装備台あり テンダー:12-17型 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 1921年7月 汽車製造 No.508 使用開始: 1921年8月3日 仙台局 改番: 1928年10月1日 18950→C5151 配置: 1931年1月31日 福島庫 移動: 1932年9月 福島庫→青森庫 移動: 1935年1月 青森庫→仙台庫 移動: 1935年11月 仙台庫→新津庫 事故: 1938年3月6日 新津区にて事故被災 詳細不明 移動: 1945年6月30日 新津区→豊岡区 達185号 事故: 1946年7月5日 20:39頃、播但線溝口駅1番線 移動: 1957年5月14日 豊岡区→酒田区 達479号 休車指定: 1962年3月26日 第一種休車指定 酒田区 廃車: 1962年10月26日 酒田区 総裁達518
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5151デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※3 蒸気機関車写真集山下節夫
※4 国鉄時代Vol.21
※5 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集X |
C51 52
新製配置以後盛岡、秋田、仙台、福島で東北地方で活躍しましたが、1958年は奈良に移動し以後関西方面で活躍します。1961年末以降は伊勢、亀山で最期の活躍しました。比較的に写真が多く出てきます。1936〜1938年頃福島庫配属時に給水温め器を取付けていますが、配管の形状は大宮工場潟です。福島時代にボックス動輪と5階音汽笛は福島時代のもの、奈良転属後1年内に解放テコが片側~両側になり、1961年8月までにパイプ煙突に改造された。
写真 新製時:〇 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側→両側 煙室前手摺:A’型(8時30分-11時30分、0時30分-2時郡山工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突(1960年頃) 給水温め器:本省丸型:郡山工1936年4月〜1938年4月(福島庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 浜工 排気配管:後々 竪型→L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:前寄り 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:ボックス動輪 運転室:運転室拡張、前窓標準位置、後窓拡大、真空ブレーキ装備台あり テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 1921年7月 汽車製造 No.509 使用開始: 1921年11月14日 仙台局 改番: 1928年10月1日 18951→C5152 配置: 1931年1月31日 盛岡庫 移動: 1931年6月 盛岡庫→秋田庫 移動: 1934年10月 秋田庫→仙台庫 移動: 1935年2月 仙台庫→福島庫 移動: 1949年3月 福島区→福島第一区(奥羽本線米沢電化により機関区分割のため) 移動: 1958年4月17日 福島第一区→奈良区 達292号 C517の代替 移動: 1961年12月 奈良区→伊勢区 配置: 1962年4月1日 伊勢区 配置: 1963年4月1日 亀山区 廃車: 1963年7月9日 亀山区 総裁達335
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5152デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※3 蒸気機関車の記録T(昭和32〜38年)辻坂明浩
※4 蒸気機関車No58
※5 蒸気機関車の角度
※6 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※7 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※8 汽車追想 カメラと共に 野口昭雄
※9 蒸気の時代No.50
※10 蒸気機関車形式写真集U 小野治男 |
C51 53
戦前は高崎、仙台で活躍し、最後は盛岡、新潟で活躍しました。背の高い化粧煙突は会津若松時代の名残と考えられます。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側→両側 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分大宮工)→A型(戦後長野工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突→化粧煙突(高) 給水温め器:本省丸型:大宮工1934年1月(高崎庫 配置表) 給水配管:T型→ミ型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:前寄り 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方へ移動(東鉄改造)、前屏風あり テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.577 使用開始: 1922年3月28日 東京局 改番: 1928年10月1日 18952→C5153 配置: 1929年12月 高崎庫 移動: 1941年3月 高崎区→平区 移動: 1943年5月 平区→水戸区 移動: 1943年10月 水戸区→小山区 移動: 1944年9月18日 小山区→金沢区 達791号 移動: 1945年11月17日 金沢区→仙台区 達25号 移動: 1949年10月4日 仙台区→会津若松区 移動: 1950年9月13日 会津若松区→盛岡区 移動: 1954年10月3日 盛岡区→直江津区 移動: 1955年10月 直江津区→新潟区 廃車: 1958年4月26日 新潟区 総裁達207
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5153デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※3 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
※4 国鉄時代Vol.21
※5 轣轆114
※6 MIXED TRAIN 慶応義塾大学鉄道研究会 50周年記念写真集 |
C51 54
18953時代と高崎区時代の写真が1枚ずつしか出てこず、形状のわからない機です。戦時中に北海道に渡り、1959年に室蘭で廃車になりました。
写真 新製時:〇 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1934年9月(高崎庫 配置表) 給水配管: 排気配管:後々 ボイラー手摺:1段 梯子:前寄り 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ: 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方へ移動(東鉄改造)、前屏風あり テンダー: ナンバープレート:型式入り その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.578 使用開始: 1922年3月28日 東京局 事故: 1923年9月1日 11:59頃、東海道本線戸塚-大船間 改番: 1928年10月1日 18953→C5154 配置: 1929年12月 高崎庫 故障: 1935年4月 第一動輪車軸に亀裂発見 事故: 1936年1月2日 時刻不明、上越線沼田駅 移動: 1943年5月 高崎区→水戸区 移動: 1944年1月22日 水戸区→室蘭区(函館揚陸 1/23 1便) 配置: 1949年3月1日 室蘭区 休車指定解除: 1953年8月27日 第一種休車(棚上)指定 室蘭区 その後 第一種休車指定解除 時期不明 廃車: 1959年3月20日 室蘭区 総裁達93
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5154デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。 |
C51 55
福島機関区で活躍し、最後は新津区で磐越西線で活躍しました。小型のデフを付けるど戦前高崎機関区配属時の特徴を有します。福島機関区時代にボックス動輪になり、新津区時代に長野工場入場の際にパイプ煙突になりました。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:〇 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突→裾有りパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1934年1月(高崎庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 浜工 排気配管:後々 竪型→L字管 ボイラー手摺:1段 梯子:前寄り 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:スポーク動輪(1951年)→ボックス動輪(1956年) 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方へ移動(東鉄改造)、前屏風あり テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.579 使用開始: 1922年3月30日 東京局 改番: 1928年10月1日 18954→C5155 配置: 1929年12月 高崎庫 事故: 1934年11月25日 上越線群馬総社駅 故障: 1935年5月 動輪タイヤ3対に弛み発見 故障: 1935年5月26日 時刻不明、高崎線小野(信)-倉賀野間 移動: 1939年11月25日 高崎区→福島区 移動: 1949年3月 福島区→福島第一区(奥羽本線米沢電化により機関区分割のため) 休車指定: 1953年5月 第一種休車指定 福島第一区 配置 休車中: 1953年9月1日 現在 第一種休車継続中 福島第一区 改造: 1956年1月 ボックス動輪に交換済・標準デフ→小型化実施済 実施時期不明(蒸気機関車NO.58) 移動: 1958年3月20日 福島第一区→新津区 達292号(達は6/6付け) 配置: 1960年4月1日 新津区 配置 休車中: 1961年4月1日 現在 第一種休車 新津区 廃車: 1961年11月10日 新津区 総裁達626
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5155デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 機関車表 沖田祐作
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集山下節夫
※5 蒸気機関車No58
※6 蒸気の時代No.68 |
C51 56
沼津、高崎、仙台、盛岡と移動し、最後は米子機関区で山陰線で活躍しました。高崎機関区時代に装備されたと考えられる小型デフをもち、スポーク動輪、化粧煙突と最後まで美しい姿を保ちました。
写真 新製時:〇 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側→両側 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1934年2月(高崎庫 配置表) 給水配管:T型 竪型→横型 大宮工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:前寄り→標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方へ移動(東鉄改造)、前屏風あり テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 1922年3月 汽車製造 No.580 使用開始: 1922年3月30日 沼津庫 移動: 1927年11月17日 沼津庫→高崎庫 改番: 1928年10月1日 18955→C5156 借入: 1930年2月25日 借入 大宮庫 返却: 1930年10月 返却 高崎庫 配置: 1931年1月31日 高崎庫 故障: 1932年9月21日 缶振れ止めに亀裂発見 故障: 1935年5月 動輪タイヤ1対に弛み発見 移動: 1939年11月19日 高崎区→福島区 移動: 1941年10月14日 福島区→仙台区 移動: 1943年2月9日 仙台区→盛岡区 事故: 1944年5月2日 11:46頃、東北本線西岳(信)-小繋間 移動: 1954年7月14日 盛岡区→米子区 移動: 1958年9月17日 米子区→浜田区 借入: 1959年2月11日 借入 区名不明(米子区?) 返却: 1959年2月20日 返却 浜田区 移動: 1961年3月2日 浜田区→米子区 廃車: 1963年2月1日 米子区 総裁達34
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5156デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 汽車半世紀
※3 鉄道博物館
※4 上越線を行く列車
※5 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※6 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
※7 沼津機関区百年史
※8 蒸気機関車写真集 機関区と機関車2
※9 蒸気機関車69年春
※10 蒸気機関車No58
※11 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集 |
C51 57
戦前は高崎、福島、仙台、盛岡、青森と移動し、戦後は酒田、新津と移動し活躍しました。戦前に特殊なパイプ煙突となったが復旧されています。戦後は土崎工場管内を移動しボックス動輪へ変更されています。最後は新津に移動し1964年3月まで使用されました。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:両側 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1935年10月(高崎庫 配置表) 給水配管:T型→=型(戦後) 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:1段 梯子:前寄り 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪→ボックス動輪(1960年以前) 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方にへ、移動(東鉄改造)、前窓は四角に改造前屏風は戦後に撤去 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.581 使用開始: 1922年3月31日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 18956→C5157 配置: 1929年12月 高崎庫 事故: 1932年1月11日 時刻不明、高崎線大宮庫構内ポイント 脱線 故障: 1934年7月2日 ピストン棒に亀裂発見 移動: 1939年11月 高崎区→福島区 移動: 1941年10月 福島区→仙台区 移動: 1942年11月 仙台区→盛岡区 移動: 1944年10月 盛岡区→青森区 移動: 1949年7月7日 青森区→酒田区 達265号 移動: 1962年9月 酒田区→新津区 乙修繕: 1963年12月22日 長野工場 乙修繕 入場 休車指定: 1964年3月21日 第一種休車指定 新津区 廃車: 1965年1月7日 新津区 総裁達3
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5157デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 汽車半世紀
※3 雑誌SL No3 交友社
※4 上越線を行く列車
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※7 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
※8 鉄道ファンNo.32(1964-2)
※9 鉄道ファンNo.47(1965-5)
※10 鉄道ファンNo.136(1972-8) |
C51 58
戦前は名古屋、戦後は福島で活躍した機関車です。最終時の姿は背の高い化粧煙突を有しました。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突(高) 給水温め器:本省丸型:浜松工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 排気配管:後々 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4?往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ: 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室: テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.582 使用開始: 1922年3月31日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 18957→C5158 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 事故: 1933年11月27日 01:42頃、東海道本線関ヶ原駅 移動: 1938年3月 名古屋区→稲沢区 移動: 1939年11月 稲沢区→金沢区 移動: 1940年9月30日 金沢区→福島区 移動: 1949年3月 福島区→福島第一区 配置 休車中: 1950年4月1日 現在 第一種休車 福島第一区 配置 休車中: 1950年8月1日 現在 第一種休車継続中 福島第一区 廃車: 1958年7月1日 福島第一区 総裁達331
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5158デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。 |
C51 59
汽車会社製、新製配置は名古屋局、静岡、稲沢を経て1940年より福島で活躍する。1958年に廃車となる。
戦前の静岡時代と戦後の福島時代の写真が存在する。福島時代は本省設計型デフレクターとなり、ボックス動輪に換装されている。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:〇
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1933年12月(静岡庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 浜工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:前寄り 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復、振止付 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張あり、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.584 使用開始: 1922年5月19日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 18958→C5159 配置: 1931年1月31日 静岡庫 移動: 1938年3月 静岡区→稲沢区 移動: 1940年9月 稲沢区→福島区 配置: 1945年8月31日 福島区 移動: 1949年3月 福島区→福島第一区(奥羽本線米沢電化により機関区分割のため) 配置: 1954年4月1日 福島第一区 廃車: 1958年7月1日 福島第一区 総裁達331
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5159デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 汽車半世紀
※3 雑誌SL No3 交友社 |
C51 60
戦前は名古屋、戦後は福島、山田、亀山で活躍しました。最初に装備した厳ついデフは名古屋機関区時代に本省式になったようです。福島時代末期、1956年頃の全般検査の際にボックス動輪に換装され、亀山時代の1960年頃、全般検査の際にパイプ煙突、解放テコが両側タイプ、給水逆止弁が横型になています。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:名鉄型→本省型(浜工ステイ)1936年3月以前 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突(1960年頃) 給水温め器:本省丸型:浜松工1936年1月(名古屋庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 浜工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復、振止付 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音(1955年以前) 動輪:17本スポーク動輪→ボックス動輪 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓拡大後方へ移動 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:ボックス動輪への換装は1955年以降
車歴 製造: 汽車製造 No.585 使用開始: 1922年5月23日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 18959→C5160 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 移動: 1938年3月 名古屋区→稲沢区 移動: 1939年11月 稲沢区→金沢区 移動: 1940年10月 金沢区→福島区 配置: 1945年8月31日 福島区 移動: 1949年3月 福島区→福島第一区(奥羽本線米沢電化により機関区分割のため) 配置: 1954年4月1日 福島第一区 移動: 1958年5月18日 福島第一区→山田区 達444号 その後 亀山区に移動 時期不明 配置: 1959年4月1日 亀山区 廃車: 1963年7月9日 亀山 総裁達335
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5160デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※6 蒸気機関車写真集1鈴木武夫
※7 鉄道ジャーナル1976年4月号
※8 鉄道ファンNo.30(1963-12)
※9 とれいん 増刊 日本の蒸機作品集
※10 国鉄時代Vol.16
※11 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
※12 蒸気の時代No.33
※13 世界の鉄道 別冊 日本の蒸気機関車 朝日新聞社
※14 蒸気機関車形式写真集U 小野治男
C51 41〜50<<< >>>C51 61〜70 |
C51 61
新製配置は名古屋局、名古屋機関区時代に除煙効果と燃料節約のための試験のため流線型を思わせるスタイルに改良され試験が行われました。そののち、デフレクター、給水温め器が装備されました。稲沢、金沢を移動し、最後は福島で1958年9月まで活躍した。最後のころはボックス動輪に換装されていた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:〇 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:名鉄型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1933年12月(名古屋庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 浜工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:前寄り 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復、振止付(1935〜1950年ころ、1951年頃撤去) コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪→ボックス動輪 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方へ移動 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:ボックス動輪への換装は1955年頃
車歴 製造: 汽車製造 No.586 使用開始: 1922年5月24日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 18960→C5161 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 借入: 1933年9月 借入 米原庫 返却: 1933年11月 返却 名古屋庫 移動: 1938年3月 名古屋区→稲沢区 移動: 1939年11月 稲沢区→金沢区 移動: 1940年9月27日 金沢区→福島区 移動: 1949年3月 福島区→福島第一区(奥羽本線米沢電化により機関区分割のため) 配置: 1949年11月1日 福島第一区 配置 休車中: 1950年4月1日 現在 第一種休車 福島第一区 配置 休車中: 1950年8月1日 現在 第一種休車継続中 福島第一区 配置: 1950年12月1日 福島第一区 配置: 1954年4月1日 福島第一区 廃車: 1958年9月2日 福島第一区 総裁達420
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5161デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 懐想の蒸気機関車 久保田博 交友社
※3 SLと共に
※4 汽車半世紀
※5 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※7 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
※8 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※9 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
※10 Rail No.36
※11 蒸気機関車EX Vol.41
※12 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
※13 鉄道ファンNo.244(1981-8) |
C51 62
戦前は明石で、1940年頃に九州に移動し活躍しました。終戦のころは長崎にいて、原爆投下時は救援列車を牽引した可能性があります。1954年には廃車となり、教習用としてカットボディーとなり教習所に展示、1958年の関門トンネル博覧会に出品のため移動し、その後は門司機関区の片隅で保管され、1972年ころみ解体となりました。1972年頃に長崎で救援列車を牽引した機関車を保存する話があり、選ばれていたら現在も保存されていたかもしれません。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型(曲)1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1934年3月(明石庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 鷹取工 排気配管:前後 なし(前止弁) ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復→左側3往復、右側3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.587 使用開始: 1922年6月2日 神戸庫? 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18961→C5162 事故: 1930年3月 山陽本線明石庫 配置: 1930年8月31日 明石庫 事故: 1933年11月12日 21:04頃、山陽本線宝殿-曽根間 移動: 1934年7月 明石庫→姫路庫 移動: 1939年11月 姫路区→梅小路区 移動: 1940年9月27日 梅小路区→鳥栖区 移動: 1942年11月 鳥栖区→長崎区 配置 休車中: 1954年10月1日 現在 第一種休車 長崎区 廃車: 1954年11月4日 長崎区 総裁達633
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5162デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 蒸気機関車No58
※4 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集Y
※5 鉄道ファンNo.538(2006-2) |
C51 63
長く山田(伊勢)機関区で活躍した機関車です。廃車は1962年と、C51としては最後まで活躍した部類になります。1945年8月2日に米軍艦載機から機銃掃射を浴びて被災する亀山列車襲撃事件で被害を受けたとされる。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側、テンダー:両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:斜1935年3月以前 煙突:裾有りパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1936年4月〜1938年4月(山田区 配置表) 給水配管:=型 横型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側3往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(正面)、他型式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.588 使用開始: 1922年6月3日 神戸庫? 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18962→C5163 配置: 1930年8月31日 岡山庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 岡山庫→山田庫 被災: 1945年8月2日 山田区 亀山列車襲撃事件 区名変更: 1959年7月15日 山田区→伊勢区 廃車: 1962年2月28日 伊勢 総裁達74
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5163デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 亀山列車銃撃事件は、 内地への機銃掃射(ガンカメラ)映像・改 -参宮線への機銃掃射【亀山列車銃撃事件】を参照
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※5 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※6 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集) |
C51 64
C5163とともに山田(伊勢)機関区での活躍の長い機関車です。1960年には廃車となり、一時期鷹取工場でカットボディーとなり展示されました。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:裾有りパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1936年4月〜1938年4月(山田区 配置表) 給水配管:=型 横型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側3往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:ドーム脇5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.589 使用開始: 1922年6月19日 神戸庫? 配置: 1923年3月 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18963→C5164 配置: 1930年8月31日 岡山庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 岡山庫→山田庫 区名変更: 1959年7月15日 山田区→伊勢区 配置 休車中: 1960年4月1日 現在 第一種休車 伊勢区 廃車: 1960年7月20日 伊勢 総裁達420
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5164デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 鉄道ジャーナル1976年4月号 |
C51 65
廃車は1956年と早く、写真の出てこない機関車です。参宮線周辺で撮られた機関車の中で上部が湾曲する大鉄型徐煙板の不明機があり、C5165と特定した。
(廃車2か月前に関西本線東住吉区杭金踏切で発生した脱線事故はC51型であり、廃車の時期からも該当する可能性がある。ただし、大鉄デフとC53タイプテンダーを装備する形状よりC515と判断した。)
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:〇
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:? デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:? 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 排気配管:後々 ボイラー手摺:1段 梯子: 圧縮空気冷却管:右側3往復 コンプレッサー: 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪: 運転室: テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.593 使用開始: 1922年6月22日 岡山庫? 配置: 1923年3月31日 岡山庫 事故: 1928年7月13日 17:11頃、東海道本線吹田(操)-茨木間 改番: 1928年10月1日 18964→C5165 配置: 1930年8月31日 岡山庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 岡山庫→山田庫 事故: 1956年6月17日 関西本線杭金踏切脱線事故 廃車: 1956年8月17日 山田区 総裁達536
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5165デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。 |
C51 66
山田、亀山で活躍したC51です。単式コンプレッサーを2個用いて、複式として使用しています。廃車が早く、写真の少ない機関車です。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:裾無しパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:単式2機 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.594 使用開始: 1922年6月21日 岡山庫? 配置: 1923年3月31日 岡山庫 移動: 1923年8月 岡山庫→梅小路庫 移動: 1928年9月 梅小路庫→岡山庫 改番: 1928年10月1日 18965→C5166 移動: 1931年11月 〜1932年1月 岡山庫→山田庫 廃車: 1958年11月13日 亀山 総裁達591
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5166デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 鉄道ピクトリアル407(1982-8) |
C51 67
戦後は亀山で活躍しました。C5166と同じく単式コンプレッサーを2基用いて複式として使用しています。なぜか排気逆止弁のバルブが前側についています。3軸共に18本スポーク動輪となっているため、戦後廃車になったC54のスポーク動輪に振替えられている可能性があります。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有りパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1940年4月〜1941年3月(亀山区 配置表) 給水配管:=型 横型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:単式2機 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:18本スポーク動輪(第1〜3)) 廃車C54動輪? 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.595 使用開始: 1922年6月26日 岡山庫? 配置: 1923年3月31日 岡山庫 改番: 1928年10月1日 18966→C5167 移動: 1931年5月 岡山庫→亀山庫 事故: 1935年9月 関西本線にて脱線事故発生 本機破損 事故: 1946年8月21日 23:41頃、関西本線下庄駅 廃車: 1961年11月10日 亀山 総裁達626
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5167デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※4 蒸気機関車No58
※5 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※6 蒸気の時代No.82
※7 蒸気の時代No.89 |
C51 68
戦前は大里(門司)で、終戦近くは長崎、最後は早岐に配属になっています。1935年11月の陸軍大演習ではお召列車を牽引した可能性があります。また、長崎の原爆投下時は最初の救援列車を牽引したとされています。戦後は早岐に移り、ボックス動輪、低い裾無しパイプ煙突と特異な形状となりました。北九州のボックス動輪改造はC5193と2機のみで、1955年にはボックス動輪になっていたことから戦災廃車のC59の動輪(C5963,C5993共に1949年3月9日廃車)を流用など、どのような経路で動輪が供給されたのか興味深いです。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1934年10月(大里庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型→無効化 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪→ボックス動輪 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:ボックス動輪への換装は1955年以前
車歴 製造: 汽車製造 No.596 使用開始: 1922年6月29日 広島庫 移動: 1925年11月 広島庫→大里庫 改番: 1928年10月1日 18967→C5168 配置: 1931年3月31日 大里庫 移動: 1940年9月 大里区→鳥栖区 移動: 1942年1月 鳥栖区→長崎区 運用: 1945年8月9日 原爆投下に伴う救援列車牽引 配置: 1947年4月1日 長崎区 配置: 1952年4月1日 長崎区 配置: 1952年10月1日 早岐区 廃車: 1960年10月15日 早岐区 総裁達596
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5168デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 栄光への蒸気機関車(毎日新聞社)
※3 九州鉄道の記憶X |
C51 69
大里(門司)、長崎、早岐と九州で活躍した機関車です。1953年頃ころ、K3タイプ門鉄デフに改造されています。最後はパイプ煙突になり、1960年に廃車になりました。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:門鉄K-31936年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有りパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1935年8月(大里庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.597 使用開始: 1922年7月3日 広島庫 移動: 1925年11月 広島庫→大里庫 改番: 1928年10月1日 18968→C5169 移動: 1931年9月 大里庫→出水庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 出水庫→大里庫 移動: 1940年9月 大里区→鳥栖区 移動: 1942年1月 鳥栖区→長崎区 改造: 1953年3月 小倉工場 門(小倉工式)デフ(K-3'型)取付 移動: 1953年8月 長崎区→早岐区 配置: 1957年11月1日 早岐区 廃車: 1960年11月5日 早岐区 総裁達632
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5169デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 門鉄デフ物語
※3 九州鉄道の記憶W
※4 九州鉄道の記憶X
※5 鉄道ファンNo.517(2004-5) |
C51 70
大里(門司)、長崎、早岐で使用された機関車です。1955年頃ころ、K7タイプ門鉄デフに改造されています。運転室窓が1枚窓でC51ではこのような改造は珍しいです。パイプ煙突は飾り帯が付き装飾されています。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:門鉄K-71935年3月以前 煙突:裾有りパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1935年8月(大里庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型無効化 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、1枚窓 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.598 使用開始: 1922年7月6日 広島庫 移動: 1925年11月 広島庫→大里庫 改番: 1928年10月1日 18969→C5170 移動: 1940年9月 大里区→鳥栖区 移動: 1942年1月 鳥栖区→長崎区 配置 休車中: 1950年2月1日 現在 第一種休車 長崎区 配置 休車中: 1950年7月1日 現在 第一種休車継続中 長崎区 移動: 1953年8月 長崎区→早岐区 改造: 1955年4月23日 小倉工場 入場 門(小倉工式)デフ(K-7型)取付 配置: 1958年4月1日 早岐区 廃車: 1963年2月1日 早岐区 総裁達34
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5170デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 鉄道ファンNo.30(1963-12)
※3 蒸気機関車EX Vol.20
C51 51〜60<<< >>>C51 71〜80 |
C51 71
大里、長崎、早岐と九州を走り続けたC51です。運転室側後窓が後方に移動されています。末期はパイプ煙突になっています。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:本省(蝶)1936年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有りパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工→本省丸新型(小倉工1960年までに換装)1932年8月(大里庫 配置表) 給水配管:=型→新型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型無効化 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:原型 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.599 使用開始: 1922年7月17日 広島庫 移動: 1925年11月 広島庫→大里庫 改番: 1928年10月1日 18970→C5171 配置: 1931年3月31日 大里庫 移動: 1940年9月 大里区→鳥栖区 移動: 1942年1月 鳥栖区→長崎区 移動: 1953年9月 長崎区→早岐区 配置: 1957年11月1日 早岐区 配置: 1961年4月1日 早岐区 配置 休車中: 1962年4月1日 現在 第一種休車 早岐区 廃車: 1963年3月30日 早岐区 総裁達146
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5171デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※4 全盛期の蒸気機関車写真集4_八並国介
※5 蒸気機関車EX Vol.20
※6 蒸気の時代No.55
※7 蒸気の時代No.90 |
C51 72
大里、長崎、鹿児島と九州管内で活躍したC51です。写真は大里時代のものしかなく、運転室の窓が広いのが特徴です。戦前の写真しかなく、末期の姿はわかりませんが、受け持ち工場から、フロント部が直線化されている可能性ごあります。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:本省(蝶)1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1932年4月(大里庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.600 使用開始: 1922年7月20日 広島庫 移動: 1926年6月 広島庫→大里庫 改番: 1928年10月1日 18971→C5172 配置: 1931年1月31日 大里庫 移動: 1942年1月 大里区→鹿児島区 移動: 1945年11月 鹿児島区→長崎区 移動: 1956年11月23日 長崎区→鹿児島区 達53号 廃車: 1958年3月10日 鹿児島区 総裁達107
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5172デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
※3 鉄道ファンNo.517(2004-5) |
C51 73
大里、広島、新庄、秋田と北に移動し続けたC51です。末期はボックス動輪でした。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A’型(戦後:8時30分-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年5月(広島庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:ボックス動輪 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.601 使用開始: 1922年7月21日 下関庫 移動: 1926年7月 下関庫→広島庫 改番: 1928年10月1日 18972→C5173 配置: 1931年1月31日 広島庫 配置: 1936年3月31日 広島庫 その後 岡山区に移動 時期不明 移動: 1939年2月 岡山区→糸崎区 移動: 1940年4月 糸崎区→小郡区 移動: 1940年12月21日 小郡区→亀山区 移動: 1943年2月13日 亀山区→直江津区 移動: 1943年9月 直江津区→秋田区 移動: 1945年11月 秋田区→新庄区 廃車: 1960年1月27日 秋田区 総裁達26
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5173デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 日本蒸気機関車史 高木宏之
※3 追憶「西の函嶺越え」」藤井浩三著
※4 なつかしい蒸気機関車 田沢義郎 |
C51 74
大里、宮崎、鹿児島と九州で活躍しました。あまり写真が出てきません最後はフロントデッキ部分を斜め直線化する改造を受けています。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:原型→A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省→鹿工1936年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有りパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1936年4月〜1938年4月(大里区 配置表) 給水配管:=型 排気配管:後々 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側?往復、右側4往復 コンプレッサー:? 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室: テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(初期)→型式無し その他:斜めフロントデッキ
車歴 製造: 汽車製造 No.602 使用開始: 1922年7月24日 下関庫 移動: 1926年7月 下関庫→広島庫 改番: 1928年10月1日 18973→C5174 移動: 1931年11月 〜1932年1月 広島庫→大里庫 移動: 1942年1月 大里区→鹿児島区 移動: 1945年11月 鹿児島区→宮崎区 配置: 1950年4月1日 宮崎区 移動: 1955年11月 宮崎区→鹿児島区 移動: 1957年5月 鹿児島区→宮崎区 配置: 1958年4月1日 宮崎区 配置: 1959年4月1日 鹿児島区 廃車: 1960年8月30日 鹿児島区 総裁達496
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5174デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 鉄道ピクトリアル103(1960-2) |
C51 75
大里、広島、長崎と移動し活躍しました。末期の写真からはテンダーは無リベット構造になっています。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄(曲)1935年3月以前 煙突:裾有りパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工→本省丸新型1960年以前1931年1月以前(配置表) 給水配管:新型 竪型 ? 排気配管:後前 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.603 使用開始: 1922年7月27日 下関庫 移動: 1926年7月 下関庫→広島庫 改番: 1928年10月1日 18974→C5175 配置: 1931年1月31日 広島庫 移動: 1937年10月 広島区→岡山区 移動: 1939年3月 岡山区→糸崎区 移動: 1940年12月 糸崎区→岡山区 移動: 1941年12月 岡山区→長崎区 配置 休車中: 1950年7月1日 現在 第一種休車 長崎区 配置: 1950年10月1日 長崎区 配置: 1956年11月1日 長崎区 廃車: 1961年2月14日 長崎区 総裁達62
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5175デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 九州鉄道の記憶X |
C51 76
末期は長崎で活躍、門デフ、パイプ煙突が特徴です。
写真 新製時:○ 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:門鉄K-71936年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有りパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1936年4月〜1938年4月(岡山区 配置表) 給水配管:=型 竪型 鷹取工 排気配管:前後 なし(前止弁) ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(初期)→型式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.604 使用開始: 1922年8月3日 下関庫 配置: 1925年11月 大里庫 改番: 1928年10月1日 18975→C5176 配置: 1931年1月31日 広島庫 移動: 1937年10月 広島区→岡山区 移動: 1939年3月 岡山区→糸崎区 移動: 1940年12月 糸崎区→岡山区 移動: 1941年12月 岡山区→長崎区 改造: 1956年7月 小倉工場 門(小倉工式)デフ(K-7型)取付 配置: 1956年11月1日 長崎区 廃車: 1960年11月5日 長崎区 総裁達632
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5176デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 鉄道ピクトリアル103(1960-2) |
C51 77 NEW
戦前は山陽筋で活躍しています。廣島機関区時代の1937年に停車中の特急列車に追突した経歴があります。そのころまでは大鉄型デフを装備しましたが、事故復旧時に本省設計型デフレクターとなり、テンダーが嵩上げされています。給水ポンプが標準位置で鷹取工場施工の吊下げ型、左右タンクは右が大きく非対称です。1941年に長崎に移動し、1960年まで長崎本線で活躍します。末期はパイプ煙突、テンダーが無リベットとなり、給水ポンプが標準的な取り付けとなりました。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→両側、テンダー:両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄→本省(蝶)1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有りパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型 鷹取工 排気配管:後々 竪型→無効化 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、前側窓前期位置、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.653 使用開始: 1922年12月25日 下関庫 配置: 1925年11月 大里庫 改番: 1928年10月1日 18976→C5177 配置: 1931年1月31日 広島庫 事故: 1937年7月29日 02:34頃、山陽本線岡山駅 移動: 1937年10月 広島区→岡山区 移動: 1939年3月 岡山区→糸崎区 移動: 1940年12月 糸崎区→岡山区 移動: 1941年12月 岡山区→長崎区 廃車: 1961年2月14日 長崎区 総裁達62
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5177デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社 |
C51 78
最後は吉松区に配属、化粧煙突を有するが、フロント部が直線化改造を受けています。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時小倉工)→B型(1960年〜:4時-11時30分) デフレクター:本省→鹿工1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1936年4月〜1938年4月(大里区 配置表) 給水配管:=型 横型 鷹取工 排気配管:後々 L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室: テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→形式入り(前)、型式無し その他:斜めフロントデッキ
車歴 製造: 汽車製造 No.654 使用開始: 1922年12月27日 下関庫 事故: 1924年9月12日 02:06頃、山陽本線五日市-己斐(現 西広島)間 改番: 1928年10月1日 18977→C5178 配置: 1931年1月31日 大里庫 2本煙突試験改造実施 移動: 1940年9月 大里区→熊本区 移動: 1945年11月 熊本区→宮崎区 移動: 1955年11月 宮崎区→鹿児島区 移動: 1957年5月 鹿児島区→宮崎区 移動: 1959年 宮崎区→鹿児島区 移動: 1960年11月 鹿児島区→吉松区 廃車: 1963年8月5日 吉松 総裁達392
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5178デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※3 九州鉄道の記憶W
※4 記憶の鐵路300景岩沙克次
※5 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集Z
※6 鉄道ファンNo.26(1963-8) |
C51 79
秋田、新庄、米沢と活躍した機関車です。ボックス動輪に交換された末期の姿しかわかりません。運転室屋根を延長しているなど、東北の典型的なC51です。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分郡山工)→B’型(戦後:8時30分-11時30分) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:土崎工1937〜1938年 給水配管:ミ型 竪型 土崎工 排気配管:前々 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪→ボックス動輪 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.655 使用開始: 1922年12月28日 仙台局 改番: 1928年10月1日 18978→C5179 配置: 1931年1月31日 仙台庫 移動: 1931年8月 仙台庫→酒田庫 移動: 1932年9月 酒田庫→秋田庫 移動: 1940年10月28日 秋田区→尾久区 移動: 1941年11月5日 尾久区→新庄区 移動: 1959年9月 新庄区→秋田区 移動: 1960年3月 秋田区→米沢区 廃車: 1961年1月13日 米沢区 総裁達415
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5179デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 山形の鉄道情景―松木壽雄写真集 昭和30~40年代〈上〉
※3 懐想の蒸気機関車 久保田博 交友社
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※7 Rail No.120
※8 なつかしい蒸気機関車 田沢義郎
※9 新日本鉄道史 下 川上幸義
※10 鉄道ファンNo.152(1973-12) |
C51 80
戦前は仙台、戦後は米子で活躍し機です。最後まで化粧煙突、スポーク動輪を保ちました。ただし、末期は18本スポーク動輪に振替えられていました。1960年頃まで8-17テンダーでしたが、廃車になったC51245の12-17テンダーに振り替えられています。戦前から安全弁、汽笛の位置が前よりで、C51184と同様に燃焼室付に改造された可能性がある。ボイラー横の手すりの形状は、戦前戦後で異なります。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:〇 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→両側 煙室前手摺:B型(戦前戦後:4時-11時30分郡山工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:郡山工1931年1月以前(配置表) 給水配管:ミ型 竪型 郡山工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪→18本スポーク動輪(米子機関区) 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形→12-17型(C51245) ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.656 使用開始: 1923年1月15日 仙台局 改番: 1928年10月1日 18979→C5180 配置: 1931年1月31日 福島庫 移動: 1932年3月 福島庫→仙台庫 移動: 1934年8月 仙台庫→青森庫 移動: 1944年10月 青森区→盛岡区 配置: 1949年11月1日 盛岡区 配置 休車中: 1950年4月1日 現在 第一種休車 盛岡区 配置 休車中: 1950年8月1日 現在 第一種休車継続中 盛岡区 配置: 1950年12月1日 盛岡区 移動: 1954年7月 盛岡区→米子区 移動: 1958年9月 米子区→浜田区 移動: 1961年3月 浜田区→米子区 廃車: 1965年3月31日 米子区 総裁達134
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5180デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 Train No.220
※3 鉄道datafile 76
※4 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
※5 蒸気機関車68春
※6 蒸気機関車No58
※7 鉄道ジャーナル1976年4月号
※8 鉄道ファンNo.30(1963-12)
※9 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※10 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※11 Rail No.17
※12 Rail No.67
※13 蒸気の時代No.25
※14 蒸気の時代No.52
※15 蒸気の時代No.70
※16 新日本鉄道史 下 川上幸義
※17 鉄道ファンNo.240(1981-4)
C51 61〜70<<< >>>C51 81〜90 |
C51 81
新製から廃車まで東北で過ごした機関車です。最後は青森で廃車になっています。ボックス動輪装備と給水温め器の配管に特徴があります。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:B型(戦後:4時-11時30分郡山工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:郡山工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型 土崎工 排気配管:前後 竪型→ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:前寄り 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側?往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ: 汽笛:3階音 動輪:ボックス動輪 運転室: テンダー:8-17矩形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.657 使用開始: 1923年1月18日 仙台局 改番: 1928年10月1日 18980→C5181 配置: 1931年1月31日 仙台庫 移動: 1932年9月 仙台庫→青森庫 移動: 1934年11月 青森庫→仙台庫 配置: 1936年3月31日 仙台庫 その後 青森区に移動 時期不明 配置: 1938年4月30日 青森区 廃車: 1960年1月27日 青森区 総裁達26
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5181デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※3 完ジュラ電からSL終焉まで |
C51 82
この機も81号機とともに東北に縁の深く、新製配置は仙台、廃車は青森です。1956年には廃車になっています。化粧煙突、ボックス動輪、給水温め器の配管に特徴があります。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:B型(戦後:4時-11時30分郡山工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:郡山工1932年1月(仙台庫 配置表) 給水配管:ミ型 竪型 土崎工 排気配管:前々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:ボックス動輪 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.658 使用開始: 1923年1月22日 仙台局 改番: 1928年10月1日 18981→C5182 配置: 1931年1月31日 仙台庫 移動: 1932年9月 仙台庫→青森庫 配置 休車中: 1955年8月1日 現在 第二種休車 青森区 廃車: 1956年11月28日 青森区 総裁達773
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5182デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集 |
C51 83
新製配置は仙台ですが、終戦頃豊岡に移り、最後は奈良で活躍しています。化粧煙突、スポーク動輪を最後まで有しました。
写真 新製時:○ 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→両側 煙室前手摺:B型(戦前戦後:4時-11時30分郡山工) デフレクター:本省(短)1934年4月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:郡山工1931年1月以前(配置表) 給水配管:ミ型 竪型→横型 郡山工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:前寄り 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.659 使用開始: 1923年1月25日 仙台局 改番: 1928年10月1日 18982→C5183 配置: 1931年1月31日 仙台庫 移動: 1934年7月 仙台庫→青森庫 配置: 1940年3月31日 青森区 移動: 1944年10月18日 青森区→名古屋局 達862号 移動: 1945年11月16日 名古屋局→豊岡区 達25号 移動: 1950年7月28日 豊岡区→奈良区 借入: 1953年8月15日 借入 梅小路区 返却日 不明 廃車: 1961年1月13日 奈良区 総裁達415
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5183デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車の記録T(昭和32〜38年)辻坂明浩
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車No48
※6 蒸気機関車No58
※7 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※8 Rail No.120 |
C51 84
東北に縁深い機です。新製配置は仙台、その後福島、青森と移動しています。背の高い化粧煙突とボックス動輪が特徴です。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→両側 煙室前手摺:B型(戦後:4時-11時30分郡山工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突(高) 給水温め器:本省丸型:郡山工1931年1月以前(配置表) 給水配管:ミ型 竪型 郡山工 排気配管:前後 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:ボックス動輪 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.660 使用開始: 1923年1月29日 仙台局 改番: 1928年10月1日 18983→C5184 配置: 1931年1月31日 仙台庫 移動: 1932年4月 仙台庫→福島庫 移動: 1935年10月 福島庫→仙台庫 配置: 1936年3月31日 仙台庫 その後 盛岡区に移動 時期不明 配置: 1938年4月30日 盛岡区 配置: 1942年3月31日 盛岡区 移動: 1945年11月 盛岡区→福島区 配置: 1948年4月1日 福島区 配置: 1948年7月1日 尻内区 移動: 1950年1月 尻内区→盛岡区 移動: 1954年9月2日 盛岡区→青森区 廃車: 1958年7月1日 青森区 総裁達331
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5184デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※4 国鉄時代Vol.23 |
C51 85
鹿児島工場でカットボディーとして展示されています。
新製配置は仙台ですが、新津を経て鹿児島、吉松、宮崎と移動し最期を迎えています。
廃車が早く現役時代の写真が見つかりませんが、残存状況より現役時代の姿を想像しております。キャブは全溶接構造でほかのC51 にみられない姿です。煙突も9600用のものに取り換えられています。C51標準の本省設計型デフ、8-17テンダーを有し、保存されている中では最も標準形に近い形状をしています。
C5185は煙室周りの手摺、運転室の雨よけなど、昭和10年代に東北地方に所属した機関車の特徴があります。標準型デフ、標準型テンダーを持つ唯一の保存機で、ボイラーをつくりかえ復活してほしい機です。ヘッドライトはシールドビーム(LP405)がついていますが、以前はLP42がついていたことが古い写真よりわかりました。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:B型(保存:4時-11時30分郡山工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:長野工1936年3月(新津庫 配置表) 給水配管:T型 横型 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.661 使用開始: 1923年2月2日 仙台局 改番: 1928年10月1日 18984→C5185 配置: 1931年1月31日 仙台庫 移動: 1931年3月 仙台庫→米沢庫 移動: 1931年5月 米沢庫→秋田庫 移動: 1932年3月 秋田庫→新津庫 事故: 1939年1月8日 時刻不明、事故被災 配置: 1941年3月31日 新津区 移動: 1945年11月 新津区→直江津区 移動: 1949年9月5日 直江津区→新津区 移動: 1951年4月26日 新津区→鹿児島区 達180号 事故: 1951年9月5日 10:56頃、鹿児島本線出水駅 事故: 1952年5月18日 15:58頃、鹿児島本線市来-伊集院間 移動: 1953年6月 鹿児島区→宮崎区 廃車: 1956年11月15日 鹿児島区 総裁達739
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5185デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車No48
※3 鉄道ファンNo.77(1967-11)
※4 鉄道ファンNo.141(1973-1) |
C51 86
仙台、秋田、青森に足跡を残し、東北地方と縁深い機関車です。給水温め器の配管、動輪がボックス動輪になるなどの特徴があります。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:B型(戦前戦後:4時-11時30分郡山工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:土崎工1939年5月(青森区 配置表) 給水配管:ミ型 竪型 土崎工 排気配管:前々 竪型→ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪→ボックス動輪 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.662 使用開始: 1923年2月14日 仙台局 改番: 1928年10月1日 18985→C5186 配置: 1931年1月31日 仙台庫 移動: 1931年3月 仙台庫→米沢庫 移動: 1931年6月 米沢庫→秋田庫 移動: 1934年12月 秋田庫→青森庫 廃車: 1961年2月15日 青森区 総裁達64
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5186デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※6 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※7 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※8 新日本鉄道史 下 川上幸義 |
C51 87
新製時は神戸局、岡山、姫路、梅小路、鳥栖、鹿児島を移動し、最後は吉松で活躍しました。鹿児島機関区時代にフロントのランボードが直線化され大鉄型デフが切り詰められています。最後はパイプ煙突、C53タイプテンダーに振り替えられました。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄→鹿工1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有りパイプ煙突(1956年以降1960年以前) 給水温め器:本省丸型:鷹取工1937〜1938年 給水配管:=型 横型 排気配管:後々 L字管 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側3往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形→12-17型 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:斜めフロントデッキ
車歴 製造: 汽車製造 No.663 使用開始: 1923年2月20日 岡山庫? 改番: 1928年10月1日 18986→C5187 配置: 1930年8月31日 岡山庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 岡山庫→姫路庫 移動: 1939年11月 姫路区→梅小路区 移動: 1940年10月4日 梅小路区→鳥栖区 移動: 1942年9月 鳥栖区→鹿児島区 配置: 1948年4月1日 鹿児島区 配置: 1948年7月1日 宮崎区 移動: 1956年11月 宮崎区→鹿児島区 移動: 1960年11月 鹿児島区→吉松区 廃車: 1962年2月28日 吉松 総裁達74
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5187デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 終戦直後の蒸気機関車
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集山下節夫
※5 蒸気の時代No.36
※6 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T
※7 蒸気の時代No.90 |
C51 88
住山式給水温め器を有していましたが、撤去して供出されました。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄(曲)1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管:前 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー: 給水ポンプ:運転室前(鷹取) 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.664 使用開始: 1923年2月19日 岡山庫? 改番: 1928年10月1日 18987→C5188 配置: 1930年8月31日 岡山庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 岡山庫→姫路庫 供出に伴う発送: 1938年6月15日 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(姫路区) 作軍秘55号 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年8月31日 姫路区 作軍秘第55
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5188デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車EX Vol.41
※3 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T |
C51 89
新製配置は神戸で、姫路、梅小路において活躍し、最後は米子で廃車となっています。
1930年以前に給水温め器が取り付けられており、給水ポンプが運転室前にぶら下げられています。
1938年以降に単式圧縮機を複式への改造が行われましたが、当機は単式2基を並列に配置する改造となっております。戦後は東北地方で活躍した機のテンダーと振り替えられています。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 1933年は未装備 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年2月(岡山庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:単式→単式2器 給水ポンプ:運転室前(鷹取) 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.665 使用開始: 1923年2月21日 岡山庫? 改番: 1928年10月1日 18988→C5189 移動: 1931年11月 〜1932年1月 岡山庫→姫路庫 移動: 1939年11月 姫路区→梅小路区 移動: 1941年10月 梅小路区→福知山区 移動: 1943年3月 福知山区→米子区 配置: 1949年4月1日 米子区 休車指定: 1954年7月 第一種休車指定 米子区 廃車: 1954年12月6日 米子区 総裁達704
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5189デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 阪神間鉄道回顧録
※3 終戦直後の蒸気機関車
※4 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集V |
C51 90
新製配置は神戸、その後山田を経て新庄に移動しました。
比較的写真が多く、1955年頃にデフレクターが大鉄型から本省設計型類似タイプに改造されています。ボックス動輪装備
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工)→A’型(8時30分-11時30分、0時30分-2時) デフレクター:大鉄(曲)→本省1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1935年8月(山田庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 鷹取工 排気配管:前後 なし(前止弁)→ストレート ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側3往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪→ボックス動輪 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.666 使用開始: 1923年2月23日 岡山庫? 改番: 1928年10月1日 18989→C5190 配置: 1930年8月31日 岡山庫 移動: 1931年9月 岡山庫→山田庫 移動: 1931年10月 山田庫→亀山庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 亀山庫→山田庫 移動: 1943年2月13日 山田区→秋田区 移動: 1945年11月 秋田区→新庄区 配置: 1950年4月1日 新庄区 配置 休車中: 1950年8月1日 現在 特別休車 新庄区 廃車: 1960年1月27日 新庄区 総裁達26
