<東京都23区 >
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C56 31 Googleで検索
     やまてつ:2005年4月15日撮影 2002年夏、靖国神社資料館新築に伴い屋内に移転しました。ロッドなども磨き出されており、非常に良い状態です。機関車を見るのには費用がかかりませんでした。 @所在地 東京都 千代田区 九段北3丁目1−1 靖国神社境内 遊就館 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1936年2月 日本車輌 No.409 : 七尾 泰緬鉄道開通式: 1943年10月25日 七尾 日本帰還: 1979年6月25日 B保存に関わる情報 管理: 所有: ? C参考 C56 31(汽車・電車1971年〜保存車のページ) タイより1979年に帰国、タイ仕様で保存、2002年夏、靖国神社資料館改築に伴い、屋内に移転
E参考資料
蒸気機関車 No68(80-7) P84 C56奉納と募金決算報告
蒸気機関車 No71(81-1) P36-48 特別グラフ 海を渡ったC56
蒸気機関車 No74(81-7) P6-7 わが町の静態保存機
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C62 15《動輪》 Googleで検索
 やまてつ: @所在地 東京都 千代田区 丸の内1 東京駅動輪の広場 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1948年12月15日 日立製作所笠戸工場 No.1799 新製配備: 1948年12月21日 糸崎 使用開始: 1948年12月29日 移動: 1949年8月12日 岡山 移動: 1950年7月2日 浜松 移動: 1953年7月26日 広島第二 移動: 1965年10月1日 糸崎 移動: 1970年10月4日 小樽築港 廃車: 1971年11月24日 小樽築港 廃車: 1971年11月24日 小樽築港 B保存に関わる情報 管理: 所有: JR東日本 C参考 C62 15《動輪》(汽車・電車1971年〜保存車のページ) 東京駅丸の内側地下街に動輪のみ保存
E参考資料
鉄道ジャーナル No56(71-12) P48-65 惜別
鉄道ジャーナル No59(72-3) P112 苗穂工場便り
鉄道ジャーナル No66(72-10) P61-69 王者の花道
鉄道ピクトリアル No270(72-10) P106 東京地下駅にC6215の動輪
鉄道ファン No.400(1994-8) P10-66 機関車C62 西尾 恵介
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C57 53《動輪》 Googleで検索
 やまてつ: @所在地 東京都 中央区 銀座4-3-9 天賞堂 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1938年3月28日 川崎車輌 No.1906 使用開始: 1938年3月28日 広島局 移動: 鳥栖 移動: 1949年4月19日 鹿児島 移動: 1950年9月30日 門司港 移動: 1956年4月13日 鹿児島 移動: 1961年2月25日 長崎 移動: 早岐 移動: 1963年10月1日 大分 全般検査: 1967年9月 小倉工場 移動: 1971年3月29日 若松 休車: 1971年8月4日 若松 廃車: 1972年2月7日 若松 B保存に関わる情報 C参考 第二動輪の片側を店内に保存
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C11 292 Googleで検索
      
 やまてつ:2004年12月6日撮影 今年もクリスマスの飾り付けが行われました。 @所在地 東京都 港区 新橋2丁目7 新橋駅西口前 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1945年2月11日 日本車輌 No.1368 配置: 1949年3月1日 姫路 配置: 1961年3月31日 姫路第一 移動: 1972年8月9日 品川 廃車: 1972年9月16日 品川 走行距離: 1,083,795km 保存時契約当事者 国有鉄道:東京南鉄道管理局長 相手方:東京都港区長 1972年10月26日 JR発足時の移管先:JR東日本 B保存に関わる情報 管理: 所有: JR東日本(無償貸与) C参考 C11 292(汽車・電車1971年〜保存車のページ) 鉄道100周年を記念して新橋駅前に保存される。ドームがカモボコ型である戦時型で、工作が簡略化されている。移送は姫路第一機関区より品川機関区に入り、汐留めまで移送し、分解され新橋駅まで運ばれた。
2003年暮れにはクリスマスの装い、サンタが機関車を運転していた。2004年3月に塗装作業
E参考資料
鉄道ジャーナル No.68(72-12) P118 新橋駅に保存機関車
鉄道ピクトリアル No.282(1973-8) P28-33、65 東京都内の保存機関車 青木栄一
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C58 425《動輪》 Googleで検索 @所在地 東京都 港区 新橋2丁目17−14 新橋駅前 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1947年11月30日 汽車製造 No.2561 B保存に関わる情報 C参考 C58 425《動輪》(汽車・電車1971年〜保存車のページ)
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京浜急行 デハ268 Googleで検索
       
       
  やまてつ:2014年10月25日撮影 @所在地 東京都 新宿区 西落合1-30-5 積水金属本社 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 汽車製造 B保存に関わる情報 C参考 京浜急行 デハ268 (汽車・電車1971年〜保存車のページ)
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東京都交通局 5001 《レプリカ》 Googleで検索
        やまてつ:2007年11月16日撮影 非常に良くできており、本物だといわれてもわからないくらいです。この一角のみ撮影可能になっていました。 @所在地 東京都 新宿区 三栄町22番地 新宿歴史博物館 Yahoo地図 Google地図 A車歴 B保存に関わる情報 C参考 東京都交通局 5001 《レプリカ》(汽車・電車1971年〜保存車のページ) 5000系の車体半分のレプリカで、台車などは木製であるが、一部には解体された都電5003号の部品が使われている。
E参考資料
鉄道ファン No.336(1989-4) P72-73 新宿になつかしの東京都電5000形が出現 宮松丈夫
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東京都交通局 6063 Googleで検索
       
  やまてつ:2005年7月28日撮影 神明都電車車庫跡公園に保存。高い柵に取り囲まれて撮影は困難。野外保存で補修整備も行われていないと見えて、状態は好ましくない。少しはなれて乙2が保存されている。 @所在地 東京都 文京区 本駒込4丁目35−9 神明都電車車庫跡公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 新製配置: 1949年3月19日 青山車庫 転属: 大久保車庫 転属: 南千住車庫 転属: 1967年9月1日 神明町車庫 転属: 1970年12月28日 荒川車庫 廃車: 1978年4月27日 荒川車庫 保存開始: 1979年2月9日 購入 360,000円 B保存に関わる情報 C参考 東京都交通局 6063 (汽車・電車1971年〜保存車のページ) 神明町車庫跡に作られた公園に保存されています。高い柵で囲まれていますが、柵の中はゴミだらけで、車輌も傷みが目立ちます。ちなみに神明町車庫は、1971年3月17日限りで廃止になっております。
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東京都交通局 乙2 Googleで検索
       
    やまてつ:2005年7月28日撮影 神明都電車車庫跡公園に6063とともに保存される。高い柵に囲まれた中に、あまり整備されずおかれている。ビューゲルは取り外され、荷台の上に保管されています。木製個所が多く、屋根は必要である。 @所在地 東京都 文京区 本駒込4丁目35-8 神明都電車車庫跡公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 改造: 1941年11月13日 廃車: 1971年3月20日 荒川車庫 B保存に関わる情報 C参考 東京都交通局 乙2 (汽車・電車1971年〜保存車のページ) 1928年に乙10型として製造、1941年に乙10の台車を利用して作られた電動無蓋車です。運転室は木造のため重さに耐えられないためかビューゲルは取り外され、荷台の上に保管されています。
1974年11月より当地に搬入され保存されています。公園の標識には1981年7月22日に現在地へ移動し保存されたとなっております。当初はビニール製の屋根があったようですが、現在は骨組みだけが残されています。
E参考資料
鉄道ピクトリアル No304(75-3) P79都電乙2神明町車庫跡に保存
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D51 231 Googleで検索
       
