D51953について Googleで検索![]() 修理状況は⇒ <最新> D51953 第5回修理 2005年4月30日(土)〜5月1日(日)にかけて第5回の修理を行います。 <内容> 塗装の剥離個所のタッチアップ、運転室内の修理(座席の取り付け) <日時> 2005年4月23日(土)午前中〜5月1日(日) 雨天は運転室内のみ <人員> 寅、やまてつ他 ・経過 <2005年1月> D51953 第4回修理 座席の取り外しと雪下ろし。 <2004年9月> D51953 第3回目の修理 小樽掃除会の寅さんによりタッチアップしていただきました。 思ったより錆が出ているようで、完全に塗り終えることはできなかったそうです。来年に念入りに塗装し直すことを考えています。 <8月> 区名札をつけよう <2004年7月> D51953 第2回目の修理 修理の模様⇒ ![]() 2004年7月10日、大夕張鉄道保存会Kさん、Iさん、小樽おそうじ会の寅さんと共に、前回の修理で残った窓、運転室内等の部品を取り付けました。この修理に際してAさん、T.K生さんより部品を頂きました。 残念ながら塗装のタッチアップが残ってしまいました。次回に行いたいと思います。 <6月> 豊浦町よりアクリル板を購入していただき 窓などの不足部品を切り出し最後の仕上げに <5月> D51953 第1回目修理 修理状況は⇒ 2004年4月30日〜5月7日まで修理を行ないました。途中雨に降られる日もありましたが、大夕張鉄道保存会Kさん、Iさん、小樽おそうじ会Kさん他の皆様と共に何とか形にな りました。 <4月> ・修理計画(案2) を作成しました。 作業は下地つくりが大変です。北海道方面の方、是非手伝ってください。 T.K生様より塗料を寄贈していただけることになりました。 ・ヘッドライト ヘッドライトが完成しました。ライトも点灯可能です(2004年4月24日)。 取付け台が完成し、パテで細部を修正し、塗装を行ないました。来週には完成です。 (2004年4月18日) 腐食して無くなった下回りの修理が完了し、これから座台の取り付け、塗装を行ないます。 (2004年4月11日) ・窓枠の製作 ウェスタンレッドシーダ-材の切出しを終え本製作をはじめます。 <3月> ・ヘッドライトの修理 下部の腐食個所を切除、錆び落としを行ないました。4月中旬完成を目処に修理中です 資材関係の見積もりを作成中 <2月> ・修理計画(案) ・修理機材 ・修理資材 等の資料を集めています。 2月3日には豊浦町よりヘッドライトの部品が到着しました。これをどのように直すかが悩んでおります。 <2004年1月> 2004年1月30日 1月30日 豊浦町に赴きました。「保存会が修理にたずさわる」ことで保存継続していただける事になりました。 ・財政が悪化している現状で町単独での保存は不可能 ・町と保存会が協力する形で保存が可能 >保存のための費用の予算化(塗料代など) >利用可能な機材の借用(脚立 足場板) ・数年後に車輌の老朽化が進んだ場合に解体もありうる。 ・シートについてはかけない形で常に展示して欲しい。 ・5月の連休に修繕の際に調整をしていただけることに。 保管してあるヘッドライトについては送付していただけることになりました。到着次第修繕を開始します。 窓については製作します。 <2003年12月> 企画書の返事を待っております。来年の1回目の修理計画を立てました。 5月の修理は、やまてつが3日休暇をとることで、最大10日間の北海道滞在が可能なので、キハ048会内の工具を利用して修理しようと考えています。皆様の協力を得られると幸いです。この機会になるべく多くの個所が修理できればと考えております。 < 11月21日 豊浦町から返事> 以下抜粋です 本町の蒸気機関車管理についての現況ですが、先般JRより無償譲渡の事務処理が進んでおり、まもなく契約締結ができるとの連絡を頂いています。 しかしながらホームページへの保存要望があり、本町としましても調整に日数を要することから、契約締結の日程については少し先送りして頂くよう依頼しているところです。 本町財政も非常に厳しい状況にあり、町単独の保存は大変困難と思われますが、 町として保存について考えていただけたようです。良い返事があればよいのですが・・・ 現在、5月の修理について計画を作成しております。 <11月20日 豊浦町役場に企画書を提出> 企画書の内容を1ヶ月を経過したことでメールにて提出しました。 