8620型

 1914年から1929年まで672両が製造、1975年活躍。現在JR九州と梅小路蒸気機関車館で2両が動態保存、20両以上が各地で保存されています。近年、銚子市に保存の18688が2003年3月に解体となり、日立市の78653も解体が予定されましたが、五能線活性化倶楽部に引き取られ、動態保存用として青森県深浦町のウェスパ椿山駅前に保存されました。


8620 Googleで検索
 


やまてつ:2007年12月23日撮影
青梅鉄道公園では2007年7〜10月にかけて機関車に屋根が取付けられました。8620も全体を覆う屋根が付き、これで今後とも安心です。状態については、前回訪問時はパテの剥離した個所が目立ったのですが、最近整備されたようで良好でした。
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@所在地
   東京都 青梅市 勝沼2-155 青梅鉄道公園 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1914年4月3日 汽車製造 No.119
  到着: 1914年5月 鳥栖
  使用開始: 1914年7月20日
  配置: 1933年3月31日 若松
  移動: 備後十日町
  移動: 1942年 松山
  第1種休車: 1958年5月1日
  保管のため移送: 1958年7月2日 西条機関支区庫内2番線
  廃車: 1958年9月11日 松山
B保存に関わる情報
  管理: (財)交通文化振興財団  所有: JR東日本
C参考
  車歴簿は1945年7月の松山空襲の際に焼失した。
 保存は国鉄職員山中覚氏により1954年3月より四国鉄道管理局管内で呼びかけが始まり、1956年4月24日に各方面に保存の趣意書を発送、5月17日付で十河総裁より保存決定の通達が送られてきた。廃車後は西条機関支区庫内2番線にて保管、1962年の鉄道90周年事業により青梅鉄道公園にて保存される。

E参考資料
 鉄道ピクトリアル No100(59-11) P34 ハチロク余話
 鉄道ファン No13(62-7) P4 お化粧前の8620号撮影会 山中覚


8630《動態》 Googleで検索
 




やまてつ:2014年5月1日撮影
動態保存される8630です。台枠に刻印を探したのですが見つかりませんでした。検査標記が38-6郡山となっています。
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@所在地
   京都府 京都市下京区 観喜寺町 京都鉄道博物館 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1914年6月 汽車製造 No.129
  配置: 大宮
  移動: 1926年12月18日 千葉
  移動: 1930年5月6日 成田
  移動: 1934年11月23日 安房北條
  移動: 1939年5月31日 常陸大子
  移動: 1952年12月8日 平
  さようなら運転: 1970年3月22日 常磐線(D51946との重連)
  移動: 1970年3月27日 弘前
  全般検査: 1971年7月7日 土崎工場
  移動: 1972年9月14日 梅小路
  廃車: 1979年3月28日 梅小路
   走行距離: 4,124,177km
B保存に関わる情報
  管理: 梅小路蒸気機関車館  所有: JR西日本
C参考
  8630《動態》Welcome to Hibiki's Homepage!
 大宮を筆頭に、千葉、成田、常陸大子などで活躍、末期は平で入れ替えに従事したが、梅小路での保存を前に弘前に移動し、五能線での旅客運用も行った。五能線時代は78627より門デフを譲り受けていた。現在は梅小路蒸気機関車館で動態保存、初期型であるがSキャブではなく、別の機関車ではないかなど数々の疑問がある。一度台枠にある刻印を確かめたいところです。
E参考資料
 鉄道ファン No.87(1968-9) P62-63 4けたナンバーのハチロクとキューロク
 鉄道ジャーナル No.36(70-6) P63 各地でSLお別れ列車走る。 
 鉄道ファン No.109(1970-6) P107 水戸局SLさよなら運転 近藤明徳
 鉄道ファン No.404(1994-12) P8-43 梅小路蒸気の現役時代 西尾 恵介


18688 Googleで検索 解体: 2003年3月
 

やまてつ:2002年11月10日撮影
もう最後だと思い、訪れました。昨年まであったヘッドライトは落ちてぶら下がっていました。翌年の3月に解体されました。
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@所在地
   千葉県 銚子市 前宿町530 前宿町総合公園 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1919年2月 汽車製造 No.317
  使用開始: 1919年2月21日 小山
  配置: 桐生
  配置: 小山
  配置: 安房北条
  配置: 1933年3月31日 千葉
  配置: 安房北条
  配置: 1947年3月31日 館山
  移動: 1949年6月23日 佐倉
  移動: 1949年8月22日 千葉
  移動: 1949年10月2日 沼津
  移動: 1959年4月 高岡
  移動: 1963年9月28日 長野
  廃車: 1971年12月13日 長野
  保存開始: 1972年6月10日
保存時契約当事者
 国有鉄道:千葉鉄道管理局長 相手方:千葉県銚子市長 1972年6月10日
 JR発足時の移管先:JR東日本
B保存に関わる情報
  管理:   所有: 銚子市
C参考
 末期は塩害により激しく腐食し、柵に囲まれ接近できない状態でした。2003年3月に解体されてしまいました。
E参考資料
 鉄道ピクトリアル No270(72-10) P106 銚子でハチロク保存
 蒸気機関車 No69(80-9) P6-7 わが町の静態保存機


28622《動輪》 Googleで検索
 

やまてつ:2002年11月5日撮影
@所在地
   秋田県 鹿角市 花輪下中島 JR鹿角花輪駅前 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1919年4月 汽車製造 No.331
  使用開始: 1919年4月11日 郡山
  配置: 1933年3月31日 郡山
  配置: 1947年3月31日 郡山
  配置: 1961年3月31日 郡山
  配置: 1965年4月1日 郡山
  移動: 1966年10月20日 弘前
  廃車: 1973年 弘前
B保存に関わる情報
C参考
 陸中花輪駅開業50周年を記念して1973年10月11日に保存、28622は最後は五能線で活躍