       やまてつ:2014年12月20日撮影 定期的に整備が行われているようで状態がよい。最近は、蒸気の実演展示は行われていないようです。 @所在地 東京都 台東区 上野公園7-20 上野国立科学博物館 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 長野工場 No.3 配置: 1948年7月1日 吹田 移動: 1954年6月15日 盛岡 移動: 1968年8月23日 小樽築港 移動: 1973年10月7日 追分 廃車: 1976年3月10日 追分 走行距離: 2,160,000km 保存時契約当事者 国有鉄道:東京北鉄道管理局長 相手方:国立科学館長 1976年7月30日 JR発足時の移管先:JR東日本 B保存に関わる情報 管理: 所有: JR東日本(無償貸与) C参考 D51 231(汽車・電車1971年〜保存車のページ) 当初の予定はD51603でしたが、追分機関区火災により保存できなくなったため振り返られた。野外で腐食が進行していたが、2001年〜2003年の間に鉄板張替えを含む大規模な修理が行なわれた。状態は良好。月曜日は国立科学博物館が休館のためスチームの演出は見られなかった。(やまてつ)
交通博物館の帰りに上野によって、上野公園の国立科学博物館前に保存されているD51 231号機を見に行きました。僕がついたとき蒸気をはいており(写真に撮ってありますが、霧が30秒間だけ出るそうです)写真に撮りました。屋根はありませんが、状態はとてもいいです。(2004年3月26日幹彦)
E参考資料
蒸気機関車 No72(81-3) P6-7 わが町の静態保存機
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東京都交通局 7506 Googleで検索
        やまてつ:2008年3月29日撮影 池之端児童遊園に設置された都電7506です。3月31日まで公園整備が行われます。綺麗な状態を何時までも保ってもらいたいものです。 @所在地 東京都 台東区 池之端2-9 池之端児童遊園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 B保存に関わる情報 C参考 公園整備が行われていた池之端児童遊園に2008年3月に保存されました。
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東武鉄道 5 Googleで検索
       
     やまてつ:2001年10月30日撮影 @所在地 東京都 墨田区 東向島4丁目28 東武博物館 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1898年 ベイヤーピーコック 廃車: 1965年 B保存に関わる情報 C参考 東武鉄道 5 (汽車・電車1971年〜保存車のページ) 東武鉄道開業時からの車両で、国鉄5500型と同型である。開業時の姿に復元されて保存されている。東武鉄道記念物12号に指定されている。
E参考資料
蒸気機関車 No1(68-夏) P106-120 私鉄専用線の蒸気 内田広孝
蒸気機関車 No34(74-11) P23-26 東武鉄道の蒸気機関車 瀬古龍雄
蒸気機関車 No34(74-11) P27-36 東武鉄道の2Bテンダー 須田実
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東武鉄道 6 Googleで検索
       
       
       
   やまてつ:2001年10月30日撮影 整備をされて非常に良い状態でした。たまたま、博物館の人が掃除のために訪れたので、お願いして各部の撮影をさせてもらいました。 @所在地 東京都 墨田区 東向島2丁目37 東武博物館 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1898年 ベイヤーピーコック 廃車: 1965年 B保存に関わる情報 C参考 東武鉄道 6 (汽車・電車1971年〜保存車のページ) 東武鉄道開業時からの車両で、国鉄5500型と同型である。現役末期の姿で博物館近くの高架橋の下で保存されている。東武鉄道記念物12号に指定されている。
E参考資料
蒸気機関車 No1(68-夏) P106-120 私鉄専用線の蒸気 内田広孝
蒸気機関車 No34(74-11) P23-26 東武鉄道の蒸気機関車 瀬古龍雄
蒸気機関車 No34(74-11) P27-36 東武鉄道の2Bテンダー 須田実
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東武鉄道 ED101 Googleで検索
       
   やまてつ:2009年11月7日撮影 東武博物館移転後の姿です。登場時の姿に復元されています。 @所在地 東京都 墨田区 東向島4ー28 東武博物館 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1928年 イングリッシュ・エレクトリック No.741 竣工: 1928年 ED101 改番: 1943年 ED4001 譲渡: 1973年6月 近江鉄道ED4001 休車: 1986年 貨物運用廃止により イベント運転: 2000年10月 廃車: 2004年7月1日 彦根にて保管 保存: 2007年3月21日 近江鉄道ミュージアム 保存場所移転: 2009年1月 東武博物館 B保存に関わる情報 管理: 所有: 東武博物館 C参考 東武鉄道101として竣工し、ED4001に改番後、近江鉄道に譲渡された。
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東武鉄道 ED5015 Googleで検索
     やまてつ:2001年10月30日撮影 東武博物館内に綺麗な状態で保存されています。 @所在地 東京都 墨田区 東向島4ー28 東武博物館 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1959年3月 日立製作所水戸工場 新製配置: 1959年3月 坂戸 廃車: 1984年9月11日 坂戸 留置: 杉戸工場 保存: 1989年5月20日 東武博物館 廃車: 1984年9月1日 B保存に関わる情報 管理: 所有: 東武博物館 C参考 東武鉄道 ED5015 (汽車・電車1971年〜保存車のページ) 東上線で使用された。1984年に廃車後は杉戸工場で留置され、1989年に東武博物館開館に伴い再塗装の上保存された。
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東武鉄道 デハ5 Googleで検索
      やまてつ:2001年10月30日撮影 東武博物館内で綺麗な状態で保存されています。 @所在地 東京都 墨田区 東向島4ー28 東武博物館 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1924年 日本車輌 運用開始: 1924年10月1日 浅草(現業平橋)〜西新井間 改番: モハ1101号 入換機: 1961年 西新井工場 廃車: 1980年 保存: 1981年 東武動物園 保存先移転: 1989年5月20日 東武博物館 B保存に関わる情報 C参考 東武鉄道 デハ5 (汽車・電車1971年〜保存車のページ) 東武鉄道最初の電車運転のために製造された木造電車で、特徴としては、正面5枚窓、側窓降下式、3枚ドア、ダブルルーフ、米国ウェスチング社製電機装置、英国ブリル社製台車、両運転台(H棒仕切)などである。1961年より西新井工場の入換え機として使用されたが、東武動物園に展示されることになり、1980年に廃車、復元の上で1981年より展示された。1989年に東武博物館が開館する際には移転し、現在にいたる。東武鉄道記念物32号に指定されている。
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東武鉄道 モハ1721 《車体半分》 Googleで検索
       やまてつ:2001年10月30日撮影 車体全体が保存されていないのは残念な事です。車内には博物館側より入る事ができます。 @所在地 東京都 墨田区 東向島4ー28 東武博物館 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1960年9月 ナニワ工機 廃車: 1991年8月31日 B保存に関わる情報 C参考 東武鉄道 モハ1721 《車体半分》(汽車・電車1971年〜保存車のページ) デラックスロマンスカー1720系の先頭車です。車体全体が保存できなかったのが残念です。
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東武鉄道 モハ5701 Googleで検索
       
      やまてつ:2009年11月7日撮影 登場時の姿に復元され展示されたモハ5701、屋外で屋根の下で保存されています。 @所在地 東京都 墨田区 東向島4ー28 東武博物館 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1951年9月 汽車製造東京製作所 廃車: 1991年8月31日 B保存に関わる情報 C参考 東武鉄道 モハ5701 (汽車・電車1971年〜保存車のページ) 竣工後は特急「けごん」「きぬ」に使用された車両で、1991年まで活躍した。引退後は杉戸工場にクハ701とともに長らく保管されていたが、2009年の東武博物館リニューアルに際して保存されることになった(なお、相棒のクハ701は解体された)。その際に登場時の姿に復元されている。
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東武鉄道 モハ5703 《前面》 Googleで検索
 やまてつ:2009年11月7日撮影 @所在地 東京都 墨田区 東向島4ー28 東武博物館 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1953年4月 ナニワ工機 廃車: 1991年8月31日 B保存に関わる情報 C参考 東武鉄道 モハ5703 《前面》(汽車・電車1971年〜保存車のページ) 廃車後にアルナ工機にて前面のみ保存されていましたが、工場廃止に伴い東武博物館に引き取られ2003年より展示されています。
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東武鉄道 日光軌道線 203 Googleで検索
        やまてつ:2001年10月30日撮影 東武日光軌道線で活躍した連接電車です。博物館内より車内を観察できます。 @所在地 東京都 墨田区 東向島4ー28 東武博物館 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1954年4月 汽車会社東京支店 路線廃止: 1968年2月28日 保存: 宇都宮市内電車公園 保存場所移転: 1980年10月17日 →東武動物公園予定地 開園: 1981年3月28日 東武動物公園 保存場所移転: 1989年5月20日 東武博物館 廃車: 1968年2月25日 B保存に関わる情報 C参考 東武鉄道 日光軌道線 203 (汽車・電車1971年〜保存車のページ) 日光軌道線廃止後は宇都宮市内の公園にて集会場として利用されてきた。東武動物園開園に先立って1980年12月17日に移転、東武博物館が開館にあわせて現在地に移転した。
E参考資料
鉄道ファン No.240(1981-4) P117 保存電車の引越し
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帝都高速営団 5833 《部分保存》 Googleで検索
       