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5190デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
※5 全盛期の蒸気機関車写真集V隅野成一
※6 鉄道ピクトリアルNo.665(1999-2)
C51 71〜80<<< >>>C51 91〜100 |
C51 91
山田(伊勢)機関区の配置が長い機関車です。廃車は1963年です。パイプ煙突、大鉄型デフレクターを装備します。3軸共に18本スポーク動輪となっているため、戦後廃車になったC54のスポーク動輪に振替えられている可能性があります。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側、テンダー両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:裾有りパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 横型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側3往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:ドーム脇5階音 動輪:18本スポーク動輪(第1、第2、第3) 廃車C54動輪? 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.667 使用開始: 1923年2月26日 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18990→C5191 配置: 1930年8月31日 岡山庫 移動: 1931年4月 岡山庫→姫路庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 姫路庫→山田庫 移動: 1959年7月15日 山田区→伊勢区(名称変更) 移動: 1963年4月1日 伊勢区→伊勢管理所(組織変更) 第一種休車 廃車: 1963年4月17日 伊勢 総裁達302
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5191デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 機関車表 沖田祐作
※3 蒸気機関車の記録T(昭和32〜38年)辻坂明浩
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車15
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※7 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※8 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
※9 国鉄時代Vol.52
※10 蒸気機関車形式写真集U 小野治男 |
C51 92
新製配置が神戸局、1933年配置が大里と九州入りしており、その後長崎、若松と移動し1960年に廃車になりました。末期はパイプ煙突でした。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:本省(蝶) 煙突:化粧煙突→裾有りパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型無効化 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側?往復、右側4往復 コンプレッサー: 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:原型 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.668 使用開始: 1923年2月28日 下関庫 移動: 1927年4月 下関庫→大里庫 改番: 1928年10月1日 18991→C5192 配置: 1932年3月31日 大里庫 借入: 1936年1月15日 借入 梅小路庫 返却: 1936年2月25日 返却 大里庫 移動: 1939年4月 大里区→熊本区 移動: 1947年9月 熊本区→長崎区 移動: 1954年3月 長崎区→若松区 廃車: 1960年11月5日 若松区 総裁達632
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5192デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 九州の鉄道の歩み(鉄道100周年)九州総局
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※6 鉄道ファンNo.133(1972-5) |
C51 93
新製配置が広島局、終戦時の配置は長崎でした。1959年頃の写真は門鉄デフ、パイプ煙突、ボックス動輪ですが、翌年の写真ではスポーク動輪になっています。1962年に廃車になりました。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→機関車:両側、テンダー両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:門鉄K-71936年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有りパイプ煙突 給水温め器:本省丸形:小倉工→本省丸新型(小倉工1959年までに換装)1934年5月(小郡庫 配置表) 給水配管:新型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型→無効化 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:ボックス動輪→17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形→8-17矩形 ナンバープレート:型式入り(初期)→型式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.669 使用開始: 1923年3月2日 下関庫 移動: 1927年4月 下関庫→広島庫 改番: 1928年10月1日 18992→C5193 移動: 1932年8月 広島庫→小郡庫 移動: 1934年11月 小郡庫→熊本庫 移動: 1945年10月 熊本区→長崎区 改造: 1955年7月 小倉工場 門(小倉工式)デフ(K-7型)取付 移動: 1960年12月 長崎区→早岐区 廃車: 1962年10月17日 早岐区 総裁達500
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5193デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※4 門鉄デフ物語 |
C51 94
新製配置が広島局、下関配属時代のにて1925年頃に各種試験が行われています。以後廣島、糸崎、小郡、岡山と移動し、1941年に長崎に移動、戦後は早岐、鹿児島、吉松と移動し、C51271とともにC51最末期まで活躍しました。最終運用は1965年10月14日、さよなら運転をしています。形態的には、運転室は原形で、公式側窓を後方に移動しています。大鉄型デフを装備していましたが、鹿児島工場仕様のフロントデッキ改造に合わせて後方を短縮しています。パイプ煙突には1960年以前に、最後の1年は先に廃車になったC51107よりボックス動輪を譲り受け使用しています。
写真 新製時:〇 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側、テンダー両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄U→鹿工1934年4月以前 煙突:化粧煙突→裾有りパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工?1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 竪型→横型 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段→2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪→ボックス動輪(1965年) 運転室:原型、公式側窓後方へ移動 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→形式入り(前)、型式無し その他:斜めフロントデッキ
車歴 製造: 汽車製造 No.670 使用開始: 1923年3月10日 下関庫 移動: 1924年12月15日 下関庫→広島庫 移動: 1926年2月1日 広島庫→下関庫 改番: 1928年10月1日 18993→C5194 移動: 1930年2月19日 下関庫→広島庫 移動: 1937年10月11日 広島区→糸崎区 移動: 1940年6月8日 糸崎区→小郡区 移動: 1940年12月23日 小郡区→岡山区 移動: 1941年10月8日 岡山区→長崎区 移動: 1945年8月30日 長崎区→早岐区 移動: 1949年11月10日 早岐区→吉松区 運用: 1965年10月14日 C51最終運用お別れ列車牽引 隼人-吉松間 運転終了後 第一種休車指定 吉松区 休車指定: 1965年11月15日 第二種休車指定 吉松区 廃車: 1966年2月12日 吉松 総裁達78
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5194デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車の記録U辻坂明浩
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車2
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※7 全盛期の蒸気機関車写真集V隅野成一
※8 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※9 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※10 Rail No.106
※11 九州鉄道の記憶W
※12 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
※13 蒸気の時代No.36
※14 蒸気機関車写真名鑑
※15 鉄道ファンNo.26(1963-8)
※16 鉄道ファンNo.55(1966-1) |
C51 95
住山式給水温め器を装備し、1938年に改造の上中国大陸へ供出されました。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管:前 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー: 給水ポンプ:運転室前(鷹取) 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.671 使用開始: 1923年3月12日 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18994→C5195 配置: 1930年8月31日 姫路庫 移動: 1937年10月 姫路区→岡山区 達1056号 供出に伴う発送: 1938年8月 実機の発送 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(岡山区) 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年8月31日 岡山 作軍秘第55
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5195デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 阪神間鉄道回顧録
※3 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T
※4 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集U |
C51 96
C5195と同じく住山式給水温め器を装備し、1938年に改造の上中国大陸へ供出されました。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ: 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管: ボイラー手摺: 梯子: 圧縮空気冷却管: コンプレッサー: 給水ポンプ: 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪→ボックス動輪 運転室: テンダー: ナンバープレート: その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.672 使用開始: 1923年3月15日 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18995→C5196 配置: 1930年8月31日 姫路庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 姫路庫→山田庫 供出に伴う発送: 1938年8月 実機の発送 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(山田区) 作軍秘55号 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年8月31日 山田区 作軍秘第55
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5196デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。 |
C51 97
新製配置は広島局、亀山を経由し、戦後は米子機関区で活躍しました。C5134とともに中高ランボードであることが確認できています。機関車左側は写真がなく想像図です。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1939年6月(亀山区 配置表) 給水配管:=型 竪型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側?往復、右側3往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.673 使用開始: 1923年3月17日 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18996→C5197 配置: 1930年8月31日 明石庫 移動: 1931年3月 明石庫→梅小路庫 移動: 1931年4月 梅小路庫→亀山庫 移動: 1943年9月 亀山区→米子区 休車指定: 1958年8月20日 第一種休車指定 米子区 廃車: 1958年11月27日 米子区 総裁達604
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5197デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊 |
C51 98
戦前は広島、明石、梅小路と写真が多く出てきますが、戦後の配置は米子で、写真が全く出てきません。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1933年3月(明石庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側?往復、右側3往復 コンプレッサー: 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.674 使用開始: 1923年4月1日 神戸庫 改番: 1928年10月1日 18997→C5198 配置: 1930年8月31日 明石庫 移動: 1931年3月 明石庫→梅小路庫 移動: 1932年11月 梅小路庫→明石庫 移動: 1934年7月 明石庫→姫路庫 移動: 1939年4月 姫路区→梅小路区 移動: 1941年11月 梅小路区→福知山区 移動: 1943年3月 福知山区→米子区 事故: 1946年12月9日 山陰本線揖屋駅 廃車: 1956年10月18日 米子区 総裁達678
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5198デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 阪神間鉄道回顧録
※3 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集U
※4 追憶「西の函嶺越え」」藤井浩三著 |
C51 99
戦前は姫路、戦後は山田、奈良、亀山、梅小路と移動し、末期まで活躍したため写真が多く出てきます。コンプレッサーは単式のものを2つ用いています。1953年頃にパイプ煙突になりました。第1、第3動輪が18本スポーク動輪となっているため、戦後廃車になったC54のスポーク動輪に振替えられている可能性があります。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→機関車:両側、テンダー両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工)→A’型(8時30分-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有りパイプ煙突(1954年頃) 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型→横型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:単式→単式2器 給水ポンプ:運転室前(鷹取) 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:17本スポーク動輪(第2)、18本スポーク動輪(第1、第3) 廃車C54動輪? 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形→12-17型(C51254) ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.675 使用開始: 1923年4月1日 神戸局 改番: 1928年10月1日 18998→C5199 配置: 1930年8月31日 姫路庫 移動: 1939年4月 姫路区→山田区 移動: 1956年11月 山田区→奈良区 移動: 1960年9月 奈良区→亀山区 移動: 1962年1月 亀山区→梅小路区 廃車: 1963年12月18日 梅小路区 総裁達631
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C5199デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 阪神間鉄道回顧録
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※5 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※6 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
※7 蒸気機関車No58
※8 蒸気機関車の角度
※9 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※10 高橋 弘作品集 蒸気機関車 その良き時代
※11 国鉄時代Vol.5
※12 蒸気の時代No.33
※13 蒸気の時代No.52
※14 蒸気機関車形式写真集U 小野治男
※15 鉄道ファンNo.353(1990-9) |
C51 100
亀山機関区のお召機、装飾が残り末期まできれいな姿をとどめたため写真が多く出てきます。お召牽引は1940年と1951年の2回は確実ですが、それ以外にもあるかもしれません。1940年のお召牽引にあたり本来は大鉄型のデフ装備していたものを撤去、8-20型テンダーに一時的に振替えたようです。その後本省型デフが取り付けられました。大鉄型デフを装備していたころの写真は見つかりませんが、ブレーキ配管の形状より判明します。第1、第3動輪が18本スポーク動輪となっているため、戦後廃車になったC54のスポーク動輪に振替えられている可能性があります。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側、テンダー両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1934年12月(亀山庫 配置表) 給水配管:=型 竪型→横型 鷹取工 排気配管:前後 なし(前止弁) ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側3往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪(第2)、18本スポーク動輪(第1、第3) 廃車C54動輪? 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-20型→8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し(背面除く) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.676 使用開始: 1923年3月30日 神戸局 改番: 1928年10月1日 18999→C51100 配置: 1930年8月31日 岡山庫 移動: 1931年9月 岡山庫→山田庫 移動: 1931年10月 山田庫→亀山庫 お召し列車牽引: 1940年6月10日 〜12日 柘植⇔亀山 補機、畝傍→京都、桃山→京都 御乗用列車牽引: 1941年5月16日 〜17日香淳皇后陛下伊勢神宮参拝 お召し列車牽引: 1942年12月12日 天皇陛下戦勝祈願伊勢神宮行幸のお召し列車後補機 柘植-亀山間(往復) 配置: 1948年4月1日 亀山区 お召し列車牽引: 1951年11月25日 天皇陛下戦災復興視察関西(京滋奈三)方面巡幸お召し列車牽引 二見浦ー亀山間 お召し列車牽引: 1952年6月 両陛下伊勢神宮・桃山御陵ご参拝(SF講和条約発効の奉告の儀)お召し列車予備機 配置: 1953年4月1日 亀山区 配置: 1958年4月1日 亀山区 廃車: 1963年7月9日 亀山 総裁達335
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51100デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 Rail Photo No.4
※3 お召列車100年
※4 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※7 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※8 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※9 全盛期の蒸気機関車写真集4_八並国介
※10 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
※11 蒸気機関車No58
※12 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※13 鉄道ピクトリアル100(1959-11)
※14 蒸気機関車スタイルブック
※15 鉄道ファンNo.30(1963-12)
※16 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※17 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※18 高橋 弘作品集 蒸気機関車 その良き時代
※19 Rail No.37
※20 Rail No.100
※21 国鉄時代Vol.5
※22 国鉄時代Vol.7
※23 国鉄時代Vol.17
※24 国鉄時代Vol.52
※25 蒸気機関車EX Vol.33
※26 ジュラ電からSL終焉まで
※27 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
※28 蒸気の時代No.33
※29 思い出す日本の鉄道 国鉄編 Gordon Davis
※30 蒸気機関車形式写真集U 小野治男
※31 鉄道ファンNo.411(1995-7)
※32 鉄道ファンNo.240(1981-4)
※33 鉄道ファンNo.251(1982-3)
C51 81〜90<<< >>>C51 101〜110 |
C51 101
1933年頃より亀山に配置されておりされています。1934年頃給水温め器を装備、シリンダーブロック前面より排気管が伸びています。戦後の姿はパイプ煙突になり、C53テンダーに振り替えられています。1956年に発生した参宮線事故で大破し、亀山機関区構内で10年ほど留置された後解体されました。第1、第2動輪が18本スポーク動輪となっているため、戦後廃車になったC54のスポーク動輪に振替えられている可能性があります。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→機関車:両側、テンダー両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有りパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1935年2月(亀山庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 鷹取工 排気配管:前後 なし(前止弁) ボイラー手摺:1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側3往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:17本スポーク動輪(第3)、18本スポーク動輪(第1、第2) 廃車C54動輪? 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形→12-17型 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.677 使用開始: 1923年3月31日 梅小路庫? 改番: 1928年10月1日 28900→C51101 配置: 1930年8月31日 梅小路庫 配置: 1931年1月31日 明石庫 移動: 1931年9月 明石庫→亀山庫 事故: 1956年10月15日 18:22頃、参宮線六軒 廃車: 1957年4月5日 亀山 総裁達207
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51101デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※3 なつかしい蒸気機関車 田沢義郎
※4 鉄道ファンNo.31(1964-1) |
C51 102
戦前は静岡、戦中は名古屋近辺、戦後は新庄で活躍しました。この機までが新製時に空制化されておらず、のちにランボードが2段となったため、ボイラーの手摺が直線で残っている機が多いです。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:A’型(8時30分-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型 浜松工 排気配管:後々 ストレート ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.684 使用開始: 1923年6月21日 東京局 改番: 1928年10月1日 28901→C51102 配置: 1931年1月31日 静岡庫 移動: 1939年4月 静岡区→稲沢区 移動: 1940年8月 稲沢区→富山区 移動: 1940年12月 富山区→金沢区 移動: 1941年9月 金沢区→名古屋区 移動: 1942年7月3日 名古屋区→長岡区 移動: 1943年5月 長岡区→新庄区 移動: 1952年4月1日 新庄区→横手区 移動: 1953年6月 横手区→新庄区 移動: 1959年9月 新庄区→秋田区 移動: 1960年3月 秋田区→米沢区 廃車: 1961年3月31日 米沢区 総裁達158
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51102デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 山形の鉄道情景―松木壽雄写真集 昭和30~40年代〈上〉 |
C51 103
戦前は米原、稲沢など、戦後は米子で活躍しました。米子機関区時代の姿は集煙装置、重油タンクが装備されるなど重装備でした。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:B’型(戦後:7時30分-11時30分浜松工) デフレクター:本省型 煙突:集煙装置 給水温め器:本省丸型:浜松工→本省丸型落とし込み改造1939年5月(稲沢区 配置表) 給水配管:=型 竪型 浜松工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復、振止付(前側のみ) コンプレッサー: 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:集煙装置・重油タンク、給水温め器落し込み改造
車歴 製造: 汽車製造 No.685 使用開始: 1923年6月23日 東京局 改番: 1928年10月1日 28902→C51103 配置: 1931年1月31日 米原庫 故障: 1933年2月12日 点検中に左第二連結棒二股部分の外側に折損を発見し運転中止 移動: 1938年3月 米原区→稲沢区 移動: 1938年10月 稲沢区→名古屋区多治見支区 本区に昇格: 1938年12月 名古屋区多治見支区→多治見区(本区に昇格) 移動: 1939年4月 多治見区→稲沢区 移動: 1940年8月 稲沢区→富山区 移動: 1940年12月 富山区→金沢区 移動: 1941年10月 金沢区→名古屋区 移動: 1942年7月3日 名古屋区→長岡区 移動: 1944年10月6日 長岡区→金沢区 達862号 移動: 1945年11月12日 金沢区→米子区 達25号 改造: 1953年 重油併燃装置取付 廃車: 1957年10月25日 米子区 総裁達612
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51103デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 全盛期の蒸気機関車写真集4_八並国介
※3 鉄道ピクトリアル89(1958-12) |
C51 104
新製配置は東京局、白河、高崎、尾久、直江津と移動し戦後はずっと新津で配属になりました。煙突に化粧帯がついています。廃車になってから解体まで1年くらい新津区裏に留置されていたようで、C514として保存することが計画されたようです。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:B型(戦前戦後:4時-11時30分郡山工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1933年1月(高崎庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側3往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.686 使用開始: 1923年6月25日 東京局 改番: 1928年10月1日 28903→C51104 配置: 1931年1月31日 白河庫 移動: 1931年7月 白河庫→高崎庫 配置: 1936年3月31日 高崎庫 その後 田端区尾久支区に移動 時期不明 配置: 1938年4月30日 田端区尾久支区 本区に昇格: 1939年10月11日 田端区尾久支区→尾久区(本区に昇格) 移動: 1943年2月7日 尾久区→直江津区 移動: 1949年9月14日 直江津区→新津区 配置 休車中: 1960年4月1日 現在 第一種休車 新津区 廃車: 1960年7月20日 新津区 総裁達420
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51104デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 機関車表 沖田祐作
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車写真集山下節夫
※6 国鉄時代Vol.21
※7 国鉄時代Vol.50
※8 轣轆114
※9 写真集 陸蒸気30年 |
C51 105
戦前は白河、戦後は豊岡で活躍しています。末期の姿は集煙装置、重油タンク付でした。
写真 新製時:〇 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:〇
特徴 解放テコ:機関車:右側→機関車:両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時郡山工)→D’型(ハッチタイプ) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突→集煙装置裾無しパイプ煙突(1957年頃) 給水温め器:本省丸型:大宮工→落とし込み改造1936年3月(白河庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室: テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:集煙装置・重油タンク、給水温め器落し込み改造
車歴 製造: 汽車製造 No.687 使用開始: 1923年6月27日 東京局 改番: 1928年10月1日 28904→C51105 配置: 1931年1月31日 白河庫 配置: 1940年3月31日 白河区 移動: 1943年2月9日 白河区→直江津区 移動: 1945年6月30日 直江津区→豊岡区 達185号 廃車: 1959年2月21日 豊岡区 総裁達50
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51105デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 西野保行鉄道写真集 鉄道その時代と共に(1)
※3 蒸気の時代No.78
※4 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集W |
C51 106
戦前は鳥栖、戦後は早岐で活躍しました。末期はパイプ煙突になり、1958年末の崩落土砂に乗り上げる事故で廃車になっています。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→機関車:両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:本省型1934年4月以前 煙突:化粧煙突→裾有りパイプ煙突(1958年以前) 給水温め器:本省丸型:小倉工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型→無効化 ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.688 使用開始: 1923年6月28日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 28905→C51106 配置: 1930年3月31日 鳥栖庫 事故: 1930年7月18日 08:56頃、鹿児島本線富野信号所(現 東小倉駅付近) 移動: 1937年3月 鳥栖区→大分区 移動: 1939年10月 大分区→鳥栖区 移動: 1942年11月 鳥栖区→長崎区 移動: 1945年11月 長崎区→早岐区 事故: 1957年12月26日 大村線岩松-諫早間 土砂に乗り上げ脱線 廃車: 1958年6月14日 早岐区 総裁達302
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51106デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 サヨナラ国鉄 鉄道の社会史 毎日新聞社 |
C51 107
戦前は名古屋近辺、1955年以降は吉松に移動し活躍しています。
初期に本省式と住山式の給水温め器のテストに使用されています。1955年頃の姿はパイプ煙突、本省式給水温め器を装備、吉松機関区配置後前面デッキを直線化改造、ボックス動輪化、テンダーの振り替えが行われ。目まぐるしく形態が変化しています。
写真 新製時:〇 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→機関車:両側 煙室前手摺:B型(戦前戦後:4時-11時30分浜松工) デフレクター:名鉄U 煙突:化粧煙突→裾有りパイプ煙突(1960年以前) 給水温め器:住山式:浜松工→本省丸新型(浜松工1950年までに換装)1931年1月以前(配置表) 給水配管:新型 横型 浜松工 排気配管:変形 ストレート ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪→ボックス動輪 運転室:拡張あり、後側窓後方拡大 テンダー:8-17台形→8-20型→ ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.689 使用開始: 1923年7月9日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 28906→C51107 配置: 1931年1月31日 名古屋庫(明石庫に貸渡中) 返却: 1931年8月 明石→名古屋庫 移動: 1934年11月 名古屋庫→米原庫 移動: 1938年3月 米原区→稲沢区 移動: 1938年10月 稲沢区→名古屋区多治見支区 本区に昇格: 1938年12月 名古屋区多治見支区→多治見区(本区に昇格) 移動: 1939年4月21日 多治見区→仙台区 移動: 1944年9月20日 仙台区→名古屋区 達791号 移動: 1946年11月 名古屋区→稲沢区 配置: 1950年12月1日 名古屋区 配置 休車中: 1951年10月1日 現在 第一種休車 名古屋区 配置 休車中: 1955年1月1日 現在 第一種休車 名古屋区 移動: 1956年2月23日 名古屋区→吉松区 達398号 廃車: 1964年11月14日 若松区 総裁達639
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51107デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※5 全盛期の蒸気機関車写真集6_藤田幸一
※6 蒸気機関車No58
※7 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※8 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
※9 蒸気の時代No.36
※10 蒸気の時代No.68
※11 世界の鉄道 別冊 明治・大正・昭和 蒸気機関車100年 朝日新聞社
※12 鉄道ファンNo.343(1989-11) |
C51 108
金沢、直江津と北陸本線筋で活躍し、1955年には廃車になっています。廃車が早くこれまで写真が見つかりませんでしたが、Rail誌118号に1935年の写真が掲載され非公式側の姿がわかりました。浜松工場管内でよく見られる装備で、C51109、135、137などの写真を参考に描きました。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:本省型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1934年5月(金澤庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 浜松工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:右側3往復 コンプレッサー: 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:スポーク動輪 運転室: テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.690 使用開始: 1923年7月12日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 28907→C51108 配置: 1931年1月31日 金沢庫 移動: 1938年3月 金沢区→富山区 移動: 1940年12月 富山区→名古屋区 移動: 1942年10月 名古屋区→金沢区 移動: 1945年11月20日 金沢区→直江津区 達25号(達は'46/1/22付け) 配置: 1950年3月1日 直江津区 休車指定: 1954年12月 第一種休車指定 直江津区(実機は酒田区にて留置) 廃車: 1955年2月26日 直江津区 総裁達81
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51108デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 Rail No.118 |
C51 109
かろうじて3枚ほど写真が残っています。1955年には廃車となり、ボイラーをC51236に譲っています。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型 浜松工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復、振止付(1935年頃)→左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓後方移動 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.691 使用開始: 1923年7月16日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 28908→C51109 配置: 1931年1月31日 静岡庫 移動: 1939年3月 静岡区→浜松区 移動: 1939年5月 浜松区→金沢区 移動: 1940年9月 金沢区→富山区 移動: 1940年12月 富山区→名古屋区 移動: 1942年10月 名古屋区→金沢区 移動: 1945年11月12日 金沢区→直江津区 達25号 配置: 1950年4月1日 直江津区 廃車: 1955年12月9日 直江津区 総裁達704
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51109デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 汽車半世紀
※3 Rail No.114
※4 国鉄時代Vol.21 |
C51 110
戦前は静岡、戦後は秋田、米沢で活躍しております。東北でもっとも最後まで残ったC51です。末期はボックス動輪に振替れらていますが、それ以外は及第点が与えられます。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:B型(戦後:4時-11時30分振替ボイラー?) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型 浜松工 排気配管:後々 ストレート ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:ボックス動輪 運転室:拡張あり、後側窓後方移動 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し(前面除く) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.692 使用開始: 1923年7月23日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 28909→C51110 配置: 1931年1月31日 静岡庫 移動: 1939年5月 静岡区→稲沢区 移動: 1940年8月 稲沢区→富山区 移動: 1940年12月 富山区→名古屋区 移動: 1941年8月1日 名古屋区→新津区 移動: 1945年11月 新津区→大館区 移動: 1949年9月14日 大館区→秋田区 移動: 1952年4月1日 秋田区→横手区 移動: 1953年5月 横手区→秋田区 移動: 1961年1月 秋田区→米沢区 移動: 1962年3月 米沢区→新庄区 廃車: 1963年10月3日 米沢区 総裁達512
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51110デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 山形の鉄道情景―松木壽雄写真集 昭和30~40年代〈上〉
※3 機関車表 沖田祐作
※4 蒸気機関車の記録T(昭和32〜38年)辻坂明浩
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※7 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※8 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※9 国鉄蒸気機関車156機関区全図鑑
※10 蒸気機関車形式写真集U 小野治男
※11 半世紀前に出会えた汽車たちとの思い出 小野康久
C51 91〜100<<< >>>C51 111〜120 |
C51 111
戦前は高崎、戦中、戦後が新庄で活躍しました。1960年には廃車となっており、片側解放テコ、継ぎ足しされた化粧煙突、小型のデフレクター、延長キャブ、原型増炭テンダーなど魅力的なC51です。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー両側 煙室前手摺:B型(戦前戦後:4時-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1931年2月(高崎庫名鉄貸渡し 配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→無効化 ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:原型 テンダー:8-17台形(戦前)→8-17矩形(戦後) ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し(4面) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.693 使用開始: 1923年7月25日 東京局 改番: 1928年10月1日 28910→C51111 配置: 1931年1月31日 高崎庫(名古屋庫に貸渡中) 返却: 1931年9月 返却 高崎庫 移動: 1940年6月 高崎区→水戸区 移動: 1941年10月14日 水戸区→新庄区 配置: 1944年3月31日 新庄区 配置: 1945年12月1日 盛岡区 配置: 1947年2月1日 新庄区 廃車: 1960年1月27日 新庄区 総裁達26
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51111デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 Rail No10 1935年頃の写真あり
※3 全盛期の蒸気機関車写真集V
※4 昭和40年代の蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51 上巻
※5 上越線を行く列車
※6 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※7 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※8 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※9 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
※10 全盛期の蒸気機関車写真集V隅野成一
※11 鉄道ファンNo.92(1969-2) |
C51 112
汽車会社製、新製配置は東京局、宇都宮、高崎、尾久、直江津を経て1946年より豊岡で活躍する。1959年に廃車となる。
新たな公式側の写真が見つかった。末期の姿はC53タイプ12-17型テンダーを装備していた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:〇
特徴 解放テコ:機関車:右側→機関車:両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時大宮工)→D’型(ハッチタイプ) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1934年4月(高崎庫 配置表) 給水配管:T型 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ: 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室: テンダー:8-17台形→12-17型 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.694 使用開始: 1923年7月27日 東京局 改番: 1928年10月1日 28911→C51112 配置: 1931年1月31日 宇都宮庫 移動: 1931年9月1日 宇都宮庫→高崎庫 記念列車: 1931年9月1日 上越線新前橋-宮内間の開通 事故: 1936年1月4日 時刻不明、信越本線群馬八幡駅 移動: 1940年10月 高崎区→尾久区 移動: 1942年2月7日 尾久区→直江津区 移動: 1945年7月13日 直江津区→豊岡区 達185号 事故: 1946年7月5日 20:39頃、播但線溝口駅2番線 廃車: 1959年2月21日 豊岡区 総裁達50
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51112デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。 |
C51 113
戦前は米原、稲沢、戦後は新庄に配属されました。昭和30年以降にボックス動輪に振り替えられました。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:A’型(戦後:8時30分-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型 浜松工 排気配管:後々 ストレート ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪→ボックス動輪 運転室: テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.695 使用開始: 1923年7月31日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 28912→C51113 配置: 1931年1月31日 米原庫 移動: 1938年3月 米原区→稲沢区 移動: 1940年7月 稲沢区→金沢区 移動: 1941年7月5日 金沢区→新津区 移動: 1941年10月 新津区→新庄区 配置: 1946年4月1日 新庄区 廃車: 1960年1月27日 新庄区 総裁達26
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51113デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
※3 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※5 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※6 全盛期の蒸気機関車写真集V隅野成一
※7 蒸気機関車EX Vol.41 |
C51 114
戦前は浜松、名古屋、金沢、戦中は新津、新庄、戦後は奈良、亀山で活躍しました。形態的には戦後はC53用テンダーに振り替えられ、最後の数年はパイプ煙突になっています。第3動輪が18本スポーク動輪となっているため、戦後廃車になったC54のスポーク動輪に振替えられている可能性があります。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→機関車:両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有りパイプ煙突(1960年頃) 給水温め器:本省丸型:浜松工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 横型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:17本スポーク動輪(第1、第2)、18本スポーク動輪(第3) 廃車C54動輪? 運転室:拡張あり、後側窓拡大 テンダー:8-17台形→12-17型 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.696 使用開始: 1923年8月2日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 28913→C51114 配置: 1931年1月31日 浜松庫 貸渡: 1931年9月 浜松庫→鳥栖庫 返却: 1931年12月 鳥栖庫→浜松庫 移動: 1932年2月 〜3月 浜松庫→名古屋庫 移動: 1938年3月 名古屋区→金沢区 移動: 1938年10月 金沢区→多治見区 移動: 1941年7月5日 金沢区→新津区 移動: 1941年10月 新津区→新庄区 移動: 1944年10月11日 新庄区→奈良区 達862号 配置 休車中: 1947年1月1日 現在 特別休車 奈良区 配置 休車中: 1947年4月1日 現在 特別休車継続中 奈良区 配置 休車中: 1947年9月1日 現在 第一種休車 奈良区 配置 休車中: 1949年4月1日 現在 第一種休車継続中 奈良区 借入: 1953年8月15日 借入 梅小路区 返却日 不明 移動: 1961年12月 奈良区→亀山区 廃車: 1962年11月20日 亀山 総裁達560
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51114デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※4 Rail No.54
※5 蒸気の時代No.7
※6 蒸気の時代No.82
※7 蒸気機関車形式写真集U 小野治男 |
C51 115
戦前は姫路、岡山、戦後は豊岡で活躍しました。昭和29年頃まで住山式給水温め器を装備していましたが、装備改造に伴い、集煙装置、落とし込み丸形給水温め器付に改造されました。目まぐるしく形状変化しております。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→機関車:両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突(1954年以前) 給水温め器:住山式:鷹取工→本省丸型落し込み改造(1955年頃)1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型 鷹取工 排気配管:前 →後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復→左側3往復、右側3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:運転室前(鷹取)→標準位置(1954年以降) 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:集煙装置・重油タンク、給水温め器落し込み改造
車歴 製造: 汽車製造 No.697 使用開始: 1923年8月6日 神戸局 改番: 1928年10月1日 28914→C51115 配置: 1930年8月31日 姫路庫 移動: 1937年10月 姫路区→岡山区 達1056号 移動: 1939年8月 岡山区→糸崎区 移動: 1940年4月 糸崎区→小郡区 移動: 1940年12月5日 小郡区→亀山区 移動: 1943年6月 亀山区→豊岡区 配置 休車中: 1953年4月1日 現在 第一種休車 豊岡区 配置 休車中: 1954年10月1日 現在 第一種休車 豊岡区 廃車: 1959年2月21日 豊岡区 総裁達50
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51115デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※3 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※4 鉄道ピクトリアル89(1958-12)
※5 高橋 弘作品集 蒸気機関車 その良き時代
※6 国鉄時代Vol.10
※7 鉄道ピクトリアル2011年12月臨時増刊 千年の京に有りて 京大流知的鉄道”楽”
※8 新日本鉄道史 上 川上幸義 |
C51 116
戦前は姫路、福知山で活躍していました。住山式給水温め器を装備することから、1937年に供出となり、中国へ送られました。戦後の消息は不明です。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側→機関車:両側 煙室前手摺:A型(4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管:前 ボイラー手摺:左2段→1段高位置(供出後) 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:単式 給水ポンプ:運転室前(鷹取)? 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室: テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.698 使用開始: 1923年8月7日 神戸局 改番: 1928年10月1日 28915→C51116 配置: 1930年8月31日 姫路庫 移動: 1937年10月 姫路区→福知山区 供出に伴う発送: 1938年7月1日 実機の発送 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(福知山区) 作軍秘55号 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年8月31日 作軍秘第55
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51116デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 全国蒸気機関車配置表 徳永益男 |
C51 117
戦前は酒田、新津、戦後は秋田を経て南九州で活躍しました。写真は戦前の写真が1枚出てきます。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分郡山工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:長野工or土崎工1935年8月(新津庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 排気配管:後々 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー: 給水ポンプ: 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.699 使用開始: 1923年8月8日 仙台局 改番: 1928年10月1日 28916→C51117 配置: 1931年1月31日 仙台庫 移動: 1931年8月 仙台庫→新津庫 事故: 1934年1月20日 事故被災 移動: 1940年9月 新津区→秋田区 移動: 1941年12月 秋田区→酒田区 移動: 1945年11月 酒田区→大館区 移動: 1949年9月14日 大館区→秋田区 休車指定: 1954年9月1日 第一種休車指定 秋田区 休車指定解除: 1954年10月31日 第一種休車指定解除 秋田区 移動: 1957年10月 秋田区→志布志区都城支区 移動: 1959年2月1日 志布志区都城支区→宮崎区都城支区(志布志線管理所の発足のため本区変更) 配置 休車中: 1959年4月1日 現在 第一種休車 宮崎区都城支区 廃車: 1959年7月2日 吉松 総裁達333
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51117デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938 |
C51 118
1957年頃まで新津で活躍、以後鹿児島に移動した。
末期の数年間は、前面をC57のようにストレートに改造されていた。
デフレクターのステーの形状に特徴がある。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:B型(戦前戦後:4時-11時30分郡山工) デフレクター:本省(短)→鹿工1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:長野工or土崎工 給水配管:T型 排気配管:後々 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復→左側3往復、右側3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ: 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室: テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.700 使用開始: 1923年8月20日 仙台局 改番: 1928年10月1日 28917→C51118 配置: 1931年1月31日 仙台庫 移動: 1931年8月 仙台庫→新津庫 移動: 1945年11月 新津区→大館区 移動: 1949年9月6日 大館区→新津区 配置 休車中: 1949年11月1日 現在 特別休車 新津区 配置 休車中: 1950年12月1日 現在 特別休車継続中 新津区 移動: 1957年3月3日 新津区→鹿児島区 達206号 廃車: 1961年12月26日 鹿児島区 総裁達727
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51118デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 国鉄時代Vol.21 |
C51 119
盛岡、青森を経て、1935年頃には北海道に移動していた。最後は旭川で1955年に廃車。
写真 新製時:〇 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:B型(戦前戦後:4時-11時30分郡山工) デフレクター:1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:苗穂工 給水配管: 排気配管:後々 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:単式 給水ポンプ: 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室: テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.701 使用開始: 1923年8月22日 仙台局 改番: 1928年10月1日 28918→C51119 配置: 1931年1月31日 盛岡庫 移動: 1931年6月 盛岡庫→青森庫 移動: 1932年11月25日 青森庫→小樽築港庫(鉄運乙第2411号) 移動: 1934年11月 小樽築港庫→旭川庫 休車指定: 1954年7月14日 特別休車指定 旭川区 廃車: 1955年3月16日 旭川 総裁達104
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51119デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 北海道北部地方 蒸気機関車変遷史 1897→1975 加藤達也
※3 鉄道ピクトリアルNo.833(2010-5) |
C51 120
盛岡、青森、新津を経て、最後は豊岡で活躍。末期はC53タイプテンダーに振り替えられ、裾のあるパイプ煙突に取り換えられていました。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:B型(戦後:4時-11時30分郡山工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:裾有パイプ煙突 給水温め器:本省丸型:長野工? 給水配管:T型 竪型 排気配管:後々 ボイラー手摺: 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側?往復、右側3往復 コンプレッサー: 給水ポンプ: 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓拡大 テンダー:8-17台形→12-17型 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.702 使用開始: 1923年8月29日 仙台局 改番: 1928年10月1日 28919→C51120 配置: 1931年1月31日 盛岡庫 移動: 1931年7月 盛岡庫→青森庫 移動: 1931年8月 青森庫→秋田庫 移動: 1934年11月 秋田庫→新津庫 移動: 1945年6月30日 新津区→豊岡区 達185号 配置: 1949年4月1日 豊岡区 借入: 1951年9月23日 借入 新津区 配置: 1951年10月1日 借入継続中 新津区 返却日 不明 配置: 1952年4月1日 豊岡区 廃車: 1958年9月2日 福島第一区 総裁達420
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51120デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※3 蒸気機関車写真集山下節夫
C51 101〜110<<< >>>C51 121〜130 |
C51 121
1931年頃、盛岡あるいは福島時代に傾斜煙突が装備される。1937年頃までには撤去され化粧煙突と給水温め器装備に変更された。その後化粧煙突と給水温め器の形態は維持され、標準的なC51となっていた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→機関車:両側 煙室前手摺:B型(戦前戦後:4時-11時30分郡山工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:傾斜煙突→化粧煙突 給水温め器:本省丸型:長野工?or土崎工1937年7月の写真では搭載済み 給水配管:=型 竪型 排気配管:後々 ストレート ボイラー手摺:2段(変形) 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:1937年以前斜め煙突装備→化粧煙突給水温め器
車歴 製造: 汽車製造 No.703 使用開始: 1923年8月27日 仙台局 改番: 1928年10月1日 28920→C51121 配置: 1931年1月31日 盛岡庫 この頃 傾斜煙突試験改造実施 移動: 1931年6月 盛岡庫→福島庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 福島庫→酒田庫 移動: 1932年9月 酒田庫→新津庫 配置: 1936年3月31日 新津庫 その後 秋田区に移動 時期不明 配置: 1938年4月30日 秋田区 移動: 1945年11月 秋田区→酒田区 移動: 1946年11月 酒田区→横手区 配置: 1949年11月1日 横手区 配置 休車中: 1950年4月 現在 特別休車 横手区 移動: 1950年9月13日 特別休車指定解除 横手区→新潟区 配置: 1956年11月1日 新潟区 休車指定: 1962年6月11日 第一種休車指定 新潟区 廃車: 1962年10月26日 新潟区 総裁達518
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51121デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 懐想の蒸気機関車 久保田博 交友社
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 鉄道ファンNo.30(1963-12)
※5 Rail No.120
※6 国鉄時代Vol.21
※7 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
※8 蒸気の時代No.34
※9 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集X
※10 蒸気機関車 大カタログ 伊藤東作
※11 鉄道ファンNo.15(1962-9)
※12 鉄道ファンNo.136(1972-8) |
C51 122
戦前は姫路、戦後は米子で活躍した。
1955年頃に快速いずも号を牽引機としての写真が残っており、その後まず重油併燃化が行われ、パイプ煙突となった。長く使われることなく1958年には廃車になっている。
写真 新製時:〇 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1936年4月〜1938年4月(福知山区 配置表) 給水配管:=型 竪型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し(前面除く) その他:重油タンク→パイプ煙突
車歴 製造: 汽車製造 No.704 使用開始: 1923年9月5日 神戸局 改番: 1928年10月1日 28921→C51122 配置: 1930年8月31日 岡山庫 配置: 1931年1月31日 姫路庫 移動: 1937年10月 姫路区→福知山区 移動: 1939年11月 福知山区→梅小路区 移動: 1941年10月 梅小路区→福知山区 移動: 1943年3月 福知山区→米子区 休車指定: 1958年8月19日 第一種休車指定 米子区 配置 休車中: 1958年9月1日 現在 第一種休車 米子区 廃車: 1958年11月27日 米子区 総裁達604
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51122デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 中国蒸汽机牟世紀集映1876-2001(中国鉄道出版社)
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※5 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※6 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
※7 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集Y
※8 RM LIBRARY 45 昭和30年代の国鉄列車愛称板 佐竹保雄・佐竹晃 |
C51 123
戦前は明石、姫路、梅小路と関西圏で活躍。1940年に水戸に移り長岡、稲沢と移動し、戦後は青森で活躍。当初は住山式の給水温め器を装備するが、末期は本省丸形に変わっている。装備変更が遅いためかC51としては近代的な給水温め器である。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:鷹取工→本省丸新型:土崎工1959年以前1931年1月以前(配置表) 給水配管:新型 竪型 排気配管:後々 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.705 使用開始: 1923年9月1日 神戸局 改番: 1928年10月1日 28922→C51123 配置: 1931年1月31日 明石庫(名古屋庫に貸渡) 返却: 1931年8月 返却 明石庫 移動: 1934年7月 明石庫→姫路庫 移動: 1935年 姫路庫→梅小路庫 移動: 1936年 梅小路庫→宮原区 移動: 1938年8月 宮原区→福知山区 移動: 1939年11月 福知山区→梅小路区 移動: 1940年9月25日 梅小路区→水戸区 移動: 1941年11月 水戸区→宇都宮区 移動: 1942年1月20日 宇都宮区→長岡区 移動: 1944年6月6日 長岡区→名古屋区 達561号 移動: 1946年11月 名古屋区→稲沢区 移動: 1947年6月30日 稲沢区→青森区 達391号 借入: 1953年12月 借入 盛岡区 返却: 1954年3月 返却 青森区 廃車: 1961年2月15日 青森区 総裁達64
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51123デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※4 国鉄時代Vol.49 |
C51 124
戦前は姫路あ、明石で、戦中は亀山にいたが、戦後は米子に移り、この地での活躍は長かった。1962年に梅小路に移動し2年ほど働いた。C51の再末期まで活躍した1両です。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→機関車:両側、テンダー両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工→本省丸新型(後藤工1955年以前)1939年4月(亀山区 配置表) 給水配管:新型 横型 後藤工 排気配管:後々 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復→左側3往復、右側3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓拡大 テンダー:8-17台形→12-17型 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.706 使用開始: 1923年9月8日 神戸局 改番: 1928年10月1日 28923→C51124 配置: 1930年8月31日 明石庫 移動: 1934年7月 明石庫→姫路庫 移動: 1939年4月 姫路区→亀山区 配置: 1944年3月31日 亀山区 配置: 1948年7月1日 亀山区 配置: 1949年3月1日 米子区 配置: 1954年4月1日 米子区 配置: 1959年4月1日 米子区 配置: 1960年4月1日 浜田区 移動: 1961年3月 浜田区→米子区 移動: 1962年2月 米子区→梅小路区 廃車: 1965年10月22日 梅小路区 総裁達559
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51124デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 鉄道datafile 76
※4 蒸気機関車の記録U辻坂明浩
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※7 蒸気機関車No20
※8 蒸気機関車の角度
※9 0からの鉄道なんでも記録
※10 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※11 国鉄時代Vol.55
※12 蒸気の時代No.57
※13 鉄道ピクトリアルNo.575(1993-5)
※14 鉄道ファンNo.44(1965-2)
※15 鉄道ファンNo.55(1966-1)
※16 蒸気機関車形式写真集U 小野治男
※17 0からの鉄道なんでも記録
※18 蒸気の時代No.89 |
C51 125
戦前は明石、姫路、亀山で、終戦近くは梅小路にいて、戦後すぐ米子に移動、最後は宮崎に移動し終焉を迎える。テンダーの振り替えなど形態の変化が激しい。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工)→A’型(戦後:8時30分-11時30分、0時30分-2時) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有りパイプ煙突(1936年以前) 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年2月(明石庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 鷹取工 排気配管:後々→前後(1935年頃) 竪型→止弁 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復→左側3往復、右側3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:運転室前(鷹取) 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓拡大 テンダー:8-17台形→8-17矩形→12-17型→8-20型 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:8−17台形→8−17矩形(1946.7)→12-17(1946.11)→8-20(1959)
車歴 製造: 汽車製造 No.707 使用開始: 1923年9月12日 神戸局 改番: 1928年10月1日 28924→C51125 配置: 1930年8月31日 明石庫 移動: 1934年7月 明石庫→姫路庫 改造: 1936年8月6日 鷹取工場 パイプ煙突に交換 移動: 1939年4月 姫路区→亀山区 移動: 1946年5月12日 亀山区→梅小路区 移動: 1947年8月11日 梅小路区→米子区 配置: 1952年4月1日 米子区 移動: 1957年10月7日 米子区→宮崎区 達656号 廃車: 1960年2月26日 宮崎区 総裁達76
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51125デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 終戦直後の蒸気機関車
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 門鉄デフ物語
※6 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T
※7 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集X |
C51 126
戦前、戦中は明石、姫路、梅小路、亀山と移動、戦後すぐに米子に移動し1960年まで活躍した。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー右側 煙室前手摺:原型→A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:裾有りパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1936年4月〜1938年4月(梅小路区 配置表) 給水配管:=型 竪型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側3往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.708 使用開始: 1923年9月26日 神戸局 改番: 1928年10月1日 28925→C51126 配置: 1930年8月31日 明石庫 移動: 1934年7月 明石庫→姫路庫 配置: 1935年5月31日 姫路庫 配置: 1935年7月31日 梅小路庫 移動: 1938年6月 梅小路区→亀山区 配置: 1943年3月31日 亀山区 配置: 1947年9月1日 亀山区 配置: 1948年2月1日 米子区 配置: 1954年4月1日 米子区 廃車: 1960年1月27日 米子区 総裁達26
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51126デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※4 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集U
※5 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集V |
C51 127
汽車会社製、新製配置は神戸局、明石、山田を経て1956年より米子で活躍する。最後の1年を浜田に移動し1960年に廃車となる。
米子時代はパイプ煙突、ボックス動輪であるが、換装前の1950年頃の写真が発見された。タイヤが薄く酷使された状況である。関西方面でボックス動輪になったのは当機のみで、久保田博の著書にあるC57の動輪を流用した機と思われる。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:〇 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有りパイプ煙突(1952年以前) 給水温め器:本省丸型:鷹取工1932年4月(山田庫 配置表) 給水配管:=型 竪型→横型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側3往復、右側3往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前)→型式無し その他:ボックス動輪はC57のもの?