28627《動輪》 Googleで検索
 

やまてつ:2004年3月1日撮影
@所在地
   福岡県 北九州市 門司区 JR門司港駅 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1919年4月 汽車製造 No.336
  使用開始: 1919年4月28日 熊本
  移動: 宮崎
  移動: 吉塚
  移動: 早岐
  門デフ取付: 1966年3月 小倉工場
  移動: 1972年3月24日 南延岡
  移動: 1973年8月9日 若松
  第1種休車指定: 1974年1月22日 若松
  第2種休車指定: 1974年3月16日 若松
  廃車: 1974年6月1日 若松
  解体: 1978年7月20日 小倉工場
  廃車: 1974年6月1日 若松
   走行距離: 2,700,000km
B保存に関わる情報
  管理:   所有: JR九州
C参考
 門司港駅内に保存、当初は保存予定であったが、保存先が決まらず1978年7月に解体され、動輪のみが門司港駅に保存された。


28683《第2動輪》 Googleで検索
 

やまてつ:2003年7月11日撮影
@所在地
   大阪府 大阪市西区 九条南3-20-10 共永興業本社内SL展示広場 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1919年6月 汽車製造 No.318
  配置: 1941年4月1日 宮原
  配置: 1949年4月1日 梅小路
  配置: 1961年4月1日 奈良
  配置: 1969年4月1日 亀山
B保存に関わる情報
C参考
 屋内保存、整備され状態は良好


28651 Googleで検索
 

やまてつ:2004年8月23日撮影
今回も天候に恵まれませんでした。塗装は相当に褪せておりますが、一部に色挿しが行われています。状態も良く、部品の盗難も少ないのですが、テンダーのナンバープレートとシールドビームの縁が無くなっていました。
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@所在地
   福井県 大野市 朝日24-9 穴馬民族会館 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1919年12月5日 汽車製造 No.381
  配置: 1933年3月31日 和歌山
  配置: 1947年3月31日 浜田
  配置: 1961年3月31日 米原
  移動: 1964年11月18日 松本
  移動: 上諏訪
  移動: 1965年12月9日 福井
  御召し牽引: 1968年10月2日 福井国体
  廃車: 1973年6月16日 福井
   走行距離: 2,820,679km
保存時契約当事者
 国有鉄道:金沢鉄道管理局長 相手方:福井県和泉村長 1973年8月31日
 JR発足時の移管先:JR西日本
B保存に関わる情報
  管理:   所有: JR西日本(無償貸与)
C参考
 88623と共に越美北線で最後まで活躍、お召し牽引の経歴より保存された。屋根つきで状態良好である。
E参考資料
 鉄道ファン No.90(1968-12) P16-17 福井国体の御召し列車
 蒸気機関車 No21(72-9) P54-57 知らざれる越美北線 原京一
 蒸気機関車 No42(76-3) P21-23 越美北線の8620お召 向山賢寿


38689《第2動輪》 Googleで検索
 

やまてつ:2009年9月17日撮影
鮫駅前広場の一角に保存されています。動輪がえらく緩んでいるのに驚きです。八六やC51などボックス動輪に交換したものが見られましたが、スポーク動輪はもろく保守に手を焼いたことを感じられます。
@所在地
   青森県 八戸市 大字鮫町字日二子石18 鮫駅前 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1920年 川崎 No.656
  使用開始: 1921年5月17日 仙台局
  配置: 1955年8月1日 小牛田
  移動: 1955年10月1日 盛岡
  移動: 1972年4月9日 弘前
  廃車: 1974年6月20日 弘前
B保存に関わる情報
C参考
 八戸線鮫駅50周年記念として1974年11月10日に設置されました。


48624 Googleで検索
 


やまてつ:2001年9月17日撮影
機関車左側は切開され内部の仕組みがわかるようになっている。右側は原型であるが、ロッドが外されたままになっているのが残念である。
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@所在地
   北海道 河東郡音更町 大通6丁目1番地 大通交通公園 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1921年 川崎造船所 No.671
  使用開始: 1921年6月14日 東京局
  関東大震災にて被災: 1923年9月1日 上野駅
  配置: 1933年3月31日 釧路
  配置: 1947年3月31日 池田
  配置: 1961年3月31日 帯広
  廃車: 1964年8月8日 帯広
  保存開始: 1965年2月27日
B保存に関わる情報
  管理: 河東郡音更町  所有: JR北海道(無償貸与)
C参考
 カットボディー、JR釧路工場で標本として保存されていた。
E参考資料
 蒸気機関車 No47(77-1) P26-27 北海道の保存蒸気 奥野和弘


48630《第2動輪》 Googleで検索
 

やまてつ:2000年12月撮影
@所在地
   鳥取県 米子市 弥生町 米子区 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1921年8月14日 日立製作所 No.20
  使用開始: 1921年8月14日 鹿児島
  配置: 1933年3月31日 米子
  配置: 1947年3月31日 米子
  配置: 1961年3月31日 米子
  廃車: 1972年1月31日 米子
B保存に関わる情報
C参考
 


48640 Googleで検索
 




やまてつ:2011年9月撮影
 2011年9月17〜19日にかけて五能線活性化クラブが鯵ヶ沢の48640で行った整備作業に参加してきました。これは48640が鯵ヶ沢から弘前へ移転を前にイベントを行うためです。当初は塗装を中心に整備する予定でしたが、あいにくの天気でロッド磨きと火室内の砂利の除去になってしまいました。砂利は火室いっぱいに詰め込まれ5tとか10tとかいうくらいの量が入っていました。入り口からでは書き出せず、中に人が入って人海戦術で取り除きました。 最後の19日はお別れイベントを行いました。48640は38年間もこの地で保存され、あいにくの天気だったのですが、多くの人が訪れてくれました。
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@所在地
   青森県 弘前市 大字新里字東里見 弘南電鉄新里駅 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1921年9月21日 汽車製造 No.519
  使用開始: 1921年9月21日 仙台局
  配置: 会津若松
  移動: 1939年11月 盛岡
  移動: 1962年2月 秋田
  移動: 1965年11月26日 弘前
  廃車: 1973年6月22日 弘前
   走行距離: 2,900,000km
  保存開始: 1973年11月9日
保存時契約当事者
 国有鉄道:秋田鉄道管理局長 相手方:青森県鯵ヶ沢町長 1973年8月8日
 JR発足時の移管先:JR東日本
B保存に関わる情報
  管理: 五能線活性化クラブ  所有: 五能線活性化クラブ
C参考
 塩害により腐食が激しく、年々腐食が進行している状況がわかります。早くしないと手遅れになりそうです。8620形式の中で一番状態が悪い。
1986年5月20日に修理を記念して設置された看板があります。
2006年秋に解体撤去の話が出たのですが、五能線活性化倶楽部に譲渡した上で保存されることになり、2007年6月22〜24日にかけて修理が行われました。
2011年11月13日〜14日にかけて、新しい保存場所である弘南鉄道新里駅に移転した。
旧保存場所は青森県 西津軽郡鰺ヶ沢町 本町209-2 鯵ヶ沢町役場前
Dアスベストについての対応
 2005年10月時点 ロープが張られ立入禁止