       
  やまてつ:2008年10月5日撮影 立入が自由であり、荒廃した状態です。プレート類も模造品であることがテプラで貼ってありました。 @所在地 東京都 江東区 新砂三丁目3番6号 新砂あゆみ公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 保存開始: 2002年4月1日 B保存に関わる情報 C参考 営団東西線南砂町駅東側にある新砂あゆみ公園に休憩所として東西線5000系のカットボディーが保存されています。
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2851〔西武鉄道 7〕 Googleで検索
       
       
       やまてつ:2008年1月1日撮影 定期的に整備を受けているようで、比較的綺麗な状態で保存されています。運転室内は立入り可能であるので、計器類は亡くなっていた。 @所在地 東京都 品川区 東品川3−14 東品川公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1897年5月31日 ピッツバーグ No.1711 納入: 1897年5月31日 伊賀鉄道(未開業) 譲渡: 阪鶴鉄道11A5形13号 国有化: 1907年8月1日 鉄道院 称号改正に伴う改番: 1909年10月1日 鉄道院2851 廃車: 1923年4月11日 1923年 譲渡: 1923年5月7日 播州鉄道 8 払下: 播州鉄道8号 国有化: 1943年6月 払下: 1945年 西武鉄道8号 改番: 西武7号 貸出し: 上武鉄道7号 使用休止: 1964年 廃車: 1965年11月1日 西武鉄道に返却 保存: 1969年3月 品川区 保存開始: 1969年3月18日 B保存に関わる情報 管理: 所有: 品川区 C参考 2851〔西武鉄道 7〕(汽車・電車1971年〜保存車のページ) 東品川の駅より徒歩5分くらいのところに保存、屋根があるもののジャングルジム状態で、運転室内は荒廃が進んでいる。
E参考資料
鉄道ファン No.96(1969-6) P89 上部鉄道7号機が動(静?)態保存
蒸気機関車 No68(80-7) P38-40 関東私鉄保存機めぐり 松岡泰和
鉄道ジャーナル No.71(1973-3) P96-101 私鉄・専用線の蒸気機関車 ’67〜’73 Part1 野ざらし機関車・1 汽車くらぶ
蒸気機関車 No1(68-夏) P106-120 私鉄専用線の蒸気 内田広孝
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C12 7 Googleで検索 解体: 1996年 @所在地 東京都 品川区 豊町2丁目1−30 戸越公園 A車歴 製造: 1933年3月 汽車製造 No.1188 配置: 1933年3月31日 会津 配置: 1941年3月31日 福井 配置: 1949年3月1日 苫小牧 移動: 1955年3月25日 軽井沢 移動: 桐生 移動: 1968年10月1日 高崎第一 廃車: 1970年6月4日 高崎第一 保存時契約当事者 国有鉄道:東京南鉄道管理局長 相手方:東京都品川区長 1970年8月1日 JR発足時の移管先:JR東日本 B保存に関わる情報 管理: 所有: JR東日本(無償貸与) C参考 足尾線を最後に活躍した。1970年9月より保存開始。1996年頃に荒廃のため解体、部品は大井川鉄道に引き取られた。
E参考資料
鉄道ピクトリアル No.282(1973-8) P28-33、65 東京都内の保存機関車 青木栄一
蒸気機関車 No72(81-3) P6-7 わが町の静態保存機
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C55 15《動輪》 Googleで検索
    やまてつ:2004年2月16日撮影 @所在地 東京都 品川区 西五反田3-2-13 さつき会館 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1935年10月28日 川崎車輌 No.1584 新製配置: 仙台 移動: 移動: 青森 移動: 会津若松 移動: 1950年12月6日 門司 移動: 鳥栖 門デフ装備: 1956年2月 小倉工場 移動: 1956年11月 大分 移動: 1960年10月 早岐 移動: 1963年6月11日 若松 最終運転: 1968年10月6日 筑豊線15:34飯塚→16:57若松736列車 移動: 1969年4月12日 鹿児島 廃車: 1969年8月29日 鹿児島 解体: 1970年1月15日 鹿児島工場 走行距離: 2,975,268km B保存に関わる情報 C参考 国鉄動力車労働組合の寄付により保存、車軸を短く切って保存、刻印あります。
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EF58 61 Googleで検索
       やまてつ:2010年8月28日撮影 東京総合車輌センターの一般公開で展示された。 @所在地 東京都 品川区 広町2-1-19 JR東日本 東京総合車両センター Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1953年7月9日 日立製作所 No.191160 新製配置: 1953年7月15日 東京 貸渡: 1971年10月23日 竜華 返却: 1971年10月27日 東京 移動: 1985年3月14日 新鶴見 移動: 1986年11月1日 田端 B保存に関わる情報 C参考 2008年に引退し、東京総合車輌センター内の御陵車庫に保存されている。通常は非公開。
E参考資料
鉄道ファン No.370(1992-2) 特集EF5861
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クモハ12052 Googleで検索 @所在地 東京都 品川区 広町2-1-19 JR東日本 東京総合車両センター A車歴 製造: 1929年 川崎車輌 新製: モハ31018 改番: 1953年 モハ11256 両運転台に改造: 1959年 クモハ12053 大井工場 引退: 1996年3月15日 鶴見線大川支線 B保存に関わる情報 C参考 17m車のため急カーブの多い鶴見線大川支線に活躍、1996年3月15日に引退した。引退直後はイベント運転が行われていたようであるが、現在は不可動になっている。
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クモハ12053 Googleで検索 解体: 2010年2月
     やまてつ:2006年8月26日撮影 2006年東京総合車両所一般公開をに展示されました。近づいて観察できなったのですが、状態は良好そうです。 @所在地 東京都 品川区 広町2-1-19 JR東日本 東京総合車両センター A車歴 製造: 1931年 川崎車輌 新製: モハ31008 改番: 1953年 モハ11256 両運転台に改造: 1959年 クモハ12053 大井工場 引退: 1996年3月15日 鶴見線大川支線 除籍: 2006年4月2日 B保存に関わる情報 C参考 クモハ12053 (汽車・電車1971年〜保存車のページ) 17m車のため急カーブの多い鶴見線大川支線に活躍、1996年3月15日に引退した。引退直後はイベント運転が行われていたようであるが、現在は不可動になっている。2010年2月に解体された。
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クモニ13 7 Googleで検索 解体: 2010年2月 @所在地 東京都 品川区 広町2-1-19 JR東日本 東京総合車両センター A車歴 製造: 1933年9月 汽車製造 廃車: 1987年3月1日 B保存に関わる情報 C参考
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クモヤ90 801 Googleで検索 解体: 2010年2月
    やまてつ:2006年8月26日撮影 東京総合車両所展示会にて。状態は良好です。 @所在地 東京都 品川区 広町2-1-19 JR東日本 東京総合車両センター A車歴 改造: 1970年4月 配置: 長野運転所 保管: 大船工場 B保存に関わる情報 C参考
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クハ901 1 Googleで検索
       
 やまてつ:2010年8月28日撮影 東京総合車輌所公開日に合わせて見学してきました。このような新しい車輌も保存されるようになったのだなとつくづく感じました。 @所在地 東京都 品川区 広町2-1-19 JR東日本 東京総合車両センター Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1992年 川崎重工業 B保存に関わる情報 C参考 JR東日本における「新系列車両」のルーツで、クハ209 901に量産化改造された。2007年まで使用された後、東京総合車輌センターで保存された。鉄道博物館に移転し展示されているクモハ101 902が保存されていた位置に設置された。
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C57 117《第2動輪》 Googleで検索
   やまてつ:2003年11月29日撮影 カレーハウスナイアガラの店主が保存、毎日磨いているということで非常に綺麗です。カレーハウスナイアガラは汽車好きの人にはたまらないお店、一度遊びに言ってください。 @所在地 東京都 目黒区 祐天寺2-1-5 ナイアガラ Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1939年10月23日 三菱重工神戸造船所 No.267 使用開始: 1939年10月23日 広島局 配置: 1941年4月1日 糸崎 移動: 1945年11月20日 熊本 配置: 1961年4月1日 熊本 移動: 1962年3月1日 宮崎 門デフ装備: 1967年10月1日 鹿児島工場 C5560 より譲受 全般検査: 1970年8月17日 鹿児島工場 御召し牽引: 1973年4月9日 西都城→宮崎 御召し牽引: 1973年4月10日 高鍋→宮崎 御召し牽引: 1973年4月12日 宮崎→延岡 休車: 1974年4月26日 宮崎 廃車: 1974年8月18日 宮崎 B保存に関わる情報 管理: 所有: ? C参考 最後の御召し機、保存を前提に出水機関庫跡に保管されていたが、1976年5月27日鹿児島工場にて解体
E参考資料
鉄道ピクトリアル No297(74-9) P82ハドソンの末路
蒸気機関車 No72(81-3) P26-33 私のSL御召し列車
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C57 66 Googleで検索
       