車歴 製造: 汽車製造 No.709 使用開始: 1923年9月25日 神戸局 改番: 1928年10月1日 28926→C51127 配置: 1930年8月31日 明石庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 明石庫→山田庫 移動: 1956年9月10日 山田区→米子区 達772号 移動: 1958年9月 米子区→浜田区 配置: 1959年4月1日 浜田区 配置 休車中: 1960年4月1日 現在 第二種休車 浜田区 廃車: 1960年5月7日 浜田区 総裁達254
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51127デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 国鉄時代Vol.52 |
C51 128
汽車会社製、新製配置は仙台局、米原、名古屋、稲沢、新津、長岡を経て1944年より豊岡で活躍する。1956年には廃車となる。
配管、デフレクターなど浜松工場で検修をうけてきた機関車の特徴がある。末期はパイプ煙突になっていた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー右側(戦前) 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管:後々 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復 コンプレッサー:単式 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:型式入り(戦前) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.710 使用開始: 1923年9月27日 仙台局 改番: 1928年10月1日 28927→C51128 配置: 1931年1月31日 米原庫 移動: 1938年3月 米原区→稲沢区 移動: 1938年10月 稲沢区→名古屋区多治見支区 本区に昇格: 1938年12月 名古屋区多治見支区→多治見区(本区に昇格) 移動: 1939年5月 多治見区→名古屋区 移動: 1939年11月 名古屋区→稲沢区 移動: 1940年7月 稲沢区→静岡区 移動: 1941年8月4日 静岡区→新津区 移動: 1943年8月 新津区→長岡区 移動: 1944年10月15日 長岡区→名古屋局 達862号 移動: 1945年7月14日 名古屋局管内→豊岡区 達185号 配置: 1947年1月1日 豊岡区 配置 休車中: 1947年4月1日 現在 特別休車 豊岡区 配置: 1947年9月1日 豊岡区 配置: 1948年2月1日 豊岡区和田山支区 配置: 1952年4月1日 豊岡区和田山支区 廃車: 1956年6月27日 豊岡区 総裁達414
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51128デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 御大禮記念吹田機關庫寫眞帖
※3 鉄道ファンNo.244(1981-8)
※4 蒸気の時代No.89 |
C51 129
新製配置は名古屋であるが、仙台、金沢、盛岡を転々とした後、1954年に長崎へ、1956年には鹿児島に転じている。戦前は住山式給水温め器を装備するが、いつ頃か標準的な給水温め器を装備すしている。配管の形状、砂箱に取手があることより、ボイラーを振り替えている可能性がある。最終全検は1956年と思われるが、この時期、鹿児島工場に入場するC51はフロントデッキの直線化改造を受けているが、この機はどうしたわけか行われていない、小倉工場で全検を受けたあとに鹿児島に移動することも考えられる。末期は特急燕に用いられたC52用の20立方テンダーを装備していたが、盛岡区時代にC51171やC51247とテンダーを振り替えた事が考えられる。1961年に廃車
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前:4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:浜松工→本省丸型:浜松工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 横型 排気配管:後々 竪型無効化 ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復、振止付(1935年頃)→左側3往復、右側4往復 コンプレッサー: 給水ポンプ:運転室前(浜松)→標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:拡張あり、後側窓拡大 テンダー:8-17台形→12-20燕用 ナンバープレート:形式無し その他:吉松時代
車歴 製造: 汽車製造 No.711 使用開始: 1923年9月29日 仙台局 改番: 1928年10月1日 28928→C51129 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 移動: 1931年2月 名古屋庫→浜松庫 移動: 1934年10月 浜松庫→金沢庫 移動: 1939年4月25日 金沢区→仙台区 移動: 1944年8月5日 仙台区→名古屋区 達658号 配置: 1949年3月1日 名古屋区 配置: 1949年6月1日 富山区 配置: 1949年10月1日 稲沢区 移動: 1950年7月27日 稲沢区→盛岡区 休車指定: 1954年5月1日 第一種休車指定 盛岡区 移動: 1954年7月 盛岡区→長崎区 移動: 1956年11月 長崎区→鹿児島区 配置: 1959年4月1日 鹿児島区 配置 休車中: 1960年4月1日 現在 第一種休車 鹿児島区 廃車: 1961年2月15日 吉松 総裁達64
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51129デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※3 Rail No.114 |
C51 130
新製配置は名古屋庫、のちに金沢に移動し、1937年に中国大陸へ供出
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分浜松工) デフレクター:1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:浜松工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管:前 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左?往復:右3往復 コンプレッサー: 給水ポンプ:運転室前(浜松) 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有 後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入り その他:供出、1927年頃特殊徐煙板取付
車歴 製造: 汽車製造 No.712 使用開始: 1923年10月3日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 28929→C51130 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 移動: 1931年2月 名古屋庫→金沢庫 除煙排煙対策として煙突後部に反射板を試験取付実施 その後 原型に復帰 移動: 1938年5月31日 金沢区→陸軍省 供出に伴う発送: 1938年6月17日 実機の発送 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(金沢区) 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年5月31日
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51130デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
※3 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※4 日本蒸気機関車史 高木宏之
※5 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
※6 世界の鉄道 '63 朝日新聞社
C51 111〜120<<< >>>C51 131〜140 |
C51 131
住山式給水温め器を装備した1両である。写真は存在し出てこない。
新製は金沢庫、名古屋、福知山と移動し、1937年に中国大陸に供出された。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ: 煙室前手摺:? デフレクター:1936年3月以前 煙突: 給水温め器:住山式:浜松工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管: ボイラー手摺: 梯子: 圧縮空気冷却管: コンプレッサー: 給水ポンプ: 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室: テンダー: ナンバープレート: その他:供出
車歴 製造: 汽車製造 No.713 使用開始: 1923年10月8日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 28930→C51131 配置: 1931年1月31日 金沢庫 貸渡: 1931年10月 金沢→鳥栖庫 陸軍特別大演習熊本県 移動: 1931年12月 金沢→名古屋庫 陸軍特別大演習熊本県 返却後 移動: 1935年6月 名古屋庫→福知山庫 供出に伴う発送: 1938年7月11日 実機の発送(除籍日が錯綜するのは現場実務と通達との日ずれあり) 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(福知山区) 作軍秘55号 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年8月31日 作軍秘第55
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51131デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。 |
C51 132
住山式給水温め器を装備した1両である。金沢、稲沢と移動し、1937年に中国大陸へ改軌、装備撤去のうえ供出された。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:A型(戦前:4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:浜松工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管:前 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復 コンプレッサー:単式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有 後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入り その他:供出、1927年頃特殊徐煙板取付
車歴 製造: 汽車製造 No.714 使用開始: 1923年10月9日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 28931→C51132 配置: 1931年1月31日 金沢庫 移動: 1938年3月 金沢区→稲沢区 移動: 1938年5月31日 稲沢区→陸軍省 供出に伴う発送: 1938年6月22日 実機の発送(除籍日が錯綜するのは現場実務と通達との日ずれあり) 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(稲沢区) 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年5月31日
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51132デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
※4 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集X
※5 鉄道ファンNo.244(1981-8) |
C51 133
新製配置は名古屋局、名古屋を経て1939年より仙台、1945年より福島で活躍する。1949年8月17日に発生した松川事件において脱線転覆し、1950年に廃車となった。
写真は名古屋庫時代は豊富であるが、仙台移動後は非公式側が1枚と松川事故時の写真がある程度でとぼしい。1927年頃に500mm煙室を延長し、次に800mm延長したが、1940年頃には復旧した。当初から住山式給水温め器を装備していたが、松川事故時には撤去されていた。当初は単式コンプレッサーを装備していたが、松川事故時には複式に改造されていた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:B型(戦前戦後:4時-11時30分浜松工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:浜松工→撤去1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管:前 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復、振止付(1939年頃撤去)→左3往復:右3往復 コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後) 給水ポンプ:運転室前(浜松) 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有 後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入り その他:800mm煙室延長 1941年までに標準化改造
車歴 製造: 汽車製造 No.715 使用開始: 1923年10月11日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 28932→C51133 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 煙室延長800mm試験改造実施 移動: 1938年3月 名古屋区→稲沢区 移動: 1939年5月22日 稲沢区→仙台区 移動: 1944年4月24日 仙台区→区名不明(東京局管内) 達360号 移動: 1945年11月12日 区名不明(東京局管内)→福島区 達25号 移動: 1949年3月 福島区→福島第一区 事故: 1949年8月17日 03:09頃、東北本線金谷川-松川間 配置 休車中: 1949年11月1日 現在 第一種休車 福島第一区 廃車: 1950年 福島区
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51133デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 懐想の蒸気機関車 久保田博 交友社
※3 私の蒸気機関車史下
※4 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
※5 9百万キロ無事故表彰記念写真帳
※6 蒸気機関車No58
※7 記録写真蒸気機関車T
※8 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※9 鉄道ファンNo.30(1963-12)
※10 Rail No.36
※11 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
※12 全国蒸気機関車配置表 徳永益男
※13 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T
※14 世界の鉄道 別冊 明治・大正・昭和 蒸気機関車100年 朝日新聞社
※15 機関車の系譜図4 臼井茂信
※16 新日本鉄道史 上 川上幸義
※17 鉄道ファンNo.119(1971-3)
※18 鉄道ファンNo.244(1981-8) |
C51 134
名古屋、富山、仙台、米子、奈良、伊勢と移動し、比較的に末期まで生き延び関西本線で使用される写真が残っている。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:?→両側 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有りパイプ煙突(1960年以前) 給水温め器:住山式:浜松工→本省丸型:土崎工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 横型 郡山工 排気配管:前後 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復 コンプレッサー:複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有 後窓拡大無し テンダー:12-17型 ナンバープレート: その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.719 使用開始: 1923年11月1日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 28933→C51134 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 移動: 1937年10月 名古屋区→富山区 移動: 1938年9月 富山区→稲沢区 移動: 1938年10月 稲沢区→多治見支区 移動: 1939年5月4日 稲沢区→仙台区 移動: 1945年7月5日 仙台区→米子区 達185号 休車指定: 1950年3月10日 特別休車指定 米子区 移動: 1950年8月 特別休車指定解除 米子区→奈良区 廃車: 1962年11月20日 奈良区 総裁達560
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51134デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※3 蒸気機関車写真集1鈴木武夫
※4 蒸気機関車No58
※5 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※6 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※7 蒸気機関車EX Vol.30
※8 蒸気の時代No.82 |
C51 135
名古屋、富山、仙台、稲沢、酒田、新津と移動した。1962年まで生き残り、磐越西線で活躍する写真が多くみられる。テンダーの形状が特殊であるが、標準的な8-17テンダーの炭庫の形状を改良したものと思われる。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:両側 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分浜松工)→B’型(戦後:8時30分-11時30分) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型 浜松工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復 コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音(戦前)→5階音(戦後) 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有 後窓拡大 テンダー:8-17台形→8-17台形改造 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.720 使用開始: 1923年10月24日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 28934→C51135 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 この頃 除煙排煙対策として煙突前部に傾斜板を試験取付実施 その後 原型に復帰 移動: 1937年10月 名古屋区→富山区 移動: 1940年8月15日 富山区→仙台区 移動: 1944年9月10日 仙台区→名古屋区 達791号 移動: 1946年11月 名古屋区→稲沢区 移動: 1947年6月30日 稲沢区→酒田区 達391号 移動: 1950年3月2日 酒田区→新津区 休車指定: 1962年6月11日 第一種休車指定 新津区 廃車: 1962年10月26日 新津区 総裁達518
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51135デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
※3 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※6 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※7 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※8 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※9 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※10 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※11 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
※12 蒸気の時代No.34
※13 蒸気の時代No.45
※14 鉄道ファンNo.136(1972-8)
※15 半世紀前に出会えた汽車たちとの思い出 小野康久 |
C51 136
鳥栖、熊本、鹿児島、宮崎、吉松と九州で活躍つづけた。1963年まで生き延び、吉都線での活躍の写真が見られる。フロントデッキを直線化改造、パイプ煙突、12-17テンダーに改造が見られる。最末期はLP403を装備。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→両側、テンダー:? 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時)→A’型(最末期:8時30分-11時30分、0時30分-2時) デフレクター:鹿工1935年3月以前 煙突:裾有りパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1936年4月〜1938年4月(熊本区 配置表) 給水配管:=型 横型 排気配管:後々 L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3往復:右4往復 コンプレッサー:複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有、窓位置後方移動 テンダー:8-17台形→12-17型 ナンバープレート:正面形式入り その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.721 使用開始: 1923年10月29日 三田尻庫 移動: 1927年4月 三田尻庫→鳥栖庫 改番: 1928年10月1日 28935→C51136 配置: 1931年3月31日 鳥栖庫 移動: 1935年11月 鳥栖庫→熊本庫 配置: 1940年3月31日 熊本区 配置: 1944年3月31日 熊本区 配置: 1945年12月1日 鹿児島区 配置: 1948年4月1日 鹿児島区 配置: 1948年7月1日 宮崎区 移動: 1955年11月 宮崎区→志布志区都城支区 移動: 1957年5月 志布志区都城支区→宮崎区 移動: 1958年4月 宮崎区→吉松区 移動: 1959年3月26日 吉松区→宮崎区都城支区 移動: 1960年11月 宮崎区都城支区→吉松区 廃車: 1962年11月20日 奈良区 総裁達560
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51136デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 九州の蒸気機関車 門司鉄道管理局
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※5 全盛期の蒸気機関車写真集7_小林庄三
※6 蒸気機関車No48
※7 九州鉄道の記憶W |
C51 137
名古屋、稲沢、大館、新津と移動した。名古屋時代解放テコが両袖で、名鉄型デフを装備するが、新津時代の写真では解放テコが片側、デフも形状が変化している。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側→右側、テンダー:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:名鉄→長工1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1932年12月(名古屋庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 浜松工 排気配管:後々 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復 コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有 後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.722 使用開始: 1923年11月1日 三田尻庫 移動: 1928年9月 三田尻庫→名古屋庫 改番: 1928年10月1日 28936→C51137 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 返却: 1931年9月22日 返却 名古屋庫 借入: 1933年9月 借入 敦賀庫 返却: 1933年11月 返却 名古屋庫 移動: 1938年3月 名古屋区→稲沢区 移動: 1940年8月15日 稲沢区→仙台区 移動: 1944年8月29日 仙台区→名古屋区 達658号 移動: 1946年11月 名古屋区→稲沢区 移動: 1947年6月30日 稲沢区→大館区 達391号 移動: 1949年9月9日 大館区→新津区 廃車: 1961年11月10日 新津区 総裁達626
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51137デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※4 蒸気機関車写真集山下節夫
※5 蒸気機関車68春
※6 記録写真蒸気機関車T
※7 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※8 C52・C53
※9 国鉄時代Vol.21
※10 日本蒸気機関車史 高木宏之
※11 蒸気の時代No.34
※12 蒸気機関車形式写真集U 小野治男 |
C51 138
岩見沢、旭川、小樽築港、岩見沢、苗穂と移動した。一貫して北海道で活躍した車両である。運転室雨樋の形状に特徴がある。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:右側 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時苗穂工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:苗穂工1932年11月(旭川庫 配置表) 給水配管:T型 苗穂工 排気配管:後々 L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復→左3往復:右3往復 コンプレッサー:複式(戦後) 給水ポンプ: 汽笛:5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有、窓位置後方移動、北海道雨樋改造 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.723 使用開始: 1923年11月6日 三田尻庫 移動: 1928年7月 三田尻庫→岩見沢庫 改番: 1928年10月1日 28937→C51138 移動: 1932年9月 岩見沢庫→旭川庫 移動: 1947年 〜1947年12月 旭川区→小樽築港区 配置: 1953年4月1日 小樽築港区 配置: 1953年9月1日 室蘭区 その後 小樽築港区に移動 時期不明 休車指定解除: 1954年3月15日 第一種休車指定 小樽築港区 その後 第一種休車指定解除 時期不明 配置: 1954年10月1日 小樽築港区 移動: 1955年6月 小樽築港区→岩見沢区 配置 休車中: 1957年11月1日 現在 第一種休車 岩見沢区 配置: 1958年4月1日 岩見沢区 配置: 1959年4月1日 苗穂区 廃車: 1960年3月10日 苗穂区 総裁達98
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51138デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 北国の汽笛1(北海道の鉄道1956〜1959)星良助写真集 |
C51 139
履歴を見ると岩見沢、小樽築港、旭川、苗穂と北海道を離れたことがありません。最後までサンビームのヘッドライトを有しましたが、ヘッドライトのレンズは小型のLP42サイズのものに変更されていました。テンダーはD50タイプに振り替えています。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時苗穂工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:苗穂工1931年1月以前(配置表) 給水配管:ミ型 竪型 苗穂工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復→左3往復:右3往復 コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音(戦前)→5階音(戦後) 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有、窓位置後方移動、北海道雨樋改造 テンダー:8-17台形→8-20型 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.724 使用開始: 1923年11月8日 三田尻庫 移動: 1928年7月 三田尻庫→岩見沢庫 改番: 1928年10月1日 28938→C51139 移動: 1932年9月 岩見沢庫→小樽築港庫 配置: 1936年3月31日 小樽築港庫 その後 旭川区に移動 時期不明 配置: 1938年4月30日 旭川区 配置 休車中: 1950年4月1日 現在 旭川区 移動: 1955年5月25日 旭川区→岩見沢区 達343号 移動: 1956年 岩見沢区→苗穂区 廃車: 1963年2月9日 苗穂区 総裁達46
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51139デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※6 蒸気機関車No58
※7 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※8 国鉄時代Vol.7
※9 蒸気の時代No.57 |
C51 140
旭川、岩見沢、苗穂と北海道内で活躍した。1961年廃車の割には写真が多くみられる。エアータンクが小型である。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時苗穂工) デフレクター:東鉄型V→本省型1938年4月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:苗穂工1932年12月(小樽築港庫 配置表) 給水配管:T型→ミ型 排気配管:後々 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復→左3往復:右3往復 コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音(戦前)→5階音(戦後) 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有、窓位置後方移動、北海道雨樋改造 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.725 使用開始: 1923年11月10日 三田尻庫 移動: 1928年7月 三田尻庫→旭川庫 改番: 1928年10月1日 28939→C51140 移動: 1931年9月 旭川庫→小樽築港庫 試運転: 1934年3月12日 函館本線特急客レ運転開始に備えた試レの牽引機 移動: 1936年 小樽築港庫→旭川区 移動: 1955年5月 旭川区→岩見沢区 配置 休車中: 1958年4月1日 現在 第一種休車 岩見沢区 移動: 1959年4月1日 岩見沢→苗穂 廃車: 1961年3月31日 苗穂区 総裁達158
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51140デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車No58
※6 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※7 Rail No.18
※8 蒸気の時代No.90
C51 121〜130<<< >>>C51 141〜150 |
C51 141
広島局に新製配置、戦前は九州にいましたが、戦後一時的に関西方面に配置となり、すぐに鹿児島に転属する。最後は吉松で1961年に廃車となりました。
化粧煙突を最後まで残しているものの、デッキ部分が直線化改造など鹿児島工場管内の特徴を有していました。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側、テンダー:? 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:鹿工1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1933年2月(鳥栖庫 配置表) 給水配管:=型 横型 排気配管:後々 L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3往復:右?往復 コンプレッサー:複式(戦後) 給水ポンプ: 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長無、窓位置後方移動 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.726 使用開始: 1923年11月16日 三田尻庫 改番: 1928年10月1日 28940→C51141 移動: 1928年12月 三田尻庫→鳥栖庫 移動: 1942年9月 鳥栖区→鹿児島区 移動: 1944年10月12日 鹿児島区→奈良区 達862号 移動: 1946年5月 奈良区→梅小路区 移動: 1947年6月26日 梅小路区→熊本区 達391号 移動: 1947年9月 熊本区→早岐区 移動: 1949年12月 早岐区→吉松区 借入: 1951年12月 借入 鹿児島区 返却日 不明 廃車: 1961年2月15日 吉松 総裁達64
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51141デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。 |
C51 142
東京局に新製配置、戦前は高崎、尾久などに配置となりましたが、戦中に宮崎に移動し、最後は吉松で1964年に廃車となりました。
写真に残る姿はパイプ煙突、デッキ部分が直線化改造など鹿児島工場管内の特徴を有していました。末期まで活躍したためLP403などヘッドライトが大型化されていました。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側、テンダー:? 煙室前手摺:B型(戦後:4時-11時30分大宮工) デフレクター:鹿工 煙突:裾無しパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 横型 大宮工 排気配管:後々 L字管 ボイラー手摺:左:2段、右1段(高) 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3往復:右4往復 コンプレッサー:複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長無、窓位置移動拡大無し テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.727 使用開始: 1923年12月1日 東京局 改番: 1928年10月1日 28941→C51142 配置: 1929年12月 高崎庫 移動: 1936年 高崎庫→田端区尾久支区 本区に昇格: 1939年10月11日 田端区尾久支区→尾久区(本区に昇格) 移動: 1942年1月 尾久区→宇都宮区 移動: 1943年2月 宇都宮区→白河区 移動: 1943年9月25日 白河区→宮崎区 移動: 1945年10月10日 宮崎区→鹿児島区 移動: 1948年6月12日 鹿児島区→早岐区 移動: 1949年1月5日 早岐区→鹿児島区 移動: 1949年12月3日 鹿児島区→吉松区 改造: 1955年1月1日 フロントデッキのベント直線化実施済・パイプ煙突化 休車指定: 1964年6月8日 第一種休車指定 吉松区 廃車: 1964年11月14日 吉松 総裁達639
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51142デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 九州の蒸気機関車 門司鉄道管理局
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※4 蒸気機関車68春
※5 蒸気機関車No58
※6 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※7 Rail No.120
※8 蒸気機関車EX Vol.45
※9 蒸気機関車EX Vol.46
※10 鉄道ファンNo.240(1981-4)
※11 鉄道ファンNo.380(1992-12) |
C51 143
東京局に新製配置、戦前は白河の配置が長かったですが、戦後は室蘭に移動になり、1955年には廃車となりました。
写真の少ない機ですが、東鉄型のデフを有することが確認できます。白河区配属時代に二本煙突に改造された時期があったそうです。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:B型(戦前戦後:4時-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工or郡山工1934年4月(白河庫 配置表) 給水配管:T型 排気配管:後々 ボイラー手摺:左:2段、右1段(高) 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復→左3往復:右3往復 コンプレッサー:単式(戦前・戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室: テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.728 使用開始: 1923年12月3日 東京局 改番: 1928年10月1日 28942→C51143 配置: 1931年1月31日 白河庫 移動: 1943年2月28日 白河区→室蘭区(函館揚陸 3/2 53便) 配置 休車中: 1955年1月1日 現在 第一種休車 室蘭区 廃車: 1955年3月16日 室蘭区 総裁達104
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51143デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。 |
C51 144
東京局に新製配置、戦前は水戸、戦後は福島で活躍しました。廃車が1958年と早く、ほとんど写真が出てきません。末期の姿は、化粧煙突を残しているものの、ボックス動輪に改造されていました。名鉄局には配置がないのですが特徴的なデフを装備します。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時大宮工)→A’型(1955年以降:6時30分-11時30分、0時30分-2時) デフレクター:東鉄型V 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工or郡山工1932年5月(水戸庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 排気配管:後々 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左?往復:右3往復→左3往復:右3往復 コンプレッサー:複式(戦後)? 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:ボックス動輪 運転室: テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.729 使用開始: 1923年12月5日 東京局 改番: 1928年10月1日 28943→C51144 配置: 1931年1月31日 水戸庫 移動: 1939年5月18日 水戸区→仙台区 移動: 1945年11月 仙台区→福島区 移動: 1949年3月 福島区→福島第一区(奥羽本線米沢電化により機関区分割のため) 配置 休車中: 1958年4月1日 現在 第一種休車 福島第一区 廃車: 1958年7月1日 福島第一区 総裁達331
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51144デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 鉄道青春時代―東北・常磐線 |
C51 145
東京局に新製配置、戦前は水戸、戦後は新庄で活躍しました。廃車が1961年で、複数写真が出てきます。
末期の姿は、化粧煙突、スポーク動輪を残し、ヘッドライトがLP403 を装備していました。デフレクターは東鉄型ですが、前側が斜めに切れた特徴的なデフを装備しています。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:C型(戦前:4時〜2時大宮工)→C’型(戦後:8時30分〜2時) デフレクター:東鉄型U 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工or郡山工1936年3月(水戸庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3往復:右3往復→左3往復:右3往復 コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有、窓位置後方移動、運転室前窓改造 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.730 使用開始: 1923年12月10日 東京局 改番: 1928年10月1日 28944→C51145 配置: 1931年1月31日 水戸庫 試験: 1935年7月23日 水戸庫にて機関車制動率試験を実施した際の供試車輌の1輌 事故: 1936年2月26日 時刻不明、常磐線隅田川構内 移動: 1941年10月23日 水戸区→新庄区 廃車: 1961年2月14日 新庄区 総裁達62
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51145デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 山形の鉄道情景―松木壽雄写真集 昭和30~40年代〈上〉
※3 雑誌SL No3 交友社
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※5 Rail No.120
※6 蒸気の時代No.68 |
C51 146
東京局に新製配置、戦前は平、戦後は新庄で活躍しました。廃車が1960年で、多少写真が出てきます。1956年1月30日に奥羽本線にて急行牽引中、赤湯−糖の目にて車軸折損事故を起こしています。動輪の片側が線路下に転落する重要事故で、車体の損傷があったと思われますが、その時は廃車にならず修理されています。戦後資材難の関係より正規の材料が入手できなかったことが原因のようです。
末期の姿は、化粧煙突、スポーク動輪を残し、デフレクターは東鉄型です。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:C型(戦前:4時〜2時大宮工)→B型(戦後:4時〜11時30分) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工or郡山工1933年1月(平庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型無効化 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復→左3往復:右3往復 コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有、窓位置後方移動、運転室前窓改造 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.731 使用開始: 1923年12月12日 東京局 改番: 1928年10月1日 28945→C51146 配置: 1931年1月31日 平庫 故障: 1935年4月 左第二連結棒二又部に亀裂発見 故障: 1935年6月 炭水車第一車輪タイヤに弛み発見 借入: 1936年1月16日 借入 奈良庫 返却: 1936年2月 返却 平庫 移動: 1941年10月24日 平区→新庄区 移動: 1955年3月 新庄区→米沢区 事故: 1956年1月30日 赤湯−糖の目にて車軸折損事故発生。動輪の片側が線路下に転落 廃車: 1960年1月27日 米沢区 総裁達26
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51146デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 山形の鉄道情景―松木壽雄写真集 昭和30~40年代〈上〉
※3 私の蒸気機関車史下
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上 |
C51 147
新製配置は東京局、戦前は平、水戸、戦後は酒田で活躍しました。廃車が1954年と早く、戦前の写真が多少出てきます。
戦前の姿は、一般的な東鉄型ですが、末期の姿は判りません。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:C型(戦前:4時〜2時大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工or郡山工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復→左3往復:右3往復 コンプレッサー:単式(戦前) 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室: テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入(戦前) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.732 使用開始: 1923年12月15日 東京局 改番: 1928年10月1日 28946→C51147 配置: 1931年1月31日 平庫 移動: 1933年12月 平庫→水戸庫 配置: 1936年3月31日 水戸庫 その後 田端区尾久支区に移動 時期不明 配置: 1938年4月30日 田端区尾久支区 本区に昇格: 1939年10月11日 田端区尾久支区→尾久区 移動: 1941年10月10日 尾久区→酒田区 廃車: 1954年11月22日 酒田区 総裁達678
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51147デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 Rail myrail No.15
※3 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集X |
C51 148
新製配置は札幌局、戦前は平、戦後は一時期室蘭でしたが、1950年頃より亀山で活躍しました。廃車が1961年で、複数写真が出てきます。
末期まで化粧煙突、スポーク動輪を残しましたが、最後の半年ほどパイプ煙突になっています。デフレクターは東鉄型です。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→両側、テンダー:? 煙室前手摺:C型(戦後:4時〜2時大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突(1961年頃) 給水温め器:本省丸型:大宮工1938年8月(尾久(分)区 配置表 ) 給水配管:T型 横型 大宮工 排気配管:後々 竪型無効化 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復→左3往復:右3往復 コンプレッサー:複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有り、窓位置移動拡大無し、雨樋パイプ有り テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.733 使用開始: 1923年12月19日 岩見沢庫 改番: 1928年10月1日 28947→C51148 配置: 1931年1月31日 平庫 移動: 1936年 平庫→田端区尾久支区 本区に昇格: 1939年10月11日 田端区尾久支区→尾久区(本区に昇格) 移動: 1943年3月 尾久区→白河区 移動: 1943年8月17日 白河区→室蘭区(函館揚陸 8/18 91便) 配置 休車中: 1951年11月1日 室蘭区 休車指定解除: 1952年2月19日 第一種休車指定解除 室蘭区 移動: 1953年3月21日 室蘭区→亀山区 配置: 1957年11月1日 亀山区 廃車: 1961年1月13日 亀山 総裁達415
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51148デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※4 鉄道ジャーナル1976年4月号
※5 Rail No.120
※6 国鉄時代Vol.17
※7 蒸気の時代No.89 |
C51 149
新製配置は札幌局、戦前は平、戦後は新庄を経て新津で活躍しました。廃車が1963年で、比較的写真が出てきます。
末期はパイプ煙突、LP405シールドビーム装備に変化しましたが、最後までスポーク動輪を残しました。デフレクターは当初東鉄型を装備していました。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:両側 煙室前手摺:C型(戦前:4時〜2時大宮工)→B型変形(戦後:5時〜11時) デフレクター:東鉄型→長工 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復→左3往復:右3往復 コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音(戦前)→5階音(戦後) 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有、窓位置後方移動 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.734 使用開始: 1923年12月26日 岩見沢庫 改番: 1928年10月1日 28948→C51149 配置: 1931年1月31日 平庫 故障: 1935年6月 第一動輪右タイヤに弛み発見 配置: 1936年3月31日 平庫 その後 田端区尾久支区に移動 時期不明 配置: 1938年4月30日 田端区尾久支区 本区に昇格: 1939年10月11日 田端区尾久支区→尾久区(本区に昇格) 移動: 1941年11月1日 尾久区→新庄区 配置: 1948年2月1日 新庄区 配置: 1948年7月1日 現状 大館区 移動: 1949年9月18日 大館区→新津区 廃車: 1963年12月18日 新津区 総裁達631
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51149デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車の記録T(昭和32〜38年)辻坂明浩
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※6 蒸気機関車写真集山下節夫
※7 蒸気機関車No58
※8 鉄道ジャーナル1976年4月号
※9 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※10 国鉄時代Vol.21
※11 東北の汽笛(1958〜1978)星良助写真集
※12 蒸気の時代No.34
※13 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集X |
C51 150
汽車会社製、新製配置は札幌局、白河、小山を経て1945年より早岐で活躍する。1955年には若松に移り1960年には廃車となる。末期まで化粧煙突、スポーク動輪を残しました。デフレクターは東鉄型です。
早岐区時代は単式コンプレッサを2基使用していたらしいが、1958年頃の写真では複式コンプレッサを装備している。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:C型(戦後:4時〜2時大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工or郡山工1936年3月(白河庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型無効化 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3往復:右3往復 コンプレッサー:複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有り、窓位置移動拡大無し、雨樋パイプ有り テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.735 使用開始: 1924年2月8日 岩見沢庫 改番: 1928年10月1日 28949→C51150 配置: 1931年1月31日 白河庫 事故: 1935年3月4日 01:31頃、東北本線下野豊原(現 豊原)-白坂間 配置: 1940年3月31日 白河区 移動: 1943年9月 白河区→小山区 移動: 1945年10月31日 小山区→早岐区 配置: 1950年4月1日 早岐区 配置 休車中: 1950年7月1日 現在 第一種休車 早岐区 移動: 1950年9月 第一種休車指定解除 早岐区→若松区 廃車: 1960年11月5日 若松区 総裁達632
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51150デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 鉄道ジャーナル 通巻34(1970-4)
※6 鉄道ファンNo.133(1972-5)
※7 蒸気の時代No.90
C51 131〜140<<< >>>C51 151〜160 |
C51 151
新製配置は東京局、戦前は関東の宇都宮や高崎で活躍しましたが、戦中に長岡、亀山を経由して九州に入りました。九州では熊本、早岐、南延岡を経由して、1950年より若松機関区に配属されます。若松区では13年も活躍し最も配属が長い機関車となる。
化粧煙突と門鉄デフを有する美しい形状でした。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:C型(戦前戦後:4時〜2時大宮工) デフレクター:東鉄型V→門鉄K-7 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸形:大宮工→本省丸新型(小倉工1960年までに換装)1932年5月(宇都宮庫 配置表) 給水配管:T型→新型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→無効化 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復→左3往復:右3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有り、窓位置移動拡大無し、雨樋パイプ有り テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.746 使用開始: 1924年2月8日 東京局 改番: 1928年10月1日 28950→C51151 配置: 1931年1月31日 宇都宮庫 移動: 1938年4月 宇都宮区→高崎区 事故: 1938年6月8日 高崎区にて事故被災 移動: 1942年1月20日 高崎区→長岡区 移動: 1944年10月13日 長岡区→名古屋局 移動: 1945年11月18日 名古屋局→米子区 達25号(達は'46/1/22付け) 移動: 1946年11月 米子区→亀山区 移動: 1947年6月27日 亀山区→熊本区 達391号 移動: 1947年9月12日 熊本区→早岐区 移動: 1949年4月19日 早岐区→長崎区 移動: 1949年6月21日 長崎区→南延岡区 移動: 1950年9月2日 南延岡区→若松区 配置: 1955年8月1日 若松区 改造: 1956年1月 小倉工場 門(小倉工式)デフ(K-7型)取付 配置: 1959年4月1日 若松区 休車指定: 1963年2月3日 第一種休車指定 若松区 廃車: 1963年3月30日 若松区 総裁達146
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51151デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 九州の蒸気特急時代(山本正夫)
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※5 蒸気機関車No58
※6 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※7 門鉄デフ物語
※8 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※9 国鉄時代Vol.54
※10 蒸気の時代No.36
※11 蒸気の時代No.71
※12 世界の鉄道 62 朝日新聞社
※13 鉄道ファンNo.108(1970-5)
※14 鉄道ファンNo.133(1972-5) |
C51 152
新製配置は仙台局、新庄庫に配置となるが、1936年に秋田に移動して、1957年に米沢区に移動する。1960年の廃車まで一貫して奥羽本線で活躍した。
化粧煙突を有するが、動輪はボックス動輪であった。1954年1月27日に脱線転覆事故を起こしているが廃車にはならず再起している。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時土崎工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:土崎工 給水配管:ミ型 竪型 土崎工 排気配管:前々 竪型→ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置、住山タイプ 圧縮空気冷却管:左?:右3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪→ボックス動輪 運転室:運転室拡張(大)、前窓標準位置、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.747 使用開始: 1924年2月12日 仙台局 改番: 1928年10月1日 28951→C51152 配置: 1931年1月31日 新庄庫 移動: 1931年6月 新庄庫→秋田庫 移動: 1934年2月 秋田庫→仙台庫 移動: 1934年9月 仙台庫→秋田庫 移動: 1957年 秋田区→米沢区 廃車: 1960年1月27日 米沢区 総裁達26
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51152デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※3 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※4 Rail No.120 |
C51 153
廃車が早く、写真も1枚しか出ておらず、形状の詳細がわからない機です。正面から撮られた写真が2枚あろ大鉄型デフを装備し、パイプ煙突、正面ナンバーは形式入りであることがわかっている。特に大鉄型デフレクターの装備は新製配置から1953年3月の福知山転属まで秋田、新津、山形に配置されており、大鉄型デフレクターの装備圏内ではない。どのような経緯でこの形状になったのか疑問だ持たれる。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時郡山工) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:裾無しパイプ煙突 給水温め器:本省丸型 給水配管:T型 竪型? 排気配管:後々 竪型? ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復→左3往復:右3往復 コンプレッサー:複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室: テンダー:8-17台形 ナンバープレート:前面形式入り その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.748 使用開始: 1924年2月18日 仙台局 改番: 1928年10月1日 28952→C51153 配置: 1931年1月31日 盛岡庫 移動: 1931年8月 盛岡庫→酒田庫 移動: 1932年9月 酒田庫→秋田庫 移動: 1934年10月 秋田庫→新津庫 移動: 1945年11月 新津区→山形区 移動: 1950年2月 山形区→米沢区 移動: 1953年3月29日 米沢区→福知山区 廃車: 1958年11月13日 福知山区 総裁達591
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51153デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 西野保行鉄道写真集T
※3 蒸気の時代No.19 |
C51 154
新製配置は仙台局、1928年には陸軍特別大演習にてお召列車を牽引する。その後、新津、秋田に移動し活躍した。
化粧煙突を有し、最後までスポーク動輪であった。廃車は1959年である。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時郡山工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:長野工or土崎工1936年1月(新津庫 配置表) 給水配管:T型 排気配管:後々 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→? 動輪:17本スポーク動輪 運転室: テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.749 使用開始: 1924年2月21日 仙台局 改番: 1928年10月1日 28953→C51154 お召し牽引: 1928年10月 陸軍大演習(岩手県) 配置: 1931年1月31日 盛岡庫 移動: 1931年8月 盛岡庫→新津庫 事故: 1936年2月1日 06:32頃、信越本線荻川駅 移動: 1938年9月 新津区→秋田区 配置 休車中: 1950年4月1日 現在 特別休車 秋田区 移動: 1950年9月29日 特別休車指定解除 秋田区→新津区 配置: 1955年8月1日 新津区 廃車: 1959年2月21日 新津区 総裁達50
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51154デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 国鉄時代Vol.21 |
C51 155
新製配置は仙台局、新津、秋田、新庄と移動する。