48647 Googleで検索
 

やまてつ:2005年撮影
『高千穂町トンネルの駅』に行ってきました。菊水プラザ保存時代は見つけることができず、解体されていると思っていました。機関車はトンネルの駅に移転にあたり再整備を受け、非常に良い状態となっていました。
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@所在地
   宮崎県 西臼杵郡高千穂町 下野赤石2221-2 トンネルの駅 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1921年10月 汽車製造 No.526
  使用開始: 1921年10月19日 名古屋局
  配置: 1933年3月31日 出水
  配置: 1947年3月31日 伊万里
  配置: 1961年3月31日 早岐
  門デフ装備: 1961年9月 小倉工場
  お召し牽引: 1969年10月31日 平戸口−伊万里
  移動: 人吉
  全般検査切れ: 1973年6月16日 人吉
  第1種休車: 1973年5月26日 人吉
  留置: 1975年2月14日 矢岳
  廃車: 1973年9月20日 人吉
B保存に関わる情報
  管理:   所有: JR九州(無償貸与)
C参考
 元御召し機 菊水プラザ廃園のため町有地に、SLがある町有地には民間の物産館建設 が予定されたため、もらい手を探していたところ、廃棄寸前に 高千穂町の神楽酒造が引 き取り、同町内「トンネルの駅」に展示することとなった。
E参考資料
 蒸気機関車 No72(81-3) P26-33 私のSL御召し列車
 鉄道ピクトリアル No307(75-6) P83 ハチロク矢岳へ回送
 蒸気機関車 No57(78-9) P13-16 長崎国体のSLお召 高井憲行


48650 Googleで検索
 


やまてつ:2004年7月1日撮影
久しぶりの訪問であるが、状態は前回と変わらず塗装は相当褪せており、埃が積もり、蜘蛛の巣が隆盛をほこっていた。
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@所在地
   広島県 三次市 三次町1691-4 三次市文化会館 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1921年11月11日 汽車製造 No.529
  使用開始: 0921年11月28日 名古屋局
  配置: 1933年3月31日 金沢
  配置: 1947年3月31日 津和野
  移動: 1949年8月27日 下関
  移動: 三次
  最終貨物牽引: 1970年12月9日 福塩線
  廃車: 1971年3月8日 芸備線管理所
   走行距離: 2,518,953km
  保存開始: 1972年3月17日
保存時契約当事者
 国有鉄道:広島鉄道管理局長 相手方:山口県三次市長 1971年6月17日
 JR発足時の移管先:JR西日本
B保存に関わる情報
  管理:   所有: JR西日本(無償貸与)
C参考
 三次町文化会館前に屋根付きで高い柵の中に保存される。あまり整備はされていないが、腐食は少なく状態良好
E参考資料
 蒸気機関車 No69(80-9) P6-7 わが町の静態保存機
 鉄道ファン No.119(71-3) P119 福塩線貨物列車全廃 -12月10日合理化


48674《動輪》 Googleで検索
 

やまてつ:2003年10月26日撮影
@所在地
   鹿児島県 姶良郡湧水町 川西 JR吉松駅前 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1922年1月 汽車製造 No.558
  使用開始: 1922年1月27日 大里
  配置: 大分
  移動: 1950年1月27日 鹿児島
  全般検査: 1968年2月2日 鹿児島工場
  休車: 1972年1月14日 鹿児島
  廃車: 1972年3月25日 鹿児島
B保存に関わる情報
C参考
 カットテンダーをつけ鹿児島にて入替用として活躍。鉄道100周年を記念して吉松駅前に動輪が保存された。8620型にしては珍しく刻印が存在する。


48696 Googleで検索
 

「ふるさとの蒸気機関車」 駅長さん:2010年2月撮影
昭和46年廃車。大牟田市に寄贈され動物園で風雨に曝されていた。2005年の夏まで走った「あそBoy」に部品を数多く提供して助けた兄弟機。長らく放置されて心身ともに腐っていたが2006年3月に整備された。存続云々で問題の動物園は民間委託されて若い従業員のみなさんの挨拶が素晴らしく、訪れた人は心が温くなる。頑張れキューロク。頑張れ延命動物園。
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@所在地
   福岡県 大牟田市 昭和町163 延命公園内市立動物園 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1922年 日立製作所 No.36
  使用開始: 1922年1月30日 三田尻
  移動: 南延岡
  移動: 早岐
  移動: 1932年11月28日 鹿児島
  移動: 1940年6月29日 行橋
  移動: 大分
  移動: 1950年1月27日 鹿児島
  休車: 1971年8月23日
  廃車: 1971年12月13日 鹿児島
保存時契約当事者
 国有鉄道:熊本鉄道管理局長 相手方:福岡県大牟田市長 1972年3月30日
 JR発足時の移管先:JR九州
B保存に関わる情報
  管理:   所有: JR九州(無償貸与)
C参考
  「ふるさとの蒸気機関車」
 整備はされている模様ですが、シリンダーブロック覆いなどが腐食により失われ、盗難により正面ナンバープレートがなくなっているのが残念です。入れ替えに使用されたためか右運転台で動力逆転機付です。鹿児島機関区時代は前面、後面はゼブラ塗装でカットテンダー付ですが、保存に際にテンダーが振り替えられたようです。