       
  やまてつ:2008年1月1日撮影 残念ながら年始年末の休暇のため昨年には入れず、外からの観察となりました。公開時間は午前8時30分〜午後4時30分までになります。 @所在地 東京都 大田区 大森北4-27-3 新井西児童交通公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1938年8月20日 川崎車輌 No.1965 使用開始: 1938年8月20日 梅小路 移動: 1939年11月16日 宮原 移動: 1946年4月1日 門司 移動: 1960年6月20日 大分運転所 移動: 1969年1月4日 宮崎 休車: 1973年6月21日 宮崎 廃車: 1973年11月8日 ? 走行距離: 3,124,322km 保存時契約当事者 国有鉄道:東京南鉄道管理局長 相手方:東京都大田区長 1974年3月25日 JR発足時の移管先:JR東日本 B保存に関わる情報 管理: 所有: JR東日本(無償貸与) C参考 C57 66(汽車・電車1971年〜保存車のページ) 日に2〜4回動輪を動かす仕組みあり、ユニークな保存。 屋外保存であるが、状態良好、煙室扉ハンドルなし
E参考資料
蒸気機関車 No44(76-7) P41 町の人気者C5766 編修部
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D51 428 Googleで検索
       
 愛媛のKaze:2008年5月15日撮影 公園内に屋外保存されています。塗装は良好でロッドや足回り・車輪もきれいに整備されています。テンダー後部ライトが欠 他の外装諸装備は良好でした。運転室内は両水面計・左ブレーキ圧力計が欠 他の諸計器類は外形のみで、文字盤・針・ガラスはありません。操作系統は揃っていました。外観がきれいですので、内部の復元整備が待たれます。 @所在地 東京都 大田区 南雪谷5-13-1 東調布公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1940年9月10日 日本車輛名古屋工場 No.803 新製配備: 1940年9月25日 青森 移動: 1956年9月22日 長町 移動: 1967年9月10日 新庄 移動: 1968年10月2日 秋田 移動: 1971年10月2日 新見 廃車: 1972年9月16日 新見 走行距離: 2,145,188km 保存時契約当事者 国有鉄道:東京南鉄道管理局長 相手方:東京都大田区長 1973年7月11日 JR発足時の移管先:JR東日本 B保存に関わる情報 管理: 所有: JR東日本(無償貸与) C参考 D51 428(汽車・電車1971年〜保存車のページ) 集煙装置付きを取り外して保存、野外、柵内保存、状態はまずまず。シリンダーブロック下部鉄板張替え、ボイラー下部鉄板削除
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東武鉄道 34 Googleで検索
       
       
       
  やまてつ:2008年1月1日撮影 たくさんの人が訪れていました。機関車は遊具ですが、状態は良好でした。煙突後ろ側の消音機ががぶらぶらしており、ネジを締めなおしてほしい。 @所在地 東京都 大田区 萩中3 萩中児童交通公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1914年 ベイヤーピーコック 佐野線お別れ列車: 1966年6月26日 B保存に関わる情報 C参考 東武鉄道 34 (汽車・電車1971年〜保存車のページ) 東武鉄道の蒸気機関車としては末期まで活躍。1996年9月頃に整備される。
E参考資料
蒸気機関車 No1(68-夏) P106-120 私鉄専用線の蒸気 内田広孝
蒸気機関車 No34(74-11) P23-26 東武鉄道の蒸気機関車 瀬古龍雄
蒸気機関車 No34(74-11) P27-36 東武鉄道の2Bテンダー 須田実
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サシ489 1 Googleで検索 解体: @所在地 東京都 大田区 蒲田 グルメステーション蒲田 A車歴 B保存に関わる情報 C参考
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サシ489 2 Googleで検索 解体: @所在地 東京都 大田区 蒲田 グルメステーション蒲田 A車歴 B保存に関わる情報 C参考
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東京都交通局 2011 Googleで検索 解体: @所在地 東京都 大田区 大森本町 大森第5小学校 A車歴 製造: 1952年 日本鉄道自動車 B保存に関わる情報 C参考
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東京都交通局 7502 Googleで検索 解体: 2006年 @所在地 東京都 大田区 萩中3 大田区立萩中児童交通公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 B保存に関わる情報 C参考 東京都交通局 7502 (汽車・電車1971年〜保存車のページ)
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C57 57 Googleで検索
       
       
     やまてつ:2006年1月8日撮影 塗装修理が行われてから1年を経過します。修理では外板の取替えを伴う大掛かりなものであることがわかります。大変綺麗ですが、車体は子供たちがよじ登るためか、各部に泥がついておりました。 @所在地 東京都 世田谷区 大蔵4-6-1 区立大蔵運動公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1938年5月3日 川崎車輌 No.1921 使用開始: 1938年5月3日 大阪局 配置: 1941年4月1日 宮原 配置: 1949年4月1日 仙台 御召し牽引: 1954年8月9日 長万部→虻田 伊達紋別→東室蘭 8月10日 登別→追分 御召し牽引: 1954年8月21日 小樽→札幌 配置: 1961年4月1日 小樽 配置: 1969年4月1日 室蘭 移動: 1969年10月1日 岩見沢 廃車: 1976年3月31日 岩見沢 保存時契約当事者 国有鉄道:東京西鉄道管理局長 相手方:東京都世田谷区長 1975年12月23日 JR発足時の移管先:JR東日本 B保存に関わる情報 管理: 所有: JR東日本(無償貸与) C参考 C57 57(汽車・電車1971年〜保存車のページ) 近年整備された
E参考資料
蒸気機関車 No64(79-11) P6-7 わが町の静態保存機
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D51 272 Googleで検索
       