秋田機関区時代の数年間に煙室を延長するような試験改造をしていたが1937年に復元された。1955年頃にボックス動輪に換装される。廃車は1960年。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時郡山工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:土崎工1937年以降 給水配管:ミ型 竪型 土崎工 排気配管:前々 竪型→ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪→ボックス動輪 運転室:運転室拡張(大)、前窓標準位置、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:煙室延長 800mm、台枠延長、後復元
車歴 製造: 汽車製造 No.750 使用開始: 1924年2月25日 仙台局 改番: 1928年10月1日 28954→C51155 配置: 1931年1月31日 盛岡庫 移動: 1931年8月 盛岡庫→新津庫 移動: 1934年9月 新津庫→秋田庫 移動: 1956年10月 秋田区→新庄区 廃車: 1960年10月15日 新庄区 総裁達596
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51155デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 山形の鉄道情景―松木壽雄写真集 昭和30~40年代〈上〉
※3 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※5 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
※6 蒸気機関車No58
※7 Rail No.120
※8 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
※9 蒸気機関車 大カタログ 伊藤東作 |
C51 156
新製配置は仙台局、仙台、山形、横手を経由し1953年より福知山区に配置となる。廃車は1959年。
末期まで化粧煙突、スポーク動輪を有する美しいC51 で、正面が赤ナンバープレートであった。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側→両側、テンダー:? 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時土崎工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:土崎工 給水配管:ミ型 竪型 郡山工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張(大)、前窓標準位置、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.751 使用開始: 1924年2月29日 仙台局 改番: 1928年10月1日 28955→C51156 配置: 1931年1月31日 青森庫 移動: 1932年4月 青森庫→仙台庫 移動: 1933年5月 仙台庫→秋田庫 移動: 1933年6月 秋田庫→仙台庫 移動: 1934年2月 仙台庫→秋田庫 事故: 1935年1月17日 23:25頃、羽越本線天王新田(現 月岡)駅 配置: 1936年3月31日 秋田庫 その後 新津区に移動 時期不明 配置: 1938年4月30日 新津区 移動: 1940年9月 新津区→秋田区 配置: 1944年3月31日 秋田区 配置: 1945年12月1日 横手区 移動: 1950年2月 横手区→新庄区 移動: 1952年4月1日 新庄区→横手区 移動: 1953年5月25日 横手区→福知山区 休車指定: 1958年9月27日 第一種休車指定 福知山区 配置 休車中: 1959年4月1日 現在 第一種休車継続中 福知山区 廃車: 1959年9月12日 福知山区 総裁達475
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51156デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。 |
C51 157
新製配置は仙台局、秋田で活躍し1938年にはお召列車の牽引をする。戦後の1950年には千葉に、さらに尾久に移動し、上野駅界隈の客車編成作業を行っていたが、1955年に酒田に転属し、状態が悪くすぐに廃車になる。
土崎工場管内で見られる特徴的な給水温め器を装備する。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右側→両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時土崎工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:土崎工1934年4月(秋田庫 配置表) 給水配管:ミ型 竪型 土崎工 排気配管:前々 竪型→ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左:2段 右:3段 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:運転室拡張(大)、前窓標準位置、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入り(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.757 使用開始: 1924年3月26日 仙台局 改番: 1928年10月1日 28956→C51157 配置: 1931年1月31日 青森庫 移動: 1931年3月 青森庫→新庄庫 移動: 1931年6月 新庄庫→秋田庫 配置 休車中: 1949年11月1日 現在 秋田区 その後 特別休車指定 時期不明 移動: 1950年4月7日 特別休車指定解除 秋田区→千葉区 達324号 移動: 1950年8月11日 千葉区→尾久区 休車指定: 1954年10月 第一種休車指定 尾久区 移動: 1955年3月24日 尾久区→酒田区 達249号 第一種休車継続中の可能性あり 配置 休車中: 1955年8月1日 現在 第一種休車 酒田区 廃車: 1956年6月27日 酒田区 総裁達414
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51157デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 Rail No.120
※3 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集W
※4 鉄道青春時代―東北・常磐線
※5 鉄道ファンNo.136(1972-8) |
C51 158
新製配置は仙台局、1920年代前半には岩見沢に配置となっており、以後、小樽築港、函館、旭川、室蘭、苗穂など北海道内で活躍した。廃車は1959年
末期まで化粧煙突やスポーク動輪を有し、運転室雨樋以外は原型を保つ。テンダーはD50用の8-20型に換装されていた。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:B型(戦後:4時-11時30分苗穂工) デフレクター:本省(蝶) 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:苗穂工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 竪型 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左:2段 右:3段 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:北海道型改造、運転室拡張、後窓拡大 テンダー:8-20型 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.758 使用開始: 1924年3月28日 仙台局 配置: 1924年5月31日 岩見沢庫 配置: 1927年3月31日 岩見沢庫 改番: 1928年10月1日 28957→C51158 配置: 1931年1月31日 旭川庫 移動: 1931年9月 旭川庫→小樽築港庫 移動: 1934年11月 小樽築港庫→函館庫 配置: 1936年3月31日 函館庫 その後 小樽築港区に移動 時期不明 配置: 1938年4月30日 小樽築港区 移動: 1939年5月 小樽築港区→旭川区 移動: 1945年11月 旭川区→室蘭区 配置 休車中: 1953年4月1日 現在 室蘭区 その後 第一種休車指定 時期不明 休車指定解除: 1953年8月27日 第一種休車指定解除 室蘭区 配置: 1954年4月1日 室蘭区 配置 休車中: 1954年10月1日 現在 第一種休車 室蘭区 休車指定解除: 1955年1月 第一種休車指定解除 室蘭区 廃車: 1959年3月20日 苗穂区 総裁達93
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51158デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。 |
C51 159
新製配置は仙台局、岩見沢、小樽築港を経て、1953年から室蘭、1954年から苗穂で活躍する。1960年に廃車となる。
非公式側からの写真しかなく詳細な形状は不明である。1934年頃の煙室を500mm程延長した写真が見つかったが、1937年には元の形に戻っていた。20立方テンダーは1934年以前に交換されていた。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:A型(戦前:4時-11時30分、0時30分-2時苗穂工)→C型(戦後:4時〜2時) デフレクター:本省型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:苗穂工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 竪型 苗穂工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:右3往復 コンプレッサー: 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:北海道型改造、運転室拡張、後窓拡大、雨樋パイプ有り テンダー:8-20型 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:煙室延長 500mm、後復元
車歴 製造: 汽車製造 No.759 使用開始: 1924年3月29日 仙台局 配置: 1924年5月31日 岩見沢庫 配置: 1927年3月31日 岩見沢庫 改番: 1928年10月1日 28958→C51159 配置: 1931年1月31日 小樽築港庫 この頃 煙室延長800mm試験改造実施 その後 原型に復帰 移動: 1934年11月 小樽築港庫→函館庫 配置: 1936年3月31日 函館庫 その後 小樽築港区に移動 時期不明 配置: 1938年4月30日 小樽築港区 配置 休車中: 1952年10月1日 現在 第一種休車 小樽築港区 休車指定解除: 1953年3月7日 第一種休車指定解除 小樽築港区 移動: 1953年4月1日 小樽築港区→室蘭区 移動: 1954年9月14日 室蘭区→苗穂区 廃車: 1960年3月10日 苗穂区 総裁達98
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51159デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 北国の汽笛1(北海道の鉄道1956〜1959)星良助写真集
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※4 Rail No.18
※5 蒸気の時代No.90 |
C51 160
新製配置は仙台局、1920年代前半には岩見沢に配置となっており、以後、小樽築港、室蘭、岩見沢など北海道内で活躍した。廃車は1964年で北海道内のC51では最も遅くまで残った中の1両である。
末期まで化粧煙突やスポーク動輪を有し、運転室雨樋以外は原型を保つ。テンダーはD50用の8-20型に換装されていた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:C型(戦後:4時〜2時苗穂工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:苗穂工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 竪型 苗穂工 排気配管:後々 竪型→L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:右3往復 コンプレッサー: 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:北海道型改造、運転室拡張、後窓拡大、雨樋パイプ有り テンダー:8-12台形→8-20型 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.760 使用開始: 1924年3月30日 岩見沢庫 配置: 1927年3月31日 岩見沢庫 改番: 1928年10月1日 28959→C51160 配置: 1931年1月31日 小樽築港庫 移動: 1953年3月20日 小樽築港区→室蘭区 移動: 1962年10月 室蘭区→岩見沢区 廃車: 1964年1月8日 岩見沢 総裁達3
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51160デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
C51 141〜150<<< >>>C51 161〜170 |
C51 161
新製配置は札幌局、岩見沢、小樽築港、室蘭に配置し活躍した。1936年の陸軍大演習ではお召列車を牽引する。
最後まで化粧煙突とスポーク動輪を保持した。D50タイプ8ー20テンダーに振替えられている。廃車は1961年
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:右側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時苗穂工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:苗穂工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 竪型 苗穂工 排気配管:後々 竪型→L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右3往復 コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:北海道型改造、運転室拡張、後窓拡大、雨樋パイプ有り テンダー:8-12台形→8-20型 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.761 使用開始: 1924年4月7日 岩見沢庫 配置: 1927年3月31日 岩見沢庫 改番: 1928年10月1日 28960→C51161 移動: 1947年9月 小樽築港区→室蘭区 廃車: 1961年3月31日 室蘭区 総裁達158
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51161デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 全盛期の蒸気機関車写真集V隅野成一 |
C51 162
新製配置は札幌局、岩見沢、小樽築港、苗穂に配置し活躍した。1936年9月26日には陸軍特別大演習並地方行幸において室蘭-岩見沢間でお召列車を牽引している。
最後まで化粧煙突とスポーク動輪を保持した。単式コンプレッサーから複式コンプレッサーに取替えられた機で、冷却配管、タンクの容量が標準型と異なる。戦前から北海道に活躍したことから運転室屋根やつり具の形状が独特である。戦後は廃車となったD50が使用した8ー20テンダーに振替えられている。廃車は1958年
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右側、テンダー:? 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時、0時30分-2時苗穂工) デフレクター:本省(蝶)1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:苗穂工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 竪型 苗穂工 排気配管:後々 竪型→L字管? ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2、右3往復 コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:北海道型改造、運転室拡張、後窓拡大、雨樋パイプ有り テンダー:8-12台形→8-20型 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.762 使用開始: 1924年4月8日 岩見沢庫 配置: 1927年3月31日 岩見沢庫 改番: 1928年10月1日 28961→C51162 配置: 1931年1月31日 小樽築港庫 移動: 1945年11月 小樽築港区→室蘭区 移動: 1947年11月 室蘭区→小樽築港区 配置: 1951年3月1日 小樽築港区 休車指定: 1954年3月15日 第一種休車指定 小樽築港区 配置: 1955年8月1日 小樽築港区 配置: 1956年12月31日 苗穂区 配置 休車中: 1957年11月1日 現在 第一種休車 苗穂区 配置: 1958年4月1日 苗穂区 廃車: 1958年11月27日 苗穂区 総裁達604
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51162デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 北海の旅(帝国鉄道協会)
※3 北国の汽笛1(北海道の鉄道1956〜1959)星良助写真集
※4 Rail No.18
※5 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集Z
※6 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集[
※7 昭和十一年陸軍特別大演習並地方行幸記念写真帖 |
C51 163
新製配置は札幌局、岩見沢、小樽築港に配置し活躍した。昭和11年の陸軍特別大演習では根室本線でお召し列車牽引に充当されたようである。戦前の函館駅での映画の出演があり、戦後は遠方からのそれらしき写真が存在する。廃車は1959年岩見沢区
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:右側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時苗穂工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:苗穂工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 苗穂工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管: コンプレッサー: 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室: テンダー: ナンバープレート:形式入り その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.763 使用開始: 1924年4月19日 札幌局 配置: 1927年3月31日 岩見沢庫 改番: 1928年10月1日 28962→C51163 配置: 1931年1月31日 小樽築港庫 御召し列車牽引: 1936年10月1日 この前後にお召し運転、根室本線 移動: 1943年10月 小樽築港区→室蘭区 配置 休車中: 1953年9月1日 現在 第一種休車 室蘭区 配置 休車中: 1954年4月1日 現在 第一種休車 小樽築港区 配置: 1955年8月1日 小樽築港区 配置: 1956年12月31日 岩見沢区 廃車: 1959年3月20日 岩見沢 総裁達93
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51163デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気の詩 北海道撮影社 |
C51 164
新製配置は東京局、戦前は宇都宮、盛岡、1950年より奈良、亀山に配置し活躍した。
最後はパイプ煙突になったが、スポーク動輪は保持した。廃車は1963年。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側→両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突(1960年頃) 給水温め器:本省丸型:大宮工1935年11月(宇都宮庫 配置表) 給水配管:T型 竪型→横型 大宮工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復 コンプレッサー:複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有 後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.770 使用開始: 1924年7月17日 宇都宮庫 改番: 1928年10月1日 28963→C51164 配置: 1931年1月31日 宇都宮庫 移動: 1939年11月 宇都宮区→盛岡区 移動: 1949年5月18日 盛岡区→奈良区 達45号 移動: 1954年6月 奈良区→亀山区 配置: 1959年4月1日 亀山区 廃車: 1963年7月9日 亀山 総裁達335
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51164デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 SLと共に
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※6 鉄道ファンNo.30(1963-12)
※7 高橋 弘作品集 蒸気機関車 その良き時代
※8 国鉄時代Vol.20
※9 蒸気の時代No.33
※10 蒸気の時代No.82
※11 思い出す日本の鉄道 国鉄編 Gordon Davis
※12 蒸気機関車形式写真集U 小野治男 |
C51 165
新製配置は東京局、水戸、白河、長岡、稲沢、盛岡を経て、1954年から室蘭に配置となる。
最後まで化粧煙突とスポーク動輪を保持した。テンダーもC51オリジナルの8ー17テンダーである。廃車は1963年
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側(戦前)→両側(戦後) 煙室前手摺:原型→C’型(戦前:8時30分〜2時大宮工)→A’型(戦後:8時30分〜11時30分、0時30分-2時) デフレクター:東鉄型V→変形 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→L字管 ボイラー手摺:左:2段、右1段(高) 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復 コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有、窓位置拡大変更なし テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.771 使用開始: 1924年7月18日 東京局 改番: 1928年10月1日 28964→C51165 配置: 1931年1月31日 水戸庫 移動: 1939年11月 水戸区→白河区 移動: 1942年1月18日 白河区→長岡区 事故: 1943年1月13日 長岡区?にて事故被災 移動: 1944年10月14日 長岡区→名古屋区 達862号 移動: 1946年11月 名古屋区→稲沢区 移動: 1947年6月27日 稲沢区→盛岡区 達391号 配置: 1949年11月1日 盛岡区 配置 休車中: 1950年4月1日 現在 第一種休車 盛岡区 配置 休車中: 1950年8月1日 現在 第一種休車継続中 盛岡区 休車指定: 1954年4月 第一種休車指定 盛岡区 休車指定解除: 1954年5月1日 第一種休車指定解除 盛岡区 移動: 1954年7月 盛岡区→室蘭区 廃車: 1963年2月6日 室蘭区 総裁達40
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51165デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※3 栄光への蒸気機関車(毎日新聞社)
※4 北国の汽笛2(北海道の鉄道1960〜1961)星良助写真集
※5 蒸気の時代No.7
※6 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集U
※7 鉄道ファンNo.339(1989-7)
※8 蒸気の詩 北海道撮影社 |
C51 166
新製配置は東京局、水戸、平を経て1943年から室蘭に配置となる。初期は東鉄型デフを装備していたが、本省型デフとなる。
最後までスポーク動輪、8-17テンダーであったが、パイプ煙突に変わっている。廃車は1963年
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:C型(戦前戦後:4時〜2時大宮工) デフレクター:本省型 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突(1960年頃) 給水温め器:本省丸型:大宮工1936年3月(水戸庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復 コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長無、窓位置拡大変更なし テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.772 使用開始: 1924年7月19日 東京局 改番: 1928年10月1日 28965→C51166 配置: 1931年1月31日 水戸庫 移動: 1942年1月 水戸区→平区 移動: 1943年9月20日 平区→室蘭区(函館揚陸 9/24 91便) 廃車: 1963年2月6日 室蘭区 総裁達40
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51166デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 全盛期の蒸気機関車写真集V隅野成一
※5 Rail No.120
※6 鉄道ファンNo.92(1969-2) |
C51 167
新製配置は東京局、水戸、平、小山、仙台、福島第一を経て1958年から豊岡機関区和田山支区に配置となる。
福島第一機関区時代は背の高いパイプ化粧煙突だったが、豊岡転属後数か月のうちにパイプ煙突になり、解放てこも両袖となっている。最後までスポーク動輪、C51オリジナルの8ー17テンダーを保持した。最後は米子区で廃車は1961年
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側→両側(1959年頃) 煙室前手摺:A’型(戦後:8時-11時、0時30分-2時大宮工) デフレクター:東鉄型U 煙突:化粧煙突(高)→裾無しパイプ煙突(1960年頃) 給水温め器:本省丸型:大宮工1936年3月(水戸庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 郡山工 排気配管:後々 竪型→L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3往復:右4往復 コンプレッサー:複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有、窓位置拡大変更なし テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.773 使用開始: 1924年7月21日 東京局 改番: 1928年10月1日 28966→C51167 配置: 1931年1月31日 水戸庫 デフ取付 故障: 1935年6月 第三動輪タイヤに弛み発見 移動: 1942年1月 水戸区→平区 移動: 1943年9月 平区→小山区 移動: 1945年11月13日 小山区→仙台区 達25号 移動: 1950年1月 仙台区→福島第一区 配置: 1954年4月1日 福島第一区 移動: 1958年5月7日 福島第一区→豊岡区和田山支区 達444号 移動: 1959年9月 豊岡区和田山支区→米子区 廃車: 1961年2月15日 米子区 総裁達64
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51167デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 懐想の蒸気機関車 久保田博 交友社
※3 雑誌SL No3 交友社
※4 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※5 蒸気機関車No58
※6 世界の鉄道 別冊 日本の蒸気機関車 朝日新聞社
※7 世界の鉄道 62 朝日新聞社
※8 機関車の系譜図4 臼井茂信
※9 カメラと機関車 吉川速男 |
C51 168
新製配置は東京局、水戸、仙台、盛岡を経て1949年から青森に配置となる。
この機から18本スポーク動輪となる。最後まで化粧煙突、スポーク動輪、C51オリジナルの8ー17テンダーを保持した。廃車は1958年
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:.機関車:右片側、テンダー:両袖 煙室前手摺:C型(戦前戦後:4時〜2時大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1942年3月以前 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左?往復:右3往復 コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後)? 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪: 運転室:延長有、窓位置拡大変更なし テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.774 使用開始: 1924年7月21日 東京局 改番: 1928年10月1日 28967→C51168 配置: 1931年1月31日 水戸庫 移動: 1942年7月7日 水戸区→仙台区 移動: 1944年9月22日 仙台区→稲沢区 達791号(達は10/14付け) 移動: 1945年11月19日 稲沢区→盛岡区 達25号(達は'46/1/22付け) 移動: 1949年10月4日 盛岡区→青森区 廃車: 1958年7月1日 青森区 総裁達331
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51168デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 汽車 半世紀(本島三良)
※3 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※5 全盛期の蒸気機関車写真集4_八並国介
※6 門鉄デフ物語 |
C51 169
新製配置は東京局、水戸、尾久を経て1943年から室蘭に配置となる。
最後まで化粧煙突、スポーク動輪を保持した。東鉄型デフを持つ。廃車は1963年
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:.機関車:右片側 煙室前手摺:C型(戦前戦後:4時〜2時大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1942年3月以前 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3往復:右3往復 コンプレッサー:複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有、窓位置拡大変更なし テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.775 使用開始: 1924年8月23日 東京局 改番: 1928年10月1日 28968→C51169 配置: 1931年1月31日 水戸庫 事故: 1935年3月19日 時刻不明 移動: 1942年11月 水戸区→尾久区 移動: 1943年3月4日 尾久区→室蘭区(函館揚陸 3/6 73便) 廃車: 1963年2月9日 室蘭区 総裁達46
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51169デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※3 蒸気機関車69年春
※4 蒸気機関車No58
※5 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※6 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集X |
C51 170
新製配置は東京局、宇都宮、酒田を経て1949年から新庄に配置となる。
最後まで化粧煙突、C51オリジナルの8ー17テンダーを保持したが、ボックス動輪に振替えられている。廃車は1961年
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:.機関車:右片側 煙室前手摺:C型(戦前戦後:4時〜2時大宮工) デフレクター:名鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3往復:右4往復 コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後)? 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:ボックス動輪 運転室:延長有、窓位置拡大変更なし テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.776 使用開始: 1924年8月26日 東京局 改番: 1928年10月1日 28969→C51170 配置: 1931年1月31日 宇都宮庫 故障: 1935年4月 動輪タイヤ弛みを3対全てに発見 移動: 1941年11月1日 宇都宮区→酒田区 配置 休車中: 1949年11月1日 現在 特別休車 酒田区 配置 休車中: 1950年4月1日 現在 特別休車 新庄区 配置 休車中: 1950年8月1日 現在 特別休車継続中 新庄区 配置: 1950年12月1日 新庄区 廃車: 1961年3月31日 新庄区 総裁達158
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51170デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※3 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※4 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※5 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
※6 鉄道ピクトリアルNo.665(1999-2)
C51 151〜160<<< >>>C51 171〜180 |
C51 171
新製配置は東京局、1930年ころ特急燕牽引用として沼津区に配置、燕牽引終了後は田端、小山、仙台、青森、と移動。最後は新庄区で1962年に廃車。
最後まで化粧煙突とスポーク動輪を保持した。燕牽引時代は20立方特殊テンダーを装備、1955年ころまでペアーだった。青森区時代は一時期背の高い化粧煙突を装備していたが、1955年ころに普通の化粧煙突になると同時にD51タイプの近代型給水温め機となる。この時期にボイラーの振り替えが想定される。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側→両側(1932年頃) 煙室前手摺:C型(戦前戦後:4時〜2時大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸形:大宮工→本省丸新型(1953年までに換装)1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型→新型 竪型 浜松工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復、振止付→左3往復:右4往復 コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後)? 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有、窓拡大 テンダー:C52タイプ→8-17台形 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.777 使用開始: 1924年8月27日 東京局 改番: 1928年10月1日 28970→C51171 配置: 1930年10月31日 沼津庫 箱根越えの特急「燕」に使用 移動: 1934年12月 沼津庫→田端庫尾久分庫 借入: 1936年1月16日 借入 奈良庫 返却日 不明 返却: 1936年2月20日 返却 田端庫尾久分庫 事故: 1936年6月15日 田端庫尾久分庫構内 本区に昇格: 1939年10月11日 田端区尾久支区→尾久区 移動: 1943年9月 尾久区→小山区 移動: 1945年11月18日 小山区→仙台区 入換専用機 達25号 配置: 1948年11月1日 仙台区 その後 借入 青森区 時期不明 配置: 1949年3月1日 借入継続中 青森区 返却日 不明 配置: 1949年7月1日 仙台区 移動: 1950年1月 仙台区→青森区 移動: 1961年3月 青森区→新庄区 廃車: 1962年6月13日 新庄区 総裁達264
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51171デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※6 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※7 世界の鉄道 '62 - 朝日新聞社
※8 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
※9 雑誌SL No3
※10 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※11 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※12 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※13 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
※14 Rail No.23
※15 Rail No.36
※16 蒸気機関車EX Vol.41
※17 全国蒸気機関車配置表 徳永益男
※18 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集X
※19 世界の鉄道 62 朝日新聞社
※20 世界の鉄道 別冊 明治・大正・昭和 蒸気機関車100年 朝日新聞社
※21 カメラと機関車 吉川速男
※22 鉄道ファンNo.93(1969-3)
※23 鉄道ファンNo.167(1975-3)
※24 Jtrain Vol.29(2008春)
※25 学校教科フィルム「汽車の發達」(1930年頃)の冒頭より特急燕を牽引する機関車の映像が使用されている。 |
C51 172
新製配置は神戸局、当初は吹田、1936年ころより山田に配置となる。1956年の六軒駅事故の事故機となりして1957年に廃車。
最後まで化粧煙突とスポーク動輪を保持した。給水ポンプは運転室前下にいちしていた。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側→両側(1955年頃) 煙室前手摺:原型(戦前戦後:4時〜2時鷹取工) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3往復:右3往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:運転室前(鷹取) 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有、窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.778 使用開始: 1924年9月11日 神戸局 改番: 1928年10月1日 28971→C51172 配置: 1930年8月31日 吹田庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 吹田庫→山田庫 配置: 1940年4月1日 山田区 事故: 1956年10月15日 18:22頃、参宮線六軒にて六軒事故 廃車: 1958年1月11日 山田区 総裁達16
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51172デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※3 鉄道ファンNo.31(1964-1) |
C51 173
新製配置は神戸局、当初は吹田、梅小路、宮原を経由し、1938年に山田より中国大陸に供出となる。
大鉄デフ、住山式給水温め機を有していたが、供出の際に取り払われた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右側 煙室前手摺:A型(戦前:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管:前 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復:右3往復 コンプレッサー:単式 給水ポンプ:運転室前(鷹取)? 汽笛: 動輪:17本スポーク動輪 運転室: テンダー: ナンバープレート:形式入り その他:供出
車歴 製造: 汽車製造 No.779 使用開始: 1924年9月12日 神戸局 改番: 1928年10月1日 28972→C51173 配置: 1930年8月31日 吹田庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 吹田庫→梅小路庫 移動: 1933年9月1日 梅小路庫→宮原庫 配置: 1936年3月31日 宮原庫 その後 山田区に移動 時期不明 配置: 1938年4月30日 山田区 供出に伴う発送: 1938年8月 実機の発送 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(山田区) 作軍秘55号 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年8月31日 作軍秘第55
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51173デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 C52・C53
※3 蒸気機関車EX Vol.41
※4 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集U
※5 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集V |
C51 174
新製配置は神戸局、当初は吹田、梅小路、亀山、新庄、新潟を経由し、1951年に新津に配置となる。廃車は1958年。
当初は煙突脇に小デフ、住山式給水温め機を有していた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右側→両側 煙室前手摺:A型(戦前:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工)→A’型(戦後:8時30分-11時30分、0時30分-2時) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:鷹取工→本省丸型:長野工?1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 竪型 排気配管:後々 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置、住山タイプ 圧縮空気冷却管:左?往復:右3往復 コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後)? 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有、窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.780 使用開始: 1924年9月15日 神戸局 改番: 1928年10月1日 28973→C51174 配置: 1930年8月31日 吹田庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 吹田庫→梅小路庫 移動: 1933年3月 梅小路庫→明石庫 移動: 1934年7月 明石庫→宮原庫 配置: 1936年3月31日 宮原庫 その後 亀山区に移動 時期不明 配置: 1938年4月30日 亀山区 移動: 1940年10月4日 亀山区→小山区 移動: 1940年12月 小山区→尾久区 移動: 1941年11月6日 尾久区→新庄区 移動: 1950年9月15日 新庄区→新潟区 廃車: 1958年4月26日 新津区 総裁達207
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51174デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 寫眞圖解-日本の機関車 東亜書林
※3 御大禮記念吹田機關庫寫眞帖 |
C51 175
新製配置は神戸局、梅小路、明石を経由し、1938年に梅小路より改軌され中国大陸に供出となる。
大鉄デフ、住山式給水温め機を有していたが、供出の際に取り払われた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右片側 煙室前手摺:A型(戦前:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管:前 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:右2左3往復 コンプレッサー:単式 給水ポンプ:運転室前(鷹取)? 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室: テンダー:8-17台形 ナンバープレート: その他:供出
車歴 製造: 汽車製造 No.781 使用開始: 1924年9月20日 神戸局 改番: 1928年10月1日 28974→C51175 配置: 1930年8月31日 梅小路庫 配置: 1931年1月31日 明石庫 移動: 1934年7月 明石庫→梅小路庫 供出に伴う発送: 1938年7月7日 実機の発送(除籍日が錯綜するのは現場実務と通達との日ずれあり) 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(梅小路区) 作軍秘55号 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年8月31日 作軍秘第55
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51175デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 Rail No.23 |
C51 176
新製配置は神戸局、梅小路を経由し、1931年ころより亀山に配置となる。廃車は1963年。
1940年と1952年にお召牽引の記録が残り各部が装飾されている。1952年にお召を牽引する際にはC52タイプのテンダーに振替えている。その後C51標準タイプのテンダーに戻る。1956年〜1959年の間に裾有りパイプ煙突に換装されるが、各所に装飾が施され最後まで優美な姿を保った。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右片側→両袖(1940年以降) 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有パイプ煙突(1931年〜1934年に換装) 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型→=型 竪型→横型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:T型(1934年)→=型(1952年) 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:右3左3往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:運転室前→標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長、後窓後方拡大 テンダー:8-17台形(1952年御召時はC52タイプ8-20型に一時的に振り返る) ナンバープレート:戦後は全面小型プレート その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.782 使用開始: 1924年11月27日 神戸局 改番: 1928年10月1日 28975→C51176 配置: 1930年8月31日 梅小路庫 配置: 1931年1月31日 亀山庫 お召し列車牽引: 1940年6月 亀山区 御乗用列車牽引: 1941年5月16日 〜18日亀山区 お召し列車牽引: 1952年6月2日 両陛下伊勢神宮・桃山御陵ご参拝お召し列車牽引 亀山ー山田間 お召し列車牽引: 1952年6月3日 両陛下伊勢神宮・桃山御陵ご参拝お召し列車牽引 山田ー亀山ー草津間 お召し列車牽引: 1952年6月4日 両陛下伊勢神宮・桃山御陵ご参拝お召し列車牽引 京都ー畝傍間 甲修繕: 1956年3月9日 鷹取工場出場→亀山機関区 乙修繕: 1957年9月20日 鷹取工場出場→亀山機関区 乙修繕: 1959年5月31日 鷹取工場出場→亀山機関区 甲修繕: 1960年3月17日 鷹取工場出場→亀山機関区 乙修繕: 1962年3月16日 鷹取工場出場→亀山機関区 配置 休車中: 1963年4月1日 現在 第一種休車 亀山区 廃車: 1963年4月17日 亀山 総裁達302
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51176デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 Rail Photo No.7 蒸気機関車No.2
※3 Rail Photo No.4
※4 雑誌SL No3 交友社
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※7 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※8 全盛期の蒸気機関車写真集4_八並国介
※9 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※10 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※11 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※12 高橋 弘作品集 蒸気機関車 その良き時代
※13 Rail No.36
※14 国鉄時代Vol.20
※15 蒸気の時代No.82
※16 蒸気機関車形式写真集U 小野治男
※17 蒸気の時代No.90 |
C51 177
新製配置は神戸局、梅小路を経由し、1931年ころより亀山に配置となる。廃車は1962年。
最後は裾のある化粧煙突であった。3軸共に18本スポーク動輪となっているため、戦後廃車になったC54のスポーク動輪に振替えられている可能性があります。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:右片袖→両袖 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2鷹取工 デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→パイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 横型 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:右3左3往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:18本スポーク動輪(第1、第2、第3) 廃車C54動輪? 運転室:延長、後窓後方拡大 テンダー:8-17台形→12-17型 ナンバープレート:全面小型プレート、1950年頃はペンキ書き その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.783 使用開始: 1924年11月28日 神戸局 改番: 1928年10月1日 28976→C51177 配置: 1930年8月31日 梅小路庫 配置: 1931年1月31日 亀山庫 廃車: 1962年2月28日 亀山 総裁達74
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51177デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※4 全盛期の蒸気機関車写真集V隅野成一
※5 鉄道ジャーナル1976年4月号
※6 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※7 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※8 国鉄時代Vol.7
※9 完ジュラ電からSL終焉まで
※10 蒸気の時代No.68 |
C51 178
新製配置は神戸局、新製まもなく、特急富士牽引中に安芸中野事故を起こす。梅小路を経由し、1938年に亀山より改軌され中国大陸に供出となる。
住山式給水温め機を有していたが、供出の際に取り払われた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:供出後は両袖 煙室前手摺:A型(戦前:4時-11時30分、0時30分-2時)? デフレクター:1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:住山式:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管: ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管: コンプレッサー:単式 給水ポンプ:運転室前(鷹取)? 汽笛: 動輪: 運転室: テンダー: ナンバープレート: その他:供出
車歴 製造: 1924年11月 汽車製造 No.784 使用開始: 1924年12月1日 神戸局 配置: 1926年9月 神戸庫 事故: 1926年9月23日 03:28頃、山陽本線安芸中野-海田市間
改番: 1928年10月1日 28977→C51178 配置: 1930年8月31日 梅小路庫 配置: 1931年1月31日 亀山庫 供出に伴う発送: 1938年6月9日 実機の発送 供出除籍: 1938年8月31日 供出除籍(亀山区) 作軍秘55号 接収: 1945年8月 敗戦により中国に接収 廃車: 1938年8月31日 作軍秘第55
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51178デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。 |
C51 179
新製配置は東京局、宇都宮、酒田を経由し、1958年より新潟に配属される。
東鉄デフ、キャブ屋根が延長、化粧煙突、スポーク動輪は最後まで有した。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右片側、テンダー:右片側(戦前)→機関車:右片側、テンダー:両袖(最終時) 煙室前手摺:B型(戦前戦後:4時-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸形:大宮工→本省丸新型(1960年までに換装)1934年4月(宇都宮庫 配置表) 給水配管:T型→ミ型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:左2段、右1段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復、右3往復(戦前)→左3往復、右4往復(戦前) コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有 後窓拡大移動無し テンダー:8-12台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 1924年11月 汽車製造 No.785 使用開始: 1924年12月2日 東京局 改番: 1928年10月1日 28978→C51179 配置: 1931年1月31日 宇都宮庫 移動: 1941年12月5日 宇都宮区→酒田区 移動: 1958年3月30日 酒田区→新潟区 廃車: 1961年11月10日 新潟区 総裁達626
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51179デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 戦時輸送と機関車
※3 機関車表 沖田祐作
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※7 蒸気機関車写真集山下節夫
※8 カメラと機関車 吉川速男
※9 蒸気機関車形式写真集U 小野治男 |
C51 180
新製配置は東京局、平、小山、仙台、福島第一を経由し、1956年より成田に配属され上野に姿を見せる。1958年に甲修繕を郡山工場で受け佐倉に転ずる。1958年に酒田に転じ、さらに新津に転じて1962年に廃車。廃車直前に晴海ふ頭ので行われた「伸びゆく鉄道科学大博覧会」に展示される。
東鉄デフ、キャブ屋根が延長しており、化粧煙突、スポーク動輪は最後まで有した。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:〇 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:.機関車:右片側、テンダー:両袖 煙室前手摺:A’型(戦後:8時30分-11時30分、0時30分-2時郡山工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1936年3月(平庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→L字管 ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音(成田区〜) 動輪:17本スポーク動輪 運転室:延長有、窓位置拡大変更なし テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:鉄道博関連写真が多数あり、正確に描けた。
車歴 製造: 1925年12月 汽車製造 No.852 使用開始: 1925年12月18日 東京局 改番: 1928年10月1日 28979→C51180 配置: 1931年1月31日 平庫 事故: 1933年2月12日 常磐線湯本-綴(現 内郷)間 配置: 1940年3月31日 平区 移動: 1943年9月 平区→小山区 移動: 1945年12月3日 小山区→仙台区 達77号 移動: 1950年1月 仙台区→福島第一区 配置: 1954年4月1日 福島第一区 借入: 1956年12月 借入 成田区 返却せず 移動: 1957年2月10日 福島第一区→成田区 達206号 甲修繕: 1958年2月 郡山工場 移動: 1958年2月25日 成田区→佐倉区 移動: 1958年10月 佐倉区→酒田区 移動: 1961年12月 酒田区→新津区 休車指定: 1962年2月20日 第一種休車指定 新津区 展示: 1962年6月15日 〜 7月10日 晴海埠頭 鉄道90周年を記念した「伸びゆく鉄道科学大博覧会」 廃車: 1962年10月26日 酒田区 総裁達518
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51180デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 昭和40年代の蒸気機関車写真集 機関区と機関車 36 C51 下
※3 昭和の記憶―カラーで顧みる1950年代の汽車・電車 (RM LIBRARY(50))
※4 追憶・美しき蒸気の時代 : 杉江弘写真集
※5 鉄道ファン1989年7月号
※6 RAILFAN100
※7 機関車表 沖田祐作
※8 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※9 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※10 蒸気機関車写真集山下節夫
※11 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※12 国鉄時代Vol.21
※13 記憶の鐵路300景岩沙克次
※14 RM LIBRARY 50 昭和の記憶 三谷烈弐
※15 半世紀前に出会えた汽車たちとの思い出 小野康久
※16 鉄道ファンNo.339(1989-7)
C51 161〜170<<< >>>C51 181〜190 |
C51 181
新製配置は東京局、白河、福島で活躍。1958年に廃車。
化粧煙突、東鉄デフであることがわかっている。消去法より1958年大松映画「一粒の麦」に出演した機関車の可能性がある。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:.機関車:右片側 煙室前手摺:B型(戦後:4時-11時30分)? デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工or郡山工1933年5月(白河庫 配置表) 給水配管:T型 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺: 梯子: 圧縮空気冷却管: コンプレッサー: 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪: 運転室: テンダー: ナンバープレート: その他:写真少なく詳細不明
車歴 製造: 1925年12月 汽車製造 No.853 使用開始: 1925年12月21日 東京局 改番: 1928年10月1日 28980→C51181 配置: 1931年1月31日 白河庫 移動: 1943年8月24日 白河区→福島区 移動: 1949年3月 福島区→福島第一区 配置: 1954年4月1日 福島第一区 廃車: 1958年9月2日 豊岡区 総裁達420
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51181デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 懐想の蒸気機関車 久保田博 交友社
※3 国鉄時代Vol.9 |
C51 182
新製配置は東京局、白河、福島で活躍し、1956年より米沢に移動し、1960年に廃車となる。
東鉄デフ、キャブ屋根が延長、化粧煙突、スポーク動輪は最後まで有した。テンダーは福島時代は標準の8-17型であるが、米沢時代はD501(1954廃車)が最後につけていた変形テンダーを使用しているとともに、LP403ヘッドライトに換装されていた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:.機関車:右片側、テンダー:両袖 煙室前手摺:B型(戦前〜1953年頃:4時-11時30分大宮工)→A’型(1955年頃:9時-11時30分、1時-2時) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 ストレート ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復、右3往復(戦前)→左3往復、右4往復(戦前) コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、窓位置後方移動 テンダー:8-17台形→8-20変形(D501のもの?) ナンバープレート: その他:
車歴 製造: 1925年12月 汽車製造 No.854 使用開始: 1925年12月21日 東京局 改番: 1928年10月1日 28981→C51182 配置: 1931年1月31日 白河庫 改造: 1931年5月 この頃 傾斜煙突試験取付実施 その後 原型に復帰 時期不明 配置: 1940年3月31日 白河区 移動: 1943年9月20日 白河区→福島区 移動: 1949年3月 福島区→福島第一区(奥羽本線米沢電化により機関区分割のため) 配置: 1953年4月1日 福島第一区 移動: 1956年12月22日 福島第一区→米沢区 達147号 廃車: 1960年1月27日 米沢区 総裁達26