非常に多くの方々の意見がありました。 今後も良い意見がありましたらうかがい修正していきたいと考えています。 <10月〜11月 企画書の作成> 保存のために町へ提出する企画書を作成しております。この企画書が受理されると保存が可能となります。加除、修正など意見をください。 企画書については豊浦町民の参加についての意見を多数頂いております。 <10月18日 D51953の状態確認> 北海道内にて保存活動を行なわれる方とD51953の確認をしました。 豊浦町からも助役、総務課長、総務課の職員の方々が立会いをしていただけました。 その後、半日かけて機関車のペンキはがれ個所のタッチアップを行ないました。 <10月17日 豊浦町と話し合い> 豊浦町に赴き担当職員の方と話をすることができました。 皆様が「貴重な車輌を残して欲しい」というメールや掲示板への書き込みは 公式的な返事としては厳しい回答だとしても町としても真剣に受け止めているということで、 助役、総務課長と話がすることができました。 豊浦町は 地方交付税によりなんとか成り立っている実状で 市町村合併の話もあり、行政改革のなかで補助金の打ち切りの話しは 不要な資産は処分しなければならない その中で、D51の解体の話が出てきました。 現在、JRと譲渡について交渉中です。 機関車について 従前は1年に1回、50万円もかけて塗装をしており、冬にはシートをかけていました。 当初は多くの人が見にきていましたが最近は訪れる人も少なくなったので 平成8年以降お金をかけて塗装するのは止めたそうです。 平成12年にヘッドライトが傾き、何回か直しているうちに取れてしまいましたが 町の人からの反応は無かった。 昨年のクリスマスに機関車はイルミネーションで飾られ室蘭新聞の記事に載ったが 町の人からの反応は無かった。 町民の間からは保存会など話は持ち上がらなかった 町民から愛されていない機関車を苦しい台所事情で整備することができない というのが町の説明にありました。 解体について 「何が何でも解体するとは必ずしも考えていない」 恒久的な保存方法があれば町としても前向きに考える。 ということでした。町から言われたことは恒久的な保存方法、移転、部分保存など いくつか企画書を作ってほしい。町としても受け入れられる形であれば保存も考える ということでした。 <10月6日 豊浦町での状況確認> 江別市に住む寅さんの協力により豊浦町と交渉してもらいました。 とにかく豊浦町長に「残して欲しい」という親展の手紙を送って欲しいということで、 皆様の協力で豊浦町長あての手紙を送りました。 <9月下旬 解体情報> 北海道に住む保存会の方からD51953、69644の危機情報が寄せられる。 町役場、町の掲示板へ保存の継続の御願いを行なう。 2003年9月に豊浦町に保存されるD51953の解体が決定し年内には解体となりそうでした。腐食のためヘッドライト紛失してしまいました。町としては手におえないということで解体が決定されたそうですが、車体のほうはそれ程腐食は進行しておらず、修理すれば今後も維持可能。町には継続して保存していただけるよう御願いするともに、保存先移転等なんとか保存する方法が考えました。皆様から意見を頂き提案書を作成しました。11月20日に提出を行ないました。 2004年1月30日に豊浦町に伺いました。保存会が関わることで継続保存していただけることにな りました。理由としては当面、解体を急ぐ理由が無いこと、町単独での保存は無理で保存会、あるいは愛好者の集ま りと協力することにより、維持できればということでした。町では多少ではありますが修理費用を予算化してくれました。5月の連休にまずはじめの修理を行なおうと計画しました。 一人では大変な作業であり、一人でも多くの参加者が得られ、楽しんで修理が行なえればと思っております。 D51953について このD51は胆振縦貫鉄道用に1941年に製作され、1976年に廃車後、胆振縦貫鉄道近くの豊浦町に保存された。ギースルエジェクター煙突を装備していることが特徴。 現役時代のエピソードとしては、1975年12月13日の実質的で最後の旅客列車を牽引した機関車とされています。また、1975年11月16日に大井川鉄道で動態保存のため北海道を離れるC11227を岩見沢から鷲別まで牽引しております。 2000年5月 ・D51953の状況は寅さんのホームページ内のD51953のページで見ることができます。 |