       
       やまてつ:2006年1月8日撮影 夕日が当たり綺麗です。煙室扉の補修個所が目立ちます。機関車は塗装のくたびれも少なく、状態は良好でした。アスベスト調査中ということで立入禁止になっていました。 @所在地 東京都 世田谷区 池尻1-5-27 世田谷公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1939年8月8日 川崎車輌 No.2150 配置: 1948年7月1日 柳井 配置: 1957年11月1日 熊本 配置: 1968年4月1日 熊本 廃車: 1972年9月30日 厚狭 走行距離: 2,457,995km 保存開始: 1973年2月19日 保存時契約当事者 国有鉄道:東京西鉄道管理局長 相手方:東京都世田谷区長 1972年8月6日 JR発足時の移管先:JR東日本 B保存に関わる情報 管理: 所有: JR東日本(無償貸与) C参考 D51 272(汽車・電車1971年〜保存車のページ) 門鉄デフ装備機、状態がよいが、夏場は植生が繁茂するため写真が撮りづらい。
Dアスベストについての対応
2005年12月時点は立入禁止でしたが、安全が確認されたとして2006年2月までに公開が再開された。
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小田急電鉄 モハ10 Googleで検索
     やまてつ:2006年10月14日撮影 2006年10月14日に行われた海老名基地の車輌展示の際に撮影しました。このとき、入場が終了30分前となってしまったため、車輌に近づくことができず残念でした。 @所在地 東京都 世田谷区 喜多見9丁目 喜多見検車区 A車歴 使用開始: 1927年4月 小田原急行鉄道 形式変更: 1942年5月 モハ10→デハ1160 改造: 1943年6月 客室扉移設、乗務員室扉新設、運転台移設 米駐留軍指定車: 1946年5月 デハ1162火災のため 形式変更: 1950年12月 デハ1150→デハ1100 米駐留軍指定車解除: 1952年3月 改番: 1952年4月 デハ1160→デハ1105 改造: 1952年6月 片運転台化、戸閉自動化(東急車輛) 売却: 1959年7月 熊本電鉄デハ301 廃車: 1981年12月 熊本電鉄 小田急へ移設: 1982年7月 小田急大野工場 移動: 1998年 喜多見検車区 B保存に関わる情報 C参考 モハ10は小田急開業時(1927年)登場した車輌で、熊本電鉄に売却されデハ301として活躍後、1982年の開業55周年を記念して復元のため熊本電鉄より1981年に戻された。大野工場で開業時の姿に復元され、当初は大野工場で保存されていたが、1998年に喜多見検車区に移されている。
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小田急電鉄 2201 Googleで検索
   やまてつ:2006年10月14日撮影 2006年10月14日に行われた海老名基地の車輌展示の際に撮影しました。このとき、入場が終了30分前となってしまったため、車輌に近づくことができず残念でした。 @所在地 東京都 世田谷区 喜多見9丁目 喜多見検車区 A車歴 製造: 1954年 日本車輌 廃車: 1983年6月30日 B保存に関わる情報 C参考 2200型は、カルダン駆動を採用した小田急初の高性能車。2201と2202は1983年に廃車後は大野工場で引退時の姿で保存されていたが、 1997年にオレンジイエロー、ダークブルーの旧塗装に塗替えられた。1998年に喜多見検車区に移され、連結された状態で保存されている。
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小田急電鉄 2202 Googleで検索
   やまてつ:2006年10月14日撮影 2006年10月14日に行われた海老名基地の車輌展示の際に撮影しました。このとき、入場が終了30分前となってしまったため、車輌に近づくことができず残念でした。 @所在地 東京都 世田谷区 喜多見9丁目 喜多見検車区 A車歴 製造: 1954年 日本車輌 廃車: 1983年6月30日 B保存に関わる情報 C参考 2200型は、カルダン駆動を採用した小田急初の高性能車。2201と2202は1983年に廃車後は大野工場で引退時の姿で保存されていたが、 1997年にオレンジイエロー、ダークブルーの旧塗装に塗替えられた。1998年に喜多見検車区に移され、連結された状態で保存されている。
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小田急電鉄 3221 Googleで検索
        やまてつ:2007年12月20日撮影 小田急開業80周年を記念して、3000系ロマンスカーと共に展示されました。 @所在地 東京都 世田谷区 喜多見9丁目 喜多見検車区 A車歴 製造: 1967年3月 川崎車輌 用途廃止: 1999年7月17日 B保存に関わる情報 C参考 通常は喜多見検車区で保管されています。保存当初は自走できたようですが、11両編成のうち中間車を除いたため走行不能になったそうです。
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小田急電鉄 3222 Googleで検索
  やまてつ:2007年12月20日撮影 小田急開業80周年を記念して、3000系ロマンスカーと共に展示されました。中間車のため満足な写真が撮れておりません。 @所在地 東京都 世田谷区 喜多見9丁目 喜多見検車区 A車歴 製造: 1967年3月 川崎車輌 用途廃止: 1999年7月17日 B保存に関わる情報 C参考 通常は喜多見検車区で保管されています。保存当初は自走できたようですが、11両編成のうち中間車を除いたため走行不能になったそうです。
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小田急電鉄 3223 Googleで検索
  やまてつ:2007年10月20日撮影 小田急開業80周年を記念して、3000系ロマンスカーと共に展示されました。中間車のため満足な写真が撮れておりません。 @所在地 東京都 世田谷区 喜多見9丁目 喜多見検車区 A車歴 製造: 1967年3月 川崎車輌 用途廃止: 1999年7月17日 B保存に関わる情報 C参考 通常は喜多見検車区で保管されています。保存当初は自走できたようですが、11両編成のうち中間車を除いたため走行不能になったそうです。
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小田急電鉄 3224 Googleで検索
   やまてつ:2007年10月20日撮影 小田急開業80周年を記念して、3000系ロマンスカーと共に展示されました。中間車のため満足な写真が撮れておりません。 @所在地 東京都 世田谷区 喜多見9丁目 喜多見検車区 A車歴 製造: 1967年3月 川崎車輌 用途廃止: 1999年7月17日 B保存に関わる情報 C参考 通常は喜多見検車区で保管されています。保存当初は自走できたようですが、11両編成のうち中間車を除いたため走行不能になったそうです。
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小田急電鉄 3225 Googleで検索 @所在地 東京都 世田谷区 喜多見9丁目 喜多見検車区 A車歴 製造: 1967年3月 川崎車輌 用途廃止: 1999年7月17日 B保存に関わる情報 C参考 通常は喜多見検車区で保管されています。保存当初は自走できたようですが、11両編成のうち中間車を除いたため走行不能になったそうです。
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小田急電鉄 3231 Googleで検索
     やまてつ:2007年10月20日撮影 小田急開業80周年を記念して、3000系、7000系ロマンスカーなどと共に展示されました。 @所在地 東京都 世田谷区 喜多見9丁目 喜多見検車区 A車歴 製造: 1967年3月 川崎車輌 用途廃止: 1999年7月17日 B保存に関わる情報 C参考 通常は喜多見検車区で保管されています。保存当初は自走できたようですが、11両編成のうち中間車を除いたため走行不能になったそうです。
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江ノ島電鉄 601 Googleで検索
       
       
  やまてつ:2006年1月8日撮影 世田谷線宮の坂駅脇の公民館敷地内に保存されています。写真はとりづらいのですが、状態が非常に良く感心しました。 @所在地 東京都 世田谷区 宮坂1−24−6 宮坂地区会館 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1925年 蒲田車輌 新製配置: 1925年 玉川電気軌道45号 吸収合併: 1938年 東京横浜電鉄に 改番: 1942年 デハ29(東京急行株式会社に社名変更に伴い) 鋼製車体化及び改番: 1953年 デハ104号 改番: 1969年5月11日 デハ87(玉川線廃止時に) 譲渡: 1970年 江ノ島電鉄 廃車: 1990年4月27日 江ノ島電鉄 保存: 1990年7月6日 車体色を東急世田谷線と同様とする B保存に関わる情報 C参考 江ノ島電鉄 601 (汽車・電車1971年〜保存車のページ) 東急玉川線、デハ87
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ヨ14740 Googleで検索
   やまてつ:2006年1月8日撮影 世田谷公園でD51の後ろ側に連結する形で保存されています。状態は良いのですが、車内には入れません。 @所在地 東京都 世田谷区 池尻1-5-27 世田谷公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 B保存に関わる情報 C参考 ヨ14740 (汽車・電車1971年〜保存車のページ)
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東急電鉄 デハ5001 Googleで検索
       