58623 Googleで検索
 


やまてつ:2011年5月1日撮影
日本車輌工場正門前に保存されている58623です。機関車左側を見ることができます。屋根があり整備を受けており状態は良好です。
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@所在地
   愛知県 豊川市 穂ノ原 日本車輛豊川製作所 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1922年 日本車輌 No.54
  使用開始: 1922年5月3日 名古屋局
  移動: 正明市
  配置: 1961年3月31日 松山
  移動: 小松島
  廃車: 1970年5月28日 小松島
  保存開始: 1970年10月31日 保存のため豊川工場へ回着
B保存に関わる情報
  管理:   所有: JR東海(無償貸与)
C参考
 工場敷地内にあり管理も行き届いている。四国地区で使用された機関車で、四国管内では工場研修の都度にボイラー換装を行っており、8638のボイラーが使用されているらしい。
E参考資料
 鉄道ファン No.119(71-3) P128 日車で8620保存


58629〔羽幌炭鉱鉄道 58629〕 Googleで検索 解体: 2009年6月
 

やまてつ:1998年7月26日撮影
1998年訪問前までにデフの破損などの修理が行われ綺麗になりました。
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@所在地
   北海道 苫前郡羽幌町 南6条3 勤労青年ホーム Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1922年2月15日 日立製作所 No.37
  使用開始: 1922年2月15日 東京局
  配置: 上野
  移動: 1922年11月 高崎
  配置: 1933年3月31日 深川
  配置: 1935年3月31日 恵比島
  移動: 中雄別
  廃車: 1959年3月4日 旭川
  譲渡契約: 1959年6月29日 羽幌炭鉱鉄道
  設計認可: 1959年10月22日 羽幌炭鉱鉄道
  竣工届: 1959年12月10日 羽幌炭鉱鉄道
B保存に関わる情報
  管理: 苫前郡羽幌町  所有: 羽幌町?
C参考
 国鉄から払下げられ羽幌炭鉱鉄道で1970年まで活躍。密閉キャブに改造されている。
1994年訪問時には隣接する体育館からの雪によりデフが押しつぶされ、状態も悪かった。1998年訪問前までに修理された。
腐食の進行のため、維持管理ができないということで、2009年6月15日よpり解体されました。プレート等は羽幌町郷土資料館に展示されるそうです。


58654《動態》 Googleで検索
 

「ふるさとの蒸気機関車」 駅長さん:2010年3月撮影
矢岳駅前の人吉市SL展示館に静態保存されていた58654(8620形)を、復元したうえで1988年8月28日に熊本駅〜宮地駅間運行の快速「SLあそBOY」として営業運転に復帰したが、2005年3月に車両故障を起こし修復不能と判断されたことから運転終了となった。その後JR九州は小倉工場で4億6千万円をかけて修復、肥薩線が開業100周年を迎える2009年(平成21年)4月25日から熊本駅〜人吉駅間でリニューアルした客車とともに運転開始された。2013年は3月17日(土)から土日・祝祭日・夏休みを中心に走り出す。2012年は年間通じて予約でほぼ満席であった。
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@所在地
   熊本県 熊本市 JR九州
A車歴
  製造: 1922年11月18日 日立製作所 No.62
  使用開始: 1922年11月18日 浦上
  移動: 1925年12月25日 名古屋
  移動: 1926年2月3日 若松
  移動: 1926年9月30日 吉松
  移動: 1932年11月28日 鹿児島
  移動: 1939年11月4日 豊後森
  移動: 1943年2月26日 鳥栖
  移動: 1949年6月21日 西唐津
  お召し牽引: 1961年4月
  移動: 1964年3月20日 若松
  移動: 1968年6月1日 人吉
  全般検査: 1970年11月4日 鹿児島工場
  最終列車牽引: 1975年3月10日 湯前線
  廃車: 1975年3月31日 人吉
  全検切れ: 1975年6月9日
B保存に関わる情報
  管理:   所有: JR九州
C参考
  「ふるさとの蒸気機関車」
  58654《動態》汽車・電車1971年〜保存車のページ
 JR九州の動態保存機 、現役時代はパイプ煙突で大型門鉄デフを装備、動態復元に際して、ボイラー、運転室、炭水車、デフを新製、煙突は保管してある化粧煙突を寄贈を受け使用した。その後、動輪を全部新製、2005年に台枠にゆがみを生じたことから現在使用注視中である。台枠を新製した上で2009年より八代、人吉間で復活予定である。
E参考資料
 蒸気機関車 No69(80-9) P6-7 わが町の静態保存機
 鉄道ファン No.330(1988-10) P77 ハチロク 58654号機 阿蘇の麓へ


58680 Googleで検索
 


やまてつ:2005年12月30日撮影
右側シリンダーブロックの被いが腐食によりなくなっている。
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@所在地
   千葉県 茂原市 萩原2 萩原交通公園 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1922年10月 汽車製造 No.630
  使用開始: 1922年10月18日 東京局
  配置: 1933年3月31日 田端
  配置: 1947年3月31日 成田
  配置: 1961年3月31日 佐倉
  移動: 1969年9月27日 福井
  廃車: 1971年7月6日 福井
保存時契約当事者
 国有鉄道:千葉鉄道管理局長 相手方:千葉県茂原市長 1971年9月29日
 JR発足時の移管先:JR東日本
B保存に関わる情報
  管理:   所有: JR東日本(無償貸与)
C参考
  58680汽車・電車1971年〜保存車のページ
 1971年9月27日に特設レールを用いて搬送
屋根なし、塩害により腐食が進行
E参考資料
 鉄道ジャーナル No.57(72-1) P131 茂原市交通公園に保存SL 
 蒸気機関車 No3(69-冬) P74-81 SL撮影の旅 佐倉の8620 大石和太郎
 蒸気機関車 No42(76-3) P16-20 下総の8620 飯田覚


