C51型

 1,750mmの動輪を始めて採用した旅客用機関車、1919年に18900 形として製造を開始し、289両が完成。最後は梅小路、吉松で1965年まで使用された。廃車が早いため、保存車両は3両のみで、C515は集中豪雨後の地すべりで転落、C5144とC5185はカットボディー、C51239も新潟鉄道学園保存時に教習用としてボイラーを切られているため走ることができそうな車輌はありません。


C51 5 Googleで検索
 


やまてつ:2007年10月12日撮影
鉄道博物館に移転したC515です。隅の方に追いやられ、右側は全く見られなくなっています。展示物の模様替えの機会など、中央のターンテーブルに移動し展示してもらいたいものです。
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@所在地
   埼玉県 さいたま市大宮区 大成町3丁目 鉄道博物館 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 浜松工場 No.5
  使用開始: 1920年1月24日 神戸局 18904
  配置: 1920年3月6日 神戸局
  改番: 1928年10月1日 C515
  配置: 1933年4月1日 姫路
  配置: 1941年4月1日 梅小路
  配置: 1955年4月1日 奈良
  配置: 1961年4月1日 伊勢
  廃車: 1962年2月28日 奈良
B保存に関わる情報
  管理: (財)交通文化振興財団  所有: JR東日本
C参考
 数少ないC51の保存車、保存に際して煙突を交換しテンダーを振り替えている。1997年1〜3月に修繕される。リベットがなくなったのが残念。1982年9月12日夜、台風18号による地すべりで転落、その後半年近く放置され1983年3月21日より復旧を開始した。
E参考資料
 鉄道ファン No.266(1983-6) P123 C51 5 復元作業始まる


C51 44《カットボディー》 Googleで検索
 


やまてつ:2004年8月10日撮影
土崎工場総務課に連絡し見せていただくことができました。工場内ということで、付き添いが必要で、土崎工場の職員の方の手を煩わしてしまいましたが、昔から保存車として有名な車輌、初めて間近に見ることができて嬉しかったです。状態についてはこれまでの報告にあるとおりですが、ペンキは塗られ、一部に鉄板が張り替えられており、昨年修理したということでした。C51型の数少ない生き残りであり、どうにか日の目を見る形で保存されたいものです。なお、このC51、標準的なデフレクター装着機と思っていましたが、近づくとC51239のように横幅の短いものでした。
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@所在地
   秋田県 秋田市 土崎港東 JR東日本土崎工場 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1921年6月20日 汽車製造 No.501
  使用開始: 1921年6月20日 名古屋局 18943
  改番: 1928年10月1日 C5144
  配置: 1933年4月1日 高崎
  移動: 1945年11月12日 大館
  御召牽引: 1947年8月12日 奥羽本線 大館→秋田
  移動: 1950年4月7日 尾久
  移動: 1955年5月 酒田
  廃車: 1955年9月7日 酒田
  展示: 1962年10月7日 〜10日 東北鉄道博
B保存に関わる情報
C参考
  教習用として1955年に各部を切開いた状態で保存されました。蒸気機関車が無くなると教習用としての役割はなくなりましたがこのまま保存されております。完全な整備をされているのではなく、状態は悪化しつつありますが、2003年に多少の整備が行われております。
 御召し当日の編成は供奉車461+供奉車300+御料車1号+供奉車340+供奉車460です

E参考資料
 鉄道ファン No.18(1962-12) P61 東北鉄道展覧会
 RaleFan No.140 P10 教材用 C5144


C51 85《カットボディー》 Googleで検索
 


やまてつ:2003年10月29日撮影
 数少ないC51の生き残り、残念ながらカットボディーである。見学は工場内のため担当者が案内してくれる。5年に1度メインテナンスがおこなわれるため、それ程荒廃はしていなかった。保存から50年、桜島の火山灰に線路は埋もれかけている。 煙突の形状がおかしいが、9600の煙突をつけているようである。
@所在地
   鹿児島県 鹿児島市 上荒田町39-12 JR九州鹿児島車輛所 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1923年1月 汽車製造 No.660
  使用開始: 1923年2月2日 仙台局 18984
  改番: 1928年10月1日 C5185
  配置: 1933年4月1日 米沢
  配置: 1941年4月1日 新津
  配置: 1955年4月1日 吉松
  廃車: 1956年11月15日 宮崎
B保存に関わる情報
  管理:   所有: JR九州
C参考
 カットボディーながら、数少ないC51の生き残り、見学は工場内のため担当者が案内してくれる。5年に1度メインテナンスがおこなわれる。それ程荒廃はしていなかった。桜島の火山灰に線路は埋もれかかる


C51 239 Googleで検索
 

hibiki:2004年10月9日撮影
2004年10月の鉄道記念日、梅小路機関区90周年を記念して、給水温め器を取外し、ランボードの手すりなどを取り付け、お召し装備となりました。
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@所在地
   京都府 京都市下京区 観喜寺町 京都鉄道博物館 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1927年3月 汽車製造 No.936
  使用開始: 1927年3月19日 東京局 品川 28938
  改番: 1928年10月1日 C51239
  御召牽引: 1928年11月6日 昭和天皇即位、東海道線 東京-沼津
  配置: 1933年4月1日 品川
  御召牽引: 1933年10月22日 陸軍大演習(北陸)、東海道線 東京-沼津
  御召牽引: 1934年11月10日 陸軍大演習(北陸)、高崎線 上野-前橋
  配置: 1941年4月1日 新鶴見
  御召牽引: 1952年10月22日
  御召牽引: 1953年5月6日 植樹祭
  移動: 1955年4月11日 直江津
  移動: 1958年10月2日 新津
  移動: 1959年7月1日 新潟
  廃車: 1962年10月26日 総裁達518号
  保存: 1963年10月14日 新潟学園
  新潟地震被災: 1964年6月16日
  移動: 1972年9月27日 梅小路
  廃車: 1962年10月26日 新津
B保存に関わる情報
  管理: 梅小路蒸気機関車館  所有: JR西日本
C参考
  C51 239Welcome to Hibiki's Homepage!
  C51 239汽車・電車1971年〜保存車のページ
 2004年10月の鉄道記念日、梅小路機関区90周年を記念して、給水温め器を取外し、ランボードの手すりなどを取り付け、お召し装備となりました。
御召機、テンダーは大型である。新潟時代に給水暖器、キャブ屋根延長などの改造が行なわれた。最近、正面と背面が、続いて両側面のプレートが形式入りとなった。新潟教習所時代はカットボディーであったが、梅小路での保存に際し修復された。火室内もきちんと直されていました。
E参考資料
 鉄道ファン No30(62-12) P28-31 C51239の思い出 新潟地方のC51
 鉄道ファン No.110(1970-7) P106-107 C51239に暖かい手を 瀬古龍雄
 鉄道ピクトリアル No154(64-2) P54-55 生まれ変わったC51239 C51239てん末記
 鉄道ファン No.404(1994-12) P8-43 梅小路蒸気の現役時代 西尾 恵介
 蒸気機関車 No58(78-11) P26-29 新潟のC51239−その流転の路 瀬古龍雄
 蒸気機関車 No11(71-1) P18 想い出の御召機C51239 長谷川進吾



参考図書
 SL No.3 1971 交友社
 鉄道ピクトリアル No103(60-2) 特集C51
 鉄道ファン30号(1963年12月号) C51特集
 蒸気機関車No.48 (1977年3月号) 中型パシフィック特集
 蒸気機関車No.58 (1978年11月号) 特集・C51と後継機

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