  やまてつ:2007年6月21日撮影 渋谷駅ハチ公前広場に展示されています。10:00〜16:00まで車内にも入る事が出来ます。車内は忠犬ハチ公の展示がありました。 @所在地 東京都 渋谷区 渋谷駅ハチ公口 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1954年 東急車輛 B保存に関わる情報 C参考 東急電鉄 デハ5001 (汽車・電車1971年〜保存車のページ) 1993年に廃車後は東急車輛で保管、2006年10月26日より渋谷駅前で保存された。保存に際し車体は18mから11mほどに短縮され、台車は外されている。
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C11 368 Googleで検索
        愛媛のKaze:2008年5月15日撮影 センター建物に接して屋根・ミニプラットホーム付きで保存されています。塗装は普通で、前後ライトの球はありませんでしたが、他の外装諸装備は良好でした。プレートは模造品のようです。運転室は金網で覆われています。内部は速度計以外の諸計器類の大半が欠損しており、荒廃状態でした。外観としてはきれいな状態でした。 @所在地 東京都 中野区 中野2-9-7 中野文化センター Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1946年12月26日 日本車輌 No.1459 竣工: 1946年12月26日 仙台局 配置: 1949年3月1日 小牛田 配置: 1961年3月31日 小牛田 廃車: 1972年7月24日 小牛田 走行距離: 1,130,000km 保存時契約当事者 国有鉄道:東京西鉄道管理局長 相手方:東京都中野区長 1972年9月11日 JR発足時の移管先:JR東日本 B保存に関わる情報 管理: 所有: JR東日本(無償貸与) C参考 C11 368(汽車・電車1971年〜保存車のページ) 屋内保存であるが、部品等の紛失多い
E参考資料
鉄道ピクトリアル No.282(1973-8) P28-33、65 東京都内の保存機関車 青木栄一
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D51 254 Googleで検索
      愛媛のKaze:2008年5月15日撮影 児童交通公園の一角に屋外保存されています。塗装は普通ですが、部分的に錆が浮き始めています。清缶剤挿入装置欠 プレートは模造品のようです。運転室内は諸計器類はバルブも含めて全くありません。内部は普通ですが、機能的には荒廃状態です。外観と差があります。児童と親御さんが見ておられましたが、内部の整備がされたらよいのですが・・ @所在地 東京都 杉並区 成田西1-22-13 杉並児童交通公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1939年12月16日 鷹取工場 No.13 配置: 1948年7月1日 配置: 1957年11月1日 配置: 1968年4月1日 奈良 移動: 1973年12月22日 長門 廃車: 1974年10月21日 長門 保存時契約当事者 国有鉄道:東京西鉄道管理局長 相手方:東京都杉並区長 1975年2月10日 JR発足時の移管先:JR東日本 B保存に関わる情報 管理: 所有: JR東日本(無償貸与) C参考 D51 254(汽車・電車1971年〜保存車のページ) 腐食が進行し、心配な車輌であったが、2003年4月頃までに整備された。
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220〔西武鉄道 3〕 Googleで検索
       やまてつ:2002年7月11日撮影 昭和鉄道学園にて屋根の下で大切に保存されておりました。同時期、道を挟んで向かいがわに東武鉄道39が保存されていましたが、解体話が出ていたところでした。 @所在地 東京都 豊島区 池袋本町 昭和鉄道高校付属資料館 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1891年 ダブス No.2765 輸入: 1891年 大阪鉄道6 合併: 関西鉄道57 国有化: 1907年10月1日 鉄道院 称号規定に伴う改番: 1909年10月1日 鉄道院220 廃車: 1917年6月25日 西部局 払下: 1917年 多摩鉄道A1 買収: 1927年 西武鉄道3 貸渡し: 1956年 上武鉄道 譲渡: 1958年 上武鉄道8 廃車: 1965年 西武鉄道に返還 B保存に関わる情報 C参考 220〔西武鉄道 3〕(汽車・電車1971年〜保存車のページ) 最後は上武鉄道で使用、1967年4月に西武鉄道より昭和鉄道学園に寄贈された。
E参考資料
鉄道ピクトリアル No.282(1973-8) P28-33、65 東京都内の保存機関車 青木栄一
蒸気機関車 No68(80-7) P38-40 関東私鉄保存機めぐり 松岡泰和
鉄道ジャーナル No.71(1973-3) P96-101 私鉄・専用線の蒸気機関車 ’67〜’73 Part1 野ざらし機関車・1 汽車くらぶ
蒸気機関車 No1(68-夏) P106-120 私鉄専用線の蒸気 内田広孝
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C58 407 Googleで検索
 やまてつ:2000年12月13日撮影 @所在地 東京都 豊島区 南大塚3-27-1 大塚台公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1946年12月29日 汽車製造 No.2543 配置: 1949年4月1日 苗穂 配置: 1961年4月1日 木古内 配置: 1969年4月1日 五稜郭 廃車: 1974年3月20日 苗穂 保存時契約当事者 国有鉄道:東京北鉄道管理局長 相手方:東京都豊島区長 1974年5月6日 JR発足時の移管先:JR東日本 B保存に関わる情報 管理: 所有: JR東日本(無償貸与) C参考 C58 407(汽車・電車1971年〜保存車のページ) 整備され、状態良し,これとは別に、平取町の振内鉄道記念館内に刻印より確認した動輪が保存されている。
E参考資料
蒸気機関車 No69(80-9) P6-7 わが町の静態保存機
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帝都高速営団 685 Googleで検索 @所在地 東京都 豊島区 池袋本町2−10−1 昭和鉄道高校付属資料館 A車歴 B保存に関わる情報 C参考 帝都高速営団 685 (汽車・電車1971年〜保存車のページ)
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東京都交通局 12-001 Googleで検索
       
       やまてつ:2008年2月16日撮影 屋根の下、夜間はカギのかかる柵の中で保存されております。状態は良好ですが、塗装の劣化いるのが目立つようになってきました。 @所在地 東京都 豊島区 千早1丁目8−1 千早フラワー公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 B保存に関わる情報 C参考 東京都交通局 12-001 (汽車・電車1971年〜保存車のページ) 都営大江戸線(都営12号線)の試作車として製作された。
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東京都交通局 12-002 Googleで検索
       
    やまてつ:2008年2月16日撮影 屋根の下、夜間はカギのかかる柵の中で保存されております。状態は良好ですが、塗装の劣化いるのが目立つようになってきました。 @所在地 東京都 豊島区 千早1丁目8−1 千早フラワー公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 B保存に関わる情報 C参考 東京都交通局 12-002 (汽車・電車1971年〜保存車のページ) 都営大江戸線(都営12号線)の試作車として製作された。
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東京都交通局 6162 Googleで検索
       
  やまてつ:2005年7月28日撮影 屋根つき、完全に網に覆われて保存されている。1992年の補修より10年以上を経過し、塗装の劣化は目立つが、状態は良い、のびのびした状態で保存されておらず、撮影も難しいことが残念である。 @所在地 東京都 豊島区 南大塚2丁目27番地 大塚南公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1949年7月21日 木南車輌 転属: 1967年12月10日 大久保車庫 転属: 1968年5月26日 荒川車庫 転属: 1970年3月27日 錦糸堀車庫 廃車: 1971年3月20日 錦糸堀車庫 保存開始: 1971年5月1日 B保存に関わる情報 C参考 東京都交通局 6162 (汽車・電車1971年〜保存車のページ) 1971年廃車後に大塚車庫跡裏手にある大塚南公園に保存され集会場として利用、その後荒廃し、1991年にリニューアル工事が行われ綺麗になりました。この時、位置を少し移動し、非行防止のためにフェンスで囲まれ、方向幕が埋め込まれています。車内見学は公園向かい側にあるタバコ屋に申し出れば可能です。
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D51 853 Googleで検索
       
       
       
 やまてつ:2006年3月29日撮影 一時はアスベストのため立入禁止になりましたが、2006年3月時点には立ち入れるようになりました。昨年整備を受けたため、非常に良い状態です。 @所在地 東京都 北区 王子1-1-3 飛鳥山公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1943年8月31日 鷹取工場 No.51 配置: 1948年7月1日 姫路第一 配置: 1957年11月1日 長岡第1 配置: 1968年4月1日 酒田 廃車: 1972年6月14日 酒田 保存時契約当事者 国有鉄道:東京北鉄道管理局長 相手方:東京都北区長 1972年9月11日 JR発足時の移管先:JR東日本 B保存に関わる情報 管理: 所有: JR東日本(無償貸与) C参考 D51 853(汽車・電車1971年〜保存車のページ) 2004年12月より2005年4月にかけて修理が行われる。このときに屋根が設置された。ボイラー安全弁は御下賜された機関車
Dアスベストについての対応
2005年10月時点 柵が設けられ厳重に立入禁止でしたが、2006年3月時点解除されていた。
E参考資料
鉄道ピクトリアル No283(73-9) P76元酒田区のD51853飛鳥山公園に展示
蒸気機関車 No70(80-11) P6-7 わが町の静態保存機
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東京都交通局 6080 Googleで検索
       
     やまてつ:2006年3月29日撮影 修復から1年も経たないうちに、ご覧のように窓ガラスが壊され残念な状態です。どのように保存したらよいのだろうか考えさせられます。 @所在地 東京都 北区 飛鳥山 飛鳥山公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 B保存に関わる情報 C参考 東京都交通局 6080 (汽車・電車1971年〜保存車のページ)
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東京都交通局 5501 Googleで検索
       