58683 Googleで検索
 




やまてつ:2007年3月25日撮影
 58653が公開されると聞いて見てきました。 機関車は綺麗な状態でしたが、2年程前に80万円ほどかけて塗装したそうです。佐倉市は財政難でお金が出ないという事でOBの人たちがお金を出し合って、自ら塗ったそうです。負担は大変だったのだけれども、大切なものを後世まで残していきたいと思い出費したと話していました。保存会は現在は会員が40名ほどですが、実際参加できるのは数名程度にまでなっているということでした。ナンバープレートは別場所に保管、正面の煙室扉ハンドルは、盗難防止のため普段は隠しているそうです。 公開は年3回、3月の第4週の日曜日、8月の第1週、第2週の日曜日だそうです。佐倉市のホームページで事前に掲載されるようです。
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@所在地
   千葉県 佐倉市 表町2丁目4 高崎川南公園 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1922年10月18日 汽車製造 No.633
  使用開始: 1922年10月25日 国府津
  移動: 1932年3月1日 新小岩
  移動: 1944年12月1日 成田
  移動: 1955年2月1日 佐倉
  廃車: 1969年12月11日 佐倉
   走行距離: 2,287,115km
  保存開始: 1973年3月29日
保存時契約当事者
 国有鉄道:千葉鉄道管理局長 相手方:千葉県佐倉市長 1973年3月28日
 JR発足時の移管先:JR東日本
B保存に関わる情報
  管理:   所有: JR東日本(無償貸与)
C参考
 屋根の下、金網で厳重に覆われ鳥かご状態で保存、近年塗装されて状態は良好です。ナンバープレートはプラスチック製、煙質扉ハンドルが無いのが残念です。
E参考資料
 蒸気機関車 No3(69-冬) P74-81 SL撮影の旅 佐倉の8620 大石和太郎
 蒸気機関車 No42(76-3) P16-20 下総の8620 飯田覚


58685 Googleで検索
 




やまてつ:2014年5月2日撮影
前回確認より10年が経過しました。塗装がくたびれており、そろそろ整備が必要な状態でした。
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@所在地
   香川県 仲多度郡多度津町 栄町 JR四国多度津駅前 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1922年10月30日 汽車製造 No.635
  配置: 1933年3月31日 新小岩
  配置: 1947年3月31日 小松島
  配置: 1961年3月31日 小松島
  四国最後の蒸気機関車列車78647: 1970年3月31日 牟岐線
  廃車: 1969年6月17日 多度津
   走行距離: 2,633,772km
  保存開始: 1970年10月3日
保存時契約当事者
 国有鉄道:四国総局長 相手方:香川県多度津町長 1969年12月27日
 JR発足時の移管先:JR四国
B保存に関わる情報
  管理:   所有: JR四国(無償貸与)
C参考
 蒸気機関車 No45(76-9)では機関車は78647、テンダーは58685のもの、1970年3月31日に四国最後のSL列車牽引後改番のうえ保存とあります。
機関車の刻印を確認したところ機関車の動輪、ロッドなどから58685の刻印が見られますが、台枠には78647の刻印がありました。また、四国地区の8620は皆パイプ煙突に交換されていますが、78647は終末期に長野から転属してきたため化粧煙突を維持していました。
78647の車歴:(沖田祐作・編『機関車表』国鉄編I参照)
 製造  1924-07-19  日立製作所笠戸工場 No.121
 使用開始1924-07-19 仙台局
 配置 1933-07-31 酒田
 配置 1947-10 米原
 配置 1955-08-01 米原
 移動 1964-10-26 長野
 移動 1969-03-23 小松島
 廃車 1970-05-28 小松島支区
E参考資料
 蒸気機関車 No45(76-9) P34-35 宇和島の鉄道とSL 井上武
 蒸気機関車 No45(76-9) P40-44 四国お遍路保存機めぐり 伊藤東作
 Rail Magazine No.300 沖田祐作・編『機関車表』国鉄編I 蒸気機関車編


58689 Googleで検索 解体: 2014年3月
 

愛媛のKaze:2007年12月15日撮影
 屋根付きで保存されています。塗装が少し色あせ剥離が見え始めましたが、外観としてはきれいな状態でした。外装諸装備は整っていますが、後部プレートは損失しております。運転室は油圧系統の各計器は外形のみで、文字盤は失われており、その他の操作系統の機器もかなり損失しています。右側助手席前扉が大きく壊れておりました。
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@所在地
   福岡県 北九州市小倉南区 金田3-1-1 JR九州小倉工場 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1922年11月 汽車製造 No.614
  使用開始: 1922年11月8日 早岐
  配置: 直方
  配置: 1933年3月31日 鹿児島
  配置: 1947年3月31日 豊後森
  門デフ化: 1956年6月 小倉工場
  全般検査: 1969年12月3日 小倉工場
  休車: 1972年6月1日 大分
  廃車: 1972年7月10日 大分
保存時契約当事者
 国有鉄道:大分鉄道管理局長 相手方:大分県三重町長 1972年8月17日
 JR発足時の移管先:JR九州
B保存に関わる情報
  管理:   所有: JR九州(無償貸与)
C参考
 屋根付き、状態良好、診療施設のため夜間は接近不可、見学の際には許可も必要である。
2012年に紫雲荘改装のため不要となり、2012年6月ころに部品取りのため小倉工場に搬送されたという情報がある。詳細は不明
E参考資料
 蒸気機関車 No74(81-7) P6-7 わが町の静態保存機


68635《第2動輪》 Googleで検索
 

やまてつ:2006年9月23日撮影
新津駅南口側に保存、鉄道100周年に水郡線を走ったSLだったので動輪だけとなってしまった姿は残念です。
@所在地
   新潟県 新潟市秋葉区 新津本町1丁目 新津駅前 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1923年4月6日 川崎 No.685
  使用開始: 1923年3月26日 三田尻
  配置: 1933年3月31日 津和野
  配置: 1947年3月1日 津和野
  配置: 盛岡
  配置: 1961年3月31日 北上
  配置: 1969年3月1日 東能代
  廃車: 1974年1月1日 弘前
   走行距離: 2,004,839km
B保存に関わる情報
C参考
 1974年5月に土崎工場で解体された8620型の第2動輪です。末期は五能線で活躍、1972年に鉄道100周年を記念して水郡線を走ったことが記録される。新津駅南口側に保存