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51182デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 山形の鉄道情景―松木壽雄写真集 昭和30~40年代〈上〉
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※4 全盛期の蒸気機関車写真集V隅野成一
※5 Rail No.11
※6 国鉄時代Vol.16 |
C51 183
新製配置は東京局、水戸、平を経て、1943年より室蘭で活躍する。廃車は1964年。
東鉄デフ、化粧煙突、スポーク動輪は最後まで有した。テンダーはD50タイプの8-20型に換装されていた。
写真 新製時:○ 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右片側、テンダー:両側 煙室前手摺:原型→A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 L字管 ボイラー手摺:2段→左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復、右3往復(戦前)→左3往復、右4往復(戦前) コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、窓移動拡大無し テンダー:8-17台形→8-20型 ナンバープレート:形式有(戦前)→前面形式有(戦後すぐ)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 1925年12月 汽車製造 No.855 使用開始: 1925年12月22日 東京局 改番: 1928年10月1日 28982→C51183 配置: 1931年1月31日 水戸庫 配置: 1938年4月30日 平区 移動: 1943年9月7日 平区→室蘭区(函館揚陸 9/12 53便) 廃車: 1964年1月8日 室蘭区 総裁達3
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51183デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
※3 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※6 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55 |
C51 184
新製配置は東京局、高崎、宇都宮、平を経て、1943年より室蘭で活躍する。廃車は1963年。
東鉄デフ、化粧煙突、スポーク動輪は最後まで有した。テンダーも最後まで標準の8-17型を使用していた。燃焼室を設ける試験改造が行われたが、効果は薄かったようである。高崎庫や大宮工場検修中の写真を見ると、燃焼室付き時代は安全弁、汽笛が前よりであったが、北海道時代の写真では元の位置に戻されているため、ボイラーが振替えられたか、再改造を受けたかのいずれかである。
写真 新製時:○ 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右片側、テンダー:両側 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型 大宮工 排気配管:後々 L字管 ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復、右3往復(戦前)→左3往復、右4往復(戦前) コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後)低 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.856 使用開始: 1925年12月24日 東京局 改番: 1928年10月1日 28983→C51184 配置: 1931年1月31日 高崎庫 故障: 1934年7月1日 ピストン棒に亀裂発見 事故: 1935年4月18日 時刻不明、上越線新前橋駅 事故: 1935年6月29日 時刻不明、高崎線高崎-倉賀野間 事故: 1935年8月28日 時刻不明、東北本線上野駅 事故: 1936年1月4日 時刻不明、信越本線群馬八幡駅 移動: 1937年10月 高崎区→宇都宮区 移動: 1939年4月 宇都宮区→平区 移動: 1943年9月7日 平区→室蘭区(函館揚陸 9/12 53便) 移動: 1962年4月 室蘭区→苗穂区 運用: 1962年5月14日 手宮線旅客営業最終日上り網走行き客145レを牽引 廃車: 1963年2月6日 室蘭区 総裁達40
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51184デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
※3 北海道の蒸気機関車 釧路鉄道管理局
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※7 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
※8 蒸気機関車No58
※9 北国の汽笛2(北海道の鉄道1960〜1961)星良助写真集
※10 轣轆114
※11 日本の鉄道100年 朝日新聞社
※12 鉄道ファンNo.15(1962-9) |
C51 185
新製配置は東京局、宇都宮、白河、新津、山形を経て、1950年頃より米沢で活躍する。廃車は1961年。
化粧煙突、スポーク動輪は最後まで有した。デフは東鉄後期タイプから本省設計タイプに変更されている。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:.機関車:右片側 煙室前手摺:A型(戦前:4時-11時30分、0時30分-2時大宮工)→D’型 デフレクター:東鉄型V→本省 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1932年1月(宇都宮庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復、右3往復(戦前)→左3往復、右3往復(戦前) コンプレッサー:単式(戦前)→複式(戦後) 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前、戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.857 使用開始: 1925年12月27日 東京局 改番: 1928年10月1日 28984→C51185 配置: 1931年1月31日 宇都宮庫 試験: 1935年8月30日 蒸機常用圧力14kg/cu化による400t客車牽引試験 東北本線上野-宇都宮間 移動: 1941年8月 宇都宮区→白河区 移動: 1941年11月9日 白河区→新津区 移動: 1945年11月 新津区→山形区 移動: 1950年2月 山形区→米沢区 配置: 1956年11月1日 米沢区 廃車: 1961年2月15日 米沢 総裁達64
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51185デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※4 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※5 全盛期の蒸気機関車写真集V隅野成一
※6 なつかしい蒸気機関車 田沢義郎 |
C51 186
新製配置は仙台局、福島、新津、山形を経て、1950年頃より米沢で活躍する。廃車は1956年と早い。
新津時代にはお召牽引の記録がある。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:.機関車:右片側 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分郡山工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:長野工?1936年3月(新津庫 配置表) 給水配管: 排気配管:後々 ボイラー手摺:2段 梯子:前寄り 圧縮空気冷却管:左2往復→左3往復 コンプレッサー:単式(戦前)→複式(1938年)低 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.873 使用開始: 1926年3月25日 仙台局 改番: 1928年10月1日 28985→C51186 配置: 1931年1月31日 福島庫 移動: 1931年8月 福島庫→新津庫 配置: 1941年3月31日 新津区 移動: 1945年11月 新津区→山形区 移動: 1950年2月 山形区→米沢区 配置: 1955年2月1日 米沢区 配置 休車中: 1955年8月1日 現在 第一種休車 米沢区 廃車: 1956年6月27日 米沢区 総裁達414
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51186デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 Rail No.120 |
C51 187
新製配置は仙台局、福島、仙台、盛岡、奈良を経て、1951年頃より亀山で活躍する。廃車は1959年。
化粧煙突、スポーク動輪は最後まで有した。単式コンプレッサーを2基使用していた。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右片側、テンダー:?(1955年以前)→機関車:両袖、テンダー:両袖(最終時) 煙室前手摺:B型(戦後:4時-11時30分郡山工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:郡山工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 竪型 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復、右3往復(戦前)→左3往復、右3往復(戦前) コンプレッサー:単式2個 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、窓位置拡大変更なし テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.874 使用開始: 1926年3月26日 仙台局 改番: 1928年10月1日 28986→C51187 配置: 1931年1月31日 福島庫 移動: 1931年4月 福島庫→仙台庫 移動: 1931年5月 仙台庫→福島庫 移動: 1934年7月 福島庫→仙台庫 配置: 1941年3月31日 仙台区 移動: 1945年11月 仙台区→盛岡区 移動: 1949年5月18日 盛岡区→奈良区 配置: 1951年3月1日 奈良区 配置: 1951年10月1日 亀山区 配置: 1955年8月1日 亀山区 廃車: 1959年3月20日 亀山 総裁達93
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51187デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 高橋 弘作品集 蒸気機関車 その良き時代
※4 国鉄時代Vol.20
※5 記憶の鐵路300景岩沙克次 |
C51 188
新製配置は仙台局、福島、仙台を経て、1950年頃より福島第1で活躍する。廃車は1954年。
新製時の写真が1枚あるのみで末期の形状は判らない。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:.機関車:右片側 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時郡山工) デフレクター: 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:郡山工1932年1月(福島庫 配置表) 給水配管: 排気配管: ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復、右?往復 コンプレッサー:単式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式あり その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.875 使用開始: 1926年3月27日 仙台局 改番: 1928年10月1日 28987→C51188 配置: 1931年1月31日 福島庫 移動: 1935年2月 福島庫→仙台庫 移動: 1950年1月 仙台区→福島第一区 配置 休車中: 1954年10月1日 現在 第一種休車 福島第一区 廃車: 1954年11月22日 福島第一区 総裁達678
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51188デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 栄光の蒸気機関車昭和50年10月14日東京印刷場同好会 |
C51 189
新製配置は仙台局、福島、仙台を経て、1945年頃に米子に移る。廃車は1954年。
C51133同様の煙室延長機であった。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:.機関車:右片側 煙室前手摺:B型(戦前戦後:4時-11時郡山工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:郡山工1931年1月以前(配置表) 給水配管:ミ型 竪型 郡山工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復→左3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式あり→前面のみ その他:800mm煙室延長
車歴 製造: 汽車製造 No.876 使用開始: 1926年3月28日 仙台局 改番: 1928年10月1日 28988→C51189 配置: 1931年1月31日 福島庫 煙室延長800mm試験改造実施 移動: 1945年6月28日 福島区→福知山区 達185号 移動: 1946年11月 福知山区→米子区 休車指定: 1954年1月26日 第一種休車指定 米子区 廃車: 1954年12月6日 米子区 総裁達704
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51189デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 終戦直後の蒸気機関車 |
C51 190
新製配置は仙台局、福島、仙台を経て、1949年頃より青森で活躍する。1961年に米沢に移り、廃車は1963年と東北地方のC51としてはC51110とともに最後まで残る。
最後までスポーク動輪と化粧煙突を有していた。デフにはつらら切りが装備されている。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右片側、テンダー:両側 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時郡山工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:郡山工1931年2月(福島庫 配置表) 給水配管:ミ型 竪型 郡山工 排気配管:後々 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復→左3往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.877 使用開始: 1926年3月30日 仙台局 改番: 1928年10月1日 28989→C51190 配置: 1931年1月31日 福島庫 移動: 1935年4月 福島庫→仙台庫 借入: 1949年2月 借入 青森区(3/1?) 返却せず 移動: 1949年5月10日 仙台区→青森区 移動: 1961年2月 青森区→米沢区 移動: 1962年3月 米沢区→新庄区 廃車: 1963年3月30日 米沢区 総裁達146
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51190デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 山形の鉄道情景―松木壽雄写真集 昭和30~40年代〈上〉
※3 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※4 蒸気機関車の記録T(昭和32〜38年)辻坂明浩
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※7 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※8 蒸気機関車写真集1鈴木武夫
※9 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※10 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※11 なつかしい蒸気機関車 田沢義郎
※12 日本の蒸気機関車 植松宏嘉 田沢義郎 鉄道写真集
※13 鉄道ファンNo.24(1963-6)
※14 半世紀前に出会えた汽車たちとの思い出 小野康久
C51 171〜180<<< >>>C51 191〜200 |
C51 191
新製配置は仙台局、1958年に廃車になるまで青森で活躍。
この機は廃車が早く、明瞭な写真が少ない。初期は仙鉄型デフを装備したが後に本省設計型デフに交換されている、土崎工場型給水温め器を装備しボックス動輪に換装されている。化粧煙突は最後まで装備した。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:.機関車:右片側 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時郡山工) デフレクター:本省型1934年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:土崎工 給水配管:ミ型 竪型 土崎工 排気配管:前々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復→左3往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:ボックス動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.878 使用開始: 1926年5月25日 仙台局 改番: 1928年10月1日 28990→C51191 配置: 1931年1月31日 青森庫 休車指定: 1953年8月20日 第一種休車指定 青森区 配置 休車中: 1953年9月1日 現在 第一種休車継続中 青森区 その後 第一種休車指定解除 時期不明 休車指定: 1954年3月1日 第一種休車指定 青森区 休車指定解除: 1954年4月5日 第一種休車指定解除 青森区 廃車: 1958年7月1日 青森区 総裁達331
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51191デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※3 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※4 Rail No.120 |
C51 192
新製配置は仙台局、盛岡、秋田、直江津を転々とし、最後は新津に移動し1958年に廃車になる。
この機は廃車が早いが比較的写真が出てくる。本省設計型デフ、土崎工場型給水温め器を装備し、化粧煙突、スポーク動輪は最後まで装備した。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:.機関車:右片側 煙室前手摺:B型(戦前戦後:4時-11時土崎工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:土崎工1934年3月(秋田庫 配置表) 給水配管:ミ型 竪型 土崎工 排気配管:前々→後前 竪型→ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復→?:右3往復 コンプレッサー:単式→? 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→? 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大? テンダー:8-17台形 ナンバープレート: その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.879 使用開始: 1926年5月27日 仙台局 改番: 1928年10月1日 28991→C51192 配置: 1931年1月31日 盛岡庫 移動: 1931年10月 盛岡庫→秋田庫 映画出演: 1939年4月 記録映画「鐵輪」に出演 移動: 1945年11月 秋田区→直江津区 配置: 1948年7月1日 直江津区 配置: 1949年3月1日 横手区 移動: 1950年2月 横手区→新津区 配置: 1954年4月1日 新津区 休車指定: 1958年3月22日 第一種休車指定 新津区 廃車: 1958年4月26日 新津区 総裁達207
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51192デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 蒸気機関車No58
※4 国鉄時代Vol.21
※5 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集Z |
C51 193
新製配置は仙台局、仙台、酒田を経て新津に配置となる。1965年に廃車になるまで新潟地区では最後まで活躍した。
この機は末期の写真が多く出てくる。本省設計型デフ、土崎工場型給水温め器を装備し、1958年以降にボックス動輪に換装された。化粧煙突は最後まで装備した。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:.機関車:右片側 煙室前手摺:B型(戦前戦後:4時-11時郡山工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:郡山工1935年2月(福島庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 土崎工 排気配管:前後 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2往復→:右3往復、左3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪→ボックス動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入り(戦前)→形式無し その他:新潟地区最終運用
車歴 製造: 汽車製造 No.880 使用開始: 1926年5月28日 仙台局 改番: 1928年10月1日 28992→C51193 配置: 1931年1月31日 仙台庫 移動: 1932年4月 仙台庫→福島庫 移動: 1935年4月 福島庫→仙台庫 配置: 1949年7月1日 仙台区 配置 休車中: 1949年11月1日 現在 特別休車 酒田区 配置 休車中: 1950年4月1日 現在 特別休車継続中 酒田区 借入: 1950年7月 新庄区 返却日 不明 配置: 1950年12月1日 酒田区 移動: 1962年3月 酒田区→新津区 配置: 1963年4月1日 新津区 配置 休車中: 1964年4月1日 現在 第一種休車 新津区 最終運用: 1964年9月29日 会津若松→新津 廃車: 1965年1月7日 新津区 総裁達3
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51193デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 Rail Photo No.5
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車2
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※6 蒸気機関車No58
※7 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※8 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※9 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※10 国鉄時代Vol.21
※11 国鉄時代Vol.57
※12 蒸気機関車EX Vol.15
※13 蒸気の時代No.7
※14 蒸気の時代No.45
※15 蒸気の時代No.70
※16 蒸気機関車写真名鑑
※17 鉄道ファンNo.32(1964-2)
※18 鉄道ファンNo.36(1964-6)
※19 鉄道ファンNo.47(1965-5)
※20 鉄道ファンNo.136(1972-8)
※21 蒸気機関車形式写真集U 小野治男 |
C51 194
新製配置は門司局、後に名古屋に移動する。1931年に、浜松工場1000キロ限定車第1号として出場する。更にその年に御乗用列車を牽引する。その後浜松、金沢を経て、1940年より盛岡に配置となる。1945年8月11日に盛岡駅構内で空襲を受け被災している。また1948年に黒尻澤駅構内で脱線転覆事故を起こし、復旧されることなく廃車となった。
この機は新製直後の写真と戦前の運転室より後部の写真が出てくるのみで、詳細な形状がわからない機である。
写真 新製時:〇 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:.機関車:右片側 煙室前手摺:? デフレクター:1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1931年2月(名古屋庫 配置表) 給水配管: 排気配管: ボイラー手摺:右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管: コンプレッサー: 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:原型→延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入り その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.881 使用開始: 1926年6月1日 下関庫 移動: 1928年9月 下関庫→名古屋庫 改番: 1928年10月1日 28993→C51194 検査出場: 1931年8月20日 浜松工場 10000キロ限定車第1号 お召し列車牽引: 1931年9月27日 タイ国皇帝ご帰国の際のお召し列車牽引 浜松-名古屋間 移動: 1933年4月 名古屋庫→浜松庫 移動: 1939年5月 浜松区→金沢区 移動: 1940年8月15日 金沢区→盛岡区 戦災: 1945年8月11日 盛岡駅構内で空襲を受け被災 事故: 1948年7月22日 15:00頃、東北本線黒沢尻駅構内 配置 休車中: 1948年11月1日 現在 第一種休車 盛岡区 廃車: 1947年3月30日 盛岡区 総裁達137
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51194デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 機関車と共に 今村一郎 ヘッドライト社 |
C51 195
新製配置は門司局、出水、大里、鹿児島を経て1950年より吉松に配置となる。1964年に廃車。
この機は戦前は煙突わきに徐煙板を装備、末期はフロントデッキを直線化改造していた化粧煙突は最後まで装備した。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:.機関車:右片側→機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:鹿工1936年3月以前 煙突:化粧煙突→パイプ煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 横型 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子: 圧縮空気冷却管:右2往復(戦前)→左4往復(戦後) コンプレッサー:単式(戦前)→? 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入り(戦前)→正面のみ形式入り、他形式無し その他:斜めフロントデッキ
車歴 製造: 汽車製造 No.882 使用開始: 1926年6月5日 下関庫 改番: 1928年10月1日 28994→C51195 移動: 1929年12月 下関庫→出水庫 移動: 1930年8月 出水庫→大里庫 移動: 1942年1月 大里区→鹿児島区 配置: 1946年4月1日 鹿児島区 配置: 1949年6月1日 鹿児島区 配置 休車中: 1949年10月1日 現在 第一種休車 鹿児島区 移動: 1949年11月11日 鹿児島区→吉松区 廃車: 1964年3月30日 吉松 総裁達137
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51195デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※3 全盛期の蒸気機関車写真集V隅野成一
※4 蒸気機関車69年春
※5 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※6 鉄道ファンNo.240(1981-4) |
C51 196
新製配置は門司局、大里、鹿児島を経て1950年より若松に配置となる。1963年に廃車。
この機は門鉄デフを装備、末期はテンダー後部がかさ上げ改造されていた。化粧煙突は最後まで装備した。
写真 新製時:○ 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右片側 煙室前手摺:原型→A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:門鉄K-71936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型→新型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型無効化 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形変形 ナンバープレート:形式無し その他:テンダー後部嵩上げ改造
車歴 製造: 汽車製造 No.883 使用開始: 1926年6月12日 下関庫 改番: 1928年10月1日 28995→C51196 移動: 1929年12月 下関庫→出水庫 移動: 1930年8月 出水庫→大里庫 事故: 1936年9月19日 時刻不明、鹿児島本線遠賀川-折尾間 移動: 1942年4月1日 大里区→門司区 移動: 1942年5月 門司区→鹿児島区 移動: 1950年9月27日 鹿児島区→若松区 改造: 1957年7月 小倉工場 門(小倉工式)デフ(K-7型)取付 廃車: 1963年3月30日 若松区 総裁達146
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51196デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 機関車C571
※3 私の蒸気機関車史下
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※5 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※6 蒸気機関車69年春
※7 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※8 鉄道ファンNo.30(1963-12)
※9 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※10 Rail No.36
※11 国鉄時代Vol.54
※12 九州鉄道の記憶
※13 九州鉄道の記憶W
※14 完ジュラ電からSL終焉まで
※15 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
※16 蒸気の時代No.36
※17 蒸気の時代No.71
※18 蒸気機関車写真名鑑
※19 九州の鉄道 汽車・電車この20年
※20 鉄道ファンNo.133(1972-5) |
C51 197 NEW
新製配置は広島局、下関、梅小路を経て1946年より米子に配置となる。1954年に廃車。
この機は廃車が早く、写真も公式側のデフ付近1枚のみであったが、最近「岡山より汽車を求めて(上)」に1枚含まれていることがわかり、形状が明らかになった。廃車後はボイラーをC511に振り替えた可能性がある。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:右片側→両側 煙室前手摺:? デフレクター:大鉄型1934年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 竪型 排気配管:後々? ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3往復 コンプレッサー: 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室: テンダー:8-17台形増炭覆い ナンバープレート:形式入り その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.887 使用開始: 1926年7月6日 下関庫 改番: 1928年10月1日 28996→C51197 移動: 1931年2月 下関庫→大里庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 大里庫→広島庫 移動: 1937年10月 広島区→福知山区 移動: 1939年11月 福知山区→梅小路区 移動: 1943年2月 梅小路区→米子区 休車指定: 1954年7月 第一種休車指定 米子区 廃車: 1954年12月6日 米子区 総裁達704
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51197デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 岡山より汽車を求めて(上)牧野俊介 |
C51 198
新製配置は広島局、下関、梅小路を経て1945年より米子に配置となる。1960年に廃車。
この機は本省設計型のデフを装備、パイプ煙突に換装されていた。後藤工場標準機のマーク入り。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:裾無しパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右3往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:原型、後窓後方移動 テンダー:8-17台形→12-17型 ナンバープレート:形式入り(戦前)→正面のみ形式入り、他形式無し その他:1955年後藤工場標修車
車歴 製造: 汽車製造 No.888 使用開始: 1926年8月4日 下関庫 改番: 1928年10月1日 28997→C51198 移動: 1931年2月 下関庫→小郡庫 移動: 1931年9月 小郡庫→大里庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 大里庫→小郡庫 移動: 1932年8月 小郡庫→広島庫 移動: 1936年3月30日 広島庫→福知山庫 移動: 1939年11月 福知山区→梅小路区 移動: 1943年3月 梅小路区→米子区 廃車: 1960年1月27日 米子区 総裁達26
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51198デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 RM LIBRARY 45 昭和30年代の国鉄列車愛称板 佐竹保雄・佐竹晃 |
C51 199
新製配置は名古屋局、浜松、鹿児島、南延岡を経て1950年より若松に配置となる。1963年に廃車。
この機は門鉄デフに換装、化粧煙突、スポーク動輪は最後まで装備した。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右片側 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:門鉄K-71936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1934年3月(浜松庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 浜松工 排気配管:後々 竪型無効化 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し その他:K7門デフ取付位置が高い
車歴 製造: 汽車製造 No.889 使用開始: 1926年7月7日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 28998→C51199 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 移動: 1931年2月 名古屋庫→浜松庫 移動: 1938年3月 浜松区→稲沢区 移動: 1940年7月 稲沢区→名古屋区 移動: 1942年10月29日 名古屋区→鹿児島区 移動: 1949年6月 鹿児島区→南延岡区 配置 休車中: 1950年7月1日 現在 第一種休車 南延岡区 休車指定解除: 1950年7月27日 第一種休車指定解除 南延岡区 移動: 1950年9月18日 南延岡区→若松区 配置: 1954年4月1日 若松区 改造: 1955年5月 小倉工場 門(小倉工式)デフ(K-7型)取付 配置: 1959年4月1日 若松区 廃車: 1963年2月1日 若松区 総裁達34
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51199デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※3 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
※4 蒸気機関車No48
※5 門鉄デフ物語
※6 鉄道ファンNo.30(1963-12)
※7 蒸気の時代No.36
※8 蒸気の時代No.68
※9 鉄道ファンNo.133(1972-5) |
C51 200
新製配置は名古屋局、名古屋でお召牽引などの活躍をし、戦後は富山に移動する。1959年に廃車。
給水ポンプが運転室前に装備、化粧煙突、スポーク動輪を最後まで装備した。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:本省型1934年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型 浜松工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復、振止付(1935年頃)→左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:運転室前(浜松) 汽笛:3階音→? 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入り その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.890 使用開始: 1926年7月14日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 28999→C51200 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 貸渡: 1931年9月 名古屋庫→鳥栖庫 陸軍特別大演習 返却: 1931年12月 鳥栖庫→名古屋庫 返却は1931年11月〜12月 お召し列車牽引: 1935年4月15日 満州国皇帝溥儀ご西下のお召し列車牽引 沼津-米原間 お召し列車牽引: 1935年11月10日 南九州方面陸軍大演習を観閲する皇族・幕僚統監部その他関係者の移動用列車牽引 鹿児島-都城間 配置: 1948年7月1日 名古屋区 配置: 1948年10月1日 富山区 廃車: 1959年12月21日 富山区 総裁達669
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51200デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 西野保行鉄道写真集 鉄道その時代と共に(1)
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※4 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
※5 蒸気機関車EX Vol.34
※6 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T
※7 鉄道ピクトリアルNo.573(1993-4)
※8 鉄道ファンNo.343(1989-11)
※9 鉄道ファンNo.370(1992-2)
※10 蒸気の時代No.94
C51 181〜190<<< >>>C51 201〜210 |
C51 201
新製配置は名古屋局、名古屋で1940年、1941年とお召牽引した記録がある。戦後の1948年に富山に移動し、1959年に廃車となる。
最後まで化粧煙突、スポーク動輪を最後まで装備していた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1934年3月(名古屋庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 浜松工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左側2往復、右側3往復、振止付(1935年頃)→左側3往復、右側4往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式入り その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.891 使用開始: 1926年7月17日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 38900→C51201 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 借入: 1933年9月 借入 敦賀庫 返却: 1933年11月 返却 名古屋庫 移動: 1938年3月 名古屋区→稲沢区 移動: 1940年1月 稲沢区→名古屋区 お召機指定 お召し列車牽引: 1940年6月9日 天皇陛下橿原神宮・伊勢神宮戦勝祈願行幸のお召し列車牽引(往路) お召し列車牽引: 1940年6月13日 天皇陛下橿原神宮・伊勢神宮戦勝祈願行幸のお召し列車牽引(復路) お召し列車牽引: 1940年7月2日 満州国皇帝溥儀環啓(紀元2600年祝賀)のお召し列車牽引 沼津-米原間 お召し列車牽引: 1941年5月15日 皇后陛下関西方面行啓(往路)のお召し列車牽引 沼津-米原間 お召し列車牽引: 1941年5月20日 皇后陛下関西方面行啓(復路)のお召し列車牽引 米原-沼津間 お召整備修繕: 1942年11月27日 浜松工機部 お召整備修繕 入場 お召整備修繕: 1942年11月30日 浜松工機部 お召整備修繕 出場 借入: 1942年12月1日 借入 米原区 試運転: 1942年12月2日 慣らし運転 722レ前補機(米原ー大垣間) 試運転: 1942年12月3日 局主催による試運転(本機+C51228+お召編成客車) 名古屋-米原間 借入: 1942年12月11日 天皇陛下戦勝祈願伊勢神宮行幸のお召し列車(往路)前補機 借入: 1942年12月13日 天皇陛下戦勝祈願伊勢神宮行幸のお召し列車(復路)前補機 移動: 1948年 名古屋区→富山区 廃車: 1959年12月21日 富山区 総裁達669
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51201デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※6 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
※7 蒸気機関車EX Vol.9
※8 蒸気機関車EX Vol.31
※9 蒸気機関車EX Vol.32
※10 蒸気機関車EX Vol.33
※11 蒸気機関車EX Vol.34
※12 機関車の系譜図4 臼井茂信
※13 鉄道ファンNo.240(1981-4)
※14 鉄道ファンNo.340(1989-8)
※15 鉄道ファンNo.370(1992-2) |
C51 202
新製配置は神戸局、梅小路、宮原、亀山を経て、1947年より熊本、宮崎、都城、宮崎と九州で活躍する。1962年に吉松区で廃車。
1955年ころにフロントが直線化改造、化粧煙突、スポーク動輪を最後まで装備した。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:右片側、テンダー右片側(戦前)→機関車:右片側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:鹿工1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1933年3月(梅小路庫 配置表) 給水配管:=型 竪型→横型 排気配管:後々 竪型→L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2、右3往復→左3、右3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:斜めフロントデッキ
車歴 製造: 汽車製造 No.892 使用開始: 1926年7月3日 神戸局 改番: 1928年10月1日 38901→C51202 配置: 1930年8月31日 梅小路庫 移動: 1933年9月1日 梅小路庫→宮原庫 配置: 1936年3月31日 宮原庫 その後 亀山区に移動 時期不明 配置: 1943年3月31日 亀山区 移動: 1947年6月28日 亀山区→熊本区 達391号 配置: 1948年2月1日 熊本区 配置: 1948年4月1日 宮崎区 事故: 1952年7月23日 18:06頃、日豊本線西都城-都城間 移動: 1957年10月 宮崎区→志布志区都城支区 移動: 1959年2月1日 志布志区都城支区→宮崎区都城支区 移動: 1960年6月1日 宮崎区都城支区→吉松区 廃車: 1962年12月8日 吉松 総裁達595
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51202デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※3 蒸気機関車No58
※4 Rail No.120
※5 記憶の鐵路300景岩沙克次 |
C51 203
新製配置は神戸局、梅小路、宮原、亀山、山田を経て1950年から亀山、1951年にはお召先導列車を牽引する。1956年の六軒事故(死者42重軽傷者94)で本機とC51101が牽引する列車が、信号誤認で安全側線に乗り上げて脱線、本機は破損が比較的に軽微と思われるが、C51の廃車が始まったころで修理されることなく翌々年の1958年に廃車となった。
本機は梅小路時代より多くの写真が残されており、化粧煙突、スポーク動輪を最後まで装備したC51であった。事故時も御召装備が施されさぞかし大事にされていた機関車と思われるため、事故による廃車は研修陣としてはさぞかし悔しかったのではないかと思われる。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 竪型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2、右3往復→左3、右3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.898 使用開始: 1926年9月15日 神戸局 改番: 1928年10月1日 38902→C51203 配置: 1930年8月31日 梅小路庫 移動: 1933年9月1日 梅小路庫→宮原庫 配置: 1936年3月31日 宮原庫 その後 亀山区に移動 時期不明 配置: 1938年4月30日 亀山区 事故: 1946年11月10日 08:38頃、関西本線津駅 移動: 1948年6月 亀山区→山田区 移動: 1950年8月16日 山田区→亀山区 配置: 1954年4月1日 亀山区 事故: 1956年10月15日 18:22頃、参宮線六軒にて六軒事故 配置: 1957年11月1日 亀山区 配置 休車中: 1958年4月1日 現在 第一種休車 亀山区 廃車: 1958年11月13日 亀山 総裁達591
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51203デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 阪神間鉄道回顧録
※3 鉄道史料126
※4 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※5 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T
※6 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集X
※7 機関車の系譜図4 臼井茂信
※8 鉄道ファンNo.538(2006-2) |
C51 204
新製配置は神戸局、梅小路、亀山、梅小路、米子を経て1950年より奈良で活躍。1963年に廃車。
パイプ煙突に改造されていた。
写真 新製時:○ 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有パイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1933年1月(梅小路庫 配置表) 給水配管:=型 横型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2、右3往復→左3、右3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:原型 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.899 使用開始: 1926年9月16日 神戸局 改番: 1928年10月1日 38903→C51204 配置: 1930年8月31日 梅小路庫 移動: 1938年6月 梅小路区→亀山区 移動: 1946年5月17日 亀山区→梅小路区 配置: 1947年1月1日 梅小路区 配置 休車中: 1947年4月1日 現在 特別休車 梅小路区 配置: 1947年9月1日 米子区 移動: 1950年9月3日 米子区→奈良区 借入: 1953年8月28日 借入 梅小路区 返却日 不明 配置: 1954年3月1日 奈良区 移動: 1961年10月 奈良区→亀山区 配置: 1962年4月1日 亀山区 配置 休車中: 1963年4月1日 現在 第一種休車 亀山区 廃車: 1963年4月17日 奈良区 総裁達302
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51204デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車の記録T(昭和32〜38年)辻坂明浩
※3 蒸気の時代No.82
※4 サヨナラ国鉄 鉄道の社会史 毎日新聞社
※5 蒸気機関車形式写真集U 小野治男 |
C51 205
新製配置は神戸局、梅小路、宮原、山田、姫路、山田を経て1954年より梅小路で活躍。1960年に廃車。
化粧煙突、スポーク動輪を最後まで有していた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型→=型 竪型→横型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2、右3往復→左3、右3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.900 使用開始: 1926年9月18日 神戸局 改番: 1928年10月1日 38904→C51205 配置: 1930年8月31日 梅小路庫 移動: 1933年9月1日 梅小路庫→宮原庫 借入: 1935年10月 借入(門司局管内) 配置: 1935年11月30日 宮原庫 移動: 1938年8月 宮原区→山田区 移動: 1944年9月 山田区→奈良区 移動: 1945年12月 奈良区→姫路区 移動: 1946年4月1日 姫路区→姫路第一区 移動: 1946年6月6日 姫路第一区→姫路第二区 配置: 1947年10月 姫路第二区 配置: 1948年2月1日 山田区 配置: 1953年9月1日 山田区 配置: 1954年4月1日 梅小路区 廃車: 1960年10月15日 梅小路区 総裁達596
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51205デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 阪神間鉄道回顧録
※3 雑誌SL No3 交友社
※4 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※5 蒸気機関車 大カタログ 伊藤東作
※6 鉄道ファンNo.538(2006-2)
※7 鉄道ファンNo.240(1981-4) |
C51 206
新製配置は神戸局、吹田、山田、宮原、山田、亀山、山田を経て1954年より梅小路で活躍。1963年に廃車。
1960年頃に化粧煙突をパイプ煙突に換装、スポーク動輪を最後まで有していた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有パイプ煙突(1960年頃) 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型→=型 竪型→横型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2、右3往復→左3、右3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:運転室前(鷹取)→標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.901 使用開始: 1926年9月21日 神戸局 改番: 1928年10月1日 38905→C51206 配置: 1930年8月31日 吹田庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 吹田庫→山田庫 配置: 1936年3月31日 山田庫 その後 宮原区に移動 時期不明 配置: 1938年4月30日 宮原区 移動: 1938年6月 宮原区→山田区 移動: 1943年3月 山田区→亀山区 配置: 1948年7月1日 亀山区 配置: 1949年3月1日 山田区 配置: 1953年9月1日 山田区 配置: 1954年4月1日 梅小路区 配置: 1959年4月1日 梅小路区 廃車: 1963年2月9日 梅小路区 総裁達46
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51206デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 汽車半世紀
※3 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※4 蒸気機関車の角度
※5 高橋 弘作品集 蒸気機関車 その良き時代
※6 Rail No.118
※7 世界の鉄道 別冊 日本の蒸気機関車 朝日新聞社 |
C51 207
新製配置は神戸局、吹田、梅小路、宮原、福知山を経て1943年より米子で活躍。1958年に廃車。
給水温め器の配管を前側から取っていた。テンダーがかさ上げ改造されていた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工→本省丸新型(後藤工1953年以前)1935年1月(梅小路庫 配置表) 給水配管:=型→新型 竪型 鷹取工 排気配管:前後 なし(前止弁) ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2、右3往復→左?、右3往復 コンプレッサー:単式→? 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:原型 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.902 使用開始: 1926年9月28日 神戸局 改番: 1928年10月1日 38906→C51207 配置: 1930年8月31日 吹田庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 吹田庫→梅小路庫 移動: 1933年9月1日 梅小路庫→宮原庫 移動: 1937年10月 宮原区→福知山区 移動: 1939年11月 福知山区→梅小路区 移動: 1942年1月 梅小路区→福知山区 移動: 1943年2月 福知山区→米子区 移動: 1945年11月 米子区→奈良区 移動: 1946年11月 奈良区→米子区 配置: 1952年4月1日 米子区 休車指定: 1958年4月1日 第一種休車指定 米子区 廃車: 1958年11月27日 米子区 総裁達604
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51207デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 終戦直後の蒸気機関車
※3 記録写真蒸気機関車T
※4 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集U |
C51 208
新製配置は神戸局、1930年~1934年まで沼津庫にて特急燕を牽引、平を経て1943年より、宮崎、鹿児島、若松と九州で活躍する。1960年に廃車。
燕牽引時代は単式コンプレッサーであった。燕用特殊テンダーであるが、末期はかさ上げ改造されていた。デフは東鉄型の低いものであるが、のちに後方へ延長された。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側,、テンダー:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 竪型 鷹取工 排気配管:後々 竪型→無効化 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2、右3往復→左?、右3往復 コンプレッサー:単式→? 給水ポンプ:運転室前(鷹取)→標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:燕用テンダー(8-20型) ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:若松機関区時代の変形テンダーは燕用テンダーを嵩上げ改造
車歴 製造: 汽車製造 No.903 使用開始: 1926年10月13日 神戸局 改番: 1928年10月1日 38907→C51208 配置: 1930年10月31日 沼津庫 箱根越えの特急「燕」に使用 運用: 1934年11月30日 丹那トンネル営業開始前のSL牽引(御殿場山線回り)最終下り特急「燕」11レを牽引 移動: 1934年12月 沼津庫→平庫 丹那トンネル開通に伴う特急運用ルート変更のため 事故: 1936年6月7日 時刻不明、常磐線岩間-羽鳥間 配置: 1940年3月31日 平区 移動: 1943年9月12日 平区→宮崎区 移動: 1945年11月 宮崎区→鹿児島区 休車指定: 1950年1月 第一種休車指定 鹿児島区 移動: 1950年9月16日 第一種休車指定解除 鹿児島区→若松区 休車指定: 1960年6月1日 第一種休車指定 若松区 廃車: 1960年10月15日 若松区 総裁達596
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51208デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 沼津機関区百年史
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※4 蒸気機関車No58
※5 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
※6 Rail No.23
※7 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集X
※8 蒸気機関車 大カタログ 伊藤東作
※9 鉄道ファンNo.167(1975-3)
※10 鉄道ファンNo.284(1984-12)
※11 鉄道ファンNo.306(1986-10)
※12 学校教科フィルム「汽車の發達」(1930年頃)の冒頭より特急燕を牽引する機関車の映像が使用されている。 |
C51 209
新製配置は神戸局、吹田、梅小路、福知山、梅小路、亀山、姫路を経て1947年より亀山で活躍する。1954年にはお召予備機に指定される。廃車は1965年でC51最晩年まで生き延びた。
パイプ煙突に換装されているが、スポーク動輪を最後まで装備していた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側,、テンダー:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有パイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1933年2月(梅小路庫 配置表) 給水配管:=型 竪型→横型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2、右3往復→左3、右3往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音→ドーム脇5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.905 使用開始: 1926年10月28日 神戸局 改番: 1928年10月1日 38908→C51209 配置: 1931年1月31日 吹田庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 吹田庫→梅小路庫 移動: 1933年9月1日 梅小路庫→宮原庫 移動: 1937年10月 宮原区→福知山区 移動: 1939年11月 福知山区→梅小路区 移動: 1942年11月 梅小路区→亀山区 事故: 1945年10月22日 時刻不明、東海道本線京都駅 配置: 1945年12月1日 亀山区 その後 姫路区に移動 時期不明 移動: 1946年4月1日 姫路区→姫路第一区 移動: 1946年6月6日 姫路第一区→姫路第二区 配置: 1947年4月1日 姫路第二区 配置: 1947年9月1日 亀山区 お召し列車牽引予備: 1954年4月 両陛下兵庫県全国植樹祭(第5回)行幸啓お召し列車予備機 配置: 1959年4月1日 亀山区 廃車: 1965年1月7日 亀山 総裁達3
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51209デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 阪神間鉄道回顧録
※3 走りつづけた蒸気機関車
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※7 蒸気機関車写真集1鈴木武夫
※8 記録写真蒸気機関車T
※9 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※10 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※11 とれいん 増刊 日本の蒸機作品集
※12 国鉄時代Vol.7
※13 国鉄時代Vol.33
※14 蒸気機関車EX Vol.41
※15 完ジュラ電からSL終焉まで
※16 蒸気の時代No.82
※17 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T
※18 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集U
※19 日本の蒸気機関車 臼井茂信 西尾克三郎
※20 機関車の系譜図4 臼井茂信
※21 鉄道ファンNo.213(1979-1) |
C51 210
新製配置は東京局、水戸、長岡、稲沢、名古屋を経て1951年から鳥栖、1957より早岐で活躍する。廃車は1960年。