       やまてつ:2007年9月8日撮影 整備が終了し、都電おもいで広場に展示された5501です。車内は席が撤去され、展示スペースとなっていました。また、後側の運転設備が撤去されていました。 @所在地 東京都 荒川区 西尾久8-33-7 都電荒川車庫 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1954年5月 三菱電機 B保存に関わる情報 C参考 東京都交通局 5501 (汽車・電車1971年〜保存車のページ) 5501はP.C.C.カーと称される高性能車として1954年に三菱電機により製造されました。
P.C.C.とは、President's Conference Committee略で,アメリカにおいて1929年にP.C.C.が結成され5年にわたる研究結果により1936年に初めて完成した路面電車です。交通局は1953年にP.C.C.カーの研究を始め、当初は完成車を輸入する予定でしたが、パテント(特許)を購入し、5500型として7両を製造されました。
5500型の特徴は、台車や制御器等が全電気式で圧縮空気を使用しない、運転上足踏み式のコントローラを用いているなど当時の車輌の構造と大幅に異なります。高速、防音、防振、空調性能など路面電車として最高性能の車両です。当時は無音電車と呼ばれ注目を集めましたが、その活躍は、1954年5月〜1967年12月9日までの13年間と短く、1系統の品川〜上野の間だけを走るだけで終わりました。
5501は5500型の記念すべき1号車で純粋にP.C.C.カーと呼べるもので、廃車後、上野動物園内の不忍池のほとりで保存されていましたが、1990年6月び荒川車庫に移動し、現在にいたっています。特に修理も行われず台車のカバーが開けられ通常はシートに覆われていますが、2005年6月の公開に際してはシートが取られ展示されました。一早い修復を望みたいところです。
E参考資料
鉄道ファン No.83(1968-5) P56-59 PCCカー(5501)について 永浜英彦
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東京都交通局 6086 Googleで検索
       
 やまてつ:2008年9月27日撮影 2008年9月27日に都電荒川車庫におけるイベントで公開されました。塗装の剥離が多く見られましたが、溶接を要するような深い腐食は無く、良好な状態でした。今後整備され展示されることを希望します。なお、展示に際してヒューゲルは新しい物に交換されたそうです。 @所在地 東京都 荒川区 西尾久8-33-7 東京都交通局荒川車庫 A車歴 B保存に関わる情報 C参考 廃車後個人宅で保存されていたが、所有者が亡くなることにより一時は解体の危険性があったが、鉄道博物館学芸員であった故岸由一郎さんの尽力により荒川車庫に戻された。2008年10月26日の公開において展示された。
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東京都交通局 6152 Googleで検索
       
       
  やまてつ:2005年6月17日撮影 あらかわ遊園保存に際し、きれいに整備され、非常に状態が良かった。有料施設内にあり、公開時間が限られる。木製屋根を持つので、恒久的な保存を行うために、屋根の取付けは必要である。 @所在地 東京都 荒川区 西尾久6丁目35-9 あらかわ遊園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1949年7月 日本車輌 新製配置: 1949年7月30日 大久保営業所 転属: 1950年10月19日 青山営業所 転属: 1968年1月11日 大久保営業所 転属: 1968年4月29日 錦糸堀営業所 転属: 1971年3月18日 荒川営業所 応急車両へ: 1978年4月27日 荒川営業所 営業運転開始: 1988年9月20日 月2回日曜日 運行休止: 2000年12月29日 廃車: 2001年12月20日 譲渡先決定: 2002年3月26日 保存開始: 2003年4月6日 あらかわ遊園 廃車: 2001年12月20日 荒川車庫 走行距離: 1,115,600km 保存開始: 2003年4月6日 B保存に関わる情報 C参考 東京都交通局 6152 (汽車・電車1971年〜保存車のページ) 1973年のワンマン運転化に伴い運行休止、6000系最後の1両ということより1988年9月より月2回の定期運行が行われました。2000年12月に発生した京福電鉄の事故により運行できなくなり、2001年12月に廃車、保存先を公募し2002年3月に荒川区に決定した。保存に際しては、なるばべく原型に戻すため出入り口の踏台、放送施設、非常梯子を撤去、塗装の痛みがひどく、腐食部の補修、錆び止め処理のあとに再塗装、路線番号板、方向幕はレプリカを製作、座席や日よけの布地、つり革は新製、前照灯や尾灯は点灯できるようにするなど、1年をかけて修理されました。車内公開は土・日・祝日の11:00〜15:00木製部品を多く用いた半鋼性の車体で、今後劣化により雨漏りが生じたある場合は、車内が急速に劣化することが考えられるので、屋根の設置は望まれたい。
E参考資料
RM No.239(2003-8) P82 保存車博物館
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東京都交通局 7504 Googleで検索
       
       
  やまてつ:2007年9月8日撮影 整備をされ、都電おもいで広場に展示されています。有志により動態保存を考えて整備したそうですが、法律的な問題で実現しませんでした。 @所在地 東京都 荒川区 西尾久8-33-7 都電荒川車庫 Yahoo地図 Google地図 A車歴 転属: 1970年8月1日 荒川車庫 休車: 1998年9月1日 荒川車庫 廃車: 2001年12月20日 荒川車庫 B保存に関わる情報 C参考 東京都交通局 7504 (汽車・電車1971年〜保存車のページ) 7500形のワンマン車としては唯一、未更新、非冷房で活躍してきた車両であったが、1998年に運行休止、2001年に廃車となる。現在も荒川車庫で留置中である。
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D51 513 Googleで検索
      やまてつ:2005年9月4日撮影 アスベスト調査のために立入り禁止に、もう10年以上も整備されておらず、塗装も完全に褪せ、剥離も目立つ。早期に整備が必要。 @所在地 東京都 板橋区 坂下2-19-1 城北交通公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 大宮工場 No.26 配置: 1948年7月1日 新津 配置: 1957年11月1日 新津 配置: 1968年4月1日 新津 イベント: 1972年10月14日 〜15日 田端機関区 廃車: 1972年6月14日 酒田 保存時契約当事者 国有鉄道:東京北鉄道管理局長 相手方:東京都板橋区長 1972年12月1日 JR発足時の移管先:JR東日本 B保存に関わる情報 管理: 所有: JR東日本(無償貸与) C参考 D51 513(汽車・電車1971年〜保存車のページ) 近年塗装が褪せ剥離が目立ってきている。また、機関車に登れないように、前面は針金が張られている。柵の中にあり、夜間は近寄れない。
Dアスベストについての対応
2005年9月よりロープが張られ立入禁止の措置が行われました。
2006年1月26日時点、近く撤去封印工事が行われるとの張り紙があり。タイガーロープが張られ立入り禁止状態、運転台にも入れ無いように、ベニヤ板で出入口部を封鎖状態でした。
案内文には、
「JR東日本よりお借りし、展示しています蒸気機関車D51を、今回JR東日本が調査点検した所、一部にアスベスト製品が使用されていることが判明しました。ただちに飛散することはありませんが、念の為使用している部材の表面部分に凝固剤を塗布し飛散防止策を講じました。なお、飛散のおそれのある「吹き付けアスベスト」はありませんでした。今後アスベストを使用した部材の除去、密封するなどの措置を実施した後で、D51への立入りを再開する予定です。東武鉄道より譲り受けた「ベビーロゴ」号には、調査点検の結果アスベストが使用されていないことを確認しました」
以上の事が書かれた紙が掲示されていました。
*今後の各作業の様子は、まだ何処にも形跡はありませんでした。(具体的な日時などの記載も何処にもありませんでした)
外見を目視の状態で数ヶ所程、飛散防止策を講じたと思われる部分を確認しましたので、ご報告致します。
・給水温め器から後部へ延びた管(煙突後部辺り)のゲンコツ大
・ATS用発電機から後部へ延びた管(ATS用発電機を出てすぐ)名刺大
・タービン発電機から延びた管(タービン発電機を出てすぐ)名刺大
・運転助士側前方から先頭部に延びた管2本とも(タービン発電機の真下あたり)ゲンコツ大
・上記の管の(ATS用発電機の真下)
・チリコシから運転台下を通りテンダーを結ぶ管(二子三方コック真下あたり)ゲンコツ大
・テンダー下部、上記の管がテンダー部に掛かったあたり、ゲンコツ大
確認出来たのが7件ですが、どれも管に巻かれているアスベストが、傷んでいるので凝固剤で塗布した模様。すべてが運転助士側でしたが、反対側は立入り禁止で目視ができませんでした。今後の作業日程などのの掲示は何処にも見当たりません。
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東武鉄道 1 Googleで検索
       