68660《動輪・煙室扉》 Googleで検索
 

「ふるさとの蒸気機関車」 駅長さん:2012年3月撮影
2008年以来4年ぶりの串木野駅、駅前がガラッと変わって、ハチロクの動輪も長谷場 純孝(はせば すみたか)の胸像も、これまでとまるで逆の南側に移され。駅はプレハブに毛の生えた程度のチンケなもんになっていた。 長谷場純孝とは、ここ出身の政治家で、明治から大正にかけて文部大臣や衆議院議長を2度も勤めた。2回目の議長をした9日目に急死、議会も休止(ここシャレ)した。どうしてここに胸像があるかといえば、川内から鹿児島へは冠岳の東ルートなら近いのに、わざわざ遠回りさせて海岸の串木野へ鉄道を持ってきた功労者だから。駅がでけた大正2年(1913)は串木野村だったけど、いまは「いちき串木野市」。 撮影・2012年3月。
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@所在地
   鹿児島県 いちき串木野市 下名 串木野駅前 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1923年 日本車輌 No.80
  使用開始: 1923年3月31日 神戸局
  配置: 1933年3月31日 王寺
  配置: 1947年3月1日 吉松
  配置: 1961年3月31日 豊後森
  全般検査: 1969年8月11日 小倉工場
  移動: 1970年10月7日 若松
  休車: 1973年8月11日 若松
  廃車: 1973年9月20日 若松
  保存開始: 1973年12月14日
B保存に関わる情報
C参考
  「ふるさとの蒸気機関車」
 串木野駅前に煙室扉、動輪、汽笛を保存。設置は1973年12月14日、この他、大阪城公園内レストハウス”つどい”の前には第2動輪が保存されている。


68660《第2動輪》 Googleで検索
 

やまてつ:2003年7月12日撮影
@所在地
   大阪府 大阪市中央区 大阪城 大阪城公園内レストハウス”つどい” Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1923年 日本車輌 No.80
  使用開始: 1923年3月31日 神戸局
  配置: 1933年3月31日 王寺
  配置: 1947年3月1日 吉松
  配置: 1961年3月31日 豊後森
  全般検査: 1969年8月11日 小倉工場
  移動: 1970年10月7日 若松
  休車: 1973年8月11日 若松
  廃車: 1973年9月20日 若松
B保存に関わる情報
C参考
 大阪城公園内レストハウス”つどい”の前に保存される68660の動輪、鹿児島本線串木野駅前には煙室扉、動輪、汽笛が保存されている。


68691 Googleで検索
 

愛媛のKaze:2007年9月16日撮影
 公園内にあり自由に立ち入りができます。外観はきれいで諸装備も整っていましたが、ヘッドライトは本来のものなのでしょうか?運転室内も比較的揃っておりますが、2個(圧力計)のメーターのガラス・ハリが失われている他、数個のバルブがありませんでした。塗装はやや色あせ始めております。
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@所在地
   山形県 山形市 十日町4-1 第二公園 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1923年12月1日 日立製作所 No.105
  使用開始: 1923年12月1日 仙台局
  配置: 1933年3月31日 長岡
  配置: 1947年3月31日 山形
  配置: 1961年3月31日 大館
  廃車: 1970年5月31日 大館
保存時契約当事者
 国有鉄道:秋田鉄道管理局長 相手方:山形県山形市長 1969年6月23日
 JR発足時の移管先:JR東日本
B保存に関わる情報
  管理:   所有: JR東日本(無償貸与)
C参考
 現役時代は花輪線で活躍、花輪線最終まで一足早く廃車になり保存された。屋根付いた状態で保存されており、状態も良好である。
E参考資料
 蒸気機関車 No69(80-9) P6-7 わが町の静態保存機


68692 Googleで検索
 


やまてつ:2005年3月19日撮影
テンダーにゴミがたまっているのが残念です。
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@所在地
   徳島県 徳島市 徳島町城ノ内1 徳島中央公園 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1923年12月15日 日立製作所 No.106
  使用開始: 1923年12月15日 仙台局
  配置: 1933年3月31日 長岡
  配置: 1947年3月31日 松山
  配置: 1961年3月31日 松山
  使用終了: 1970年1月7日 小松島
  廃車: 1970年2月1日 小松島
保存時契約当事者
 国有鉄道:四国総局長 相手方:徳島県徳島市長 1970年3月4日
 JR発足時の移管先:JR四国
B保存に関わる情報
  管理:   所有: JR四国(無償貸与)
C参考
 徳島機関区ほど近い徳島城公園内に、駅舎風建物と共に屋根付きで保存されている。運転室内の立ち入りはできない。ボイラーは48681のもので運転室脇に小型のプレートがついている。
E参考資料
 蒸気機関車 No69(80-9) P6-7 わが町の静態保存機
 蒸気機関車 No45(76-9) P40-44 四国お遍路保存機めぐり 伊藤東作


78626 Googleで検索
 




やまてつ:2014年5月5日撮影
久しぶりに訪問した78626です。屋根は設置されているものの、ヘッドライトがなく残念な状態です。綺麗に整備したい車両です。
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@所在地
   福岡県 遠賀郡遠賀町 広渡 総合運動公園コミュニティーセンター Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1923年5月 川崎造船所 No.987
  使用開始: 1923年5月12日 宮崎
  配置: 1933年3月31日 南延岡
  配置: 1947年3月31日 吉塚
  配置: 1961年3月31日 西唐津
  配置: 香椎
  移動: 1967年5月12日 都城
  移動: 1968年10月1日 南延岡
  全般検査: 1971年5月21日 小倉工場
  休車: 1974年4月25日 南延岡
  廃車: 1974年8月6日 南延岡
保存時契約当事者
 国有鉄道:門司鉄道管理局長 相手方:福岡県遠賀町長 1974年9月27日
 JR発足時の移管先:JR九州
B保存に関わる情報
  管理:   所有: JR九州(無償貸与)
C参考
 屋根付いていますが、塗装も劣化しており、部品も盗難にあっており、やや荒廃しています。形態的にはパイプ煙突なのが残念。2004年8月の台風により屋根が吹き飛ばされてしまいました。その後復旧されました。
Dアスベストについての対応
 ロープにより立入禁止