化粧煙突、スポーク動輪を最後まで装備したC51であった。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側,、テンダー:両側 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時大宮工)→D型(戦後) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1935年1月(水戸庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→無効化 ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2、右3往復→左?、右3往復 コンプレッサー:単式→? 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.906 使用開始: 1926年11月2日 東京局 改番: 1928年10月1日 38909→C51210 配置: 1931年1月31日 水戸庫 移動: 1942年1月25日 水戸区→長岡区 移動: 1944年9月2日 長岡区→名古屋区 達791号 移動: 1946年11月 名古屋区→稲沢区 配置: 1950年8月1日 稲沢区 配置: 1950年12月1日 名古屋区 移動: 1951年4月26日 名古屋区→鳥栖区 達180号(達は'51/4/26付けだが実移動日とは一致しない可能性あり) 移動: 1953年3月 鳥栖区→早岐区 配置: 1957年11月1日 早岐区 廃車: 1960年11月5日 早岐区 総裁達632
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51210デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 Rail No.120
※3 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集X
C51 191〜200<<< >>>C51 211〜220 |
C51 211
新製配置は東京局、水戸、長岡、直江津を経由し1949年より新津で活躍する。1963年に廃車となる。
1950年頃まで東鉄特有の背の低いデフを装備していたが、最後はパイプ煙突、デフの形状が変化しており、大幅な改造が行われている。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側,、テンダー:両側 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分大宮工)→B’型(戦後:8時-11時30分) デフレクター:東鉄→長工 煙突:化粧煙突→裾有パイプ煙突(1949年頃?) 給水温め器:本省丸型:大宮工 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:左2段、右1段高位置→左右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2、右3往復→左3、右3往復→左3、右4往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓後方移動 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.907 使用開始: 1926年11月1日 東京局 改番: 1928年10月1日 38910→C51211 配置: 1931年1月31日 水戸庫 特殊防煙装置取付済 その後 デフ取付 正確な時期不明 事故: 1935年4月24日 時刻不明、常磐線友部駅 移動: 1942年1月23日 水戸区→長岡区 移動: 1943年2月 長岡区→直江津区 移動: 1949年9月18日 直江津区→新津区 事故: 1950年9月5日 12:38頃、羽越本線酒田-東酒田間 移動: 1955年10月 新津区→新潟区 移動: 1961年1月 新潟区→新津区 廃車: 1963年12月18日 新津区 総裁達631
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51211デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車の記録T(昭和32〜38年)辻坂明浩
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車写真集山下節夫
※6 蒸気機関車68春
※7 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※8 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※9 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※10 国鉄時代Vol.21
※11 ジュラ電からSL終焉まで
※12 完ジュラ電からSL終焉まで
※13 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集X |
C51 212
三菱製のC51の初号機、新製配置は東京局、宇都宮を経て1942年より酒田に配置となる。1957年に羽越本線五十川〜小波渡間で発生した土砂崩壊に乗り上げ脱線転覆、廃車となる。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:両側,、テンダー:? 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄U型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1931年1月以前(配置表) 給水配管:ミ型 横型 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2、右3往復→左3、右4往復 コンプレッサー:単式→? 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:? テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→? その他:
車歴 製造: 三菱重工業 No.16 使用開始: 1926年11月28日 東京局 改番: 1928年10月1日 38911→C51212 配置: 1931年1月31日 宇都宮庫 事故: 1934年3月6日 時刻不明、東北本線上野駅5番線 移動: 1942年1月10日 宇都宮区→酒田区 配置: 1947年4月1日 酒田区 配置: 1952年4月1日 酒田区 事故: 1957年4月27日 08:56頃、羽越本線五十川〜小波渡間の起点119.2km付近 廃車: 1957年8月16日 酒田区 総裁達465
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51212デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車69夏 P72
※3 雑誌SL No3 交友社 |
C51 213
新製配置は東京局、宇都宮を経て1942年より酒田に配置となる。1958年に廃車となる。末期の形状は写真がなくわからない。
写真 新製時:○ 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:両側,、テンダー:? 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2、右3往復→ コンプレッサー:単式→? 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→? 動輪:18本スポーク動輪 運転室:? テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→? その他:
車歴 製造: 三菱重工業 No.17 使用開始: 1926年11月24日 東京局 改番: 1928年10月1日 38912→C51213 配置: 1931年1月31日 宇都宮庫 事故: 1934年11月28日 時刻不明、日光線日光駅 移動: 1942年1月13日 宇都宮区→酒田区 休車指定: 1958年2月13日 第一種休車指定 酒田区 廃車: 1958年4月26日 酒田区 総裁達207
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51213デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 国鉄蒸気機関車史 高木宏之 |
C51 214
新製配置は東京局、宇都宮、長岡、尻内、盛岡、福島を経て1955年より九州にわたり大分に配置となる。以後宮崎、鹿児島を経て1961年に廃車となる。
最後まで化粧煙突、スポーク動輪を有したが、フロント部分が改造されていた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側,、テンダー:? 煙室前手摺:B型(戦前戦後:4時-11時30分大宮工) デフレクター:鹿工 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1935年10月(宇都宮庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→L字管 ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2、右3往復→左3、右?往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓後方移動 テンダー:8-17台形→8-17台形変形(1960年頃) ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:斜めフロントデッキ
車歴 製造: 三菱重工業 No.18 使用開始: 1926年12月2日 東京局 改番: 1928年10月1日 38913→C51214 配置: 1931年1月31日 宇都宮庫 事故: 1935年3月13日 時刻不明、東北本線白岡駅 移動: 1942年11月15日 宇都宮区→長岡区 移動: 1944年9月6日 長岡区→名古屋局 達791号(達は10/14付け) 移動: 1945年11月8日 名古屋局→尻内区 達25号(達は'46/1/22付け) 移動: 1950年1月 尻内区→盛岡区 休車指定: 1954年4月 第一種休車指定 盛岡区 休車指定解除: 1954年5月1日 第一種休車指定解除 盛岡区 移動: 1954年7月 盛岡区→福島第一区 移動: 1955年7月8日 福島第一区→大分区 達456号 移動: 1955年10月27日 大分区→宮崎区 達3号(達は'56/1/6付け) 配置: 1959年12月1日 宮崎区 配置: 1960年4月1日 鹿児島区 廃車: 1961年1月13日 鹿児島区 総裁達415
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51214デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 カメラと機関車2佐々木桔梗
※3 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※7 九州の鉄道 汽車・電車この20年 |
C51 215
新製配置は東京局、宇都宮、酒田を経て1943年より秋田となる。1961年に新庄に移動し、1962年にはと廃車となる。
最後まで化粧煙突、スポーク動輪を有した。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側,、テンダー:? 煙室前手摺:原型→B型(戦後:4時-11時30分大宮工) デフレクター:本省型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1935年10月(宇都宮庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 排気配管:後々 ストレート ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2、右3往復→左3、右4往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、屋根延長 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 三菱重工業 No.19 使用開始: 1926年12月9日 東京局 改番: 1928年10月1日 38914→C51215 配置: 1931年1月31日 宇都宮庫 事故: 1934年3月29日 時刻不明、東北本線雀宮駅 移動: 1941年12月20日 宇都宮区→酒田区 移動: 1943年2月 酒田区→秋田区 移動: 1960年11月 秋田区→新庄区 廃車: 1962年6月13日 新庄区 総裁達264
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51215デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 山形の鉄道情景―松木壽雄写真集 昭和30~40年代〈上〉
※3 Rail Photo No.7 蒸気機関車No.2
※4 Rail Photo No.4
※5 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車2
※7 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※8 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※9 全盛期の蒸気機関車写真集V隅野成一
※10 蒸気の時代No.34 |
C51 216
新製配置は東京局、宇都宮、盛岡を経て1954年より九州にわたり宮崎に配置となる。1959年には廃棄に移動し1962年に廃車となる。
最後まで化粧煙突、スポーク動輪を有したが、フロント部分が改造されていた。フロントの改造は1954年から1959年の間に行われた。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:〇 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側,、テンダー:両側 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分大宮工)→A’型(戦後:8時-11時30分、1時-2時) デフレクター:鹿工 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸形:大宮工→本省丸新型(小倉工1960年までに換装)1935年10月(宇都宮庫 配置表) 給水配管:T型 竪型→横型 大宮工 排気配管:後々 竪型→L字管 ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左?、右?往復→左3、右4往復 コンプレッサー:?→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓後方移動 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:斜めフロントデッキ
車歴 製造: 三菱重工業 No.20 使用開始: 1926年12月20日 東京局 改番: 1928年10月1日 38915→C51216 配置: 1931年1月31日 宇都宮庫 故障: 1934年7月15日 内火室管板の大煙管電気溶接部に2箇所の亀裂発見 事故: 1936年6月12日 時刻不明、東北本線栗橋-古河間 移動: 1939年11月 宇都宮区→盛岡区 配置 休車中: 1954年5月1日 第一種休車指定 盛岡区 移動: 1954年9月21日 盛岡区→宮崎区 移動: 1959年4月 宮崎区→早岐区 配置 休車中: 1962年4月1日 現在 第一種休車 早岐区 廃車: 1962年10月17日 早岐区 総裁達500
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51216デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※5 Rail No.24
※6 蒸気の時代No.36 |
C51 217
新製配置は東京局、宇都宮、盛岡、直江津を経て1957年より新津で活躍する。1962年に廃車となる。
盛岡時代に背の高い化粧煙突、ボックス動輪に換装されたが、最後は普通の化粧煙突に変わった。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側,、テンダー:? 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分大宮工)→A’型(戦後:8時-11時30分、1時-2時) デフレクター:名鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1932年5月(宇都宮庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左2、右?往復→左3、右4往復 コンプレッサー:単式→複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪→ボックス動輪 運転室:原型→延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 三菱重工業 No.21 使用開始: 1926年12月22日 東京局 改番: 1928年10月1日 38916→C51217 配置: 1931年1月31日 宇都宮庫 事故: 1936年5月22日 時刻不明、水戸線羽黒-福原間 移動: 1939年11月 宇都宮区→盛岡区 移動: 1954年9月22日 盛岡区→直江津区 移動: 1955年10月 直江津区→新津区 配置: 1959年4月1日 新津区 休車指定: 1962年6月11日 第一種休車指定 新津区 廃車: 1962年10月26日 新津区 総裁達518
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51217デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※3 盛岡機関区写真史
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※7 蒸気機関車写真集山下節夫
※8 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※9 蒸気機関車No58
※10 鉄道ジャーナル1976年4月号
※11 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※12 Rail No.120
※13 国鉄時代Vol.21
※14 蒸気の時代No.34
※15 蒸気機関車形式写真集U 小野治男 |
C51 218
新製配置は門司局、鳥栖、早岐、宮崎を経て、1945年より奈良で活躍する。廃車は1962年。
最後まで化粧煙突、スポーク動輪を有した。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側,、テンダー:? 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1936年4月〜1938年4月(鳥栖区 配置表) 給水配管:=型 竪型→横型 小倉工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓後方移動 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.908 使用開始: 1926年11月26日 鳥栖庫 改番: 1928年10月1日 38917→C51218 配置: 1931年1月31日 鳥栖庫 移動: 1942年6月 鳥栖区→早岐区 移動: 1943年9月 早岐区→宮崎区 移動: 1944年10月9日 宮崎区→奈良区 達862号 廃車: 1962年2月28日 奈良区 総裁達74
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51218デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※3 全盛期の蒸気機関車写真集7_小林庄三
※4 蒸気機関車No48
※5 蒸気機関車EX Vol.36
※6 汽車追想 カメラと共に 野口昭雄
※7 記憶の鐵路300景岩沙克次
※8 蒸気の時代No.57
※9 蒸気の時代No.82
※10 蒸気機関車形式写真集U 小野治男 |
C51 219
新製配置は門司局、鳥栖を経て、1942年より早岐で活躍する。廃車は1961年。
1960年頃の写真では、裾付きパイプ煙突、LP403ヘッドライト、デフレクターが裾の部分が斜めに開いた東鉄V型に似た形状のもの、スポーク動輪の装いであった。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側,、テンダー:? 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:特殊1934年4月以前 煙突:裾有パイプ煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 小倉工 排気配管:後々 竪型無効化 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右 往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ: 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室: テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.909 使用開始: 1926年11月27日 鳥栖庫 改番: 1928年10月1日 38918→C51219 配置: 1931年3月31日 鳥栖庫 移動: 1942年6月 鳥栖区→早岐区 配置: 1947年4月1日 早岐区 移動: 1951年3月 早岐区→鳥栖区 移動: 1953年3月 鳥栖区→早岐区 配置: 1957年11月1日 早岐区 廃車: 1961年2月15日 早岐区 総裁達64
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51219デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 京の都の端っこから。C51を好きになってね!〜JNR Royal Pacific C51 |
C51 220
新製配置は門司局、鳥栖を経て、1953年より早岐で活躍する。廃車は1963年。
最後までスポーク動輪を有したが、パイプ煙突に換装された。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側,、テンダー:両側 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:本省型1934年4月以前 煙突:化粧煙突→パイプ煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓後方移動 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.910 使用開始: 1926年11月29日 鳥栖庫 改番: 1928年10月1日 38919→C51220 配置: 1931年3月31日 鳥栖庫 移動: 1942年6月 鳥栖区→早岐区 移動: 1951年3月 早岐区→鳥栖区 移動: 1953年3月 鳥栖区→早岐区 廃車: 1959年12月21日 早岐区 総裁達669?
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51220デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 九州の蒸気機関車 門司鉄道管理局
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※5 鉄道ジャーナルNo27(1969-10)
C51 201〜210<<< >>>C51 221〜230 |
C51 221
新製配置は門司局、鳥栖を経て1953年より早岐で活躍する。1963年に廃車となる。
最後はパイプ煙突となっている。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側,、テンダー:両側 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:裾有パイプ煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1936年4月〜1938年4月(鳥栖区 配置表) 給水配管:=型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型無効化 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓後方移動 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.911 使用開始: 1926年12月3日 鳥栖庫 改番: 1928年10月1日 38920→C51221 配置: 1931年3月31日 鳥栖庫 移動: 1942年8月 鳥栖区→早岐区 移動: 1951年3月 鳥栖区→早岐区 移動: 1953年3月 鳥栖区→早岐区 廃車: 1963年10月3日 早岐区 総裁達512
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51221デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※3 蒸気の時代No.36
※4 なつかしい蒸気機関車 田沢義郎 |
C51 222
新製配置は門司局、鳥栖を経て1942年より早岐で活躍する。1961年に廃車となる。
最後はパイプ煙突となっている。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:裾有パイプ煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1931年1月以前(配置表) 給水配管:新型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型無効化 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー: 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪:18本スポーク動輪 運転室: テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.915 使用開始: 1926年12月21日 鳥栖庫 改番: 1928年10月1日 38921→C51222 配置: 1931年3月31日 鳥栖庫 移動: 1942年7月 鳥栖区→早岐区 事故: 1946年9月15日 早岐駅構内 廃車: 1961年2月14日 早岐区 総裁達62
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51222デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。 |
C51 223
新製配置は名古屋局、浜松、金沢、米原、静岡、名古屋、稲沢を経て1947年より青森で活躍する。1961年に廃車となる。
早々にボックス動輪に改造されている。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側,、テンダー:両側 煙室前手摺:B型(戦後:4時-11時30分浜松工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1936年4月〜1938年4月(金澤区 配置表) 給水配管:=型 竪型 浜松工 排気配管:後々 ストレート ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復、振止付 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:ボックス動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.916 使用開始: 1926年12月22日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 38922→C51223 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 移動: 1931年2月 名古屋庫→浜松庫 移動: 1934年10月 浜松庫→金沢庫 移動: 1940年2月 金沢区→米原区 移動: 1940年8月 米原区→静岡区 移動: 1941年9月 静岡区→名古屋区 移動: 1946年11月 名古屋区→稲沢区 移動: 1947年6月30日 稲沢区→青森区 達391号 廃車: 1961年2月15日 青森区 総裁達64
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51223デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※3 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※6 蒸気機関車写真集1鈴木武夫
※7 蒸気の時代No.57 |
C51 224
新製配置は名古屋局、金沢、富山、静岡、名古屋を経て1948年より富山で活躍する。1959年に廃車となる。
末期まで形式入りプレートを付け原型に近い形状であった。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1932年1月(金澤庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 浜松工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前、戦後)、テンダー不明 その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.917 使用開始: 1926年12月23日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 38923→C51224 配置: 1931年1月31日 金沢庫 移動: 1938年9月 金沢区→富山区 移動: 1940年9月 富山区→静岡区 移動: 1941年8月 静岡区→名古屋区 移動: 1943年9月 名古屋区→金沢区 移動: 1944年9月 金沢区→名古屋区 配置: 1948年4月1日 名古屋区 配置: 1948年7月1日 富山区 廃車: 1959年3月4日 富山区 総裁達57
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51224デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 世界の鉄道 別冊 明治・大正・昭和 蒸気機関車100年 朝日新聞社
※3 カメラと機関車 吉川速男 |
C51 225
新製配置は名古屋局、米原、静岡、名古屋、梅小路を経て1961年より亀山で活躍する。1960年末に全検切れで休車となるが、1961年4月に鷹取工場で全般検査を受け亀山に転属する。1965年に廃車となる。御召牽引は1932年、1933年、1940年、1942年に計7回牽引する。
末期まで形式入りプレートを付け原型に近い形状であった。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:〇 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側,、テンダー:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1931年2月(名古屋庫 配置表) 給水配管:T型 竪型→横型 浜松工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前、戦後)、テンダーのみ形式なし その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.918 使用開始: 1926年12月24日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 38924→C51225 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 移動: 1931年8月 名古屋庫→米原庫 お召し列車牽引: 1932年11月10日 及び1932年11月17日 天皇陛下奈良県・大阪府下陸軍特別大演習行幸のお召し列車牽引 沼津-米原間 借入: 1933年9月 借入 名古屋庫 お召し列車牽引: 1933年10月22日 及び1933年10月25日 天皇陛下北陸方面陸軍大演習行幸のお召し列車牽引 沼津-米原間 返却: 1933年11月 返却 米原庫 移動: 1938年3月 米原区→稲沢区 移動: 1940年2月 稲沢区→米原区 お召し列車牽引: 1940年6月9日 名古屋→米原(補機C51201)神武天皇即位2600年の参拝 移動: 1940年8月 米原区→静岡区 移動: 1941年9月 静岡区→名古屋区 お召し列車牽引: 1942年12月11日 及び1942年12月13日 天皇陛下戦勝祈願伊勢神宮行幸のお召し列車(往路)牽引 沼津-米原間(名古屋ー米原間は前補機C51201との重連) 移動: 1951年7月23日 名古屋区→梅小路区 達374号 全般検査: 1956年12月 鷹取工場 配置 休車中: 1961年3月 現在 第一種休車 梅小路区 全般検査: 1961年4月14日 鷹取工場 移動: 1961年4月 梅小路区→亀山区 記念運用: 1965年2月28日 鉄道友の会(JRC)お別れ会を開催(亀山区構内) 廃車: 1965年3月31日 亀山区 総裁達134
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51225デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 Train No.220
※3 蒸気と共に1世紀
※4 鉄道datafile 76
※5 魅惑のC51(トレイン6月号増刊)
※6 沼津機関区百年史
※7 蒸気機関車の記録T(昭和32〜38年)辻坂明浩
※8 蒸気機関車の記録U辻坂明浩
※9 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※10 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※11 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※12 蒸気機関車の角度
※13 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※14 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※15 蒸気機関車スタイルブック
※16 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※17 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※18 高橋 弘作品集 蒸気機関車 その良き時代
※19 Rail No.37
※20 Rail myrail No.15
※21 国鉄時代Vol.5
※22 国鉄時代Vol.7
※23 国鉄時代Vol.20
※24 国鉄時代Vol.36
※25 国鉄時代Vol.52
※26 国鉄時代Vol.56
※27 蒸気機関車EX Vol.9
※28 蒸気機関車EX Vol.25
※29 蒸気機関車EX Vol.31
※30 蒸気機関車EX Vol.32
※31 蒸気機関車EX Vol.33
※32 蒸気機関車EX Vol.34
※33 蒸気機関車EX Vol.40
※34 蒸気機関車EX Vol.45
※35 蒸気機関車EX Vol.46
※36 ジュラ電からSL終焉まで
※37 続ジュラ電からSL終焉まで
※38 完ジュラ電からSL終焉まで
※39 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
※40 蒸気の時代No.33
※41 蒸気の時代No.37
※42 蒸気の時代No.82
※43 機関車の系譜図4 臼井茂信
※44 鉄道模型趣味No.295(1973-1)
※45 鉄道ファンNo.36(1964-6)
※46 鉄道ファンNo.47(1965-5)
※47 鉄道ファンNo.55(1966-1)
※48 鉄道ファンNo.155(1974-3)
※49 蒸気機関車形式写真集U 小野治男
※50 鉄道ファンNo.240(1981-4)
※51 鉄道ファンNo.280(1984-8)
※52 鉄道ファンNo.340(1989-8)
※53 鉄道ファンNo.370(1992-2) |
C51 226
新製配置は名古屋局、米原、富山、静岡、名古屋を経て1948年より富山で活躍する。1959年に廃車となる。
末期まで原型に近い形状であった。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側,、テンダー:両側 煙室前手摺:B型(戦前戦後:4時-11時30分浜松工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1936年4月〜1938年4月(米原区 配置表) 給水配管:T型 竪型 浜松工 排気配管:後々 竪型→L字管 ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.919 使用開始: 1926年12月25日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 38925→C51226 配置: 1931年1月31日 米原庫 移動: 1939年4月 米原区→富山区 移動: 1940年1月 富山区→金沢区 移動: 1940年2月 金沢区→名古屋区 移動: 1940年10月 名古屋区→静岡区 移動: 1941年10月 静岡区→名古屋区 お召し列車牽引: 1942年12月11日 天皇陛下戦勝祈願伊勢神宮行幸のお召し先導列車(往路)牽引 沼津-米原間 お召し列車牽引: 1942年12月13日 天皇陛下戦勝祈願伊勢神宮行幸のお召し先導列車(復路)牽引 米原-沼津間 配置: 1948年4月1日 名古屋区 配置: 1948年7月1日 富山区 廃車: 1959年12月21日 富山区 総裁達669
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51226デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※3 鉄道datafile 76
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 完ジュラ電からSL終焉まで
※6 鉄道ファンNo.346(1990-2) |
C51 227
新製配置は名古屋局、名古屋、浜松、稲沢、静岡、名古屋を経て1943年より豊岡で活躍する。1956年頃に集煙装置を取り付ける改造をしたが、1959年に伊勢に転じた時には撤去された。1963年に廃車となる。
形状の変更が目まぐるしい機であった。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側,、テンダー:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突→集煙装置→裾有りパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工→落とし込み改造(1955年頃)1931年2月(浜松庫 配置表) 給水配管:=型 竪型→横型 浜松工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形→8-20型→12-17(C51256) ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.920 使用開始: 1926年12月26日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 38926→C51227 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 移動: 1931年2月 名古屋庫→浜松庫 移動: 1938年3月 浜松区→稲沢区 移動: 1940年7月 稲沢区→静岡区 移動: 1941年10月 静岡区→名古屋区 移動: 1943年3月 名古屋区→米原区 移動: 1943年9月30日 米原区→豊岡区 配置: 1947年9月1日 豊岡区 配置 休車中: 1948年2月1日 現在 第一種休車 豊岡区 配置 休車中: 1948年4月1日 現在 第一種休車中廃車予定(第二種休車相当) 豊岡区 配置 休車中: 1948年7月1日 現在 第一種休車中廃車予定(第二種休車相当)継続中 豊岡区 配置: 1949年4月1日 豊岡区和田山支区 移動: 1959年9月 豊岡区和田山支区→伊勢区 移動: 1963年4月1日 伊勢区→伊勢管理所(組織変更) 第一種休車 廃車: 1963年4月17日 伊勢区 総裁達302
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51227デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車の記録T(昭和32〜38年)辻坂明浩
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 記録写真蒸気機関車T
※6 鉄道ファンNo.30(1963-12)
※7 国鉄時代Vol.22
※8 蒸気の時代No.18
※9 蒸気の時代No.33
※10 蒸気の時代No.50
※11 蒸気の時代No.78
※12 機関車の系譜図4 臼井茂信 |
C51 228
新製配置は名古屋局、金沢、静岡、名古屋、米原屋を経て1943年より豊岡で活躍する。1959年に伊勢に転じ1963年に廃車となる。
末期まで比較的に原型を保った。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側,、テンダー:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1933年12月(金澤庫 配置表) 給水配管:T型 竪型→横型 浜松工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:左2段、右1段高位置 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復、振止付 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.921 使用開始: 1927年1月25日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 38927→C51228 配置: 1931年1月31日 金沢庫 お召し列車牽引: 1937年6月5日 皇太后陛下伊勢神宮行啓のお召し列車牽引 名古屋-亀山間 お召し列車牽引: 1937年6月29日 皇太后陛下伊勢神宮行啓のお召し列車牽引 亀山-名古屋間 移動: 1940年9月 金沢区→静岡区 移動: 1941年10月 静岡区→名古屋区 移動: 1943年3月 名古屋区→米原区 移動: 1943年9月30日 米原区→豊岡区 移動: 1959年9月 豊岡区和田山支区→伊勢区 廃車: 1963年2月9日 伊勢区 総裁達46
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51228デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 私の蒸気機関車史下
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※5 蒸気機関車No48
※6 蒸気機関車No58
※7 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※8 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※9 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※10 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※11 国鉄時代Vol.22
※12 蒸気機関車EX Vol.32
※13 蒸気機関車EX Vol.33
※14 蒸気の時代No.7
※15 蒸気の時代No.33
※16 蒸気の時代No.50
※17 鉄道ファンNo.538(2006-2)
※18 鉄道ファンNo.340(1989-8)
※19 鉄道ファンNo.343(1989-11)
※20 鉄道ファンNo.345(1990-1)
※21 鉄道ファンNo.370(1992-2) |
C51 229
新製配置は名古屋局、すぐに青森に移動し活躍する。廃車は1961年。
東鉄初期タイプのデフが装備されていた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側,、テンダー:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時土崎工) デフレクター:斜1934年4月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:土崎工1936年4月〜1938年4月(青森区 配置表) 給水配管:=型 竪型 排気配管:後々 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.922 使用開始: 1927年1月24日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 38928→C51229 配置: 1931年1月31日 青森庫 廃車: 1961年2月15日 青森区 総裁達64
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51229デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※3 蒸気機関車No58
※4 Rail No.120 |
C51 230
新製配置は仙台局、仙台、新津、山形を経て1940年より米沢で活躍する。1961年に廃車となる。
末期はボックス動輪を装備し、テンダーが上部を継ぎ足されていた。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:B型(戦後:4時-11時郡山工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:長野工?1936年3月(新津庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 排気配管:後々 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:ボックス動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形変形 ナンバープレート:形式入(正面)以外形式無し その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.923 使用開始: 1927年1月26日 仙台局 改番: 1928年10月1日 38929→C51230 配置: 1931年1月31日 仙台庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 仙台庫→新津庫 移動: 1945年11月 現在 新津区→山形区 正確な時期不明 移動: 1950年2月 山形区→米沢区 配置: 1956年11月1日 米沢区 廃車: 1961年3月31日 米沢区 総裁達158
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51230デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※3 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
※4 全盛期の蒸気機関車写真集V隅野成一
C51 211〜220<<< >>>C51 231〜240 |
C51 231
新製配置は名古屋局、仙台、秋田、青森、仙台を経て1942年より青森で活躍する。1958年に廃車となる。
末期までスポーク動輪を装備し、テンダーが上部を継ぎ足されていた。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:B型(戦後:4時-11時30分郡山工) デフレクター:斜1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:郡山工1931年1月以前(配置表) 給水配管:ミ型 竪型 郡山工 排気配管:後々 竪型? ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.924 使用開始: 1927年1月27日 名古屋局 改番: 1928年10月1日 38930→C51231 配置: 1931年1月31日 仙台庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 仙台庫→秋田庫 移動: 1932年4月 秋田庫→青森庫 移動: 1934年11月 青森庫→仙台庫 移動: 1942年12月 仙台区→青森区 借入: 1954年2月1日 借入 秋田区 返却: 1954年3月 返却 青森区 廃車: 1958年7月1日 青森区 総裁達331
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51231デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集 |
C51 232
新製配置は仙台局、仙台、酒田、秋田を経て1945年より酒田で活躍する。1962年に廃車となる。
1955年にはボックス動輪を装備していた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:B型(戦後:4時-11時郡山工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:土崎工1934年3月(秋田庫 配置表) 給水配管:ミ型 竪型 郡山工 排気配管:後々 竪型? ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:ボックス動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.925 使用開始: 1927年1月29日 仙台局 改番: 1928年10月1日 38931→C51232 配置: 1931年1月31日 仙台庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 仙台庫→酒田庫 移動: 1932年9月 酒田庫→秋田庫 移動: 1945年11月 秋田区→酒田区 休車指定: 1962年5月14日 第一種休車指定 酒田区 廃車: 1962年10月26日 酒田区 総裁達518
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51232デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 私の蒸気機関車史下
※3 Rail No.120
※4 国鉄時代Vol.21
※5 RM LIBRARY 66 国鉄蒸気の装備とその表情(中) 西尾恵介 |
C51 233
新製配置は仙台局、仙台、青森、盛岡を経て1954年より旭川に移動する。以後小樽築港、岩見沢、苗穂を経て、1961年に廃車となる。
東北地方特有の給水温め器の配管を有していた。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分郡山工)→A’型(戦後:8時-11時30分、1時-2時) デフレクター:斜1934年4月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:郡山工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型 排気配管:前々 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大せず テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.926 使用開始: 1927年2月17日 仙台局 改番: 1928年10月1日 38932→C51233 配置: 1931年1月31日 仙台庫 移動: 1934年6月 仙台庫→青森庫 移動: 1934年11月 青森庫→仙台庫 配置: 1936年3月31日 仙台庫 その後 盛岡区に移動 時期不明 配置: 1938年4月30日 盛岡区 休車指定: 1954年5月1日 第一種休車指定 盛岡区 移動: 1954年7月 盛岡区→旭川区 移動: 1955年5月 旭川区→小樽築港区 配置: 1955年8月1日 小樽築港区 配置: 1956年12月31日 岩見沢区 配置: 1958年4月1日 岩見沢区 配置: 1959年4月1日 苗穂区 廃車: 1961年3月31日 苗穂区 総裁達158
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51233デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 北国の汽笛1(北海道の鉄道1956〜1959)星良助写真集
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※6 全盛期の蒸気機関車写真集6_藤田幸一
※7 蒸気の詩 北海道撮影社 |
C51 234
新製配置は仙台局、盛岡県で開催された陸軍特別大演習のお召列車を牽引している。仙台を経て1932年より青森で活躍する。1958年に廃車となる。
土崎工場管内特有の給水温め器を装備し、テンダーが上部を継ぎ足されていた。
写真 新製時:〇 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:B型(戦前戦後:4時-11時郡山工) デフレクター:本省型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:土崎工?1936年4月〜1938年4月(青森区 配置表) 給水配管:ミ型 竪型 土崎工 排気配管:前々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大せず テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.931 使用開始: 1927年3月20日 仙台局 改番: 1928年10月1日 38933→C51234 お召し牽引: 1928年10月 陸軍大演習(岩手県) 仙台庫 移動: 1932年12月 仙台庫→青森庫 廃車: 1958年7月1日 青森区 総裁達331
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51234デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※3 Rail No.120 |
C51 235
新製配置は東京局、宇都宮、平を経て1943年より室蘭で活躍する。1947年3月31日に室蘭本線小幌信号所近くの第二静狩トンネルでD5247と正面衝突し長万部駅構内に保管の後、1948年10月に廃車となる。
宇都宮時代の東鉄デフを有する標準的なC51であった。廃車後はボイラーが函館機関区で据付ボイラーとなる。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:? デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1934年8月(宇都宮庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左?、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大せず テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→? その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.932 使用開始: 1927年3月21日 東京局 改番: 1928年10月1日 38934→C51235 配置: 1931年1月31日 宇都宮庫 移動: 1943年3月 宇都宮区→平区 移動: 1943年9月16日 平区→室蘭区(函館揚陸 9/18 53便) 事故: 1947年3月31日 17:43頃、室蘭本線小幌(信)-静狩間 配置: 1947年9月1日 室蘭区 配置: 1947年12月1日 第一種休車 室蘭区 配置: 1948年4月1日 第一種休車継続中 室蘭区 廃車: 1948年 室蘭区 鉄作工3502号
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51235デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 Rail No.18 |
C51 236
新製配置は東京局、御召し専用機として宇都宮、尾久に配置していたが、1955年に御召し指定を解除され直江津に移動となる。以後標準的な改造が行われ、1962年に新潟で廃車となるまで活躍する。
末期はパイプ煙突、ボイラーをC51109のもの、テンダーをC5321のものに換装されるなど、形状の変化が大きかった。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:〇 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:B型(戦前~1955年:4時-11時大宮工)→A型(1955年以降ボイラー振替C51109:4時-11時30分、0時30分-2時) デフレクター:東鉄斜 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:長野工1955年C51109とボイラー振替 給水配管:=型 竪型 排気配管:後々 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大せず テンダー:8-20型→12-17(C5321) ナンバープレート:形式有→形式無し(新潟転属後) その他:宇都宮時代にデフの形状変更、新潟転属後C51109のボイラーに変更
車歴 製造: 汽車製造 No.933 使用開始: 1927年3月23日 東京局 改番: 1928年10月1日 38935→C51236 配置: 1931年1月31日 宇都宮庫 お召し列車牽引: 1944年12月 八王子区武蔵五日市支区(お召し機疎開)に一時に移動 移動: 1949年7月2日 宇都宮区→大宮区 移動: 1952年9月1日 大宮区→尾久区 移動: 1955年4月10日 尾久区→直江津区 達249号 移動: 1955年9月 直江津区→新潟区 配置: 1959年4月1日 新潟区 休車指定: 1962年5月19日 第一種休車指定 新潟区 廃車: 1962年10月26日 新潟区 総裁達518
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51236デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 ベビーパールの第二歩(吉川速男)
※3 雑誌SL No3 交友社
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※7 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※8 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※9 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※10 轣轆114
※11 蒸気の時代No.34
※12 機関車の系譜図4 臼井茂信
※13 RM LIBRARY 67 国鉄蒸気の装備とその表情(下) 西尾恵介
※14 鉄道ファンNo.15(1962-9)
※15 鉄道ファンNo.136(1972-8)
※16 蒸気機関車形式写真集U 小野治男 |
C51 237
新製配置は東京局、宇都宮、白河、小山、仙台、福島第一を経て1958年より豊岡機関区和田山支区で播但線で活躍する。1963年に廃車となる。
末期はパイプ煙突、テンダー換装など改造が施された。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:B型(戦前戦後:4時-11時30分大宮工) デフレクター:本省(低) 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 竪型→横型 大宮工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大せず テンダー:8-17台形→12-17 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:和田山転属のころにデフの形状変更
車歴 製造: 汽車製造 No.934 使用開始: 1927年3月28日 東京局 改番: 1928年10月1日 38936→C51237 配置: 1931年1月31日 宇都宮庫 移動: 1943年3月 宇都宮区→白河区 移動: 1943年9月 白河区→小山区 移動: 1945年11月13日 小山区→仙台区 達25号 移動: 1950年1月 仙台区→福島第一区 第一種休車指定 休車解除: 1950年3月 第一種休車指定解除 福島第一区 移動: 1958年5月4日 福島第一区→豊岡区和田山支区 達444号 廃車: 1963年2月1日 豊岡区 総裁達34
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51237デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 鉄道datafile 76
※3 盛岡機関区写真史
※4 蒸気機関車の記録T(昭和32〜38年)辻坂明浩
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※6 蒸気機関車No58
※7 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※8 国鉄時代Vol.5
※9 国鉄時代Vol.8
※10 鉄道青春時代―東北・常磐線
※11 写真集 陸蒸気30年
※12 走りつづけた蒸気機関車
※13 半世紀前に出会えた汽車たちとの思い出 小野康久
※14 鉄道ファンNo.240(1981-4) |
C51 238
新製配置は東京局、宇都宮、水戸、高崎を経て1945年に尻内へ、1950年より盛岡で活躍するが、1955年に廃車となる。
廃車が早く戦前に写した写真が少ない。東鉄デフ、テンダーのリベット位置より20立米タイプ、おそらくC52タイプのテンダーを付けていた。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:〇 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:B型(戦前:4時-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1938年8月(宇都宮区 配置表 ) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左?、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪:18本スポーク動輪 運転室: テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→? その他:一時期試験デフ装備
車歴 製造: 汽車製造 No.935 使用開始: 1927年3月27日 東京局 改番: 1928年10月1日 38937→C51238 配置: 1931年1月31日 宇都宮庫 故障: 1934年6月17日 左主蒸気管上部溶接箇所に約80mmにの亀裂発見 移動: 1943年5月 宇都宮区→水戸区 移動: 1943年9月 水戸区→高崎区 移動: 1945年11月10日 高崎第一区→尻内区 達25号 移動: 1950年1月 尻内区→盛岡区 第一種休車指定 確な時期不明 配置 休車中: 1950年8月1日 現在 第一種休車継続中 盛岡区 その後 第一種休車指定解除 時期不明 休車指定解除: 1954年3月1日 第一種休車指定 盛岡区 その後 第一種休車指定解除 時期不明 配置 休車中: 1955年1月1日 現在 第一種休車 盛岡区 廃車: 1955年3月14日 盛岡区 総裁達93
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51238デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。 |
C51 239