 やまてつ:2005年9月4日撮影 久しぶりに訪問、 @所在地 東京都 板橋区 坂下2−19−1 城北交通公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1912年 コッペル No.5885 輸入 使用: 1912年 有田鉄道1 移動: 東武鉄道東上線 川越機関区 保存: 1952年 池袋 保存場所移転: 1958年7月 東武鉄道常盤台駅前 保存場所移転: 1973年8月 城北交通公園 B保存に関わる情報 C参考 東武鉄道 1 (汽車・電車1971年〜保存車のページ) 東武鉄道が有田鉄道と日光軌道貨物用途にキハ12型ガソリン気動車と交換し取得したもの。牽引力が低く、手動制動のため使用できず、東武線内での走行は回送時のみという。
廃車後は東上線常盤台駅前に保存されていたが、1973年2月19日に外装整備の上、現在地に移転した。
E参考資料
鉄道ジャーナル No.73(1973-5) P108 RJニュース ベビーロコ復元される。
鉄道ピクトリアル No.282(1973-8) P28-33、65 東京都内の保存機関車 青木栄一
蒸気機関車 No68(80-7) P38-40 関東私鉄保存機めぐり 松岡泰和
蒸気機関車 No34(74-11) P23-26 東武鉄道の蒸気機関車 瀬古龍雄
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東京都交通局 7508 Googleで検索
        やまてつ:2005年9月4日撮影 野外保存、塗装の色あせが進んでします。みきよひろさんの写真より1年ほど経過するが、表示窓のベニア板による応急修理もそのままでした。 @所在地 東京都 板橋区 大山西町 板橋中央公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1962年 日本車輌製造 廃車: 1986年3月31日 B保存に関わる情報 C参考
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鉄道連隊 E 18 Googleで検索
      やまてつ:2003年3月24日撮影 @所在地 東京都 練馬区 豊玉北1-1-12 プレスアイゼンバーン Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1925年 コッペル No.11073 使用: 1950年代 安比奈線 収容: 1964年 西武建設資材置場 保存: ユネスコ村 保存場所移転: 1993年 B保存に関わる情報 C参考 鉄道連隊 E 18(汽車・電車1971年〜保存車のページ) 以前はユネスコ村で保存。腐食が進み状態は不良、永らく大井川鉄道で修理が行われていたが2012年に完成した。ロッドが無いのが残念である。
E参考資料
鉄道ファン No.107(1970-5) P118 西武鉄道Eタンクの近況
鉄道ピクトリアル No.282(1973-8) P28-33、65 東京都内の保存機関車 青木栄一
鉄道ジャーナル No.71(1973-3) P96-101 私鉄・専用線の蒸気機関車 ’67〜’73 Part1 野ざらし機関車・1 汽車くらぶ
蒸気機関車 No56(78-7) P32 保存ナローSLを訪ねて 西部の旧鉄連機 名取紀之
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C50 75 Googleで検索
       
       
       
 やまてつ:2008年2月16日撮影 2008年2月時点のC5075の状況です。アスベスト事件以降、機関車は立入りできなくなっています。外部から見ると綺麗ですが、機関車上部に上らないように設置された標識が目に付きます。 @所在地 東京都 足立区 鹿浜3丁目26−1 北鹿浜公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1929年12月7日 川崎車輌 No.1333 竣工: 1929年12月7日 大阪局 新製配置: 1929年12月25日 豊岡 移動: 1930年9月26日 湊町 移動: 1932年1月30日 奈良 移動: 1933年1月11日 湊町 移動: 1938年10月1日 竜華 移動: 1941年9月20日 亀山 廃車: 1971年3月8日 亀山 走行距離: 20,507,000km 保存時契約当事者 国有鉄道:東京北鉄道管理局長 相手方:東京都足立区長 1971年5月13日 JR発足時の移管先:JR東日本 B保存に関わる情報 管理: 所有: JR東日本(無償貸与) C参考 C50 75(汽車・電車1971年〜保存車のページ) 長く亀山にて入換に活躍。屋根があるが、ヘッドライトのガラスが割れ運転室内は荒廃しているのが残念。当初は足立区役所に保存されていたが、2000年頃に当地に移転、
Dアスベストについての対応
2006年1月現在、運転台内部に入れないように、出入口に工事現場用の柵(黄色と黒のつい立)で封鎖状態。
外見からの目視でも、特に補修などの作業をした形跡は見当たらず。
「安全点検を行なうため、しばらくの間機関車出入口を閉鎖します」と書かれた紙が掲示してありました(みきよひろ)。
E参考資料
鉄道ピクトリアル No.282(1973-8) P28-33、65 東京都内の保存機関車 青木栄一
蒸気機関車 No69(80-9) P6-7 わが町の静態保存機
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D51 502 Googleで検索
       
       
       
   やまてつ:2008年2月16日撮影 屋根はあるものの塗装が剥離し、その個所はさび付いていました。かなり長い期間整備されていないようでした。ただ、張り紙によると、2月19日から25日まで緊急の整備が行われる事が書かれていました。 @所在地 東京都 葛飾区 西亀有1-27-1 上千葉砂浜公園 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1941年9月30日 鷹取工場 No.30 配置: 1948年7月1日 小郡 配置: 1957年11月1日 新津 配置: 1968年4月1日 酒田 廃車: 1972年1月31日 酒田 走行距離: 1,877,035km 保存時契約当事者 国有鉄道:東京北鉄道管理局長 相手方:東京都葛飾区長 1972年2月29日 JR発足時の移管先:JR東日本 B保存に関わる情報 管理: 所有: JR東日本(無償貸与) C参考 D51 502(汽車・電車1971年〜保存車のページ) 1972年3月7日に大宮工場より運ばれる。
状態は良好、接近は昼間のみ
E参考資料
鉄道ピクトリアル No.282(1973-8) P28-33、65 東京都内の保存機関車 青木栄一
広報かつしか No.237(72-3) 表紙
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C58 165《第2動輪》 Googleで検索
  やまてつ:2006年2月7日撮影 JR貨物の車両基地にあるC58165の第2動輪です。正面にナンバープレートがありますが、実際にこの動輪がC58165のものかどうかはわかりません。 @所在地 東京都 江戸川区 新小岩 A車歴 製造: 1939年9月21日 汽車製造 No.1799 竣工: 1939年9月21日 新潟局 配置: 千葉 配置: 新小岩 廃車: 1969年12月11日 新小岩 B保存に関わる情報 C参考
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帝都高速営団 129 Googleで検索
      やまてつ:2005年4月20日撮影 マスコンハンドル、ブレーキ弁を操作すると、車体前に設置してある台車のモーター、車輪、ブレーキが動作するようになっており、展示物としては面白い。 @所在地 東京都 江戸川区 東葛西6−3−1 地下鉄博物館 Yahoo地図 Google地図 A車歴 本線使用終了: 1968年 中野検車区にて牽引車として使用 除籍: 1981年11月26日 カットボディー化、復元: 1986年 行徳検車区 B保存に関わる情報 C参考 地下鉄博物館 帝都高速営団 129 (汽車・電車1971年〜保存車のページ) 地下鉄銀座線の渋谷〜新橋間の1938年の開業に先立ち、前年の1937年(昭和12年)に製造した電車である。
1968年に営業運転を終了したが解体を免れ、中野検車区構内の牽引車として残っていたが、1981年11月26日付けで除籍となり、1986年に車体を行徳検車区でカットし、登場時の姿に復元した上で地下鉄博物館の展示された。
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帝都高速営団 301 Googleで検索
       
       やまてつ:2005年4月20日撮影 @所在地 東京都 江戸川区 東葛西6−3−1 地下鉄博物館 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1953年 汽車製造 引退: 1995年2月 以前 保存: 中野車両基地 移動: 2002年11月21日 地下鉄博物館 B保存に関わる情報 C参考 地下鉄博物館 帝都高速営団 301 (汽車・電車1971年〜保存車のページ) 1954年の丸ノ内線開業に先立ち1953年に落成した。両運転台構造車である。
本線からは1995年2月までに営業運転を終了し、廃車後は営団中野工場の北門脇に保存されていたが2002年11月21日に地下鉄博物館に移動し展示される。
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帝都高速営団 1001 Googleで検索
       
        やまてつ:2005年4月20日撮影 @所在地 東京都 江戸川区 東葛西6−3−1 地下鉄博物館 Yahoo地図 Google地図 A車歴 製造: 1927年 川崎車輌 廃車: 1968年 保存展示: 1970年 交通博物館 保存場所移転: 1986年 地下鉄博物館 B保存に関わる情報 C参考 地下鉄博物館 帝都高速営団 1001 (汽車・電車1971年〜保存車のページ) 廃車後1970年に交通博物館へ寄贈され、開業時の姿への復元が進められた。台車については旧台車の払い下げ先である山陽電鉄で使用されていることがわかり1980年の同編成廃車後に、台車1両分の寄贈を受けて交換している。1986年に地下鉄開通60周年記念事業の一環で開館した地下鉄博物館に移転され屋内保存された。
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