78653 Googleで検索
 




やまてつ:2009年9月14日撮影
2009年9月12日〜14日まで行われた五能線活性化クラブの78653、48640の整備に参加した際のものです。日立より移転の際に塗装したコールタール系塗料は耐久性は良いのですが対光性が低いため数年で塗りなおしました。はじめに高圧洗浄機で塗装の剥離箇所などを洗い落とし、コールタール系塗料を全塗装しました。また、煙室内など雨が溜まる箇所の塗装を行い、腐食が進まないように注意を払いました。
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@所在地
   青森県 西津軽郡深浦町 大字舮作字鍋石226-1 ウェスパ椿山駅前 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1924年10月4日 日立製作所 No.138
  新製配置: 1924年10月5日 姫路
  移動: 1932年5月6日 湊町
  移動: 1937年12月21日 高島
  移動: 1939年4月6日 常陸大子
  移動: 1960年1月31日 佐倉
  移動: 1961年2月7日 平
  移動: 1969年10月4日 水戸
  廃車: 1970年4月9日 水戸
   走行距離: 2,315,379km
  保存開始: 1970年9月6日 移動は70年8月27日〜28日
保存時契約当事者
 国有鉄道:水戸鉄道管理局長 相手方:茨城県日立市長 1970年8月11日
 JR発足時の移管先:JR東日本
B保存に関わる情報
  管理:   所有: JR東日本(無償貸与)
C参考
  78653汽車・電車1971年〜保存車のページ
  日立市の当時助川小学校2年生の手紙がきっかけになり保存されることとなる。当初はC12型が候補に上がっていたが、日立市へ保存するのだから日立製作所製が良いということになり、水戸機関区に製造番号138番の78653があることがわかり保存されることになった。日立市への搬入は1970年8月27日、エンジン部とテンダー部を切り離してかみね公園へ、9月6日に日立市長と、きっかけを作った女子小学生による記念式典が行われた。
 保存より30年を経過した、屋根なしで保存しており、あまり整備をされていないため腐食進行した。2006年1月27日に新聞報道、410万円の予算をつけて2006年3月末までに機関車を解体することになった。一方で五能線で動態保存の準備を進める五能線活性化倶楽部に情報が入り日立市へ機関車の譲渡申請が行われた。2006年4月22日に五能線活性化倶楽部に譲渡され、ウェスパ椿山でひとまず展示されることになった。日立市では「日立ハチロク応援団」が結成され移送のための募金活動と整備も行われ、6月23日には盛大にハチロク壮行会が行われ、7月11日に日立を後に青森に旅立った。
 青森までの輸送は3日間ほどかかり、7月14日に新たな保存場所である深浦町ウェスパ椿山駅前に到着、組立、修繕、塗装が行われ、7月23日にセレモニーが行われた。奇しくも五能線全線開通70周年にあたった。
旧保存場所:茨城県 日立市 宮田町5-3324 神峰動物公園
E参考資料
 鉄道ファン No.114(1970-11) P104 水戸の話題 水戸区の78653号日立市に貸与決まる。 近藤明徳
 鉄道ファン No.115(1970-12) P106 日立に「ハチロク」保存される。 近藤明徳


78675 Googleで検索
 

郁仁:2003年8月24日撮影
2003年8月23日に展示から約三十年を経て、塗装の剥がれが著 しくなり、市民から塗り替えの要望で市が対 応を考えていたころ、日本塗装工業会県支 部の職人さんたち約五十人のボランティアに よる塗り替えが行なわれました。 作業は午 前八時から夕方まで行なわれ、機関車本体 をやすりで磨いた後、手作業で塗り替えを行 いました。黒光りした綺麗な姿となったそうです。 奈良新聞 8月24日記事参考塗装は多少おかしいところが見られました。両側の第一動輪附近、弁心棒案内の色が公式側は黒、非公式側は銀というふうに左右異なること、旧状では空気放熱管が金になっていたりと。参考<8620形 78675号 蒸気機関車(金剛・ハロー号)の概要
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@所在地
   奈良県 五條市 新町 歴史民族史跡公園 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1925年1月13日 川崎造船所 No.1033
  使用開始: 1925年1月13日 神戸局
  配置: 1933年3月31日 新見
  配置: 1947年3月31日 三次
  配置: 1961年3月31日 三次
  移動: 1970年10月19日 和歌山
  廃車: 1972年5月11日 和歌山
  保存開始: 1972年10月17日
保存時契約当事者
 国有鉄道:天王寺鉄道管理局長 相手方:奈良県五条市長 1972年8月1日
 JR発足時の移管先:JR西日本
B保存に関わる情報
  管理:   所有: JR西日本(無償貸与)
C参考
  説明板です。文作成:郁仁さん
  78675Welcome to Hibiki's Homepage!
 