新製配置は東京局、御召し専用機として品川、新鶴見、大宮、尾久に配置していたが、1955年に御召し指定を解除され直江津に移動となる。以後標準的な改造が行われ、1962年に新津で廃車となるまで活躍する。お召列車牽引は104回に及び日本の蒸気機関車としては最多である。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時大宮工) デフレクター:東鉄型1934年10月以降 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:長野工1955年頃長野工場で装備 給水配管:T型 竪型 排気配管:後々 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:新潟時代に後窓拡張 テンダー:8-17台形→8-20型 ナンバープレート:形式有→形式無し(新潟転属後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.936 使用開始: 1927年4月19日 品川庫 改番: 1928年10月1日 38938→C51239 お召し列車牽引: 1928年11月6日 昭和天皇即位御大礼お召し列車牽引 東京-沼津間(東京発08:00 沼津着11:03) お召し列車牽引: 1928年11月27日 昭和天皇即位御大礼お召し列車牽引 沼津-東京間(沼津発12:27 東京着15:30) 試運転: 1930年7月3日 この年の10月ダイヤで登場する超特急「燕」号試運転列車を牽引 試運転: 1932年 1号編成完成試運転列車牽引 東京〜名古屋間(往復) お召し列車牽引: 1933年10月22日 天皇陛下北陸方面陸軍大演習行幸のお召し列車牽引 東京-沼津間 お召し列車牽引: 1934年11月10日 天皇陛下北関東陸軍大演習行幸のお召し列車牽引 上野-前橋間 移動: 1937年11月 品川区→新鶴見区 お召し列車牽引: 1939年9月 借入 沼津区 天皇陛下富士裾野陸軍大演習行幸のお召し列車牽引 沼津-御殿場間 お召し列車牽引: 1940年6月14日 多摩陵参拝御召列車牽引 原宿〜東浅川間(往路) お召し列車牽引: 1941年6月10日 多摩陵参拝御召列車牽引 原宿〜東浅川間(往路) お召し列車牽引: 1941年7月18日 陸軍士官学校卒業式御召列車牽引 原宿〜八王子間(往路) お召し列車牽引: 1941年7月18日 陸軍士官学校卒業式御召列車牽引 原町田〜八王子間(復路) お召し列車牽引: 1942年7月13日 第11連合航空隊行幸御召列車牽引 東京〜土浦間(往復) お召し列車牽引: 1946年3月28日 埼玉県行幸御召列車牽引 鴻巣〜川口間 原宿〜熊谷間 お召し列車牽引: 1946年6月6日 天皇陛下戦災復興視察千葉方面行幸お召し列車牽引 東京ー成田ー佐原ー銚子 お召し列車牽引: 1951年4月4日 両陛下群馬県全国植樹祭(第2回)行幸啓お召し列車牽引 原宿ー前橋ー原宿間 国旗掲揚および菊紋取付なし お召し列車牽引: 1951年6月22日 貞明皇太后御大葬お召し列車牽引 原宿(宮廷ホーム 13:50発)ー東浅川(仮)間(武蔵陵まで霊柩を運搬する最寄りの仮駅 14:50着) 廃車: 1962年10月26日 新潟区 総裁達518
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51239デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 お召列車100年
※3 雑誌SL No3 交友社
※4 私の蒸気機関車史下
※5 鉄道datafile 76
※6 沼津機関区百年史
※7 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※8 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※9 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※10 蒸気機関車写真集1鈴木武夫
※11 蒸気機関車No58
※12 鉄道ジャーナル1976年4月号
※13 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※14 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※15 栄光への蒸気機関車(毎日新聞社)
※16 鉄道ファンNo.30(1963-12)
※17 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※18 とれいん 増刊 日本の蒸機作品集
※19 Rail No.20
※20 Rail No.36
※21 国鉄時代Vol.21
※22 国鉄時代Vol.33
※23 蒸気機関車EX Vol.15
※24 蒸気機関車EX Vol.41
※25 日本蒸気機関車史 高木宏之
※26 轣轆114
※27 蒸気の時代No.7
※28 蒸気の時代No.34
※29 蒸気の時代No.45
※30 蒸気機関車写真名鑑
※31 日本の蒸気機関車 臼井茂信 西尾克三郎
※32 日本の鉄道100年 朝日新聞社
※33 機関車の系譜図4 臼井茂信
※34 新日本鉄道史 上 川上幸義
※35 鉄道ピクトリアルNo.250(1971-5)
※36 鉄道ファンNo.38(1964-8)
※37 鉄道ファンNo.42(1964-12)
※38 鉄道ファンNo.76(1967-10)
※39 鉄道ファンNo.110(1970-7)
※40 鉄道ファンNo.139(1972-11)
※41 鉄道ファンNo.140(1972-12)
※42 鉄道ファンNo.141(1973-1)
※43 鉄道ファンNo.143(1973-3)
※44 鉄道ファンNo.167(1975-3)
※45 鉄道ファンNo.188(1976-12)
※46 鉄道ファンNo.538(2006-2)
※47 Jtrain Vol.29(2008春)
※48 鉄道ファンNo.307(1986-11)
※49 鉄道ファンNo.404(1994-12) |
C51 240
新製配置は東京局、宇都宮、平、小山、福島を経て1958年より亀山で活躍する。さらに1964年9月に米子に転じて最後の活躍をする。1965年12月に廃車となる。
東鉄デフを有し、福島時代にボックス動輪に変更された。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:B型(戦後:4時-11時30分大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工 給水配管:T型 竪型→横型 大宮工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:18本スポーク動輪→ボックス動輪 運転室:延長有、後窓拡大せず テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.937 使用開始: 1927年4月20日 門司局 改番: 1928年10月1日 38939→C51240 配置: 1931年1月31日 宇都宮庫 借入: 1935年12月23日 借入 青森庫 返却: 1936年1月20日 返却 宇都宮庫 借入: 1936年1月20日 借入 奈良庫 返却: 1936年2月26日 返却 宇都宮庫 配置: 1936年3月31日 宇都宮庫 その後 平区に移動 時期不明 配置: 1938年4月30日 平区 移動: 1943年10月 平区→小山区 移動: 1945年11月9日 小山区→福島区 達25号 移動: 1949年3月 福島区→福島第一区(奥羽本線米沢電化により機関区分割のため) 配置: 1954年4月1日 福島第一区 移動: 1958年5月3日 福島第一区→亀山区 達444号 移動: 1964年9月17日 亀山区→米子区 廃車: 1965年12月17日 米子区 総裁達642
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51240デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※3 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※7 全盛期の蒸気機関車写真集4_八並国介
※8 蒸気機関車No58
※9 蒸気機関車の角度
※10 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※11 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※12 Rail No.67
※13 国鉄時代Vol.17
※14 ジュラ電からSL終焉まで
※15 蒸気の時代No.33
※16 蒸気の時代No.70
※17 蒸気の時代No.82
※18 蒸気機関車写真名鑑
※19 鉄道ピクトリアルNo.833(2010-5)
※20 鉄道ファンNo.55(1966-1)
C51 221〜230<<< >>>C51 241〜250 |
C51 241
新製配置は門司局、鳥栖、門司を経て1943年より宮崎で活躍する。1961年に廃車となる。
1955年頃にフロントデッキのスロープの直線化改造が行われている。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:鹿工 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1933年3月(鳥栖庫 配置表) 給水配管:T型 横型 排気配管:後々 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:原型 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し(戦後) その他:斜めフロントデッキ
車歴 製造: 三菱重工業 No.22 使用開始: 1927年3月23日 鳥栖庫 改番: 1928年10月1日 38940→C51241 配置: 1932年1月31日 鳥栖庫 移動: 1942年11月 鳥栖区→門司区 移動: 1943年9月 門司区→宮崎区 配置: 1949年6月1日 宮崎区 配置: 1949年10月1日 南延岡区 移動: 1950年9月30日 南延岡区→宮崎区 配置: 1956年11月1日 宮崎区 廃車: 1961年1月13日 宮崎区 総裁達415
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51241デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 九州の蒸気機関車 門司鉄道管理局
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※4 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※5 蒸気機関車No48
※6 鉄道ピクトリアル103(1960-2) |
C51 242
新製配置は門司局、鳥栖、門司を経て1945年頃より早岐で活躍する。1961年に廃車となる。
1953年頃に門鉄デフ取付、パイプ煙突、無リベットテンダーに改造されている。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:原型→A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:門鉄K-31934年4月以前 煙突:化粧煙突→裾有パイプ煙突 給水温め器:本省丸形:小倉工→本省丸新型(小倉工1959年までに換装)1931年1月以前(配置表) 給水配管:新型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型無効化 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓後方移動 テンダー:8-17台形リベット無し ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 三菱重工業 No.23 使用開始: 1927年3月26日 鳥栖庫 改番: 1928年10月1日 38941→C51242 配置: 1932年1月31日 鳥栖庫 移動: 1942年11月 鳥栖区→門司区 配置: 1944年3月31日 門司区 配置: 1945年12月1日 早岐区 改造: 1953年8月 小倉工場 門(小倉工式)デフ(K-7型)取付 廃車: 1961年2月15日 早岐区 総裁達64
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51242デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※4 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※5 門鉄デフ物語
※6 鉄道ファンNo.517(2004-5) |
C51 243
新製配置は門司局、鳥栖、門司を経て1943年より宮崎、1962年頃より吉松で活躍する。1963年に廃車となる。
1955年頃にフロントデッキのスロープの直線化改造が行われている。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:鹿工 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 横型 排気配管:後々 L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:原型 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:斜めフロントデッキ
車歴 製造: 三菱重工業 No.24 使用開始: 1927年3月29日 鳥栖庫 改番: 1928年10月1日 38942→C51243 移動: 1931年9月 鳥栖庫→熊本庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 熊本庫→鳥栖庫 移動: 1942年11月 鳥栖区→門司区 移動: 1943年9月 門司区→宮崎区 移動: 1962年2月27日 宮崎区→吉松区 廃車: 1963年8月5日 吉松 総裁達392
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51243デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 終戦直後の蒸気機関車
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※4 蒸気機関車68春
※5 蒸気機関車No48
※6 蒸気機関車No58
※7 蒸気の時代No.36 |
C51 244
新製配置は門司局、鳥栖、門司を経て1943年より宮崎で活躍する。1960年に廃車となる。
1955年頃にフロントデッキのスロープの直線化改造が行われている。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:鹿工斜1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1936年4月〜1938年4月(鳥栖区 配置表) 給水配管:=型 横型 排気配管:後々 L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:原型 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し(戦後) その他:斜めフロントデッキ、デフ前斜め切
車歴 製造: 三菱重工業 No.25 使用開始: 1927年3月29日 鳥栖庫 改番: 1928年10月1日 38943→C51244 配置: 1932年1月31日 鳥栖庫 借入: 1936年1月17日 借入 梅小路庫 返却: 1936年2月27日 返却 鳥栖庫 移動: 1942年11月 鳥栖区→門司区 移動: 1943年9月 門司区→宮崎区 貸渡: 1955年1月12日 宮崎区→熊本区 配置: 1955年2月1日 借入継続中 熊本区 返却日 不明 配置: 1955年8月1日 宮崎区 廃車: 1960年8月30日 宮崎区 総裁達496
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51244デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※3 蒸気の時代No.36 |
C51 245
新製配置は名古屋局、名古屋、浜松、金沢、名古屋を経て1955年より米子で活躍する。1961年に廃車となる。
戦前の一時期、東鉄型に類するデフレクターを装備していたが、1937年のお召牽引の際に撤去、のちに本省設計型を装備した。末期まで化粧煙突、スポーク動輪を保った。廃車後はテンダーを80に譲っている。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側(1934年頃右片側) 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:本省型1934年4月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1932年1月(名古屋庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 浜松工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復、振止付 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.938 使用開始: 1927年5月 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38944→C51245 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 お召し列車牽引: 1937年6月5日 皇太后陛下伊勢神宮行啓のお召し列車牽引 沼津-名古屋間 お召し列車牽引: 1937年7月7日 皇太后陛下伊勢神宮行啓のお召し列車牽引 名古屋-沼津間 移動: 1940年2月 名古屋区→浜松区 移動: 1940年8月 浜松区→金沢区 移動: 1944年9月 金沢区→米子区 移動: 1946年11月 米子区→名古屋区 休車指定: 1955年7月 第一種休車指定 名古屋区 移動: 1955年11月20日 第一種休車指定解除 名古屋区→米子区 達3号 休車指定: 1958年4月1日 第一種休車指定 米子区 休車指定解除: 1958年8月28日 第一種休車指定解除 米子区 廃車: 1961年2月15日 米子区 総裁達64
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51245デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 汽車半世紀
※3 蒸気機関車EX Vol.34
※4 蒸気機関車EX Vol.44
※5 九州鉄道の記憶W
※6 鉄道ファンNo.174(1975-10)
※7 鉄道ファンNo.340(1989-8)
※8 鉄道ファンNo.343(1989-11)
※9 鉄道ファンNo.345(1990-1)
※10 鉄道ファンNo.346(1990-2)
※11 鉄道ファンNo.350(1990-6) |
C51 246
新製配置は名古屋局、名古屋、稲沢、金沢、名古屋を経て1947年より直江津で活躍する。1959年に廃車となる。
名古屋庫時代の1927年頃に2本煙突に改装され10年ほど装備したが1938年頃に化粧煙突に復元された。その際に解放テコも旧式のものに変更されている。末期まで化粧煙突、スポーク動輪を保った。テンダーは当初から12-17型である。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側(1938年頃右片側) 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時浜松工) デフレクター:本省型1934年4月以前 煙突:2本煙突→化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1932年1月(名古屋庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復、振止付(戦後撤去) コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:原型→延長有、後窓拡大 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.939 使用開始: 1927年5月 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38945→C51246 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 移動: 1938年3月 名古屋区→稲沢区 移動: 1940年7月 稲沢区→金沢区 移動: 1944年9月 金沢区→名古屋区 移動: 1946年11月 名古屋区→稲沢区 移動: 1947年6月28日 稲沢区→直江津区 達391号 借入: 1958年3月12日 借入 酒田区 返却日 不明 廃車: 1959年2月21日 直江津区 総裁達50
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51246デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 鉄道ファンNo.30(1963-12)
※4 Rail No.36
※5 完ジュラ電からSL終焉まで
※6 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
※7 機関車の系譜図4 臼井茂信
※8 新日本鉄道史 上 川上幸義
※9 鉄道ピクトリアルNo.627(1996-7) |
C51 247
新製配置は東京局、沼津時代に特急燕専用機となる。平、宇都宮、水戸、尻内、盛岡を経て1955年より青森で活躍する。1958年に廃車となる。
末期まで化粧煙突、スポーク動輪を保った。
特急燕牽引時代は20立法テンダー、複式コンプレッサーを装備していたが、給水温め器は無かった。名古屋に配置されていたようで、煙室扉下の作業台がある。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1934年12月(平庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:原型→延長有、後窓拡大 テンダー:12-17型→C52タイプ(8-20型)→8-17台形 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.940 使用開始: 1927年5月 下関庫 移動: 1928年10月 下関庫→名古屋庫 改番: 1928年10月1日 38946→C51247 配置: 1930年10月31日 沼津庫 移動: 1934年12月 沼津庫→平庫 移動: 1939年4月 平区→宇都宮区 移動: 1943年5月 宇都宮区→水戸区 移動: 1945年11月17日 水戸区→尻内区 達25号 移動: 1950年1月 尻内区→盛岡区 休車指定: 1954年4月 第一種休車指定 盛岡区 休車指定解除: 1954年5月1日 第一種休車指定解除 盛岡区 休車指定: 1955年1月 第一種休車指定 盛岡区 移動: 1955年3月 第一種休車指定解除 盛岡区→青森区 廃車: 1958年7月1日 青森区 総裁達331
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51247デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 汽車半世紀
※3 雑誌SL No3 交友社
※4 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
※5 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※6 Rail No.23
※7 Rail No.36
※8 日本蒸気機関車史 高木宏之
※9 鉄道ファンNo.167(1975-3)
※10 Jtrain Vol.29(2008春)
※11 鉄道ファンNo.306(1986-10)
※12 学校教科フィルム「汽車の發達」(1930年頃)の冒頭より特急燕を牽引する機関車の映像が使用されている。 |
C51 248
新製配置は東京局、沼津時代に特急燕専用機となる。平、長岡、秋田、酒田、横手を経て1950年より米沢で活躍する。1959年に廃車となる。
写真は特急燕を牽引下沼津庫時代のものしかなく、末期の形状は不明である。特急燕牽引時代、複式コンプレッサーと給水温め器を同時に装備して唯一の機である。米沢機関区時代の写真は前側からのものが1枚存在するが不鮮明である。リベットの位置より20立方テンダーを装備しているようである。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時大宮工) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型 浜松工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:C52タイプ(8-20型) ナンバープレート:形式有(戦前) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.941 使用開始: 1927年5月 下関庫 移動: 1928年10月 下関庫→沼津庫 改番: 1928年10月1日 38947→C51248 移動: 1934年12月 沼津庫→平庫 移動: 1942年1月22日 平区→長岡区 移動: 1943年9月 長岡区→秋田区 移動: 1945年11月 秋田区→横手区 移動: 1950年2月 横手区→米沢区 廃車: 1959年3月4日 米沢区 総裁達57
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51248デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 汽車半世紀
※3 雑誌SL No3 交友社
※4 私の蒸気機関車史下
※5 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
※6 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
※7 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
※8 Rail No.23
※9 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集X
※10 新日本鉄道史 上 川上幸義
※11 Jtrain Vol.29(2008春)
※12 鉄道ファンNo.306(1986-10)
※13 鉄道ファンNo.345(1990-1)
※14 学校教科フィルム「汽車の發達」(1930年頃)の冒頭より特急燕を牽引する機関車の映像が使用されている。 |
C51 249
新製配置は東京局、沼津時代に特急燕専用機となるが早々解除となり高崎に移動する。以後宇都宮、平、長岡、横手を経て1950年より新潟に移動、1962年に廃車となる。
末期はパイプ煙突に改造された。運転室前窓と後窓の間隔が離れていた。特急燕牽引時代の写真は少ないが、20立法テンダーを装備し、給水温め器を持たないC51247に近い形状である。ただし、煙室扉下の作業台を持たない。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:D’型(戦後) デフレクター:東鉄型 煙突:化粧煙突→裾有パイプ煙突 給水温め器:本省丸型:大宮工1933年5月(高崎庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 大宮工 排気配管:後々 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓後方移動 テンダー:8-17台形 ナンバープレート:形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.942 使用開始: 1927年5月 下関庫 改番: 1928年10月1日 38948→C51249 移動: 1928年12月 下関庫→鳥栖庫 移動: 1930年9月 鳥栖庫→沼津庫 移動: 1932年3月 沼津庫→高崎庫 移動: 1935年8月16日 高崎庫→宇都宮庫 事故: 1935年8月16日 時刻不明、高崎線吹上駅 移動: 1936年3月 〜1938年4月 宇都宮庫→平区 移動: 1942年1月19日 平区→長岡区 移動: 1945年11月 長岡区→酒田区 移動: 1946年11月 酒田区→横手区 配置: 1949年11月1日 横手区 配置 休車中: 1950年4月1日 現在 特別休車 横手区 移動: 1950年9月29日 特別休車指定解除 横手区→新潟区 借入: 1953年9月17日 借入 奈良区 返却日 不明 配置: 1954年4月1日 新潟区 配置: 1958年4月1日 新潟区 休車指定: 1962年6月11日 第一種休車指定 新潟区 廃車: 1962年10月26日 新潟区 総裁達518
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51249デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車写真集山下節夫
※6 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※7 Rail No.23
※8 国鉄時代Vol.21
※9 蒸気の時代No.34
※10 蒸気の時代No.45
※11 日本の鉄道100年 朝日新聞社
※12 MIXED TRAIN 慶応義塾大学鉄道研究会 50周年記念写真集
※13 Jtrain Vol.29(2008春)
※14 学校教科フィルム「汽車の發達」(1930年頃)の冒頭より特急燕を牽引する機関車の映像が使用されている。 |
C51 250
新製配置は門司局、鳥栖、早岐を経て1953年より長崎で活躍する。1962年に早岐に移り1963年に廃車となる。
末期はパイプ煙突に改造されていた。運転室は後部に延長されていたが、公式側の後窓は後方移動、非公式側は拡張と窓の大きさが左右異なる。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:本省(蝶)1936年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有パイプ煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1933年3月(鳥栖庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型→L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、公式側は後窓後方移動、非公式側は後窓拡張 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.943 使用開始: 1927年5月 下関庫 改番: 1928年10月1日 38949→C51250 移動: 1928年12月 下関庫→鳥栖庫 お召し列車牽引: 1935年11月10日 南九州方面陸軍大演習行幸 鹿児島-都城間 移動: 1942年9月 鳥栖区→早岐区 移動: 1953年8月 早岐区→長崎区 移動: 1961年10月 長崎区→早岐区 配置 休車中: 1963年4月1日 現在 第一種休車 早岐区 廃車: 1963年10月3日 長崎区 総裁達512
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51250デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 九州の蒸気機関車 門司鉄道管理局
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 全盛期の蒸気機関車写真集4_八並国介
※6 栄光への蒸気機関車(毎日新聞社)
※7 国鉄時代Vol.54
※8 蒸気の時代No.36
※9 新日本鉄道史 下 川上幸義
※10 蒸気の時代No.90
C51 231〜240<<< >>>C51 251〜260 |
C51 251
新製配置は門司局、鳥栖を経て1942年より早岐で活躍する。1963年に本線業務を終了後、鳥栖機関区にて据え付けボイラーとなる。廃車は1966年2月とC51型では最も遅い廃車となる。
12-17テンダーをはじめから装備し、末期はパイプ煙突になっていた。運転室は拡張されず原型を保っているっが、公式側のみ後窓を後方に移動していた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:本省(蝶)1936年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有パイプ煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1933年3月(鳥栖庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型→L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:原型、公式側のみ後窓後方移動拡張 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.948 使用開始: 1927年6月 下関庫 改番: 1928年10月1日 38950→C51251 移動: 1928年12月 下関庫→鳥栖庫 移動: 1942年9月 鳥栖区→早岐区 移動: 1953年8月 早岐区→長崎区 重油併燃装置取付済 移動: 1961年10月 長崎区→早岐区 配置 休車中: 1964年4月1日 現在 第一種休車 鳥栖区 運転用以外使用(据付ボイラー代用)車 配置 休車中: 1965年3月31日 現在 第一種休車継続中 鳥栖区 廃車: 1966年2月23日 鳥栖区 総裁達198
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51251デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車21 九州のパシフィック編
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※4 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※5 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※6 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
※7 国鉄時代Vol.54
※8 蒸気の時代No.36
※9 鉄道ファンNo.55(1966-1) |
C51 252
新製配置は門司局、鳥栖を経て1942年より早岐で活躍する。廃車は1961年。
1935年陸軍特別大演習の際にお召しを牽引している。12-17テンダーをはじめから装備し、末期はパイプ煙突になっていた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有パイプ煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工→本省丸新型(小倉工1960年までに換装)1933年3月(鳥栖庫 配置表) 給水配管:=型→新型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型→無効化 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:拡張、後窓移動拡張 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.949 使用開始: 1927年6月 下関庫 改番: 1928年10月1日 38951→C51252 移動: 1928年12月 下関庫→鳥栖庫 移動: 1942年8月 鳥栖区→早岐区 廃車: 1961年2月14日 早岐区 総裁達62
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51252デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 九州の鉄道の歩み(鉄道100周年)九州総局
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※4 Rail No.114 |
C51 253
新製配置は門司局、鳥栖を経て1942年より早岐で活躍する。1961年に廃車となる。
12-17テンダーをはじめから装備し、1953年頃に門鉄デフ、重油併燃タンクが取り付けられる。1960年頃に重油タンクを撤去、LP403を装備するが間もなく廃車となる。末期まで化粧煙突、スポーク動輪を装備していた。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:〇 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時小倉工) デフレクター:門鉄K-31935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工→本省丸新型(小倉工1959年までに換装)1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型→新型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型無効化 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:原型、公式側のみ後窓後方移動拡張 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.950 使用開始: 1927年6月 下関庫 改番: 1928年10月1日 38952→C51253 移動: 1928年12月 下関庫→鳥栖庫 移動: 1942年8月 鳥栖区→早岐区 改造: 1953年8月 小倉工場 門(小倉工式)デフ(K-7型)・重油併燃装置取付 移動: 1953年9月 〜1954年4月 早岐区→長崎区 廃車: 1961年2月14日 長崎区 総裁達62
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51253デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※3 全盛期の蒸気機関車写真集4_八並国介
※4 門鉄デフ物語
※5 九州鉄道の記憶X
※6 RM LIBRARY 65 国鉄蒸気の装備とその表情(上) 西尾恵介
※7 鉄道ファンNo.108(1970-5)
※8 鉄道ファンNo.517(2004-5) |
C51 254
新製配置は神戸局、亀山、梅小路、亀山、米子を経て1950年より奈良で活躍する。1962年に廃車となる。1951年11月20日にお召しを牽引している。
12-17テンダーを最初から、大鉄デフを1936年頃、給水温め器を1938年頃より装備した。末期まで化粧煙突、スポーク動輪をであった。廃車後テンダーをC5199に譲っている。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1936年4月〜1938年4月(亀山区 配置表) 給水配管:=型 竪型→横型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:拡張、後窓移動拡張 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.951 使用開始: 1927年6月 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38953→C51254 配置: 1931年1月31日 亀山庫 借入: 1935年10月 借入 門司局管内 借入: 1946年5月23日 借入 梅小路区 返却: 1947年1月1日 返却 亀山区 移動: 1948年6月 亀山区→米子区 移動: 1949年 〜1950年4月 米子区→奈良区 お召し列車牽引: 1951年11月20日 天皇陛下戦災復興視察関西(京滋奈三)方面巡幸お召し列車牽引 奈良ー亀山間 映画出演: 1952年7月 東映「暴力」に出演 移動: 1962年4月1日 奈良区→亀山区 廃車: 1962年11月20日 奈良区 総裁達560
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51254デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 終戦直後の蒸気機関車
※3 蒸気機関車の記録T(昭和32〜38年)辻坂明浩
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※5 蒸気機関車No58
※6 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※7 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※8 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※9 Rail No.118
※10 蒸気機関車EX Vol.36
※11 蒸気の時代No.25
※12 蒸気の時代No.82
※13 日本の蒸気機関車 臼井茂信 西尾克三郎
※14 RM LIBRARY 65 国鉄蒸気の装備とその表情(上) 西尾恵介
※15 蒸気機関車形式写真集U 小野治男 |
C51 255
新製配置は神戸局、梅小路を経て1931年より亀山に配置となります。1962年に廃車となります。
12-17テンダーをはじめから装備、末期まで化粧煙突、スポーク動輪を維持した。1954年11月7日のお召し列車の先導列車を牽引し、その際にデフレクターに装飾が施された。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1936年4月〜1938年4月(亀山区 配置表) 給水配管:=型 竪型→横型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:拡張、後窓移動拡張 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.952 使用開始: 1927年6月 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38954→C51255 配置: 1931年1月31日 梅小路庫 移動: 1931年10月 梅小路庫→亀山庫 お召し列車牽引: 1954年11月 皇后陛下日本赤十字社総会ご臨席のお召し列車予備機 貸渡: 1958年12月28日 亀山区→浜田区 返却: 1959年2月24日 浜田区→亀山区 配置 休車中: 1962年4月1日 現在 第二種休車 亀山区 廃車: 1962年6月13日 亀山 総裁達264
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51255デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 阪神間鉄道回顧録
※3 雑誌SL No3 交友社
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※7 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
※8 蒸気機関車No58
※9 高橋 弘作品集 蒸気機関車 その良き時代
※10 国鉄時代Vol.33
※11 国鉄時代Vol.52
※12 蒸気の時代No.33
※13 蒸気の時代No.82
※14 蒸気機関車形式写真集U 小野治男 |
C51 256
新製配置は神戸局、山田、奈良を経て、1951年11月にはお召し予備機となる。1952年より梅小路で活躍し、1962年に廃車となりました。
12-17テンダーをはじめから装備し、正面は形式入りプレート、最後までスポーク動輪でした。1955年〜1957年にパイプ煙突になってしまったのは残念でした。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有パイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 竪型→横型 浜松工 排気配管:後々 竪型→無効化 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:原型 テンダー:12-17型 ナンバープレート:正面を残し形式なし その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.953 使用開始: 1927年7月 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38955→C51256 配置: 1931年1月31日 吹田庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 吹田庫→山田庫 移動: 1944年9月 山田区→奈良区 事故: 1946年10月20日 19:30頃、奈良線宇治駅3番線 配置: 1948年4月1日 奈良区 移動: 1952年1月11日 奈良区→梅小路区 達14号 配置: 1957年11月1日 梅小路区 廃車: 1962年3月31日 梅小路区 総裁達137
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51256デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集1鈴木武夫
※3 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※4 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※5 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※6 高橋 弘作品集 蒸気機関車 その良き時代
※7 とれいん 増刊 日本の蒸機作品集
※8 Rail No.36
※9 国鉄時代Vol.20
※10 蒸気機関車EX Vol.41
※11 蒸気の時代No.46 |
C51 257
新製配置は神戸局、吹田、梅小路、明石、宮原を経て、1939年より大里、鹿児島、宮崎など九州で活躍し1961年に廃車となりました。
12-17テンダーをはじめから装備し、化粧煙突、スポーク動輪を最後まで維持しました。デフレクターは1935年頃に関西方面にいたため大鉄型を装備しましたが、鹿児島工場管内で1955年〜1960年にかけて実施したフロン部分の直線化改造を受け、デフレクターも変わっていんます。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:鹿工1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1933年2月(明石庫 配置表) 給水配管:=型 竪型→横型 鷹取工 排気配管:後々 竪型→L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.954 使用開始: 1927年7月 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38956→C51257 配置: 1931年1月31日 吹田庫 移動: 1931年11月 〜1932年1月 吹田庫→梅小路庫 移動: 1932年12月 梅小路庫→明石庫 事故: 1932年12月19日 08:03頃、東海道本線京都駅 移動: 1934年7月 明石庫→宮原庫 移動: 1939年11月2日 宮原区→大里区 移動: 1942年1月 大里区→鹿児島区 移動: 1945年11月 鹿児島区→宮崎区 事故: 1952年5月29日 12:36頃、日豊本線竜ヶ水-鹿児島間 廃車: 1961年2月15日 宮崎区 総裁達64
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51257デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※3 蒸気の時代No.90 |
C51 258
新製配置は神戸局、なぜか258、259の製造番号は270の直前である。梅小路、姫路を経て、1939年より大里、鹿児島、宮崎と九州で活躍する。最後は吉松で1962年に廃車となる。
フロントは直線化改造されているが、1953年に日豊本線北俣駅にて転落事故の時の写真は改造前であった。形態として12-17テンダーをはじめから装備し、スポーク動輪を最後まで維持したが、パイプ煙突になっている。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄→鹿工1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有パイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 竪型→横型 鷹取工 排気配管:後々 竪型→無効化 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式有(戦前)→正面のみ形式有り他形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.972 使用開始: 1927年7月 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38957→C51258 配置: 1930年8月31日 梅小路庫 移動: 1938年8月 梅小路区→姫路区 移動: 1939年4月 姫路区→梅小路区 移動: 1939年11月2日 梅小路区→大里区 移動: 1942年4月20日 大里区→鹿児島区 移動: 1948年2月19日 鹿児島区→(検査入場:小倉工場)宮崎区 甲修繕: 1951年4月12日 鹿児島工場 事故: 1953年11月29日 19:28頃、日豊本線北俣駅 臨時修繕: 1954年1月14日 鹿児島工場 甲修繕: 1954年7月17日 鹿児島工場 甲修繕: 1958年6月21日 鹿児島工場 丙修繕: 1959年2月26日 鹿児島工場 臨修(缶性能試験): 1960年1月20日 鹿児島工場 丙修繕: 1961年1月14日 鹿児島工場 乙修繕: 1961年10月20日 鹿児島工場 移動: 1961年12月19日 宮崎区→吉松区 第2種休車: 1962年6月21日 吉松 廃車: 1962年10月26日 宮崎区 総裁達518
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51258デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 お召列車100年
※3 雑誌SL No3 交友社
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※5 蒸気機関車EX Vol.41
※6 九州鉄道の記憶W
※7 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T |
C51 259
新製配置は神戸局、なぜか258、259の製造番号は270の直前である。梅小路時代の1932年大阪府下、1933年に北陸方面へのお召列車を牽引している。1941年3月26日の塚本駅構内の3重衝突事故に巻き込まれ破損している。復旧の際にはテンダー、運転室をC57タイプのものに、デフレクターを本省型のものを新製して取付けている。福知山を経て、1943年より米子で活躍する。1947年11月29日には再度お召しを牽引している。1964年1月に廃車となる。
C57タイプの運転室とテンダーを装備しているのが特徴的である。1958年頃パイプ煙突、重油併燃装置を取り付けた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時鷹取工) デフレクター:大鉄→本省1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工→本省丸新型(後藤工1957年以前)1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 竪型→横型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:原型→C57タイプ テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.973 使用開始: 1927年7月 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38958→C51259 配置: 1930年8月31日 梅小路庫 特急燕上り初列車牽引: 1930年10月1日 梅小路区 お召し列車牽引: 1932年11月15日 天皇陛下奈良県・大阪府下陸軍特別大演習行幸のお召し列車牽引 桃山-大阪間 お召し列車牽引: 1933年10月22日 天皇陛下北陸方面陸軍大演習行幸のお召し列車牽引 米原-京都間 事故: 1937年1月15日 07:16頃、東海道本線野洲-守山間 事故: 1941年3月26日 21:51頃、東海道本線塚本-神崎間 復旧: 1961年10月 鷹取工場にて運転室、炭水車を新製 移動: 1942年1月 梅小路区→福知山区 移動: 1943年3月 福知山区→米子区 配置: 1948年4月1日 米子区 配置: 1948年7月1日 米子区出雲今市支区 配置: 1949年3月1日 米子区出雲今市支区 配置: 1950年4月1日 米子区 配置: 1954年4月1日 米子区 移動: 1958年9月 米子区→浜田区 重油併燃装置・パイプ煙突取付済 移動: 1961年10月 浜田区→米子区 回転式火粉止め取付 休車指定: 1963年6月15日 現在 第一種休車 米子区 廃車: 1964年1月8日 米子区 総裁達3
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51259デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 終戦直後の蒸気機関車
※4 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※6 全盛期の蒸気機関車写真集V隅野成一
※7 蒸気機関車No58
※8 鉄道ジャーナル1976年4月号
※9 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※10 鉄道ピクトリアル89(1958-12)
※11 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※12 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※13 Rail No.118
※14 蒸気機関車EX Vol.41
※15 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集U |
C51 260
新製配置は仙台局、青森、秋田、横手、秋田を経て、19353より福知山、豊岡機関区和田山支区と関西方面で活躍する。1930年頃にC51261とともに羽越線での超特急の試運転に使用され、1947年には横手区でお召し列車を牽引する。最後は米子でC51最末期の1965年に廃車となる。
8-20テンダーをはじめから装備し、スポーク動輪を維持したが、1957年ころに鷹取工場で全般検査の際にパイプ煙突、汽笛をドーム横、缶逆止弁が新型に改造されている。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:本省型 煙突:化粧煙突→裾有パイプ煙突 給水温め器:本省丸型:土崎工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型→横型 排気配管:前後 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-20型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.955 使用開始: 1927年8月 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38959→C51260 配置: 1931年1月31日 青森庫 移動: 1932年2月 青森庫→秋田庫 配置: 1944年3月31日 秋田区 配置: 1945年12月1日 横手区 御召牽引: 1947年8月14日 秋田⇔湯沢 移動: 1950年3月1日 横手区→秋田区 移動: 1953年5月16日 秋田区→福知山区 移動: 1958年5月 福知山区→豊岡区和田山支区 移動: 1961年2月 豊岡区和田山支区→米子区 全般検査: 1961年8月 後藤工場 タンク下に36-8-1 GTと標記あり 廃車: 1965年2月12日 米子区 総裁達78
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51260デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車...健坊と語る:小田島肇
※3 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※7 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
※8 蒸気機関車68春
※9 記録写真蒸気機関車T
※10 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※11 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※13 Rail No.67
※14 Rail No.120
※15 蒸気の時代No.7
※16 蒸気の時代No.25
※17 蒸気の時代No.52
※18 蒸気の時代No.63
C51 241〜250<<< >>>C51 261〜270 |
C51 261
新製配置は仙台局、青森、秋田、大館、新津を経て、1953より長崎、鹿児島、長崎と九州で活躍する。最後は早岐で1959年に廃車となる。
1930年に羽越線、奥羽本線での超特急の試運転に使用された。
8-20テンダーをはじめから装備し、スポーク動輪を維持したが、1956年頃に門鉄デフを装備、パイプ煙突になっている。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時)→B型(戦前戦後:4時-11時30分土崎工) デフレクター:本省型→門鉄K-71936年3月以前 煙突:化粧煙突→裾有パイプ煙突 給水温め器:本省丸形:土崎工→本省丸新型(小倉工1958年までに換装)1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型 竪型 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-20型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.956 使用開始: 1927年8月 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38960→C51261 配置: 1931年1月31日 青森庫 移動: 1932年3月 青森庫→秋田庫 移動: 1932年7月 秋田庫→仙台庫 移動: 1945年11月 秋田区→福島区 移動: 1946年11月 福島区→大館区 移動: 1949年9月21日 大館区→新津区 借入: 1953年7月26日 借入 長崎区 返却せず 移動: 1954年2月1日 新津区→鹿児島区 借入: 1954年3月 借入 長崎区 返却せず 移動: 1954年9月16日 鹿児島区→長崎区 配置: 1955年8月1日 長崎区 配置: 1956年1月 早岐区 小倉工場 門(小倉工式)デフ(K-7型)取付 配置: 1957年11月1日 長崎区 配置: 1958年4月1日 長崎区 配置: 1959年4月1日 早岐区 廃車: 1959年11月27日 早岐区 総裁達629
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51261デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 Rail No.120
※3 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
※4 蒸気の時代No.7 |
C51 262
新製配置は仙台局、青森、秋田、横手を経て、1950年より秋田で活躍する。最後は米沢で1961年に廃車となる。
8-20テンダーをはじめから装備し、末期はボックス動輪を装備した。1947年8月にお召し先行列車を牽引する。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:土崎工1931年1月以前(配置表) 給水配管:ミ型 竪型 排気配管:前後 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪→ボックス動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-20型 ナンバープレート:形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.957 使用開始: 1927年8月 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38961→C51262 配置: 1931年1月31日 青森庫 移動: 1932年4月 青森庫→秋田庫 移動: 1945年11月 秋田区→横手区 御召先行列車: 1947年8月14日 秋田⇔湯沢 移動: 1950年3月3日 横手区→秋田区 事故: 1954年1月27日 01:08頃、羽越本線小岩川駅 配置 休車中: 1955年8月1日 現在 第一種休車 秋田区 配置: 1958年4月1日 秋田区 配置: 1959年4月1日 米沢区 廃車: 1961年1月13日 米沢区 総裁達415
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51262デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 山形の鉄道情景―松木壽雄写真集 昭和30~40年代〈上〉
※3 蒸気機関車...健坊と語る:小田島肇
※4 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※6 完ジュラ電からSL終焉まで
※7 蒸気の時代No.68 |
C51 263
新製配置は名古屋局、1928年11月6日に昭和天皇即位御大礼お召し列車を沼津-浜松間で牽引する。浜松、名古屋、静岡、金沢、青森を経て、1943年より福島で活躍する。1958年に廃車となる。
8-20テンダーをはじめから装備し、戦前浜松工場整備の形状である。末期までスポーク動輪、化粧煙突を装備したと考えられる。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1935年1月(名古屋庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復、振止付 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-20型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.958 使用開始: 1927年8月 浜松庫 改番: 1928年10月1日 38962→C51263 お召し列車牽引: 1928年11月6日 昭和天皇即位御大礼お召し列車牽引 沼津-浜松間(沼津発11:09 浜松着13:31) お召し列車牽引: 1928年11月27日 昭和天皇即位御大礼お召し列車牽引 浜松-沼津間(浜松発10:00 沼津着12:21) 移動: 1931年11月 浜松庫→名古屋庫 1931年11月〜1932年1月 移動: 1940年2月 名古屋区→静岡区 移動: 1940年8月 静岡区→金沢区 移動: 1942年11月15日 金沢区→青森区 移動: 1943年2月26日 青森区→福島区 移動: 1949年3月 福島区→福島第一区 配置: 1954年4月1日 福島第一区 廃車: 1958年9月2日 福島第一区 総裁達420
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51263デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 SLと共に
※3 汽車半世紀
※4 蒸気機関車EX Vol.41
※5 鉄道ファンNo.244(1981-8)
※6 鉄道ファンNo.307(1986-11) |
C51 264
新製配置は名古屋局、浜松、名古屋、静岡、金沢、長岡、奈良を経て、1951年より梅小路に配属となり1962年まで活躍する。
8-20テンダーをはじめから装備し、最後までスポーク動輪、化粧煙突を維持する。265とは兄弟機で、配置も似ているが、給水温め器の配管に違いが見られる。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前:4時-11時30分、0時30分-2時新製時)→A’型(戦後:8時-11時30分、1時-2時) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1931年2月(浜松庫 配置表) 給水配管:=型 横型 浜松工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復、振止付 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-20型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.959 使用開始: 1927年9月 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38963→C51264 配置: 1931年1月31日 浜松庫 移動: 1931年10月 浜松庫→名古屋庫 移動: 1931年12月 〜1932年1月 名古屋庫→浜松庫 移動: 1933年4月 浜松庫→名古屋庫 移動: 1940年2月 名古屋区→静岡区 移動: 1940年9月 静岡区→金沢区 移動: 1942年9月25日 金沢区→長岡区 事故: 1942年11月23日 長岡区にて事故被災 移動: 1944年9月21日 長岡区→奈良区 達791号 移動: 1951年7月11日 奈良区→梅小路区 達345号 配置: 1957年11月1日 梅小路区 廃車: 1962年6月13日 梅小路区 総裁達264
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51264デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※3 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※4 蒸気機関車No58