E参考資料
 蒸気機関車 No69(80-9) P6-7 わが町の静態保存機
 蒸気機関車 No69(80-9) P25 五条の78675 戸谷晴彦


78693 Googleで検索
 


やまてつ:2005年7月23日撮影
修理のため郡山工場入りしたキハ048、キハ112を見に郡山工場を訪れました。機関車は最近整備されたと見え、非常にきれいでしたが、やはりカットボディーは惨めですね。
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@所在地
   福島県 郡山市 菱田町1-19 JR東日本 郡山総合車両センター Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1925年8月 日本車輌 No.137
  使用開始: 1925年8月27日 仙台局
  配置: 1933年3月31日 米沢
  移動: 新小岩
  移動: 1941年11月16日 常陸大子
  配置: 1961年3月31日 土浦
  廃車: 1962年3月31日 水戸
B保存に関わる情報
  管理:   所有: JR東日本
C参考
 本日郡山工場一般公開に行ってきました。当初、現存しているのかどうかも不安だった78693号機ですが、工場内の線路上に保存されていました、さすがにここ まで入って悪戯する人はいないようですが、塗装も少し落ちて、車体の一部にはこけも生えています。ただ、土崎のC51 44号機ほどは悪くはなく多少の整備をすれば大丈夫そうです(2004年7月24日:佐藤平)。


88622 Googleで検索
 

「ふるさとの蒸気機関車」 駅長さん:2007年4月10日撮影
2004年3月1日に郷ノ浦・芦辺・石田・勝本の四町が合併し て壱岐市になりました。従って現在、管理は壱岐市がやっています。最近塗り直した形跡もありますが上屋がないので、痛みが激しいようです。「汽車を見ることがない島の子に汽車を見せたい」というのが保存した理由で、結構、子供連れの親子に人気があるようです。消防署の前の公園にあるのだから、火事がいつもあるワケはではなし、ヒマな時間には消防署が手入れをすればいいのに、目の前にあっても、 これをしないのが縦割り行政じゃなとかと感じてしまいます。
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@所在地
   長崎県 壱岐市 芦辺町国分東触 国分消防署前 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  製造: 1926年2月 汽車製造 No.861
  使用開始: 1926年2月4日 仙台局
  配置: 1933年3月31日 村上
  配置: 1947年3月31日 成田
  配置: 1961年3月31日 新小岩
  移動: 1966年8月19日 若松
  廃車: 1974年2月25日 若松
保存時契約当事者
 国有鉄道:門司鉄道管理局長 相手方:長崎県芦辺町長 1974年2月28日
 JR発足時の移管先:JR九州
B保存に関わる情報
  管理:   所有: JR九州(無償貸与)
C参考
 塩害によって腐食が進行、近年整備されたが金属の質は失われている。


88623 Googleで検索 解体: 1983年10月
 
@所在地
   愛知県 東海市 東海ユニー
A車歴
  製造: 1926年2月 汽車製造 No.862
  使用開始: 1926年2月5日 仙台局
  配置: 1933年3月31日 新津
  配置: 1947年3月31日 新津
  配置: 1961年3月31日 長野
  さよなら列車牽引: 1973年5月27日 越美北線
  保存開始: 1974年10月11日
B保存に関わる情報
C参考
 荒廃と店舗改造のため解体された。
E参考資料
 鉄道ピクトリアル No301(75-1) P96 福井機関区の扇形車庫姿消す。
 蒸気機関車 No12(71-3) P23-25 飯山の88623 内藤健作
 蒸気機関車 No21(72-9) P54-57 知らざれる越美北線 原京一


88638《動輪》 Googleで検索
 


やまてつ:2012年9月2日撮影
8620型第1動輪ですが刻印が無く88638のものであるかはよくわかりませんでした。
@所在地
   京都府 京都市東山区 花見小路新門前東入る 南側 祇園フルリール ジオラマレストラン&居酒屋バー デゴイチ 店頭 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  
B保存に関わる情報
C参考
 2009年12月にオープンした居酒屋 デゴイチの店頭に飾られています。


58624《先輪》 Googleで検索
 

やまてつ:2012年9月2日撮影
C12167体験運転に参加した際に撮影しました。
@所在地
   鳥取県 八頭郡若桜町 大字若桜 若桜鉄道若桜駅構内 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  
B保存に関わる情報
C参考
 若桜駅構内に転車台近くに置かれています。58624の刻印が認められます。


8620《動輪》 Googleで検索
 

やまてつ:2005年12月30日撮影
成東駅前に保存の8620型動輪です。刻印はわかりませんでした。表面はブロンズ塗装処理がなされています。
@所在地
   千葉県 山武市 津辺305 成東駅前 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  
B保存に関わる情報
C参考
 1945年に発生した米軍機の奇襲による弾薬列車爆発事故の犠牲者の慰霊碑として置かれている。形状より8620型のものであるが、刻印は無く、どの機関車のものだかわからない。


8620《煙室扉・焚口扉》 Googleで検索
 

やまてつ:2005年12月30日撮影
成東町歴史民族博物館の入口に保存されている8620型の煙室扉と焚口戸です。C58217のナンバープレートをつけていますが煙室扉の形状とリッベトがあることから8620型とわかります。
@所在地
   千葉県 山武市 殿台392 成東町歴史民俗資料館 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  
B保存に関わる情報
C参考
 成東町歴史民俗資料館の入り口に存在する。C58217のプレートがつけられているが、形状より8620のものである。成東駅前に置かれた動輪と同様、どの機関車のものかわからない。


8620《第2動輪》 Googleで検索
 

やまてつ:2004年6月19日撮影
@所在地
   香川県 仲多度郡多度津町 栄町 多度津駅前 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  
B保存に関わる情報
C参考
 多度津駅前に保存される8620型動輪です。刻印は無く、どの車輌で使用されたのかはわかりません。
E参考資料
 蒸気機関車 No45(76-9) P40-44 四国お遍路保存機めぐり 伊藤東作


8620《動輪》 Googleで検索
 

やまてつ:2001年1月3日撮影
@所在地
   熊本県 人吉市 大畑麓町 大畑駅構内 Yahoo地図 Google地図
A車歴
  
B保存に関わる情報
C参考
 大畑駅構内に記念碑として8620型動輪が保存されています。残念ながら刻印はわからず、何号機がはいていたものかわかりませんでした。


8620《動輪》 Googleで検索
 
@所在地
   大分県 玖珠郡玖珠町 豊後森
A車歴
  
B保存に関わる情報
C参考
 玖珠町を通過中に偶然見つけました。位置は控えておらず不明です。



参考図書
 鉄道ピクトリアル No169(65-4) <特集>8620・C50
 SL No.8 1973 交友社
 蒸気機関車 No42(76-3) 8620・C50特集
 蒸気機関車 No69(80-9) 8620・C50特集

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