※5 蒸気機関車の角度
※6 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※7 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※8 高橋 弘作品集 蒸気機関車 その良き時代
※9 国鉄時代Vol.5
※10 国鉄時代Vol.21
※11 国鉄時代Vol.32
※12 完ジュラ電からSL終焉まで
※13 記憶の鐵路300景岩沙克次
※14 蒸気の時代No.46
※15 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T
※16 タイムスリップ 東海道本線
※17 思い出す日本の鉄道 国鉄編 Gordon Davis
※18 鉄道ファンNo.155(1974-3)
※19 蒸気機関車形式写真集U 小野治男
※20 蒸気の時代No.89 |
C51 265
新製配置は名古屋局と考えられるが、新潟方面に配属されている可能性あり、浜松、名古屋、稲沢、名古屋、金沢、奈良を経て、1951年より梅小路に配属となる。1962年に廃車となる。
8-20テンダーをはじめから装備し、最後までスポーク動輪、化粧煙突を装備した。264は兄弟機であるが、給水温め器配管に違いが見られる。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1935年1月(名古屋庫 配置表) 給水配管:T型 竪型→横型 浜松工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復、振止付(1955年頃に撤去) コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-20型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.960 使用開始: 1927年9月 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38964→C51265 御召牽引: 1930年5月28日 〜6月1日 静岡県行幸 配置: 1931年1月31日 浜松庫 移動: 1931年10月 浜松庫→名古屋庫 移動: 1938年3月 名古屋区→稲沢区 移動: 1939年11月 稲沢区→名古屋区 移動: 1940年9月 名古屋区→金沢区 移動: 1945年11月21日 金沢区→奈良区 達25号 移動: 1951年7月11日 奈良区→梅小路区 達345号 廃車: 1962年2月28日 梅小路区 総裁達74
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51265デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※6 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
※7 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※8 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※9 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※10 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※11 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
※12 国鉄時代Vol.21
※13 蒸気機関車EX Vol.41
※14 蒸気の時代No.46
※15 世界の鉄道 別冊 明治・大正・昭和 蒸気機関車100年 朝日新聞社
※16 鉄道ファンNo.93(1969-3)
※17 蒸気の時代No.89 |
C51 266
新製配置は名古屋局、浜松、名古屋、稲沢と中京圏で活躍、1947年に旭川、小樽築港と北海道に移動、1952年より新潟に移動し活躍する。1962年に廃車となる。
三菱製であり、汽車製である265とは製造所が異なるため当初は12-17テンダーを装備していたと思われるが、写真のある新潟時代は8-20テンダーである。最後までスポーク動輪、化粧煙突を維持するが、デフが特殊で、この種類のデフは他に60、61、137,が装備していた。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:名鉄型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1935年1月(名古屋庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 浜松工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復、振止付(?戦前、戦後なし) コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:8-20型 ナンバープレート:形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 三菱重工業 No.26 使用開始: 1927年11月10日 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38965→C51266 配置: 1931年1月31日 浜松庫 配置: 1931年10月31日 浜松庫 配置: 1932年1月31日 名古屋庫 移動: 1938年3月 名古屋区→稲沢区 移動: 1939年10月 稲沢区→旭川区(函館揚陸 10/29) 配置: 1947年9月1日 旭川区 配置: 1948年2月1日 小樽築港区 配置 休車中: 1949年11月1日 現在 第一種休車 小樽築港区 配置 休車中: 1950年4月1日 現在 第一種休車継続中 小樽築港区 移動: 1952年9月15日 小樽築港区→新潟区 達647号 休車指定: 1958年3月7日 第一種休車指定 新潟区 休車指定: 1959年3月4日 第一種休車指定 新潟区 配置 休車中: 1959年4月1日 第一種休車継続中 新潟区 配置: 1960年4月1日 新潟区 休車指定: 1962年5月1日 第一種休車指定 新潟区 廃車: 1962年10月26日 新潟区 総裁達518
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51266デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※4 蒸気機関車写真集山下節夫
※5 全盛期の蒸気機関車写真集U(三竿喜正)
※6 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※7 鉄道ジャーナル1976年4月号
※8 国鉄時代Vol.21
※9 蒸気機関車EX Vol.45
※10 蒸気の時代No.34
※11 なつかしい蒸気機関車 田沢義郎
※12 日本の蒸気機関車 植松宏嘉 田沢義郎 鉄道写真集
※13 鉄道ファンNo.15(1962-9) |
C51 267
新製配置は神戸局、明石、宮原、梅小路、福知山を経て、1943年より豊岡で活躍する。1961年に米子に移動し翌年に廃車となる。
12-17テンダーをはじめから装備し、最後までスポーク動輪を維持するが、末期はパイプ煙突であった。1930年ころの写真では、すでに給水温め器を装備しており、最も早い時期に装備した1両となる。末期は新タイプの給水温め器に変更されていた。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工→本省丸新型(後藤工1959年以前)1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型→新型 横型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 三菱重工業 No.27 使用開始: 1927年11月24日 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38966→C51267 配置: 1930年8月31日 明石庫 移動: 1934年7月 明石庫→宮原庫 配置: 1935年5月31日 宮原庫 配置: 1935年7月31日 梅小路庫 移動: 1942年1月 梅小路区→福知山区 移動: 1943年8月 福知山区→豊岡区 移動: 1945年8月 豊岡区→豊岡区和田山支区 配置: 1951年3月1日 豊岡区和田山支区 借入: 1951年9月13日 借入 新津区(着 9/15) 移動: 1961年2月 豊岡区和田山支区→米子区 廃車: 1962年2月28日 米子区 総裁達74
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51267デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 阪神間鉄道回顧録
※3 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
※4 明石機関庫記念写真
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※6 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※7 国鉄時代Vol.22
※8 蒸気の時代No.46
※9 蒸気の時代No.78
※10 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集U
※11 蒸気機関車形式写真集U 小野治男 |
C51 268
1927年に三菱重工業で製造されました。新製配置は神戸局、明石、宮原、梅小路、福知山を経て、1943年より豊岡で活躍します。最後は播但線用にとして使用され、1962年に廃車となります。C53型と同じ12-17型テンダーをはじめから装備し、最後までスポーク動輪を維持してましたが、パイプ煙突になったのは残念です。デフは取り付け当初は前後に長かったのですが、戦後短くなっています。給水温め器の装備は遅く1938年に装着されました。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1936年4月〜1938年4月(梅小路区 配置表) 給水配管:=型 横型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 三菱重工業 No.28 使用開始: 1927年11月24日 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38967→C51268 配置: 1930年8月31日 明石庫 移動: 1934年7月 明石庫→宮原庫 配置: 1935年5月31日 宮原庫 配置: 1935年7月31日 梅小路庫 移動: 1942年10月 梅小路区→福知山区 移動: 1943年9月 福知山区→豊岡区 移動: 1945年8月 豊岡区→豊岡区和田山支区 廃車: 1962年2月28日 豊岡区 総裁達74
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51268デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 鉄道datafile 76
※4 鉄道ファンNo.30(1963-12)
※5 Rail No.36
※6 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
※7 蒸気の時代No.18
※8 蒸気の時代No.78 |
C51 269
新製配置は神戸局、明石、宮原、梅小路、福知山を経て、1943年より米子で活躍します。
12-17型テンダーをはじめから装備し、最後までスポーク動輪でした。1937年にお召予備機になり、C51276と並ぶ写真は有名ですが、写真はそれほど出てきません。1954年頃に後藤工場標修車となり集煙装置、重油タンクが取り付けられましたが1回帰の1958年には廃車となっています。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→集煙装置 給水温め器:本省丸型:鷹取工→落とし込み改造(1955年頃)1936年4月〜1938年4月(梅小路区 配置表) 給水配管:=型 竪型 鷹取工 排気配管:前後 なし(前止弁) ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音? 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 三菱重工業 No.29 使用開始: 1927年11月26日 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38968→C51269 配置: 1930年8月31日 明石庫 移動: 1933年9月1日 明石庫→宮原庫 配置: 1935年5月31日 宮原庫 配置: 1935年7月31日 梅小路庫 移動: 1942年10月 梅小路区→福知山区 移動: 1943年3月 福知山区→米子区 配置: 1948年4月1日 米子区 配置: 1948年7月1日 米子区出雲今市支区 配置: 1949年3月1日 米子区出雲今市支区 配置: 1950年4月1日 米子区 配置: 1954年4月1日 米子区 休車指定: 1958年4月1日 第一種休車指定 米子区 廃車: 1958年11月27日 米子区 総裁達604
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51269デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 終戦直後の蒸気機関車
※4 鉄道ファンNo.30(1963-12)
※5 世界の鉄道 62 朝日新聞社
※6 鉄道ファンNo.188(1976-12)
※7 鉄道ファンNo.538(2006-2) |
C51 270
1927年に汽車製造(974番)で製造されます。新製配置は名古屋局、名古屋、浜松、稲沢、金沢、亀山を経て、1945年頃より米子で活躍します、1958年に吉松に移動し1964年に廃車となりました。
12-17型テンダーをはじめから装備し、最後までスポーク動輪でした。1929年頃傾斜煙突に改造されますが後にもとに戻ります。1929年〜1946年頃まで蒸気ドーム後部が延長されていたことが確認できます。どのような改造がされたかはわかりません。1955年頃の全般検査において、後藤工場標修車となり集煙装置・重油タンクが装備され、給水温め機が落し込み改造が行われます。1958年頃にLP403と架線注意標記が行われます。吉松区転属後は集煙装置と重油タンクを撤去、煙突が裾有りパイプ煙突に交換されます。架線注意の標記もなくなりました。1960年頃には全般検査を受けフロントデッキが直線化改造されます。装備変化が多い機でした。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突→集煙装置→裾無しパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工→落とし込み改造(1955年頃)1936年3月(浜松庫 配置表) 給水配管:T型→=型 竪型 浜松工 排気配管:後々 竪型→無効化 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復、振止付(1955年頃に撤去) コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:斜めフロントデッキ
車歴 製造: 汽車製造 No.974 使用開始: 1927年11月 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38969→C51270 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 傾斜煙突試験改造実施 その後 原型に復帰 移動: 1931年10月 名古屋庫→浜松庫 借入: 1933年11月 借入 鉄道省大臣官房研究所=後の鉄道技術研究所 返却: 1934年7月 返却 浜松庫 移動: 1938年3月 浜松区→稲沢区 移動: 1940年2月 稲沢区→金沢区 移動: 1945年11月21日 金沢区→亀山区 達25号 移動: 1946年11月 亀山区→米子区 配置: 1947年9月1日 米子区 配置: 1948年2月1日 米子区出雲今市支区 配置: 1949年3月1日 米子区出雲今市支区 配置: 1950年4月1日 米子区 配置: 1954年4月1日 米子区 重油併燃装置取付済 移動: 1958年10月12日 米子区→吉松区(着 12/13) 達608 廃車: 1964年3月30日 吉松 総裁達137
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51270デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 私の蒸気機関車史下
※4 終戦直後の蒸気機関車
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※6 蒸気機関車No58
※7 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※8 Rail No.36
※9 国鉄蒸気機関車史 高木宏之
※10 鉄道ファンNo.244(1981-8)
C51 251〜260<<< >>>C51 271〜280 |
C51 271
1927年に新製となり、新製配置は名古屋局。名古屋、浜松、金沢、稲沢、名古屋を経て、1951年より梅小路で活躍する。廃車は1966年1月である。
12-17型テンダーをはじめから装備し、最後までスポーク動輪を装備した。新製より1年後には昭和天皇即位御大礼お召し列車を牽引する。また1930年にも御召列車を牽引する。戦前は名古屋周辺で活躍したため浜松工場施工の装備であるが、戦後は鷹取工場管内となり、汽笛を蒸気ドームへ移動や、給水逆止弁を新型に交換している。1960年頃までは化粧煙突を維持していたが最後は裾のないパイプ煙突になっている。1964年にATSを取り付ける。最後の本線運用は1965年10月3日で、C51としては最も最後まで活躍した1両である。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1936年4月〜1938年4月(浜松区 配置表) 給水配管:T型 竪型→横型 浜松工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復、振止付(1935年以前に取付1947年事故復旧時に撤去) コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→ドーム脇5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.975 使用開始: 1927年11月 名古屋局 改番: 1928年10月1日 38970→C51271 お召し列車牽引: 1928年11月6日 昭和天皇即位御大礼お召し列車牽引 浜松-名古屋間(浜松発13:37 名古屋着15:30) お召し列車牽引: 1928年11月7日 昭和天皇即位御大礼お召し列車牽引 名古屋-米原間(名古屋発11:00 米原着12:41) お召し列車牽引: 1928年11月26日 昭和天皇即位御大礼お召し列車牽引 米原-名古屋間(米原発12:25 名古屋着14:00) お召し列車牽引: 1928年11月27日 昭和天皇即位御大礼お召し列車牽引 名古屋-浜松間(名古屋発08:00 浜松着09:54) お召し列車牽引: 1930年11月12日 天皇陛下岡山県下陸軍特別大演習行幸お召し列車牽引 浜松-名古屋間 お召し列車牽引: 1930年11月13日 天皇陛下岡山県下陸軍特別大演習行幸お召し列車牽引 名古屋-米原間 配置: 1931年1月31日 名古屋庫 移動: 1931年10月 名古屋庫→浜松庫 移動: 1939年6月 浜松区→金沢区 事故: 1941年2月16日 18:00頃、北陸本線津端-森本間 移動: 1944年9月 金沢区→名古屋区 移動: 1946年11月 名古屋区→稲沢区 移動: 1950年3月 稲沢区→名古屋区 移動: 1951年7月23日 名古屋区→梅小路区 達374号(達は'51/7/23付けだが実移動日とは一致しない可能性あり) 休車指定: 1965年10月4日 第一種休車指定 梅小路区 廃車: 1966年1月20日 梅小路区 総裁達25
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51271デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 魅惑のC51(トレイン6月号増刊)
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車2
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※6 蒸気機関車No20
※7 蒸気機関車の角度
※8 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※9 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※10 国鉄蒸気機関車156機関区全図鑑
※11 国鉄時代Vol.22
※12 国鉄時代Vol.55
※13 蒸気機関車EX Vol.9
※14 蒸気機関車EX Vol.40
※15 蒸気機関車EX Vol.44
※16 日本蒸気機関車史 高木宏之
※17 蒸気の時代No.25
※18 蒸気の時代No.57
※19 蒸気の時代No.89
※20 鉄道ファンNo.44(1965-2)
※21 鉄道ファンNo.48(1965-6)
※22 鉄道ファンNo.55(1966-1)
※23 鉄道ファンNo.244(1981-8)
※24 鉄道ファンNo.307(1986-11)
※25 鉄道ファンNo.343(1989-11)
※26 蒸気機関車写真名鑑 |
C51 272
1927年に製造、新製配置は名古屋局、名古屋、浜松、金沢、稲沢、名古屋を経て、1956年より吉松で活躍し1965年1月に廃車となりました。
12-17型テンダーをはじめから装備していた。1945年3月に北陸本線谷浜-名立間で崩落土砂に乗り上げ脱線転覆、浜松工場で戦後復旧の際にC57タイプのキャブを新製し取り付けた。テンダーも形状が変わっている。
最後までスポーク動輪、化粧煙突を装備した。1955年頃に鹿児島工場管内で盛んにおこなわれたフロントの直線化改造を受けている。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:本省→鹿工1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:浜松工1934年6月(浜松庫 配置表) 給水配管:=型 竪型→横型 浜松工 排気配管:後々 竪型→ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.976 使用開始: 1927年11月27日 名古屋庫 改番: 1928年10月1日 38971→C51272 移動: 1931年11月5日 名古屋庫→浜松庫 移動: 1939年6月16日 浜松区→金沢区 事故: 1945年3月2日 19:30頃、北陸本線谷浜-名立間 臨時修繕: 1947年1月22日 浜松工機部 臨時修繕 入場 破損したキャブをC57タイプのものと交換 臨時修繕: 1947年1月31日 浜松工機部 臨時修繕 出場 移動: 1947年2月1日 金沢区→稲沢区 借入: 1950年9月11日 借入 名古屋区 返却せず 移動: 1952年3月31日 稲沢区→名古屋区 配置: 1952年10月1日 名古屋区 配置 休車中: 1953年4月1日 現在 特別休車 名古屋区 借入: 1954年1月10日 特別休車指定解除 名古屋区 借入 大垣区 返却: 1954年3月19日 返却 名古屋区 特別休車指定 配置 休車中: 1954年10月1日 現在 特別休車継続中 名古屋区 借入: 1955年1月7日 借入 米原区 休車指定解除: 1955年1月12日 特別休車指定解除 名古屋区(実機は米原区にて除雪用に待機) 返却: 1955年2月20日 返却 名古屋区 第一種休車指定 配置 休車中: 1955年8月1日 現在 第一種休車継続中 名古屋区 その後 第一種休車指定解除 時期不明 移動: 1956年3月4日 名古屋区→吉松区 達398号 廃車: 1965年1月7日 吉松 総裁達3
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51272デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 鉄道datafile 76
※3 蒸気機関車の記録U辻坂明浩
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※5 全盛期の蒸気機関車写真集V隅野成一
※6 鉄道ファンNo.30(1963-12)
※7 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※8 Rail No.111
※9 蒸気の時代No.36
※10 RM LIBRARY 67 国鉄蒸気の装備とその表情(下) 西尾恵介
※11 半世紀前に出会えた汽車たちとの思い出 小野康久
※12 鉄道ファンNo.343(1989-11) |
C51 273
新製配置は名古屋局、1930年以前に大里庫に移っています。大分、鳥栖、熊本、鹿児島を経て、1949年より吉松で活躍し、1962年2月に廃車となります。
12-17型テンダーをはじめから装備し、最後までスポーク動輪、化粧煙突でしたが、1955年頃に鹿児島工場管内で盛んにおこなわれたフロントの直線化改造を受けています。
廃車が早かったこともあり、写真が出てきません。運転室下の配管の形状が他機と異なり、正確に把握できていません。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:鹿工1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型→横型 排気配管:後々 竪型→L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:12-17型 ナンバープレート:正面のみ形式有り他形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.977 使用開始: 1927年11月 名古屋局 改番: 1928年10月1日 38972→C51273 配置: 1930年3月31日 大里庫 移動: 1936年3月 大里庫→大分庫 移動: 1936年9月1日 大分庫→大分区 移動: 1937年3月 大分区→鳥栖区 移動: 1938年6月 鳥栖区→熊本区 配置: 1944年3月31日 熊本区 配置: 1945年12月1日 鹿児島区 配置 休車中: 1949年10月1日 現在 第一種休車 鹿児島区 移動: 1949年12月 鹿児島区→吉松区 廃車: 1962年2月28日 吉松 総裁達74
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51273デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車68春
※3 九州鉄道の記憶 |
C51 274
新製配置は神戸局、梅小路、福知山を経て、1945年より豊岡機関区和田山支区で活躍する。1962年より1年半、古巣の梅小路に戻り活躍するが1964年1月に廃車となる。
12-17型テンダーをはじめから装備しており、本省設計型のデフレクターを装備するが、後藤工場タイプのデフに改造されている。最後までスポーク動輪は有するものの、パイプ煙突に変わっている。1935年4月ころに運転された満州国皇帝溥儀の御乗用列車の予備機に、1942年にお召し列車を牽引するなど栄誉の記録がある。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:本省→後工1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1931年3月(梅小路庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:原型 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.978 使用開始: 1927年12月 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38973→C51274 配置: 1930年8月31日 梅小路庫 配置: 1940年3月31日 梅小路区 お召し列車牽引: 1942年12月 天皇陛下戦勝祈願伊勢神宮行幸のお召し列車牽引予備機 移動: 1943年9月 梅小路区→福知山区 移動: 1945年7月 福知山区→豊岡区 移動: 1945年8月 豊岡区→豊岡区和田山支区 配置: 1950年4月1日 豊岡区和田山支区 配置: 1955年8月1日 豊岡区和田山支区 改造: 1957年1月 後藤工場 後藤式デフ(G-7型)取付 その後? パイプ煙突化 時期不明 移動: 1960年9月 豊岡区和田山支区→豊岡区 移動: 1961年10月 豊岡区→豊岡区和田山支区 移動: 1962年9月30日 豊岡区和田山支区→梅小路区 廃車: 1964年1月8日 梅小路区 総裁達3
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51274デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 汽車会社蒸気機関車製造史
※3 阪神間鉄道回顧録
※4 魅惑のC51 鉄道模型人 2 とれいん6月号増刊
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※6 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※7 蒸気機関車No48
※8 蒸気機関車No58
※9 蒸気機関車の角度
※10 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※11 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※12 門鉄デフ物語
※13 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※14 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※15 国鉄時代Vol.21
※16 国鉄時代Vol.22
※17 蒸気の時代No.7
※18 蒸気の時代No.78
※19 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集Y
※20 鉄道ファンNo.108(1970-5) |
C51 275
新製配置は神戸局、梅小路、福知山を経て、1945年より豊岡機関区に配置となり、和田山支区にて主に播但線で活躍した。廃車は1959年2月でC51としては早い時期である。
12-17型テンダーをはじめから装備し、1938年頃には大鉄型のデフレクターを装備しているが、給水温め器の装備は1937年頃である。戦前はお召牽引など華やかな活躍であったが、末期はパイプ煙突へ変更されるなど改造されていた。。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:大鉄型1935年3月以前、1938年10月には装備済み。 煙突:化粧煙突→裾有パイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1936年4月〜1938年4月(梅小路区 配置表)、写真では1937年5月には装備済み 給水配管:=型 竪型 鷹取工 排気配管:前後 なし(前止弁) ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.979 使用開始: 1927年12月 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38974→C51275 配置: 1930年8月31日 梅小路庫 配置: 1940年3月31日 梅小路区 お召し列車牽引: 1942年12月11日 天皇陛下戦勝祈願伊勢神宮行幸のお召し先導列車2001レ(往路)牽引 米原-京都間 お召し列車牽引: 1942年12月12日 天皇陛下戦勝祈願伊勢神宮行幸のお召し先導列車2002レ・2003レ(往復)牽引 京都-山田間 お召し列車牽引: 1942年12月13日 天皇陛下戦勝祈願伊勢神宮行幸のお召し先導列車2004レ(復路)牽引 京都-米原間 移動: 1943年9月 梅小路区→福知山区 移動: 1945年7月 福知山区→豊岡区 移動: 1945年8月 豊岡区→豊岡区和田山支区 廃車: 1959年2月21日 豊岡区 総裁達50
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51275デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 追憶の汽車電車 高田隆雄写真集
※4 記録写真蒸気機関車T
※5 0からの鉄道なんでも記録
※6 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※7 Rail No.111
※8 蒸気の時代No.78
※9 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集T
※10 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集Y
※11 機関車の系譜図4 臼井茂信
※12 0からの鉄道なんでも記録 |
C51 276
新製配置は神戸局、梅小路、福知山を経て、1945年より豊岡機関区和田山支区で活躍する。1959年2月に廃車となる。
12-17型テンダーをはじめから装備するが、1940年頃のお召の際にはC52に利用された12-20型テンダーに振り返られている。C52から振り返られたのか、特急燕牽引機のテンダーと振り替えたかはわからない。戦前はお召牽引など華やかな活躍であったが、末期はおパイプ煙突になっていた。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工→本省丸新型(後藤工1955年頃)1931年1月以前(配置表) 給水配管:T型→=型 竪型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:12-17型→C52タイプ8-20型(1940年以降) ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.980 使用開始: 1927年12月 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38975→C51276 配置: 1930年8月31日 梅小路庫 配置: 1940年3月31日 梅小路区 お召し列車牽引: 1940年7月2日 満州国皇帝溥儀環啓(紀元2600年祝賀)のお召し列車牽引 米原-京都間 お召し列車牽引: 1942年12月11日 天皇陛下戦勝祈願伊勢神宮行幸のお召し列車(往路)牽引 米原-京都間 お召し列車牽引: 1942年12月12日 天皇陛下戦勝祈願伊勢神宮行幸のお召し列車牽引 京都-山田間(往復) お召し列車牽引: 1942年12月13日 天皇陛下戦勝祈願伊勢神宮行幸のお召し列車(復路)牽引 京都-米原間 移動: 1943年9月 梅小路区→福知山区 移動: 1945年7月 福知山区→豊岡区 移動: 1945年8月 豊岡区→豊岡区和田山支区 事故: 1945年12月14日 17:37頃、播但線姫路-京口間 廃車: 1959年2月21日 豊岡区 総裁達50
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51276デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 雑誌SL No3 交友社
※3 私の蒸気機関車史下
※4 鉄道史料126
※5 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※6 鉄道ファンNo.30(1963-12)
※7 蒸気機関車EX Vol.31
※8 蒸気機関車EX Vol.32
※9 蒸気機関車EX Vol.33
※10 蒸気機関車EX Vol.41
※11 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集Y
※12 機関車の系譜図4 臼井茂信
※13 鉄道ファンNo.3(1961-9)
※14 鉄道ファンNo.124(1971-8)
※15 鉄道ファンNo.188(1976-12)
※16 鉄道ファンNo.538(2006-2) |
C51 277
新製配置は神戸局、梅小路、福知山を経て、1945年より豊岡機関区和田山支区で活躍する。1959年2月に廃車となる。
12-17型テンダーをはじめから装備する。戦前の梅小路時代の写真は多数見つかるが、戦後の写真は皆無で、末期の姿は不明である。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工1934年3月(梅小路庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.981 使用開始: 1927年12月25日 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38976→C51277 配置: 1930年8月31日 梅小路庫 事故: 1934年9月21日 08:15頃、東海道本線摂津富田-高槻間 配置: 1940年3月31日 梅小路区 移動: 1943年8月 梅小路区→福知山区 移動: 1945年7月 福知山区→豊岡区 移動: 1945年8月 豊岡区→豊岡区和田山支区 廃車: 1959年2月21日 豊岡区 総裁達50
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51277デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気の時代No.7
※3 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集U
※4 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集V |
C51 278
新製配置は神戸局、梅小路に配置し、新製1年後には昭和天皇即位御大礼お召し列車を牽引する。その後、宮原、梅小路、福知山を経て、1945年より豊岡機関区で活躍する。1947年11月には、再度お召列車の牽引をしている。1959年には浜田に転属になり、1962年2月に廃車となる。
12-17テンダーをはじめから装備する。戦前はお召牽引など華やかな活躍であったが、1955年以降は集煙装置が装備されたが、浜田区転属後に撤去された。
写真 新製時:− 戦前写真:○ 昭和20年代:○ 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:大鉄型1935年3月以前 煙突:化粧煙突→集煙装置→裾無しパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:鷹取工→落とし込み改造(1955年頃)1933年1月(梅小路庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 鷹取工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音→5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式有(戦前)→形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.982 使用開始: 1927年12月 配属配置 不明 改番: 1928年10月1日 38977→C51278 お召し列車牽引: 1928年11月7日 昭和天皇即位御大礼お召し列車牽引 米原-京都間(米原発12:47 京都着14:00) お召し列車牽引: 1928年11月26日 昭和天皇即位御大礼お召し列車牽引 京都-米原間(京都発11:00 米原着12:19) 配置: 1930年8月31日 梅小路庫 お召し列車牽引: 1932年11月10日 天皇陛下奈良県・大阪府下陸軍特別大演習行幸のお召し列車牽引 米原-大阪間 お召し列車牽引: 1932年11月15日 天皇陛下奈良県・大阪府下陸軍特別大演習行幸のお召し列車牽引 大阪-桃山間 お召し列車牽引: 1932年11月17日 天皇陛下奈良県・大阪府下陸軍特別大演習行幸のお召し列車牽引 大阪-米原間 移動: 1933年9月1日 梅小路庫→宮原庫 配置: 1935年5月31日 宮原庫 配置: 1935年7月31日 梅小路庫 お召し列車牽引: 1942年12月 天皇陛下戦勝祈願伊勢神宮行幸のお召し列車牽引予備機 移動: 1943年9月 梅小路区→福知山区 移動: 1945年7月 福知山区→豊岡区 移動: 1945年8月 豊岡区→豊岡区和田山支区 お召列車牽引: 1947年11月27日 福知山→豊岡→鳥取 移動: 1959年9月 豊岡区和田山支区→浜田区 後藤式集煙装置・重油併燃装置取付 廃車: 1962年2月28日 浜田区 総裁達74
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51278デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 汽車会社蒸気機関車製造史
※3 雑誌SL No3 交友社
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※6 蒸気機関車No58
※7 蒸気の時代No.7
※8 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集V
※9 鉄道ファンNo.153(1974-1)
※10 鉄道ファンNo.188(1976-12)
※11 鉄道ファンNo.307(1986-11) |
C51 279
新製配置は門司局、大里、鹿児島、若松を経て、1954年より長崎、1960年より早岐で活躍する。1963年4月には若松に戻るが、使用は数か月で1963年10月には廃車となる。
12-17型テンダーをはじめから装し、最後までスポーク動輪、化粧煙突を装備した。長崎区では急行雲仙牽引のため重油タンクを装備していた。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:小倉工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:原型 テンダー:12-17型 ナンバープレート:テンダーのみ形式入りで残る その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.983 使用開始: 1928年1月 大里庫 改番: 1928年10月1日 38978→C51279 配置: 1932年3月31日 大里庫 煙突囲い式デフ試験装着 その後 取外し 移動: 1942年1月 大里区→鹿児島区 休車指定: 1950年1月 第一種休車指定 鹿児島区 移動: 1950年4月 鹿児島区→若松区 第一種休車継続中 配置 休車中: 1950年7月1日 現在 第一種休車継続中 若松区 移動: 1954年3月 若松区→長崎区 重油併燃装置取付済 移動: 1960年12月 長崎区→早岐区 移動: 1962年9月 早岐区→若松区 廃車: 1963年10月3日 早岐区 総裁達512
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51279デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 九州の蒸気機関車 門司鉄道管理局
※3 雑誌SL No3 交友社
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※5 蒸気機関車68春
※6 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※7 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※8 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※9 蒸気機関車よ永遠に (杉江 弘 写真集)
※10 杵屋栄二写真集 汽車電車 1934−1938
※11 国鉄時代Vol.54
※12 完ジュラ電からSL終焉まで
※13 全国蒸気機関車配置表 徳永益男
※14 蒸気の時代No.71
※15 蒸気機関車写真名鑑
※16 鉄道ファンNo.133(1972-5) |
C51 280
新製配置は門司局、大里、鹿児島を経て、1950年より宮崎の配置となり1959年3月に廃車となるまで活躍しました。
この機は戦前、戦後ともに写真の出てこないC51で、形状は不明であるが、経歴の似通うC51273、C51279、C51281に似た形状であることが考えられる。最終配置が鹿児島工場管内なので、フロントデッキは直線化改造をしているものと考えている。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:−
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:? デフレクター:1936年3月以前 煙突: 給水温め器:本省丸型:小倉工1931年1月以前(配置表) 給水配管: 排気配管: ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪: 運転室: テンダー: ナンバープレート: その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.984 使用開始: 1928年1月 大里庫 改番: 1928年10月1日 38979→C51280 配置: 1932年3月31日 大里庫 移動: 1942年4月1日 大里区→門司区 移動: 1943年2月 門司区→鹿児島区 移動: 1949年6月 鹿児島区→南延岡区 移動: 1950年9月30日 南延岡区→宮崎区 廃車: 1959年3月4日 宮崎区 総裁達57
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51280デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
C51 261〜270<<< >>>C51 281〜289 |
C51 281
新製配置は門司局、大里、宮崎、鹿児島を経て、1950年6月より若松で活躍する。1960年11月に早岐に移動しますが、1961年11月にC5119の事故休車となったため再び若松に配置となりました。1963年6月より休車、1964年3月に廃車となりました。
12-17型テンダーをはじめから装備し、最後までスポーク動輪、化粧煙突を装備していた。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸形:小倉工→本省丸新型(小倉工1958年までに換装)1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:原型 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 汽車製造 No.985 使用開始: 1928年1月 大里庫 改番: 1928年10月1日 38980→C51281 配置: 1932年3月31日 大里庫 移動: 1942年4月1日 大里区→門司区 移動: 1943年9月 門司区→宮崎区 配置: 1947年10月1日 宮崎区 配置: 1948年2月1日 鹿児島区 休車指定: 1950年1月 第一種休車指定 鹿児島区 移動: 1950年4月 鹿児島区→若松区 第一種休車継続中 配置 休車中: 1950年7月1日 現在 第一種休車継続中 若松区 配置: 1950年10月1日 若松区 移動: 1960年9月 若松区→早岐区 移動: 1961年10月 早岐区→若松区 廃車: 1964年3月30日 若松区 総裁達137
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51281デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※3 全盛期の蒸気機関車写真集(三竿喜正)
※4 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※5 蒸気機関車EX Vol.20
※6 九州鉄道の記憶
※7 九州鉄道の記憶W
※8 完ジュラ電からSL終焉まで
※9 蒸気の時代No.36
※10 蒸気の時代No.71
※11 鉄道ファンNo.26(1963-8)
※12 鉄道ファンNo.133(1972-5)
※13 鉄道ファンNo.380(1992-12) |
C51 282
新製配置は門司局、大里、熊本を経て、1945年より早岐で活躍します。1962年2月に廃車となる。
12-17型テンダーをはじめから装備し、最後までスポーク動輪であった。1954年頃に門デフを装備する。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:門鉄K-71936年3月以前 煙突:裾有パイプ煙突 給水温め器:本省丸形:小倉工→本省丸新型(小倉工1958年までに換装)1931年2月(大里庫 配置表) 給水配管:新型 竪型 小倉工 排気配管:後々 竪型無効化 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:3階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:原型 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 三菱重工業 No.30 使用開始: 1928年3月23日 広島庫 配置: 1930年8月31日 大里庫 移動: 1939年4月 大里区→熊本区 移動: 1945年11月 熊本区→早岐区 改造: 1954年8月 小倉工場 門(小倉工式)デフ(K-7型)取付 廃車: 1962年2月28日 早岐区 総裁達74
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51282デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 全盛期の蒸気機関車写真集4_八並国介
※3 鉄道ファンNo.107(1970-4) |
C51 283
新製配置は仙台局、仙台、青森、仙台、盛岡を経て、1954年より新庄で活躍、1959年に秋田に移動し、1961年3月に廃車となる。
12-17型テンダーをはじめから装備する。最後までスポーク動輪、化粧煙突でした。
1931年12月17日〜25日にかけての何らかの試験でボギー車2両を牽引し120km/hで牽引した記録が残る(蒸気機関車EX41 P35 )。その当時は給水温め器を装備していなかった模様(配置表より)。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:郡山工1931年1月以前(配置表) 給水配管:=型 竪型 排気配管:前々 ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:12-17型 ナンバープレート:形式無し(戦後) その他:
車歴 製造: 三菱重工業 No.31 使用開始: 1928年3月26日 配属配置 不明 配置: 1931年1月31日 仙台庫 試験: 1931年12月17日 〜25日 常磐線新地〜亘理 ボギー車2両牽引で120km/h 移動: 1934年6月 仙台庫→青森庫 移動: 1934年11月 青森庫→仙台庫 配置: 1948年7月1日 仙台区 配置: 1948年11月1日 盛岡区 配置 休車中: 1954年10月1日 現在 第一種休車 盛岡区 借入: 1954年12月1日 借入 新庄区 返却せず 移動: 1955年6月1日 盛岡区→新庄区 達343号 移動: 1959年9月 新庄区→秋田区 廃車: 1961年3月31日 秋田区 総裁達158
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51283デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下 |
C51 284
新製配置は仙台局、仙台、旭川、仙台、会津若松を経て1950年より盛岡で、1955年に青森に移ッテ活躍します。1961年2月に廃車となりました。
土崎工場特有の給水温め器で、前側の解放テコが片側他オプであった。青森機関区では1956年には無リベットの12-17型テンダーであったが、1957年には8-17テンダー、ボックス動輪に換装されていた。最後まで化粧煙突は維持していた。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側→右片側 煙室前手摺:A’型(戦後:8時-11時30分、1時-2時) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:郡山工1935年5月(仙台庫 配置表) 給水配管:=型 竪型 土崎工 排気配管:前々 竪型→ストレート ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪:ボックス動輪 運転室:延長有、後窓拡大 テンダー:12-17型(リベットなし)→8-17台形 ナンバープレート: その他:
車歴 製造: 三菱重工業 No.32 使用開始: 1928年3月27日 配属配置 不明 配置: 1931年1月31日 仙台庫 移動: 1931年7月 仙台庫→秋田庫 移動: 1931年9月 秋田庫→仙台庫 移動: 1934年9月 仙台庫→福島庫 移動: 1944年1月26日 仙台区→旭川区(函館揚陸 1/30 53便) 移動: 1944年7月3日 旭川区→名古屋局 達598号 移動: 1945年11月19日 名古屋局→仙台区 達25号 移動: 1949年10月9日 仙台区→会津若松区 移動: 1950年9月14日 会津若松区→盛岡区 配置: 1954年5月1日 盛岡区 配置 休車中: 1954年10月1日 現在 第一種休車 盛岡区 移動: 1955年3月 第一種休車指定解除 盛岡区→青森区 廃車: 1961年2月15日 新庄区 総裁達64
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51284デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 東北の蒸気機関車 上巻(1954ー1963年)―青森を中心として樋口慶一写真集
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※4 完ジュラ電からSL終焉まで |
C51 285
新製配置は仙台局、仙台を経て1944年より旭川に移動し北海道で活躍する。1948年に室蘭に移動し、1963年2月に廃車となる。
土崎工場特有の給水温め器を有する。最後までスポーク動輪、化粧煙突を装備した。戦前からテンダーは8-20型に振り替えられている。デフは当初は背が低く前側が欠けたタイプであるが、戦前の早い時期に本省設計型に取りかえられた。
写真 新製時:− 戦前写真:− 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:東北型→本省型(戦前)1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:郡山工1934年3月(仙台庫 配置表) 給水配管:ミ型 竪型 土崎工 排気配管:前々 L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪:18本スポーク動輪 運転室: テンダー:12-17型 ナンバープレート: その他:
車歴 製造: 三菱重工業 No.33 使用開始: 1928年3月29日 配属配置 不明 配置: 1931年1月31日 仙台庫 移動: 1944年1月22日 仙台区→旭川区(函館揚陸 1/25 71便) 配置: 1947年12月1日 旭川区 配置 休車中: 1948年2月1日 第一種休車 室蘭区 配置 休車中: 1948年7月1日 第一種休車継続中 室蘭区 配置: 1948年12月1日 室蘭区 配置: 1949年2月1日 小樽築港区 配置: 1949年3月1日 小樽築港区 配置: 1949年8月1日 室蘭区 配置: 1954年4月1日 室蘭区 配置: 1959年4月1日 室蘭区 廃車: 1963年2月9日 室蘭区 総裁達46
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51285デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車31 C51上
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※6 国鉄時代Vol.7
※7 蒸気の時代No.7 |
C51 286
新製配置は旭川、小樽築港を経て1957年より岩見沢、1958年より苗穂、1960年より室蘭で活躍する。1964年1月に廃車となる。
最後までスポーク動輪、化粧煙突を装備した。テンダーはオリジナルの12-17型である。1960年頃に全般検査を受けたと考えられ、前面ナンバープレートの位置が上側に変更されている。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:本省型1935年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:苗穂工1934年2月(旭川庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 苗穂工 排気配管:後々 竪型→L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛:5階音 動輪:18本スポーク動輪 運転室: テンダー:12-17型 ナンバープレート: その他:
車歴 製造: 三菱重工業 No.34 使用開始: 1928年3月30日 配属配置 不明 配置: 1931年1月31日 旭川庫 配置: 1947年9月1日 旭川区 配置: 1947年12月1日 小樽築港区 借入: 1952年6月20日 借入 旭川区 配置: 1952年10月1日 借入継続中 旭川区 返却日 不明 配置: 1953年4月1日 小樽築港区 配置: 1954年4月1日 小樽築港区 配置 休車中: 1954年10月1日 第一種休車 小樽築港区 休車解除: 1954年12月 第一種休車指定解除 小樽築港区 配置: 1955年8月1日 小樽築港区 配置: 1956年12月31日 岩見沢区 配置 休車中: 1957年11月1日 第一種休車 岩見沢区 配置: 1958年4月1日 苗穂区 配置 休車中: 1959年4月1日 第一種休車 苗穂区 配置: 1960年4月1日 苗穂区 配置: 1961年4月1日 室蘭区 廃車: 1964年1月8日 室蘭区 総裁達3
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51286デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 北海道の蒸気機関車 釧路鉄道管理局
※3 北国の汽笛1(北海道の鉄道1956〜1959)
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※6 蒸気機関車No58
※7 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※8 国鉄時代Vol.7
※9 蒸気の時代No.57
※10 西尾克三郎 ライカ鉄道写真全集Z
※11 蒸気の時代No.90 |
C51 287
新製配置は旭川、小樽築港を経て1954年より苗穂で活躍する。北海道を出ることがなく1963年2月に廃車となる。最後までスポーク動輪、化粧煙突を装備したており、1955年頃の一時期に煙突脇に少デフを装備していた。新製直後の38986のナンバーを装備するメーカー完成写真がありテンダーはオリジナルの12-17型であったが、1955年頃は8-17型、1960年頃は8-20型と頻繁に振り替えられた。
写真 新製時:〇 戦前写真:− 昭和20年代:〇 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:苗穂工1934年4月(旭川庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 苗穂工 排気配管:後々 竪型→L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪:18本スポーク動輪 運転室: テンダー:12-17型 ナンバープレート: その他:
車歴 製造: 三菱重工業 No.35 使用開始: 1928年6月25日 配属配置 不明 配置: 1931年1月31日 旭川庫 移動: 1934年11月 旭川庫→函館庫 配置: 1936年3月31日 函館庫 その後 旭川区に移動 時期不明 配置: 1938年4月30日 旭川区 配置: 1947年9月1日 旭川区 配置: 1948年2月1日 小樽築港区 移動: 1954年9月21日 小樽築港区→苗穂区 配置: 1959年4月1日 苗穂区 配置 休車中: 1960年4月1日 第一種休車 苗穂区 配置: 1961年3月31日 苗穂区 廃車: 1963年2月6日 苗穂区 総裁達40
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51287デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車写真集 機関区と機関車2
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車32 C51中
※4 蒸気機関車No48
※5 蒸気の時代No.90 |
C51 288
新製配置は旭川、1936年に陸軍特別大演習のお召機となる。小樽築港を経て1954年より苗穂で活躍する。1964年1月に廃車となる。
最後までスポーク動輪、化粧煙突を装備した。テンダーはオリジナルの12-17型である。戦前から北海道に配置だったことから運転室屋根に北海道独特の改造が見られる。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突 給水温め器:本省丸型:苗穂工1934年4月(旭川庫 配置表) 給水配管:T型 竪型 苗穂工 排気配管:後々 竪型→L字管 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪:18本スポーク動輪 運転室: テンダー:12-17型 ナンバープレート: その他:
車歴 製造: 三菱重工業 No.36 使用開始: 1928年6月28日 配属配置 不明 配置: 1931年1月31日 旭川庫 配置: 1949年3月1日 旭川区 配置: 1949年8月1日 小樽築港区 配置 休車中: 1949年11月1日 第一種休車 小樽築港区 配置 休車中: 1950年4月1日 第一種休車継続中 小樽築港区 配置: 1950年9月1日 小樽築港区 移動: 1954年9月14日 小樽築港区→苗穂区 配置: 1960年4月1日 苗穂区 配置 休車中: 1961年4月1日 第一種休車 苗穂区 移動: 1962年5月 苗穂区→岩見沢区 廃車: 1964年1月8日 苗穂区 総裁達3
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51288デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 北海道の蒸気機関車 釧路鉄道管理局
※3 北国の汽笛1(北海道の鉄道1956〜1959)星良助写真集
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※6 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
※7 国鉄時代Vol.7
※8 日本の鉄道 国鉄監修 朝日新聞社編 |
C51 289
新製配置は旭川、1947年より豊岡機関区和田山支区で活躍する。1963年2月に廃車となる。
最後までスポーク動輪を装備した。末期は背の低い裾無しパイプ煙突である。テンダーは最後までオリジナルの12-17型である。
写真 新製時:− 戦前写真:〇 昭和20年代:− 昭和30年代:○
特徴 解放テコ:機関車:両側 煙室前手摺:A型(戦前戦後:4時-11時30分、0時30分-2時新製時) デフレクター:本省型1936年3月以前 煙突:化粧煙突→裾無しパイプ煙突 給水温め器:本省丸型:苗穂工1933年2月(旭川庫 配置表) 給水配管:T型 竪型→横型 苗穂工 排気配管:後々 竪型 ボイラー手摺:2段 梯子:標準位置 圧縮空気冷却管:左3、右4往復 コンプレッサー:複式 給水ポンプ:標準位置 汽笛: 動輪:18本スポーク動輪 運転室: テンダー:12-17型 ナンバープレート: その他:
車歴 製造: 三菱重工業 No.37 使用開始: 1928年7月26日 配属配置 不明 配置: 1931年1月31日 旭川庫 移動: 1945年7月6日 旭川区→豊岡区 達185号 移動: 1945年8月 豊岡区→豊岡区和田山支区 移動: 1961年10月 豊岡区和田山支区→豊岡区 廃車: 1963年2月1日 豊岡区 総裁達34
参考資料 ※1 車歴は、 機関車データベース (形式C51) -C51289デゴイチよく走る!を参考に、その他資料等より補填、修正した。
※2 蒸気機関車の記録T(昭和32〜38年)辻坂明浩
※3 蒸気機関車写真集 機関区と機関車36 C51下
※4 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※5 蒸気機関車写真集 機関区と機関車41 C51補C55補C54
※6 蒸気機関車No58
※7 追憶・美しき蒸気の時代(付録C51百形 全国に求めて)杉江弘写真集
※8 鉄道ピクトリアル103(1960-2)
※9 スポーク動輪の世界 華麗なるパシフィックC51・54・55
C51 271〜280<<< |